丹原町
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たんばらちょう 丹原町 | |
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廃止日 | 2004年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 丹原町、西条市、東予市、小松町 → 西条市 |
現在の自治体 | 西条市 |
廃止時点のデータ | |
地方 |
四国地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 周桑郡 |
面積 | 129.10km2 |
総人口 |
13,644人 (2000年10月1日) |
隣接自治体 |
東予市・周桑郡小松町(現西条市) 上浮穴郡面河村(現久万高原町) 温泉郡重信町・川内町(現東温市) 越智郡玉川町(現今治市) (2001年1月現在) |
丹原町(たんばらちょう)は愛媛県の東予地方、周桑郡にあった町である。旧周敷郡。
Contents
地理
道前平野の中央よりやや南西に位置する。西に平野がゆるやかに傾斜して山ろくに達する高縄半島、南に四国山地の一角を占めている。東部、北部はゆるやかな傾斜地である。海(瀬戸内海)に面してはいない(隣接の周桑郡小松町も同様である)。
田園地帯と山麓のゆるやかな傾斜地は農業地帯として知られている。
歴史
- 町の始まり
- 1644年に時の藩主が代官に命じて、池田・今井・願連寺の原所と称する地を割いて新たに町を作り、商業地として免租し、他村より商家の移住を奨励して周布郡内における唯一の商業地として発展させた。これが町の始まりとされる。
町の沿革
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い久妙寺村(くみょうじ-)、 今井村(いまい-)、 丹原村(たんばら-)、 池田村(いけだ-)、 願蓮寺村(がんれんじ-)が合併して周敷郡福岡村が成立。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 周敷郡と桑村郡が合併して周桑郡となる。
- 1913年(大正2年)12月13日 - 福岡村が町制施行・改称して丹原町となる。
- 1955年(昭和30年)4月25日 - 徳田村と合併して丹原町となる。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 田野村,中川村(滑川、明河字九騎および字海上を除く)と合併して丹原町となる。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 明河字塩獄が温泉郡川内町に編入。
- 2004年(平成16年)11月1日 - 西条市、東予市、小松町、丹原町の2市2町の合併により西条市となり、丹原町は自治体しては消滅した。
丹原町の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) (昭和の合併) (平成の合併) 町村制施行時 え 桜樹村━━━━━━━┓ ┃ 中川村━━━━━━━┻━┫ う ┃ 田野村━━━━━━━━━┫昭和31年9月1日 久妙寺━━━━┓ ┃ 池田 ━━━━┫ あ ┃ 合併 今井 ━━━━╋━━福岡村━━丹原町━┳━━┻┳━━━━━━━━┓ 願蓮寺━━━━┫ ┃い ┃お ┃ 丹原 ━━━━┛ ┃ ┃ 徳田村━━━━━━┛ ┃ ┃ ┃平成16年11月1日 ┃新設合併、新・西条市発足 西条市━━━━╋━━西条市 東予市━━━━┫ 小松町━━━━┛ あ 大正2年12月13日 丹原町、町制施行 い 昭和30年4月25日 丹原町・徳田村が合併し丹原町に う 昭和30年7月20日 中川村・桜樹村が合併し中川村に え 昭和31年9月1日 中川村のうち大字滑川、大字明河字九騎及び大字明河字海上の区域が温泉郡川内村と合併し川内町に お 昭和31年9月30日 大字明河字塩獄の区域が温泉郡川内町へ編入 (注記)福岡村以外の合併以前の系譜はそれぞれの市町村の記事を参照のこと。
行政
町長
- 渡部高尚(わたなべたかなお)
- 現・西条市副市長
平成の市町村合併の経緯
丹原町としては、近隣の東予市・周桑郡小松町に追従するスタンスであり、小松町長が西条市(当時)と合併する方針を早くから打ち出しており、特に丹原町内で異論もなく、西条市、東予市、小松町、丹原町の2市2町の枠組みができた。
産業
- 農業
- 農地では米麦、野菜の栽培が盛んなほか、近年では花き(スプレーバラ)の栽培も盛んである。「たんばら」のバラとして売り出しを図っている。果樹としては、みかん・柿等がある。柿は町のシンボルともなっている。みかんに関しては、愛媛県南西部に比べると条件に適しているとはいえない。
- 鋳物製造
教育
高等学校
交通
鉄道
- 町内に鉄道はない。
道路
- 高速道路
- 松山自動車道
- 町内に松山自動車道のインターチェンジはない。最寄はいよ小松インターチェンジ
- 今治小松自動車道
- 町内にインターチェンジはない。最寄りは東予丹原インターチェンジ(東予市と跨って設置されている。料金所は東予市にある)
- 松山自動車道
- 国道
- 県道