ベトナム戦争

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ベトナム戦争(ベトナムせんそう, : Vietnam War

インドシナ戦争後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争.

第二次インドシナ戦争: Second Indochina War)ともいわれた。

ベトナム社会主義共和国では米国戦争ベトナム語: Chiến tranh Mỹ quốc / 戰爭美國)、対米抗戦ベトナム語: Kháng chiến chống Mỹ / 抗戰挵美)、抗米救国戦争ベトナム語: Kháng chiến chống Mỹ cứu nước / 抗戰挵美救渃)などと呼ばれる[1]

広義には第2次世界大戦後ベトナムで行なわれた戦争をさす(インドシナ戦争)。狭義には 1964年のトンキン湾事件以後アメリカ合衆国が大規模に介入し,1973年のパリ和平協定を経て 1975年のベトナム民主共和国(北ベトナム)と南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)の勝利によって終わった,いわゆる第2次インドシナ戦争をさす。

1954年のジュネーブ協定によってベトナムが南北に分断されたのち,アメリカがベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領ゴ・ジン・ジェムを軍事的,経済的に支えようとしたのは,アジアにおける共産主義の蔓延(ドミノ理論)を危惧したからにほかならない。1960年に南ベトナムで共産主義勢力などに支援された解放戦線が組織されると,アメリカのジョン・F.ケネディ大統領は南ベトナムへのてこ入れを強化した。1963年11月,ゴ・ジン・ジェム大統領がアメリカの黙認するクーデターで暗殺され,その後も南ベトナムの政情は安定せず,解放戦線の利するところとなった。

1964年8月,トンキン湾でアメリカの艦艇が攻撃されるトンキン湾事件が起こり,アメリカ議会はほぼ全会一致で戦争拡大の権限をリンドン・B.ジョンソン大統領に付与した。解放戦線は兵力を増強して活動を強め,一方の南ベトナム政府軍は 40万もの兵力を擁しながら解放戦線を自力で制圧できなかった。1965年以降,アメリカは地上兵力でも介入を急速に拡大させた。ウィリアム・C.ウェストモーランド司令官の再三の要請によって,1966年9月には駐留アメリカ軍兵力が 32万5000に拡大した。もはやアメリカにとってベトナム介入は,南ベトナム国家の防衛だけではなく,非共産主義・自由世界の盟主としての面子にもかかわる事態となった。両軍の地上での戦術は,アメリカ軍が優勢な火力とヘリコプタとによる目標地点での急速展開,これに解放戦線はゲリラ戦で対抗した。

1968年1月31日,解放戦線側が大攻勢をかけた(テト攻勢)。南ベトナムの 34省都と 64地方都市を攻撃,戦闘は首都サイゴン(ホーチミン市)とフエで熾烈をきわめた。この攻勢で解放戦線は甚大な損害(戦死者 4万)を被ったが,アメリカ軍と南ベトナム政府軍も大打撃を受けた。このあと南ベトナムでの解放戦線側の主力はホー・チ・ミン・ルートを南下した北ベトナム正規軍となった。ラオス領とカンボジア領のベトナム国境地帯を通るこのルートが戦争中一貫して北ベトナムの浸透を支えてきた。テト攻勢は戦略上重要な成果をもたらした。アメリカの世論に反戦と脱エスカレーションの気運を醸成し,ジョンソン大統領は同 1968年3月ウェストモーランド司令官を解任するとともに,大統領選挙への再選不出馬を表明した。

1969年1月,リチャード・M.ニクソン新大統領は 2万5000のアメリカ兵の撤退を表明,戦争を南ベトナムにゆだねる「ベトナム化」に着手した。同年以後,地上戦闘は徐々に南ベトナム軍に移管され,アメリカ軍は北ベトナム港湾の機雷封鎖と爆撃(北爆)を担った。アメリカ軍兵力は 1969年1月には 54万9000に達していたが,1970年 33万5000,1971年末 16万に縮小し,1973年3月末には南ベトナムからの撤収を完了した。1969年から和平交渉が正式に始まり(ベトナム和平会談),1973年1月27日にパリ和平協定が調印された。しかし,協定締結後も南北間で戦闘は続いた。1975年3月,北ベトナムは中部高地で総攻撃を開始,南ベトナム政府軍は大混乱に陥って潰走した。同 1975年4月30日,北ベトナム軍を主力とする解放勢力の戦車隊がサイゴンに無血入城し,戦争に終止符が打たれた。戦争による人的損害は,兵士の死者がアメリカ 5万8200人(カナダ人 100を含む),南ベトナム 20万~25万人,北ベトナムと解放戦線約 110万人。南北ベトナムで約 200万人の民間人が死亡。南ベトナム側で参戦した外国軍の死者は大韓民国(韓国)4000人以上,オーストラリア 500人以上,タイ約 350人,ニュージーランド約 30人。(ベトナム史


脚注