聖クラレチアン宣教会
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Congregatio Missionariorum Filiorum Immaculati Cordis Beatae Mariae Virginis | |
略称 | CMF |
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設立年 | 1849年7月16日 |
設立者 | 聖アントニオ・マリア・クラレ |
種類 | カトリック教会・宣教修道会 |
ウェブサイト | claret.org |
聖クラレチアン宣教会(せいクラレチアンせんきょうかい: ラテン語: Congregatio Missionariorum Filiorum Immaculati Cordis Beatae Mariae Virginis C.M.F)はスペイン、バルセロナの聖アントニオ・マリア・クラレ(w:Antonio María Claret)によって1849年に結成された。
創設まで
クラレは1807年12月23日スペイン、バルセロナ近郊のサジェント(Sallent)で生まれた。1829年にビックの神学校で学んだ後、1834年12月20日司祭に叙階された。1841年7月9日使徒的宣教者の称号を贈られる。1848年3月カタルニア地域の情勢悪化によりビックの司教からカナリア諸島での布教に派遣される。1849年5月カナリア諸島から帰国。1849年7月16日念願の聖クラレチアン宣教会(ラテン語名の日本語訳は「聖マリアの汚れなき御心の子宣教会」)をビックに創設。
創設のあと
10月4日、王室からの辞令「キューバ大司教」を悩んだ末に受諾。10月6日ヴィックの大聖堂で司教に叙階される。1857年2月、イサベル2世に呼び戻され、聴罪司祭に任じられる。1868年9月30日、クーデターにより、イサベル2世の一族とともにフランスへ亡命。1869年3月30日、イサベル2世に別れを告げ、ローマに向かいピウス9世が召集した第一バチカン公会議の準備に従事。公会議では教皇不可謬説を主張。1870年10月24日帰天。1950年5月7日ピウス12世によって列聖。
日本での活動
1951年ブリスキー神父らが来日。大阪市旭区今市に初めて修道院が設立される。
日本での教育
日本での聖クラレチアン宣教会を母体とする教育機関は以下の通り。