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− | {{東側諸国}}
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− | {{共産主義のサイドバー}}
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− | [[ファイル:EasternBloc BasicMembersOnly.svg|thumb|200px|東側諸国]]
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− | '''東側諸国'''(ひがしがわしょこく、'''東側'''、'''社会主義陣営'''、'''共産主義陣営'''とも、{{lang-en|'''Eastern Bloc'''}}、イースタンブロック)とは、[[冷戦]]の間、[[ソビエト連邦]]および[[中央ヨーロッパ]]・[[東ヨーロッパ]]の[[衛星国]]([[ブルガリア]]、[[ルーマニア]]、[[ハンガリー]]、[[チェコスロヴァキア]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[ポーランド]]、[[1960年代]]前半までは[[アルバニア]]も含む)を指して使われた言葉である。対する陣営は'''[[西側諸国]]'''。
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− | == 概要 ==
| + | '''東側諸国'''(ひがしがわしょこく、'''東側'''、'''社会主義陣営'''、'''共産主義陣営'''とも、{{lang-en|'''Eastern Bloc'''}}、イースタンブロック) |
− | [[ファイル:CommunistBlock.png|thumb|right|300px|広義の東側諸国。赤が共産主義陣営、茶色が東側寄り、または同盟国]]
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− | 「東側諸国」はソビエトに主導された軍事同盟・[[ワルシャワ条約機構]]の加盟国や、[[社会主義国]]による国際間経済組織・[[経済相互援助会議|経済相互援助会議(コメコン)]]の加盟国の別名としても使われた。名称の由来は、米ソがヨーロッパを東西に二分したうち、地理的に近かった東欧側をソ連が解放者の衛星国として勢力圏に置いたことに由来する。[[アメリカ合衆国|米国]]が[[マーシャル・プラン]]により西側諸国を経済的支配に置いたことを警戒したソ連は東欧諸国にマーシャル・プランのボイコットを呼びかけ、対抗して経済相互援助会議を創設し東西両陣営の対立は先鋭化した。ソ連に「解放」された国々では、[[ソ連共産党]]のように[[一党独裁]]体制を樹立、[[計画経済]]、[[秘密警察]]、[[強制収容所]]が各国で真似られた。
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− | また、東ヨーロッパのみではなく、[[東アジア]]では[[中華人民共和国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[モンゴル国|モンゴル]]を始め、[[ベトナム]]、[[ラオス]]、[[カンボジア]]といった[[インドシナ]]も東側陣営に組み込まれていた。[[北東アフリカ]]でも[[エジプト]]、[[エチオピア]]、[[スーダン]]、[[ソマリア]]、[[リビア]]などが東側の同盟国であった。[[西アジア]]では[[南イエメン]]、[[イラク]]、[[シリア]]が東側に近かった。[[アメリカ大陸]]の[[キューバ]]もそうであり、このように[[第三世界]]諸国の中にも東側寄りの国が多くあった。
| + | [[冷戦]]の間、[[ソビエト連邦]]および[[中央ヨーロッパ]]・[[東ヨーロッパ]]の[[衛星国]]([[ブルガリア]]、[[ルーマニア]]、[[ハンガリー]]、[[チェコスロヴァキア]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]、[[ポーランド]]、[[1960年代]]前半までは[[アルバニア]]も含む)を指して使われた言葉である。対する陣営は'''[[西側諸国]]'''。 |
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− | == 東ヨーロッパの例外 ==
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− | [[ユーゴスラビア]]は「東側諸国」やワルシャワ条約機構加盟国になったことがない。ユーゴスラビアは社会主義国家ではあったが、[[ヨシップ・ブロズ・チトー|チトー元帥]]率いる[[ゲリラ|パルチザン]]が[[第二次世界大戦]]中に[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が迫る前に独力で[[ユーゴスラビア人民解放戦争|ドイツ軍からの解放を成し遂げた]]事と、スターリン主義に対する批判を行なったため、戦後もソ連の指導力は限定的であった。ユーゴスラビアは冷戦中、[[中立国]]であることを宣言し、[[非同盟|非同盟運動]]の提唱国のひとつとなった。
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− | [[スターリニズム]]国家の[[アルバニア]]も、第二次世界大戦の過程で政府を独力で樹立し、ソ連軍の影響からは独立した状態であった。アルバニアは1960年代前半[[中ソ対立]]の結果ソ連と決裂し、中華人民共和国と同盟して反[[修正主義]]を貫いた。
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− | == アジアの例外 ==
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− | [[朝鮮民主主義人民共和国]]は、建国期から[[朝鮮戦争]]期の[[1950年代]]までは[[ソビエト社会主義共和国連邦]]の影響下にあり、同時に[[中華人民共和国]]の軍事支援なども受けていた。その後、体制内派閥抗争による[[粛清]]が多く行われ、[[金日成]]主席への個人崇拝体制へと変貌してゆく中で、[[中ソ対立]]の結果、双方と距離を置いた、独自路線の体制・外交路線に向かっていった。
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− | [[民主カンプチア|民主カンボジア]]は、中華人民共和国の支援を受けており、また対立していた[[ベトナム民主共和国]]を支援していたソビエト社会主義共和国連邦とも対立した。[[カンボジア・ベトナム戦争]]では、[[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]]の軍事侵攻を受け、更にベトナムの支援によって、親ベトナム・ソ連政権の[[カンプチア人民共和国]]政権が誕生した。
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− | == ソ連の軍事勢力圏 ==
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− | 東側の国々はしばしば軍事力を通じてソ連の[[勢力圏]]に留め置かれた。ハンガリーは親ソ政権を倒して([[ハンガリー動乱]])より民主的でモスクワから独立した共産主義の道を模索しようとしたが、[[1956年]]にソ連軍に侵攻されてしまった。ポーランドの指導部は[[ヴワディスワフ・ゴムウカ]]を第一書記に選出しようとしたが、ゴムルカの選出をやめさせるようにとのソ連軍による最後通告を受けた。[http://www.zwoje-scrolls.com/zwoje42/text05.htm]チェコスロヴァキアは[[1968年]]の[[プラハの春]]の自由化の後、ソ連軍に侵攻された([[チェコ事件]])。チェコスロヴァキア侵攻など1960年代後半以降の東欧侵攻に関するソ連の外交政策は、[[制限主権論|ブレジネフ・ドクトリン]]([[:en:Brezhnev Doctrine|Brezhnev Doctrine]])という公式な政策として成文化されている。
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− | しかし[[1980年代]]後半、[[ミハイル・ゴルバチョフ]]の率いるソ連は次第に東側諸国への内政干渉を行わないようになった。ブレジネフ・ドクトリンの廃止と[[シナトラ・ドクトリン]]として知られる[[新思考外交]]は東欧に劇的な影響を及ぼした。東側諸国の親ソ政権は[[1989年]]の夏から冬までの間に次々と崩壊し([[東欧革命]])、東側は終焉を迎えた。
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− | 東欧革命以前でも、ワルシャワ条約機構の全ての国が常に集団で行動したわけではない。1968年のチェコスロヴァキア侵攻はルーマニアの非難を受け、ルーマニアは侵攻に加わらなかった。
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− | === 冷戦中にソ連の軍事勢力圏にあった国の一覧 ===
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− | [[ファイル:Soviet_Navy_Bases_1984.png|thumb|300px|left|旧ソ連海軍が基地を置いた国]]
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− | {{-}}
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− | 注:時期は一致せず、東側諸国の一覧ではない。ソ連軍の顧問団の派遣や技術の供与を約束する友好協力条約を結んだ、ソ連軍に港を使わせた、ソ連軍の基地を置いた国を含む。ソ連以下は五十音順。
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− | '''共産圏'''
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− | ;ヨーロッパ
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− | *{{flagicon|SSR}} [[ソビエト連邦|ソビエト社会主義共和国連邦]]
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− | *{{flagicon|TCH}} [[チェコスロバキア社会主義共和国]]
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− | *{{flagicon|East Germany}} [[ドイツ民主共和国]]
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− | *{{flagicon|Hungary}} [[ハンガリー人民共和国]]
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− | *{{flagicon|BGR1971}} [[ブルガリア人民共和国]]
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− | *{{flagicon|Poland}} [[ポーランド人民共和国]]
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− | *{{flagicon|ROM1965}} [[ルーマニア社会主義共和国]]
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− | ;アフリカ
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− | *{{flagicon|ANG}} [[アンゴラ人民共和国]]
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− | *[[ファイル:Flag of Ethiopia (1991-1996).svg|border|25px|エチオピア人民民主共和国の旗]] [[エチオピア#国名|エチオピア人民民主共和国]]
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− | *{{flagicon|CGO1970}} [[コンゴ人民共和国]]
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− | *{{flagicon|SOM}} [[ソマリア|ソマリア民主共和国]]([[オガデン戦争]]でソ連がエチオピアを支援したため、後に対立)
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− | *{{flagicon|BEN1975}} [[ベナン人民共和国]]
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− | *{{flagicon|MOZ}} [[モザンビーク人民共和国]]
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− | ;アジア
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− | *[[ファイル:Flag of Afghanistan (1980-1987).svg|border|25px|アフガニスタン民主共和国の旗]] [[アフガニスタン|アフガニスタン民主共和国]]
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− | *{{flagicon|South Yemen}} [[南イエメン|イエメン人民民主共和国]]
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− | *{{flagicon|CHN}} [[中華人民共和国]](のち[[中ソ対立]]で離脱)
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− | *{{flagicon|Vietnam}} [[ベトナム|ベトナム社会主義共和国]]
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− | *{{flagicon|MNG1949}} [[モンゴル人民共和国]]
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− | *{{Flagicon|LAO}} [[ラオス|ラオス人民民主共和国]]
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− | ;アメリカ
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− | *{{flagicon|CUB}} [[キューバ|キューバ共和国]]
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− | *{{flagicon|Nicaragua}} [[ニカラグア|ニカラグア共和国]]
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− | '''[[社会主義国|共産圏]]ではなかったものの'''東側諸国'''と友好的で軍事的にも親交があった国々''' | |
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− | ;ヨーロッパ
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− | *{{Flagicon|FIN}} [[フィンランド|フィンランド共和国]]
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− | ;アフリカ
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− | *{{Flagicon|ALG}} [[アルジェリア|アルジェリア民主人民共和国]]
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− | *{{Flagicon|EGY1958}} [[エジプト]]([[第四次中東戦争]]後、[[アンワル・アッ=サーダート|サダト]]大統領の政策転換により、親西側路線に転換)
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− | *{{Flagicon|Uganda}} [[ウガンダ]]([[イディ・アミン]]のクーデターにより、社会主義政権が崩壊)
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− | *{{Flagicon|GUI}} [[ギニア|ギニア人民革命共和国]]([[セク・トゥーレ]]の死後、自由主義路線に転換)
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− | *{{Flagicon|GBS}} [[ギニアビサウ|ギニアビサウ共和国]]
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− | *{{Flagicon|GHA}} [[ガーナ|ガーナ共和国]]
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− | *[[ファイル:Flag of Cape Verde (1975-1992).svg|border|25x20px|カーボベルデの旗]] [[カーボベルデ]]
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− | *{{Flagicon|サントメ・プリンシペ}} [[サントメ・プリンシペ]](80年代に経済の立て直しのために親西側路線に転換)
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− | *{{Flagicon|ザンビア}} [[ザンビア]]
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− | *{{Flagicon|赤道ギニア}} [[赤道ギニア]]
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− | *{{Flagicon|スーダン}} [[スーダン]]
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− | *{{Flagicon|セーシェル}} [[セーシェル]](1977年の[[フランス=アルベール・ルネ]]のクーデターにより急速に旧東側に接近。90年代以降は親西側路線に)
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− | *{{Flagicon|ナミビア}} [[ナミビア]]
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− | *{{Flagicon|西サハラ}} [[西サハラ|サハラ・アラブ民主共和国]]
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− | *{{Flagicon|ブルキナファソ}} [[ブルキナファソ]]([[ブレーズ・コンパオレ]]のクーデターにより、社会主義政権が崩壊)
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− | *{{Flagicon|タンザニア}} [[タンザニア]]
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− | *{{Flagicon|Madagascar}} [[マダガスカル|マダガスカル共和国]]
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− | *{{Flagicon|マリ}} [[マリ共和国]]
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− | *{{Flagicon|モーリシャス}} [[モーリシャス]]
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− | *{{Flagicon|LBA1977}} [[大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国|社会主義人民リビア・アラブ国]]
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− | ;アジア
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− | *{{Flagicon|インド}} [[インド]]
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− | *{{Flagicon|インドネシア}} [[インドネシア]]([[スカルノ]]政権の崩壊により、親西側路線に転換)
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− | *{{Flagicon|IRQ1963}} [[イラク|イラク共和国]]
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− | *{{Flagicon|SYR1963}} [[シリア]]
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− | *{{Flagicon|スリランカ}} [[スリランカ]]
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− | *{{Flagicon|パレスチナ}} [[パレスチナ|パレスチナ国]]([[1988年]]の[[パレスチナの独立宣言|独立宣言]]に伴いソ連など東側諸国が国家承認。但し当時は実効支配に至らず)
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− | *{{Flagicon|バングラデシュ}} [[バングラデシュ]]
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− | *{{Flagicon|東ティモール}} [[東ティモール]](但し建国は冷戦終了後の[[2001年]])
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− | ;アメリカ
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− | * {{Flagicon|ガイアナ}} [[ガイアナ]]
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− | *{{Flagicon|グレナダ}} [[グレナダ]]([[グレナダ侵攻]]により、社会主義政権が崩壊)
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− | * {{Flagicon|スリナム}} [[スリナム]](ソ連、キューバと蜜月関係を築いたが、グレナダ侵攻を機にアメリカの介入を恐れて、親西側路線に転換)
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− | * {{Flagicon|チリ}} [[チリ]]([[チリ・クーデター]]により、社会主義政権が崩壊)
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− | * {{Flagicon|ペルー}} [[ペルー]](ペルー革命を期に親米政策から、自主独立路線に転換。兵器輸入を中心にソ連と友好関係であったが、その後左翼ゲリラに悩まされることになる)
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− | ;オセアニア
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− | * {{Flagicon|バヌアツ}} [[バヌアツ]]
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− | その他、戦後、[[マハバード共和国|イラン北西部]]、[[東アーザルバーイジャーン州|イラン北東部]]、[[東トルキスタン共和国|東トルキスタン]]といったところで親ソ傀儡政権が作られたことがある。また、[[フィンランド]]は[[複数政党制]]であり[[資本主義]]体制であったが、冷戦中は事実上東側諸国の一員だった([[フィンランド化]])。
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− | ;(参考)社会主義国または社会主義政権でありながら、ソ連と距離を置いた独自路線を取った国々
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− | ヨーロッパ
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− | *{{Flagicon|YUG1945}} [[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]
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− | *{{Flagicon|ALB1946}} [[アルバニア社会主義人民共和国]]
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− | アジア
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− | *[[ファイル:Flag of Democratic Kampuchea.svg|border|25px|民主カンボジアの旗]] [[民主カンプチア|民主カンボジア]]
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− | ;(参考)社会主義国または社会主義政権でありながら、ソ連・中国双方と距離を置いた独自路線を取った国
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− | アジア
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− | *{{flagicon|North Korea}} [[朝鮮民主主義人民共和国]]([[朝鮮戦争]]では中国とソ連の双方の援助・軍事支援を受けたが戦後[[中ソ対立]]を経て中国・ソ連双方と距離を置き始め、60年代以後は独自路線を取った)
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− | *{{Flagicon|MYA1974}} [[ミャンマー|ビルマ連邦社会主義共和国]] - [[仏教社会主義]]の流れを汲む[[ビルマ式社会主義]]を標榜。ソ連型社会主義を非難した。一方、中国とは東南アジアで最初に国交樹立したにも関わらず、1960年代には文化大革命の影響から関係が悪化。中国はビルマの反政府勢力である旧[[ビルマ共産党]]を軍事支援し、80年代末期に至るまで対立状態に至った。
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| == 関連項目 == | | == 関連項目 == |
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| * [[経済相互援助会議|経済相互援助会議(コメコン)]] | | * [[経済相互援助会議|経済相互援助会議(コメコン)]] |
| * [[北大西洋条約機構]] | | * [[北大西洋条約機構]] |
− | * [[ソ連型社会主義]]
| + | {{テンプレート:20180815sk}} |
− | * [[鉄のカーテン]]
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− | * [[竹のカーテン]]
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− | * [[衛星国]]
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− | == 外部リンク ==
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− | *[https://web.archive.org/web/20080131154809/http://www.pixiport.com/leonid_lazarev___russia/base0.html 1967年のロシアの写真]
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− | *[http://www.4020.net/eastbloc/ 東側諸国の写真集] 、1991年9月から12月、ソ連の最後の日々に撮られたもの
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− | *[https://web.archive.org/web/20060623163117/http://www.vychodniblok.cz/index_en.htm 写真プロジェクト "Eastern bloc" ] “イースタン・ブロック Eastern Bloc”は共産主義国家・旧共産主義国家での生活の特徴や違いを探る試みである。プロジェクトは章に分かれており、各章は東欧のある一カ国に対応している。
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