世話人

提供: miniwiki
移動先:案内検索

世話人(せわにん)とは、大相撲において、相撲競技用具の運搬、保管等の管理にあたるとともに、その他上司の指示に従い服務する者をいう[1]力士行司などと同様に各相撲部屋に所属する。

概要

若者頭助手を務め、本場所では役員室や木戸の係を務める。世話人としては現役時の最高位の場所で名乗った四股名を名乗ることが通例とされる。世話人の新規採用は、引退した十両幕下力士で適格と認められる者から行うこととされているが[2]、過去には年寄名跡が不足していた事情もあったことから幕内経験者からも採用を行っていた。採用の目安は、「年寄名跡を襲名できなかった引退力士の中でも角界に対する強い執着を持った者」であり、初土俵から20年近く現役を続けたような力士生活の極めて長い人物が採用される傾向にある。定員は長らく8人であったが、2004年(平成16年)1月以降13人[3]、停年(定年。以下同)は1990年(平成2年)1月以降65歳と定められている[4]1996年(平成8年)10月までは年寄名跡を襲名し親方になる場合以外は、若者頭、世話人に転向し協会に残る場合も「引退」ではなく「廃業」と表現されていたが、同年11月以降は全て「引退」に統一された。

2017年9月に友鵬が死去したため、2017年12月現在では1枠空いている状態である。

世話人一覧

現役の世話人

2017年9月場所現在

名前 最高位 就任 所属部屋(世話人就任後)
白法山和壽 幕下2 1986年10月 春日山部屋安治川部屋→春日山部屋→追手風部屋中川部屋
斎須稔 前頭2 1986年11月 伊勢ヶ濱部屋桐山部屋朝日山部屋→伊勢ヶ濱部屋
福龍岳茂生 十両12 1992年10月 出羽海部屋
栃玄王泰幸 幕下26 1995年4月 春日野部屋
羽黒海憲司 幕下6 2004年1月 立浪部屋
大日岳栄隆 十両7 2004年1月 玉ノ井部屋
陸奥北海勝昭 十両6 2004年1月 安治川部屋→伊勢ヶ濱部屋
荒ノ浪二朗 幕下3 2004年1月 武蔵川部屋→藤島部屋
虎伏山義幸 幕下2 2004年1月 三保ヶ関部屋→春日野部屋
嵐望将輔 幕下13 2013年5月 貴乃花部屋
幕下時代の四股名は福の隆
栃の山博士 幕下2 2013年5月 千賀ノ浦部屋
錦風真悟 幕下1 2015年2月 尾車部屋

退職した主な世話人

名前 最高位 在職期間 所属部屋
光若英夫 三段目28 1957年9月-1995年3月(停年) 花籠部屋放駒部屋
能登ノ山竜三 十両13 1958年5月-1971年7月(死去) 立浪部屋
若乃里雄三 十両5 1959年5月-1983年4月(死去) 花籠部屋
瀧見山延雄 十両4 1962年3月-1992年9月(停年) 二所ノ関部屋
琴千歳晃精 前頭5 1986年9月-1991年7月(若者頭に転向) 佐渡ヶ嶽部屋
乾龍初太郎 十両5 1978年5月-2011年1月(停年) 押尾川部屋尾車部屋[5]
王湖伊津男 前頭14 1985年11月-2013年4月(死去) 友綱部屋
總登光一 幕下2 1986年2月-2016年3月(死去)[6] 大山部屋高砂部屋
幕下時代の四股名は福本
友鵬勝尊 幕下1 1991年8月-2017年9月(死去)[7] 大鵬部屋大嶽部屋
現役時代の四股名は勇鵬

脚注

  1. 日本相撲協会寄附行為施行細則第41条
  2. 日本相撲協会寄附行為施行細則第68条
  3. 2015年2月の錦風の就任から2016年3月の總登の死去までの期間は、就任者が14人になっていた。
  4. 日本相撲協会寄附行為施行細則停年退職規定第8条
  5. 2011年1月1日で停年を迎えたため、2010年12月に発表された2011年1月場所の新番付からは名前が外されていた。また、1996年頃の番付には下の名が「初男」「初太郎」と表記されている場所もある。
  6. 世話人の總登が死去 60歳 日刊スポーツ 2016年3月30日閲覧
  7. 大嶽部屋世話人の友鵬勝尊氏死去 60歳 8日の稽古後倒れる - スポーツニッポン 2017年9月9日

関連項目

外部リンク