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− | {{Infobox scientist
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− | |name = ジェームズ・クラーク・マクスウェル
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− | |image = James Clerk Maxwell.png
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− | |caption = ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831–1879)
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− | |fields = [[物理学]]、[[数学]]
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− | |workplaces = マリシャルカレッジ([[アバディーン]])<br />[[キングス・カレッジ・ロンドン]]<br />[[ケンブリッジ大学]]
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− | |alma_mater = [[エディンバラ大学]]<br />[[ケンブリッジ大学]]
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− | |academic_advisors = [[ウィリアム・ホプキンス]]
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− | |notable_students = [[ジョージ・クリスタル]]
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− | |known_for = [[マクスウェルの方程式]]<br />[[マクスウェル分布]]<br />[[マクスウェルの悪魔]]<br />[[マクスウェルの関係式]]<br />[[変位電流]] など
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− | |influences =
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− | |influenced =
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− | |awards = [[スミス賞]] (1854) <br />[[アダムス賞]] (1857) <br />[[ランフォード・メダル]] (1860) <br /> [[キース賞]] (1869–71)
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− | |religion = [[Elder of the Church of Scotland|Elder]] of the [[Church of Scotland]]<ref name="The Aberdeen University Press"/>
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− | |signature = James Clerk Maxwell sig.svg
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− | |footnotes =
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− | }}
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− | {{統計力学}}
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− | '''ジェームズ・クラーク・マクスウェル'''(英:'''James Clerk Maxwell'''、[[1831年]][[6月13日]] - [[1879年]][[11月5日]])は、[[イギリス]]の理論[[物理学者]]である。姓は'''マックスウェル'''と表記されることもある。
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− | [[マイケル・ファラデー]]による[[電磁場]]理論をもとに、[[1864年]]に[[マクスウェルの方程式]]を導いて古典[[電磁気学]]を確立した。さらに[[電磁波]]の存在を理論的に予想しその伝播速度が[[光速度|光の速度]]と同じであること、および[[横波]]であることを示した。これらの業績から電磁気学の最も偉大な学者の一人とされる。また、[[土星]]の[[環 (天体)|環]]や[[気体分子運動論]]・[[熱力学]]・[[統計力学]]などの研究でも知られている。 | + | '''ジェームズ・クラーク・マクスウェル'''(英:'''James Clerk Maxwell'''、[[1831年]][[6月13日]] - [[1879年]][[11月5日]]) |
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− | == 経歴 ==
| + | イギリスの物理学者。エディンバラ大学とケンブリッジ大学に学び,アバディーンのマーシャル・カレッジ大学教授 (1856) ,ロンドンのキングズ・カレッジ教授 (60) ,ケンブリッジ大学教授 (71) 。ここでキャベンディッシュ研究所の創設に尽力,初代所長となった。数学に秀で 14歳で卵形曲線に関する論文をまとめた。光の色に関する研究,土星の環の研究 (59) から,気体分子運動論に転じ (60) ,熱と運動の関係,分子の速度分布則 ([[マクスウェル=ボルツマン分布]] ) を導いた。さらに M.ファラデーがはなばなしく展開していた電磁気現象を手がけ (64~74) ,力線に数学的基礎づけを与え,場の考えを支持して有名な[[マクスウェルの方程式]]を導いた。それに基づいて,電気振動によって電磁波が発生すること,その伝播速度が光速度に等しいこと,それが横波であることを予言し,光の電磁波説の基礎を築いた。 |
− | * [[1831年]][[6月13日]]に[[スコットランド]]の[[エディンバラ]]で、[[弁護士]]のジョン・クラーク(John Clerk)とフランシス・ケイ(Frances Cay)の間に生まれる。父のジョンはマクスウェル家の持つ1800[[エーカー]]の広大な土地を相続しており、それがある[[スコットランド]]南西部のミドルビーでマクスウェルは幼少期を過ごした。近くには学校がなかったため母のフランシスが教師となったが8歳の時に母ががんで亡くなり、以後は相性の悪い家庭教師の下で2年間学んだ。
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− | * 1841年11月に10歳でエディンバラ中等学校に入学し、当初は訛りをからかわれたもののやがて早熟な才能を示した。14歳の時には書いた詩が『エディンバラ通信』に掲載され、その半年後には複数の[[焦点 (幾何学)|焦点]]を用いた[[卵]]形線の定義とこれに基づいたピンと糸による描法を考え出している。この業績は[[エディンバラ大学]]のジェームズ・フォーブスに認められ、エディンバラ王立協会で発表された。
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− | * 1847年に16歳で[[エディンバラ大学]]に入学し、偏光による[[弾性]][[ひずみ]]の観察の研究などを行なった。さらに1850年に[[ケンブリッジ大学]]の聖ペテロカレッジ(後のピーターハウス)に入ったが、翌学期から学内の[[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|トリニティーカレッジ]]に移った。なお、当時の[[ケンブリッジ]]には物理学者の[[ジョージ・ガブリエル・ストークス]]や[[ウィリアム・ヒューウェル]]がいた。1854年に[[数学]]の[[学位]]を2位の成績で取得して卒業している<ref>「スコットランド文化事典」p639 [[木村正俊]]・中尾正史編 原書房 2006年11月3日第1刷</ref>。この時1位だった数学者の[[エドワード・ラウス|ラウス]]に負けた悔しさからマクスウェルは学内の数学のスミス賞を狙い、こちらはラウスと同時受賞となった。
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− | * 卒業後も教授の資格を得るためにトリニティーカレッジに残ってフェローとして研究や学生の指導を行ない、1855年12月10日には[[マイケル・ファラデー]]の提唱した磁気力線に関する論文を発表した。これが契機となって、後にファラデーとの間に交流が生まれている。1856年4月30日付でトリニティーカレッジの研究員となり、さらに同年10月15日に故郷のスコットランドの[[アバディーン]]にあるマリシャルカレッジで[[科学哲学]]の[[教授]]に就任した。なお、4月2日には父・ジョンが亡くなった。
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− | * この頃ケンブリッジのアダムズ賞に取り組み、1857年度の課題だった「[[土星]]の[[環 (天体)|環]]の構造と安定性」について1856年12月16日に論文を提出し、翌1857年5月30日に受賞した。この論文において安定して環が存在し続けるためには、環は無数の粒子から構成されていなければならないとの結論を得ている。
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− | * 1858年2月にはマリシャルの[[学長]]の娘であるキャサリン・マリー・デュワーと結婚し、同年6月に披露宴を挙げている。
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− | * 1859年9月21日に発表した気体の動力学的理論の論文では、個々の粒子の速度分布は[[マクスウェル分布]]に従う事を示した。
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− | [[ファイル:Tartan Ribbon.jpg|thumb|250px|史上初のカラー写真]]
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− | * 1860年、マリシャルカレッジと近郊のキングスカレッジとの統合にともない教授の職を失った。マクスウェルはグレンレア領の領主であり<ref>「スコットランド文化事典」p639 木村正俊・中尾正史編 原書房 2006年11月3日第1刷</ref>、所有地からの収入は年間2000ポンドに上っており収入の不安はなかったが、マックスウェルは同年7月11日から[[ロンドン]]の[[キングス・カレッジ・ロンドン]](前述の統合校とは別)の自然哲学の教授職に就いた。
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− | * 1861年には、[[光|光の三原色]]それぞれのフィルターを着けて撮影した3枚の写真を重ねることで史上初めて[[写真#カラー写真|カラー写真]]の撮影に成功した。右図のように被写体は[[タータン]][[リボン]]であり、この結果は同年5月17日に王立研究所で発表された。
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− | * また同年、[[気体]]の[[分子運動論]]の論文を発表した。この論文では、[[エーテル (物理)|エーテル]]の中で力線に沿って整列した渦流が敷き詰められ、その間に小さな歯車のような存在があって噛み合っているという力学モデルを提案した。これは現実的ではないが、ここから正確な[[アンペールの法則]]が初めて導き出された。さらにエーテルを[[弾性体]]として電気・磁気の力によって伝播する波の速度を求めたところ、[[光速度]]とほぼ一致することが明らかになった。すなわち光は[[横波]]であり、かつ[[電磁気]]と一体の現象として捉えられることがわかった。これらを整理して渦流を用いずに説明できる電磁場のモデルである'''[[マクスウェルの方程式]]'''を導き、[[1864年]]に王立学会で発表した。
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− | * 1864年(及び1870年)には、[[マクスウェル・ベティの相反作用の定理]]に関係する論文も発表している<ref>Maxwell JC (1864) On reciprocal figures and diagrams of forces. Philos Mag 26:250–261</ref><ref>Maxwell JC (1870) On reciprocal figures, frames, and diagrams of forces. Edinb Roy Soc Proc 7:160–208</ref>。
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− | * 1865年4月にマクスウェルは論文執筆などで多忙のため、キングスカレッジを退職した。同年秋に故郷のミドルビーに戻り、1867年の春から夏にかけては妻の転地療養も兼ねて[[イタリア]]を訪れている。
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− | * 1868年には論文の中で[[電磁波]]という言葉を使用し、[[電気]]と[[磁気]]の相関に触れた。また1871年には著作の中で、[[クラウジウス]]が提唱した[[熱力学第二法則]]に疑問を投げかけ、'''[[マクスウェルの悪魔]]'''の思考実験を示した。
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− | * 1871年3月18日にケンブリッジ大学で[[実験物理学]]の初代教授となった。ここでは総長の第7代[[デヴォンシャー公]]{{仮リンク|ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第7代デヴォンシャー公爵)|en|William Cavendish, 7th Duke of Devonshire|label=ウィリアム・キャヴェンディッシュ}}の基金による[[キャヴェンディッシュ研究所]]設立に貢献し、1874年6月16日開所と同時に初代所長となった。
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− | * 1877年にはアダムス賞の審査員となり、かつて同級生だったラウスがこれを受賞している。
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− | * [[1879年]]夏季にミドルビーに帰省した際に2年前から患った腹部の[[癌]]が悪化し、ケンブリッジで治療を受けるも[[11月5日]]に逝去した。
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− | == 人物 ==
| + | {{テンプレート:20180815sk}} |
− | [[アルベルト・アインシュタイン]]は[[1920年代]]にケンブリッジ大学を訪問した際、自分の業績は[[アイザック・ニュートン]]よりもマクスウェルに支えられた所が大きいと述べている。
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− | 著名になっても糊のきいた手袋とシャツを嫌い、もっぱら3等客車に乗り目上の者にも目下の者にも同じように接した純朴な人であった。
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− | == 年譜 ==
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− | *[[1831年]] - [[スコットランド]]の[[エディンバラ]]に生まれる。
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− | *[[1841年]] - エディンバラ中等学校に入学
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− | *[[1847年]] - [[エディンバラ大学]]に入学
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− | *[[1850年]] - [[ケンブリッジ大学]]に入学
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− | *[[1854年]] - ケンブリッジ大学を卒業
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− | *[[1856年]] - マリシャルカレッジの[[教授]]に就任
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− | *[[1858年]] - キャサリン・マリー・デュワーと結婚
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− | *[[1860年]] - [[キングス・カレッジ・ロンドン]]の教授に就任
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− | *[[1865年]] - キングス・カレッジ・ロンドンを退職
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− | *[[1871年]] - ケンブリッジ大学の教授に就任
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− | *[[1874年]] - [[キャヴェンディッシュ研究所]]の所長となる
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− | *[[1879年]] - [[癌]]のため、[[イングランド]]の[[ケンブリッジ]]にて逝去
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− | == 脚注 ==
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− | <references />
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− | == 参考文献 ==
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− | マクスウェル本人の著作は著作権が切れており、オンライン上で多数見いだすことができる。
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− | ===マクスウェルの著作で邦訳があるもの===
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− | *[[竹内薫]]訳『電気論の初歩 上』[[シャムハトプレス]]、[[2006年]]、ISBN 9784903031057
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− | *井口和基訳、『マックスウェルの電磁気学』、太陽書房、2012年
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− | *佐光興亜訳 、『気体の動力学的理論の例示』『気体の動力学的理論について』、松村博之訳、『質点系におけるエネルギーの平均分布に関するBoltzmannの理論について』(『気体分子運動論』、東海大学出版会、〈物理学古典論文叢書〉、1971年、1-126頁に収録 )
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− | ===評伝===
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− | *矢島祐利著、『マックスウェル』、弘文堂、〈科学史をつくる人々〉、1950年
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− | *カルツェフ著、早川光雄・[[金田一真澄]]訳『マクスウェルの生涯』、[[東京図書]]、1976年
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− | *フランシス・エヴァリッツ『ジェームズ・クラーク・マクスウェル 電気と磁気を統一した男』 パリティ、Vol.22(10)、P.19-28、[[2007年]]
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− | *宮下保『自然へのまなざし マクスウェルの場合』 [[東海大学]]海洋学部紀要、Vol.27、P.59-80、[[2001年]]
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− | *太田浩一『マクスウェルは世界を変えた』 数理科学、Vol.455、P.9-18、[[2001年]]
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− | *久保泉『エルゴード伝説 マックスウェルとボルツマンの成果』 数学セミナー、Vol.21(10)、P.74-80、[[1982年]]
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− | *Campbell, Lewis『[http://www.sonnetsoftware.com/bio/maxbio.pdf The Life of James Clerk Maxwell]』、[[1882年]]
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− | *James C. Rautio『[http://www.sonnetsoftware.com/bio/maxwellslegacy.pdf ''Maxwell's Legacy]』、[[2005年]] その[http://www.sonnetsoftware.co.jp/product/seminar/dml/summary.pdf 和文要約]、[[2008年]]
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− | *Peter M. Harman『The Natural Philosophy of James Clerk Maxwell』、Cambridge University Press、1998年
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− | == 関連項目 ==
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− | {{Commons|James Clerk Maxwell}} | |
− | *[[マクスウェル (単位)]]
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− | *[[マクスウェルの悪魔]](気体分子運動論)
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− | *[[マクスウェルの関係式]](熱力学)
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− | *[[熱力学第零法則]](熱力学)
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− | *[[マクスウェルの方程式]](電磁気学)
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− | *[[マクスウェル分布]](統計力学)
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− | *[[ハインリヒ・ヘルツ]](電磁波の存在を実証)
| |
− | *[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル望遠鏡]]
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− | *[[マクスウェル山]]([[金星]]最高峰、マクスウェルに因んで命名された)
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− | {{Normdaten}}
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| {{DEFAULTSORT:まくすうえる しえむすくらく}} | | {{DEFAULTSORT:まくすうえる しえむすくらく}} |
| [[Category:スコットランドの物理学者]] | | [[Category:スコットランドの物理学者]] |