アメリカ合衆国の戦争犯罪
アメリカ合衆国の戦争犯罪(アメリカがっしゅうこくのせんそうはんざい)では、アメリカ合衆国の軍隊(アメリカ軍)によって行われたとされる戦争犯罪について記述する。
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概要
戦争犯罪とは、狭義には戦争に関する法(国際法など)に違反する行為(交戦法規違反)と戦時反逆罪(作戦地・占領地内における非交戦者による利敵行為)を意味し、広義には交戦法規違反に加え平和に対する罪・人道に対する罪を含めた概念を意味する。
具体的には、他国に対して侵略戦争を仕掛けたり、敵兵・捕虜に対して非人道的な扱いをすることなどである。また、民間人に対しての殺戮・追放・逮捕など、紛争や混乱の誘発や報復感情の拡大の原因となる行為と言動も、戦争犯罪であるとされている。(以上「戦争犯罪」の項より引用)
第二次世界大戦中の無差別都市爆撃(とりわけドレスデン爆撃・東京大空襲)や日本への原子爆弾投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されることもあるが、戦勝国であるアメリカが裁かれることはなく、責任者も処罰されていない。また、無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」と語っている[1]。
他にも、少なからず人種差別的感情に起因すると見られる日本兵に対する猟奇行為(切断や一部の持ち帰りなど遺体のトロフィー化)や虐殺(わざと捕虜にせず攻撃を加えるなど)が太平洋戦争では珍しくなかったという。さらに、ベトナム戦争においては、非戦闘員の虐殺、捕虜虐待などがアメリカ国内でも問題にされたほどであった。その後もイラク戦争などにおいても、非戦闘員を巻き込む戦闘行動や捕虜虐待など戦争犯罪と疑われるべき行為が報告されている。ここでは、正式に裁かれることはないが、被害者や第三者の側から戦争犯罪であると主張される事柄について述べる。
第二次世界大戦以前
- インディアンに対する虐殺、インディアン戦争
- 南北戦争で北軍が行った焦土作戦
- ハワイ王国侵略・傀儡政府樹立・併合。ただし、時の政権は併合を認めず、現地アメリカ人の行為を糾弾している。
- 米墨戦争 いったんは独立を承認したテキサスの内政に干渉して、先に軍事行動を起こしたのはメキシコであることに注意。
- 米西戦争
- 米比戦争(虐殺多数)
第二次世界大戦
- 阿波丸事件。アメリカと日本が安全を保障していたが、2000人強が乗る貨客船阿波丸を撃沈。ただし、日本は協定を破って戦略物資を積み込んでおり、正当な攻撃目標とする意見もある。
- 対馬丸事件
- ぶゑのすあいれす丸撃沈。1000人強が乗る病院船を爆撃し撃沈。
- 日系人の強制収容(アメリカ市民権を持つ持たないに関わりなく日系アメリカ人を強制収容し、中米、南米の日系人もアメリカに移送、強制収容した)
- ドイツ人捕虜への不当な扱い(ダッハウの虐殺など)
- 投降した一般市民への不当な扱い(虐待・殺害・略奪・放火・強姦等。)。サイパンの戦いにおける民間人への凶行・虐殺が田中徳祐(陸軍大尉・独立混成第47旅団)の著作『我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実』により記されている。
- 無抵抗の敵兵員に対する不必要な攻撃行為(撃沈された艦から脱出した敵兵に対して銃撃を加える、など)
- 無制限潜水艦作戦による非武装民間船舶に対する不当な攻撃(これは潜水艦を有する参戦国のほとんどで実行された。)
- モンテ・カッシーノの戦いに代表される歴史・文化遺産に対する不当な攻撃
- ビスマルク海海戦。日本人漂流者に対して機銃掃射及び、救助の放棄。
無差別戦略爆撃
- 東京大空襲等に代表される日本諸都市への無差別絨毯爆撃(日本本土空襲)
- ドレスデン爆撃等に代表されるドイツ諸都市への無差別絨毯爆撃
- 漢口大空襲に代表される同盟国市民もろとも敵軍を焼き払う無差別絨毯爆撃
- 日本への原子爆弾投下 - 広島市への原子爆弾投下・長崎市への原子爆弾投下
- 国際法の上で定義される非戦闘員や非軍事施設に対する不必要な攻撃行為(列車や家屋、民間人に対して銃撃を加える、など)
機銃掃射
機銃掃射による民間人、赤十字車両への攻撃
毒ガス使用
- バーリー港事件→ドイツ軍が先に使用した場合に備える、と言うことで持ち込まれたガス弾を運んでいた輸送船が撃沈され、溶け出したガスによって生存者と救助隊が被災。積極的に使用したのではないことに注意。
- 沖縄戦でも使用された疑惑がある。
- 1944年、東京・大阪・名古屋など人口密集都市部に無差別の毒ガス空爆を行う計画があった[2]。
遺体損壊
第二次世界大戦後
- 朝鮮戦争
- ベトナム戦争
- アフガニスタン紛争 (2001年-)
- イラク戦争
- アブグレイブ刑務所における捕虜虐待
- イラク少女暴行殺害事件
- イラク市民をヘリから銃撃[3][4]
- ファルージャの戦闘
その他
- ラテンアメリカや中東の「反米」諸国に対する軍事介入と民族自決侵害、親米クーデター(チリ・クーデターが有名)支援(コンドル作戦など)
- グレナダ侵攻
- 色の革命(オレンジ革命はアメリカの親米化NGOが関与していた事が判明している)
脚注
- ↑ 鬼塚英昭『原爆の秘密「国内篇」昭和天皇は知っていた』117頁、成甲書房
- ↑ BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」
- ↑ 3年前の米軍ヘリによるイラク市民銃撃映像、告発ネットが公開 フランス通信社 2010年04月06日
- ↑ 告発サイト『ウィキリークス』 米機密さらに40万点東京新聞 2010年10月23日夕刊
関連項目
- 連合軍による戦争犯罪 (第二次世界大戦)
- 極東国際軍事裁判(東京裁判)
- ニュルンベルク裁判
- 日本本土空襲
- 占領期日本における強姦
- アメリカ帝国 - 死の部隊
- トム・ハリソン - イギリス陸軍少佐、南太平洋方面専門の文化人類学者。第二次世界大戦中、搭乗していた爆撃機の不時着でボルネオ島に潜伏する事になったアメリカ空軍兵救出の為、連合国混成の特殊チームを率い同島に上陸。当時、島の原住民達は、日本兵上陸前まで世話になっていたアメリカ人神父達が日本兵に連行され処刑された恨みの敵討ちとして首狩りの習慣を復活させ、村落訪問の日本兵を様々な計略(村の若く美しい女性に全裸になってもらい、待ち伏せの場で日本兵へ性的行為誘惑の歓声を上げさせる等)を用いては不意打ち・殺害しては首切断・干し首加工していた。原住民達とすっかり親しくなったハリソン達は、島上陸の本来の目的であるアメリカ兵捜索・救出のかたわら、彼らの日本兵首狩りに積極的に参加する様になり、多数の日本兵が残虐行為の犠牲者となった。終戦後、ハリソン少佐達の行為は「戦勝国兵とはいえ戦争犯罪ではないのか」という疑念・批判が連合国内でも沸き上がったが、当のハリソンはイギリス帰国後、英雄扱いされた。これらの出来事については、ナショナルジオグラフィックチャンネル製作のドキュメンタリー番組「日本軍への残虐な戦犯(「戦争犯罪者」の略ではなく「戦争犯罪」「戦争犯罪行為」の略)」で詳細に描かれている。