近衛 内前(このえ うちさき)は、江戸時代中期の公家、関白、太政大臣。父は近衛家久、母は満君(島津吉貴娘)。猶子の広幡前豊・前秀父子には「前」の字を与えている。
享保19年(1734年)に元服。桃園天皇、後桃園天皇の関白、後桜町天皇、後桃園天皇の摂政を務めた。また、安永8年(1779年)に後桃園天皇が崩御した際、後桜町上皇とともに、伏見宮家から継嗣を迎えようとしたという。
テンプレート:藤原氏長者 テンプレート:近衛家 テンプレート:日本の摂政 テンプレート:歴代関白