島津貴子
島津 貴子(しまづ たかこ、1939年(昭和14年)3月2日 - )は、日本の元皇族。昭和天皇と香淳皇后の第五皇女。旧名は、清宮 貴子内親王(すがのみや たかこないしんのう)。お印は橘。
東久邇成子と、久宮祐子内親王(夭折)、鷹司和子、池田厚子は姉、今上天皇と常陸宮正仁親王は兄にあたる。(7人きょうだいの末子)。勲等は勲一等。
人物・来歴
学習院大学文学部イギリス文学科在学中の1960年(昭和35年)3月10日、日本輸出入銀行員で香淳皇后の従兄弟、そして長兄・明仁親王の学友でもあった島津久永と結婚し皇籍を離脱。大学は中退した。ペレス・プラード楽団のファンであったことが知られ、同楽団はご成婚の折に「プリンセス・スガ」という曲を作っている。
結婚会見での明るい様子が新しい時代を感じさせるもので、今なお名会見と言われる。またこの直前の誕生日会見の際の「私の選んだ人を見て下さって…」は当時の流行語となり、この言葉をきっかけに恋愛結婚が増えるようになった[注釈 1]。結婚後は世田谷区の新居に野次馬が詰めかけるなどブームを作った。
1963年(昭和38年)10月26日、貴子を誘拐し身代金5千万円を要求しようとした男が逮捕される「島津貴子誘拐未遂事件」が発生(同年11月21日までに犯人グループは逮捕)。
1964年(昭和39年)4月29日に勲一等宝冠章受章。夫の島津久永は、薩摩藩12代藩主島津忠義の孫で日向佐土原藩主家の第14代当主である島津久範伯爵の次男。久永との間に長男でカメラマンの禎久がいる。
結婚後も派手な言動に関しメディアで批判されもしたが、インテリアコーディネーターの資格を取り、1969年(昭和44年)、東京プリンスホテル内のショッピングモール「ピサ」に勤務した折には「皇族初の民間企業への就職」ということで話題になった[注釈 2]。
1970年(昭和45年)に開催された大阪万博では、開会式・閉会式のテレビで司会を務める等、タレントとしても活動した。
2005年(平成17年)11月15日に今上天皇の第一皇女・紀宮清子内親王の結婚の際、直近の内親王の“降嫁”の例として、また皇室出身らしからぬトークの歯切れのよさから複数のメディアに出演した。
健在の昭和天皇の皇女(内親王)は姉の池田厚子と、貴子のみであるが、神宮祭主を務めた姉に比べるとメディアの露出も多く、民間企業(名誉職とは言えプリンスホテルの取締役)で働く貴子は「異色の皇女」と呼ばれる。
逸話
- 久永の父に当たる島津久範伯爵は、香淳皇后の母方の叔父である。
- 愛称の「おスタちゃん」は清宮貴子(すがのみや たかこ)の称号と名前の最初の一文字をそれぞれ取ったものである。
- 若いころ、大江健三郎と対談したことがあり、大江『世界の若者たち』(新潮社、1962)に収録されている。大江が「ぼくは天皇家にやつあたりしているでしょうか」と言うと、貴子は「たいへんなやつあたりよ、ウフ」と答えている。
著書
系譜
貴子内親王 | 父: 昭和天皇 |
祖父: 大正天皇 |
曾祖父: 明治天皇 |
曾祖母: 柳原愛子 | |||
祖母: 貞明皇后 |
曾祖父: 九条道孝 | ||
曾祖母: 野間幾子 | |||
母: 香淳皇后 |
祖父: 邦彦王(久邇宮) |
曾祖父: 朝彦親王(久邇宮) | |
曾祖母: 泉萬喜子 | |||
祖母: 俔子 |
曾祖父: 島津忠義 | ||
曾祖母: 山崎寿満子 |
脚注
注釈
出典