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魚釣島(うおつりしま)は、沖縄県石垣市の尖閣諸島にある無人島である。島名は、魚國(いをくに)[1]にある久場島と魚釣島の関係が、もう一つのくば島である久高島とつれ島(つりしま)の津堅島[2]の関係に相似することに由来する。
概要
尖閣諸島の西端、北緯25度44.8分、東経123度28.8分に位置する無人島。石垣島から北西約170 km、沖縄本島から約410 km、台湾から約170 km、中国大陸からは約330 km離れている[3]。明治時代に古賀辰四郎が開拓して島の西岸に鰹節工場が作られ、珊瑚礁を砕いて船着き場も作られた。船着き場は空中写真でも確認でき、魚釣島灯台の建設や保守にも使われた。最盛期は247名、99戸が生活する古賀村が形成されていたが、1940年に事業中止に伴って無人島となった。
1895年から日本が領有し実効支配しているが、1970年頃から中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張しはじめた。
1970年代から埼玉県在住の日本人が私有し、日本国政府は2002年から年2,112万円で賃借していたが、2012年9月11日に北小島、南小島とともに3島を20億5千万円で購入し、日本国へ所有権移転登記を完了した[4]。上陸は許可を要する[5]。島への定期船は無く、上陸や見学には漁船をチャーターする必要がある。
日本の行政区分では沖縄県石垣市字登野城2392番地にあたる[6]。
地理
面積は3.82km2(モナコ公国の国土面積の約2倍に相当)で、尖閣諸島の中では最大の島である[7]。最高標高362m[8]。
東西3.5km、南北1.3kmで南側は断崖を成す。島内には奈良原岳(最高峰 362 m)や屏風岳(320 m)といった山がある。
自然
センカクモグラ、ウオツリナガキマワリ、センカクサワガニ、タカラノミギセル、センカクアオイ、センカクオトギリ等の固有種が生息する[9]。
1978年に、与那国島の島民から右翼団体日本青年社の上陸決死隊へ、1つがいのヤギが緊急時の食料として贈られて島に持ち込まれた[10]。のちに野生化して繁殖し、1991年に南斜面だけで300頭が確認された。2000年に13.59%であった島の裸地は、ヤギによる食害で2006年は3割を超えて、固有種をはじめとする生態系への影響が懸念されている。石垣市議会はヤギ捕獲の要請を決議して日本政府に要請しているが対策されていない[9]。海上保安庁水路誌に拠れば大蛇が存在する。
歴史
- 1895年1月14日 - 日本領に編入される。
- 1896年 - 古賀辰四郎が政府から魚釣島、久場島、北小島、南小島の30年間無償貸与を受け、無償貸与期間終了後も有償で貸与が続けられた。
- 1919年 - 遭難し魚釣島に漂着した中国漁船の乗員を島民が救助し、中華民国駐長崎領事から石垣村長らに「日本帝國沖縄縣八重山郡石垣村長」等と記された感謝状が贈られる[11]。
- 1932年5月20日 - 魚釣島、久場島が辰四郎の子の古賀善次に有償で払い下げられ、同年、北小島、南小島も有償で払い下げられる。
- 1945年7月 - 石垣島から台湾への疎開船が米軍機の爆撃を受けて遭難し、魚釣島に漂着する尖閣諸島戦時遭難事件が発生し、約80名が死亡[12]する。
- 1946年2月2日 - 北緯30度以南がアメリカ軍の軍政下に置かれる。
- 1952年4月28日 - サンフランシスコ講和条約の発効により、琉球政府の施政下に入る。
- 1969年 - 疎開船遭難の慰霊碑建立[12]。
- 1970年7月 - 琉球政府が尖閣諸島の魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島に入域防止のための警告板を設置[13]する。
- 1972年5月15日 - 沖縄が日本国へ返還される。
- 1978年3月30日 - 第1次大平内閣の森山欽司運輸相がヘリポートの建設を指示[14]する。
- 1978年8月12日 - 日本の右翼団体日本青年社が灯台を建設する。
- 1979年5月17日 - 海上保安庁が仮設ヘリポートを設置するが、後に撤去となる。
- 1988年 - 日本青年社が灯台建設10周年を記念して灯台を新調し、航路標識法に基づく灯台としての認可を申請する。
- 1996年 - 日本青年社が北小島に第二灯台を建設し、日本政府に海図への記載を求める。
- 1997年5月6日 - 新進党の衆議院議員西村眞悟が国会議員として初めて上陸[15]する。
- 2000年4月20日 - 尖閣神社を創建する。
- 2004年3月24日 - 中国人活動家が無許可で上陸[16]する。
- 2005年2月 - 日本青年社が灯台を日本国に無償譲渡し、以後海上保安庁が魚釣島灯台として管理し、海図に記載される。
- 2012年
- 1月3日 - 日本会議・石垣市市会議員4人が国の許可を得ず約1時間30分間上陸[5]。
- 8月15日 - 香港の活動家グループ5名が許可を得ずに上陸する香港活動家尖閣諸島上陸事件が発生する。
- 8月19日 - 日本の領土を守るため行動する議員連盟の8人の国会議員と地方議員、頑張れ日本!全国行動委員会の活動家ら約150人が魚釣島至近の洋上で尖閣諸島戦時遭難事件の慰霊祭を実施する。この際、都・県・区・石垣市以外の市議など5人と民間人5人計10人が海に飛び込み国の許可を得ず上陸し、国旗を掲げるなどし約1時間30分滞在する日本人活動家尖閣諸島上陸事件[17]が発生する。
- 9月11日 - 日本政府は魚釣島、北小島と南小島の3島を埼玉県に所在する地権者から20億5千万円で購入し、日本国への所有権移転登記を完了した[18]。
- 9月18日 - 日本人2人が、国有化後初上陸する。。
脚注
- ↑ 幣原坦『南方文化の建設へ』 冨山房 1938年
- ↑ 伊波普猷『校訂おもろさうし』第二巻 郷土研究社 1925年
- ↑ 外務省: “日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)”. . 2013閲覧.
- ↑ 尖閣諸島、11日に国有化…当面現状のまま維持読売新聞2012年9月11日13S版2面、尖閣登記11日に完了 2012年9月13日13版4面
- ↑ 5.0 5.1 読売新聞2012年1月4日13S版2面、尖閣諸島に石垣市議ら4人上陸 海保の立ち入り検査後産経新聞
- ↑ 角川地名大百科辞典編纂委員会『角川地名大辞典47沖縄県』、角川書店、1986年、184頁
- ↑ 沖縄県島しょ別面積一覧
- ↑ 国土地理院地図
- ↑ 9.0 9.1 魚釣島の裸地3割に拡大 尖閣諸島、野生ヤギの食害進む - 八重山毎日新聞 2009年12月22日
- ↑ “日本国の領土 石垣市字登野城2392番地の現在”. 日本青年社. . 2012-6-18閲覧.
- ↑ 中華民国からの感謝状、新たに1通見つかる 尖閣遭難の中国漁民救助 - 八重山毎日新聞 2010年11月28日
- ↑ 12.0 12.1 疎開船漂着後80人死亡、「尖閣の慰霊碑」建立 琉球新報 2002年7月10日
- ↑ 尖閣諸島「警告板の設置作業者を」 与那国の関係者探す - 八重山毎日新聞 2009年8月15日
- ↑ “森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第二十章 (PDF)”. . 2013閲覧.
- ↑ 魚釣島に国会議員ら上陸 琉球新報 1997年5月6日
- ↑ 2004年(平成16年)沖縄県内十大ニュース 琉球新報 2004年12月24日
- ↑ 超党派議員ら150人、洋上慰霊で尖閣沖へ読売新聞2012年8月20日13S版1面、35面
- ↑ 尖閣諸島、11日に国有化…当面現状のまま維持読売新聞2012年9月11日13S版2面、尖閣登記11日に完了 2012年9月13日13版4面
参考文献
- 角川地名大百科辞典編纂委員会『角川地名大辞典47沖縄県』、角川書店、1986年
- 日外アソシエーツ『島嶼大事典』、日外アソシエーツ、1991年
- 『日本歴史地名体系(第48巻)沖縄県の地名』、平凡社、2002年
関連項目
- 奈良原繁 - 島の最高峰である奈良原岳の名の由来となった人物。
外部リンク
- 魚釣島 ウオッちず 地図閲覧サービス