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出稼ぎ(でかせぎ)とは、所得の低い地域や就職先の少ない地域に在住する者が、単身で、所得が高く就職先も多い地域で就労すること。定住地から離れた場所での労働を示し、この移動労働により得た所得の一部は定住地の家族に送金する場合が多いとされている。明治時代から昭和初期には「季節労働」・「出稼」の表記もみえるが、近年の日本の公文書では、「出かせぎ」を用いている(平成22年の国勢調査票の添付書類より)。
近代以降、多くの日系人が中南米に移民し、その子孫が後に経済発展した日本へ出稼ぎに向かったことから、中南米でも「デカセギ」(スペイン語: dekasegi、ポルトガル語: decasségui)と表現されることがある[1]。
店舗を持たず商品を売りながら移動する仕事は行商を、同じ勤務先に在籍したまま家族を帯同せず違う土地へ転勤することは単身赴任を、家族を連れて別の地域へ移り住むことは移住を、その向かう先が海外である場合は移民を参照。
Contents
概要
北海道庁が発行した「出稼ぎハンドブック」[2]によると、出稼労働者とは「1ヶ月以上1年未満居住地を離れて他に雇用されて就労する者であって、その就労期間終了後は、居住地に帰る者をいう。(居住地を離れるとは、自宅以外の場所で寝泊まりすることをいい、就労先の遠近を問わない。)」と定義している。
雇用保険法第62条第1項第5号に基づき、北海道をはじめとする特定地域では、赴任する職場が決まったら最寄りのハローワークで出稼労働者手帳の交付を受けることができる。出稼労働者は、雇用保険制度においては季節的に雇用される者として短期雇用特例被保険者とされる。
日本における出稼ぎ
日本における出稼ぎは、第二次世界大戦前は農村や山村などにおいて製炭などに従事する労働力を他村から受け入れることがあった。戦後の高度成長期(1970年代まで)に顕著となり、主に東北地方や北陸・信越地方などの寒冷地方の農民が、冬季などの農閑期に首都圏をはじめとする都市部の建設現場などに働き口を求めて出稼ぎに行くことが多かった。出稼労働者の所得確保の一方で、高度成長に伴う旺盛な需要により労働者不足に悩む都市部への重要な供給源となった。また出稼ぎを題材にした映画や楽曲が多数作られた(『ああ野麦峠』や吉幾三の『津軽平野』など)。
新潟県出身の田中角栄が首相になると、「出稼ぎをしなくても雪国で暮らせるようにしよう」と日本列島改造論を唱え、全国で公共事業が増えた。その結果、出稼労働者は、1972年度の54万9千人をピークに次第に減少している[3]。
2003年8月に独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した「出稼労働者就労実態調査票」によると、北海道、青森県、岩手県、秋田県、山形県、新潟県、石川県、兵庫県、長崎県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県の12道県のハローワークが作成した「出稼労働者台帳」(2003年3月末時点で有効なもの)に記載された出稼労働者数は41,620人であった[4]。
2010年度は1万5千人にまで減少し、出身地域別の内訳は、北海道32.0%、東北60.7%、九州・沖縄4.7%、その他2.6%である[3]。
2011年度には送出地の北海道と青森・岩手・沖縄各県のハローワークに出稼労働者就労支援員(送出地担当)が配置されていた[3]。その目的は「地元における安定した就労を促進しつつ、やむを得ず出稼就労する者に対しては職業相談員によるきめ細やかな職業相談を実施するとともに、受入事業所の指導等を実施」することであり、2015年度も北海道・青森・岩手等に配置されている[5]。
2015年時点において工場で季節工として働く出稼労働者はいるが、多くの工場では請負や労働者派遣に切り替えが進んでおり、直接雇用である出稼労働者の給与はかつてほどは高くない。また、2000年以降は本来の意味における出稼ぎをしている人は激減しており、出稼ぎという言葉自体が死語となりつつある。かつて春~秋には農漁業、冬は出稼ぎで家族を養った人々が高齢化しつつあることも背景で、青森県からの2015年度の出稼ぎ者は1806人と2000人を初めて下回り、ピーク(1974年度)の8万486人に比べ45分の1程度にまで落ち込んだ[6]。
尚、就職先の少ない地方在住の若者が大都市の大学や専門学校に進学するケースや、本来は出稼ぎとは言えない就職(常用雇用)のための上京も広義の出稼ぎとする場合がある。1960年代までは工場や中小企業などへの集団就職で上京するケースが多かったが、近年は都市部の利便性や豊富な就職先等に憧れて上京するケースが多い。
出稼労働者手帳
出稼労働者手帳(出稼手帳、出稼ぎ手帳)は、出稼労働者に対してハローワークが交付する手帳であり、本手帳の所持者は出稼労働者援護対策措置の対象者とされる。発行にあたっては、ハローワークが出稼労働者台帳番号、雇用保険被保険者番号、血液型を記入し、写真を貼付する。
その後労働者は市町村長から、氏名、性別、世帯主との続柄、本籍、現住所、電話番号、生年月日、世帯員の証明を受ける。有効期限は、発行日から3年間(証明書関係は原則として1年間有効)である。出稼ぎに出ている期間は、住民票は異動させない。
本手帳所持者は短期雇用特例被保険者とされ、失業時には特例一時金が給付される。
日本から外国への出稼ぎ
かつてアメリカ合衆国やハワイ、中南米、東南アジア各地に向かった日系人移民には、一時的な生計の手段や「いずれ故郷に錦を飾る」と将来は帰国するつもりの出稼ぎ的な日本人もいた。実際に一財産築いて帰国した人も多いが、異郷の地にそのまま骨を埋めることになった移民も多かった。中国、東南アジアなどに家政婦や売春婦(娼婦)として出稼ぎに行く女性もおり、特に娼婦となった女性は「唐ゆきさん(からゆきさん)」と呼ばれた。
外国から日本への出稼ぎ
近年では中国や韓国、フィリピン、ブラジル、ベトナムなど、アジアや中南米の開発途上国や中進国からの出稼ぎ者が多い(ニューカマー)。また、欧米やオーストラリアなどの先進国とされる国々から、英語教師やホステス、露天商として出稼ぎに来る例も少なくない。
外国における海外出稼ぎ
フィリピン人による海外出稼ぎ
フィリピンからはこれまで多くの国民が海外に渡って働き、母国の家庭に送金してきた[7]。フィリピンの人口の1割に相当する1000万人がアメリカや中東諸国などをはじめとする母国の外で暮らす(永住者も含む)。フィリピン人の多くは英語が堪能であるため、世界中で働き、その外貨送金が国内の消費や成長を支えてきた[7]。しかしその経済構造が2015年以降変わりつつある[7]。フィリピン中央銀行によると2015年1月から11月の同国への銀行経由の外貨送金額は前年同期比3.6パーセント増の228億ドル(約2兆6000億円)であり、ここ数年6パーセント程度の増加を示していたのに比べると鈍化しており、2001年以来の低さになる[7]。またフィリピン海外雇用庁によると、2014年に出稼ぎのため出国した国民は183万2668人であり、過去最多を記録した2013年に比べ3600人減った[7]。この背景としては、年率6パーセントという新興国の中でも高い経済成長を続ける同国においては、国内雇用の拡大により、労働者の国内回帰が進んでいることがある[7]。コールセンターなどの受託業務産業が拡大し、100万人を超える雇用を生み出したほか、他のサービス産業も活発化しているからである[7]。それでもフィリピンの人口が年率2パーセント前後の増加を示していることから考えると、国内の労働市場ですべての労働人口を吸収するのは難しく、フィリピンの出稼ぎが大きく減るとは考えられていない[7]。また、日本の船舶会社である日本郵船がフィリピンに商船大学を設立して乗務員を確保していることからも明らかなように、英語に堪能な人材の引き合いは世界各地で根強い[7]。
北朝鮮の国家的出稼ぎ
北朝鮮では、外貨獲得のために労働力を輸出して、労働者の給料から天引きを行う国家的な出稼ぎが行われてきた。特に1990年代の「苦難の行軍」の時代には、自国内の食糧事情が悪化したことにより、国と労働者側のニーズが合致。ロシアシベリア地方の森林(北洋材)の伐採現場や遠くアフリカ諸国の建設現場などに多くの労働者が国家の手により派遣された[8]。2015年、国連のマルズキ・ダルスマン北朝鮮人権状況特別報告者は、出稼ぎ労働者の実態をまとめた報告書を公表。派遣国数は17カ国前後、労働者の総数は5万人にのぼり、本国に送金された額は年間あたり12億-23億ドルにのぼると指摘している [9]。一方で、ポーランド[10]やロシアの建設工事の現場などでは、しばしば休日のない長時間労働、低賃金といった劣悪な労働環境が取りざたされることもあった[11]。
2017年9月、北朝鮮が弾道ミサイルの発射、核実験を行うと国連安全保障理事会は、北朝鮮に対する経済制裁を決議。その中には、海外で働く北朝鮮労働者の受け入れ禁止も盛り込まれており、当年中にクウェート、カタール、UAEなどは北朝鮮労働者に対する査証の新規発給、更新を停止する措置を採った。湾岸諸国では多数の労働者が建設現場で働いたが、今後は働く場が失われていく見込み[12]。また、ロシアも労働者の滞在許可更新の制限を開始。2019年末までに、全ての北朝鮮労働者を帰国させる方針を打ち出している[13]。
創作における出稼ぎ
上記の『あゝ野麦峠』のようなノンフィクション以外に、生活が苦しい人々が家族と離れて暮らす出稼ぎは、多くの創作の題材とされてきた。『母をたずねて三千里』のように家族と再会できる作品もあるが、出稼ぎ者や故郷に残した家族が失踪・死亡したり、身を持ち崩したりする悲劇や悲しみを描いたものも多い(『雨月物語』「浅茅が宿」、『ウルトラQ』「東京氷河期」、『ひよっこ』など)。
脚注
- ↑ アジア・南米の絆を形成する移民ネットワーク~在日日系人とウチナーンチュ~ (2/6)内多允((財)国際貿易投資研究所客員研究員・名古屋文理大学教授)、2018年2月19日閲覧
- ↑ 北海道経済部労働局雇用労政課編集「出稼ぎハンドブック 」2014年8月発行
- ↑ 3.0 3.1 3.2 厚生労働省:平成23年度出稼労働者パンフレット
- ↑ 独立行政法人労働政策研究・研修機構2015年11月9日閲覧
- ↑ 厚生労働省:平成27年度行政事業レビューシート(事業番号0520)2015年11月9日閲覧
- ↑ 青森県の出稼ぎ者数が減少の一途『東奥日報』2017年5月7日(2018年2月19日閲覧)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 7.8 日本経済新聞(2016年2月17日)朝刊第7面「フィリピン人、出稼ぎ鈍化 昨年の外貨送金、伸び低水準 雇用拡大で国内回帰背景」
- ↑ 動く極東 外貨を獲得せよ!北朝鮮「人力輸出」ビジネス 朝日新聞社(2013年4月5日)2016年12月9日閲覧
- ↑ 北朝鮮、出稼ぎ労働者を約17カ国に派遣 給与のほとんどが本国に送金 国連で報告産経新聞ニュース(2015年10月30日)2016年12月9日閲覧
- ↑ ポーランド、北朝鮮労働者を追放 夕刊フジ(2017年9月29日)2017年10月14日閲覧
- ↑ W杯準備の陰で北朝鮮労働者の悲惨47NEWS 共同通信社(2017年4月3日)2017年10月14日閲覧
- ↑ クウェートが北朝鮮労働者のビザ停止 直行便も廃止産経新聞社(2017年8月11日)2017年10月14日閲覧
- ↑ “ロシア、2019年末までに全北朝鮮労働者を送還=インタファクス”. ロイター通信社 (2018年1月31日). . 2018閲覧.