海水浴場
海水浴場(かいすいよくじょう)とは、砂浜で遊び等を行ったりするための海岸である。遠浅の砂浜で、比較的波が少ない浜辺が適している。
海水浴場と、琵琶湖など湖沼等の淡水に位置するものとを総称して水浴場と呼ぶ。
歴史
それなりの療養施設を設けた「海水浴場」が設置されるのは、産業革命により中産階級(ブルジョワ)が社会をリードする18世紀中頃のイギリスからだった。
記録によるヨーロッパ最古の海水浴場は、1740年、イングランド東部、北海沿岸のスカーバラだったといわれる。
次いで1754年、イギリスの医師リチャード・ラッセルが、イングランド南部ドーバー海峡に面するブライトンに海水療法療養所を開設し、大変有名になった。
ドーバー海峡の対岸、ディエップにフランス最古の海水浴場が開設されたのは1767年で、ベルギー、オランダがこれに続く。
1793年にはフリードリッヒ・フランツⅠ世がバルト海沿岸のハイリゲンダムにドイツ最古の海水浴場を設立した。19世紀には地中海に展開する。
海水浴場の維持
「遠浅の砂浜」が無い所でも、大量の砂を運び入れ、白砂の砂浜を演出しているところもある。代表的な例はハワイのワイキキビーチで、本来、火山性の黒い砂やレキが広がる海岸線を日本風にいうところの白砂青松に造り替えている。
1980年代以降の日本では、砂浜が後退傾向になり、離岸堤の設置や養浜などを行う海水浴場は増えている。
日本の海水浴場
夏ともなると、家族連れやグループがやってきて、海の家と呼ばれる、軽食等の提供、海水浴用品のレンタル、一時休憩所を兼ねる店が開かれることが多い。 現在では単に海水浴だけではなく、大きな海水浴場では各種のイベント等が行われることがある。
安全な海水浴を行なうために、地元自治体や商店街等が、砂浜の整備(ゴミ拾いなど)を行なったり、安全に遊泳を行なうための区域を整理したり、監視員を配置したりしている。近年はライフセーバーが常駐するところも増えている。
また、海水浴シーズンの前には必ず保健所による水質検査が行われ、一定基準[1]以上の大腸菌群が検出された場合には閉鎖される。これは、大腸菌自体に害があることを必ずしも意味せず、大腸菌が存在するから他の有害な菌も存在する可能性が高いので危険と判断されるのである。
日本の海水浴場の歴史
日本における海水浴の習慣は、1211年鎌倉時代初期に現在の愛知県大野海岸で「塩浴」が行われていたのが記録上の起源といわれる。その根拠は、鴨長明が訪れ、「生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ」と詠んでいるからだという。
1858年、江戸幕府は諸外国と修好通商条約締結した。この条約の中で外国人の行動範囲を横浜の場合は六郷川以西、開港場から10里以内に制限していた。横浜居留の外国人の行動を制限する居留地が撤廃されるのは、1899年7月17日のことである。江戸時代から観光地だった鎌倉・江の島はこの範囲に含まれていたため、明治維新以来、来遊する外国人も多く見られた。彼らの中には美しい海を見て海水浴を試みる者もあった。
最古の記録は、フランスの法律家ジョルジュ・ブスケの著した『日本見聞記I』である。それによると、1872年8月に「カタシエ(片瀬)で夕食前に海水浴をする。翌日我々は馬に乗って6時に藤沢に着く」とある。
続いて1876年夏、フランスの東洋学者エミール・ギメが片瀬の海で海水浴をしたが、電気クラゲに刺されて岸に戻ったという。
米国の生物学者エドワード・モース博士はシャミセンガイ研究のために江の島に臨海実験場を開設したが、1877年8月11日の日記に「同行の帝国大学の外山教授や松村助手らと江の島の海で海水に浴す」とある。
しかし、この地の海水浴場開設に大きな影響を与えたのは医師エルヴィン・フォン・ベルツである。1879年7月6日の『ベルツの日記』によれば、「海水浴場適地を探索するため横浜から馬車で江の島に来訪」し、翌年7月13日の日記には「鍋島侯爵の子ども2人を片瀬へ海水浴に送る」と出てくる。
また、1883年、暁星学校の教職員(アルフォンス・ヘンリック神父らフランス人、米国人、日本人)が片瀬で海水浴したという。
横浜市金沢区の富岡八幡宮の前の浜は明治維新のころ横浜の山手・本牧に居留した外国人の娯楽の場所となった。ヘボン式ローマ字で著名な眼科医ジェームス・カーティス・ヘボン博士 (Dr. James Curtis Hepburn) が、富岡海岸の水質がよいことから海水浴を奨励した。1881年ころに「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられたという。しかしこれは外国人専用だったらしい。
以後、海水浴場が各地に開設されるようになる。「日本最古の海水浴場」を標榜するところを編年順に列記する。
- 1880年 - 沙美海岸(岡山県倉敷市玉島)に医師=坂田侍園の薦めで、海水浴による療養施設の為の仮小屋が建設される。
- 1881年
- 1882年
- 1884年 - 三重県二見の旧二見館前に海水浴場が移設され、二見館に海水温浴設備が設けられる。
- 1885年
{{safesubst:#invoke:Anchor|main}} 1987年制定の総合保養地域整備法以来、開発が盛んに行われたが、一方この開発による影響も課題がある。それは例えば偏った開発(他地域からの資本によりホテル、ゴルフ場ばかりが建つ)、地域の活性化に結びついていない、環境破壊などである[2] [3]。
アメリカの海水浴場
海水浴は夏場の身近なレジャーの一つだが、近年、水の汚い海水浴場が増加。2009年7月29日にアメリカ環境保護団体NRDCが行った発表によれば、遊泳禁止や閉鎖に追い込まれた海水浴場は2万件を超えるとされている。
ヨーロッパの海水浴場
一年を通じて温暖な地中海沿岸が人気である[4][5] 。地域名としては、スペインのコスタ・デル・ソル、フランスのコート・ダジュールなどにあるリゾートが"Europe's Leading Beach Resort 2012"にノミネートされた[4]。コスタ・デル・ソルではマラガ県のマルベーリャ[4]、コート・ダジュールでは、中世から続くと言われるニースの、なかでもプロムナード・デ・ザングレが知られる[6] 。 他にもイタリアにある世界遺産のアマルフィ海岸、先述の"Europe's Leading Beach Resort"で2008年から2012年まですべての年で金賞を受けているギリシャのリゾートが有名である[4]。また、ポルトガルのアルガルヴェは"Europe's Leading Beach Destination 2012"で金賞を受賞するほどの土地である[5]。
出典
- ↑ 平成20年度島しょ地区海水浴場の水質調査結果(付表)報道発表資料[2008年6月](東京都ホームページ)
- ↑ 沖縄県と岩手県における観光・リゾート・地域振興に関する研究班、1996、「沖縄リゾート開発に関する一考察 (PDF) 」 、『沖縄大学地域研究所年報』8巻(19960701)、沖縄大学、ISSN 1341-3759{{#invoke:check isxn|check_issn|1341-3759|error={{#invoke:Error|error|{{issn}}のエラー: 無効なISSNです。|tag=span}}}}、NAID 110000486481 pp. 51-64
- ↑ このように開発によって人工的に形成された高級リゾートについて、プライベートビーチなど「自己完結型」で「周辺地域との関わりはほとんどない」ことを問題視している。-八木澄夫、1992、「観光資源から見た沖縄・東南アジア地域の海浜リゾート (PDF) 」 、『学術講演梗概集. D, 環境工学』(19920801)、一般社団法人日本建築学会、ISSN 0915-0145{{#invoke:check isxn|check_issn|0915-0145|error={{#invoke:Error|error|{{issn}}のエラー: 無効なISSNです。|tag=span}}}}、NAID 110004192162 pp. 473-474
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 “Europe's Leading Beach Resort 2012”. WORLD TRAVEL AWARDS. . 2013-3-17閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 “Europe's Leading Beach Destination 2012”. WORLD TRAVEL AWARDS. . 2013-3-17閲覧.
- ↑ (2012) マップルマガジンフランス. 昭文社, 81-82. Retrieved on 2013-3. “中世から続く華やかなリゾート”