摂理 (せつり, Providence, providentia divina)
神が究極因としてだけではなく動力因としても,世界全体と個々の存在,特に個々の人間の出来事に介入してこれらを神自身のほうに効果的に導くこと。プラトンの『法律』,ストア派の pronoia (摂理) にすでに神的摂理観がみえるが,明確にはキリスト教神学で立てられた。人間の自由,悪,特に倫理悪としての罪が摂理観に重大な問題を常に投げかけている。