白系ロシア人
白系ロシア人(はっけいロシアじん、ロシア語: Белоэмигрант, 英語: White Russian, White Émigré)とは、ロシア革命後、ロシア国外に脱出あるいは亡命した非ソヴィエト系旧ロシア帝国国民(ロシア人)のことである。
概要
呼称
白とは共産主義=赤に対する意味での白。帝政の復活を望んで、革命軍と各地で内戦を起こしていた軍人・軍閥も「白軍」、「白衛軍」と呼称されていた。白人(人種的特徴)やベラルーシ(「白ロシア」、「白ルーシ」の意味)該当地域とは関係ない。
また、旧ロシア帝国からの亡命者を総称して白系「ロシア人」と称しているため、内訳は必ずしもロシア民族・スラヴ人種というわけでもなく、ロシア帝国に居住していた異民族の出身者も含まれた。
より中立的な呼称で、アメリカ合衆国、フランス、イギリス等の当事者たちの間で使われることが多く、1980年代末以降のロシアでも一般的に利用されている用語として、「第一波の移民 (first-wave émigré、Эмигрант первой волны)」がある。
経緯
ロシア革命とその後のロシア内戦を逃れ、多くの知識人や技術者、軍人、貴族、一般市民が国外へ逃れた。また、ボリシェヴィキとの戦いに敗れた者、共産党政権から迫害を受ける危険を感じた者も国外へ逃れた。こうした人々が、一般に白系ロシア人と呼ばれるようになった。
正教徒の亡命
こうして亡命した正教徒の中には、セルゲイ・ブルガーコフ、ニコライ・ベルジャーエフ、ウラジーミル・ロースキイ、パーヴェル・エフドキーモフのように、亡命先で神学教育に携わり、著名な業績を残した者も現れた。
日本においては日本の正教会に所属するようになった者も少なくなく、その子孫は現在もなお神戸ハリストス正教会やニコライ堂など、日本の幾つかの正教会内において、一定の亡命者の子孫(民族的には非ロシア人、たとえばグルジア人系等の者を含む)からなるコミュニティを形成している[1]。
日本への亡命者
来日した白系ロシア人を研究する団体として1995年12月、日本の研究者とロシア人研究者によって来日ロシア人研究会が結成された[2][3]。
著名な白系ロシア人
ウクライナ出身の航空機設計者で1913年に世界初の4発機イリヤー・ムーロメツを開発したイーゴリ・シコールスキイは、革命後アメリカ合衆国に亡命した。彼の創業した「シコルスキー社」は特にヘリコプター開発において世界有数の規模を誇っていた。
アーケードゲーム業界大手で有名なタイトーの創業者ミハエル・コーガン、日本のプロ野球界で活躍したヴィクトル・スタルヒンも白系ロシア人に該当する。
また、満州国やその周辺地域へ亡命した者も多くおり、満州国白系露人事務局により統括され、その中から対ソ謀略専門の満州国軍浅野部隊が編成されていた。この他、極東では反ソ連派ウクライナ人により緑ウクライナが建国されたが、戦争に敗れ亡ぼされた。浅野部隊と関東軍や満州国軍が協同してソ連に抗戦する計画もあったが、核となるべき大日本帝国の敗戦により反ソ共同戦線は潰えた。
誤用
上述のとおり、白系ロシア人という呼称は、本来、共産主義の赤に対して、旧体制派の白という意味であった。
脚注
- ↑ 牛丸康夫『日本正教史』(第三部第一篇第六章:日本在住のロシア人、136頁~142頁)日本ハリストス正教会教団
- ↑ 長縄光男, 沢田和彦編『異郷に生きる―来日ロシア人の足跡』、成文社、2001
- ↑ 沢田和彦「来日ロシア人研究会」のこと――『異郷に生きる――来日ロシア人の足跡』刊行に寄せて―― 」、成文社ホームページ、2001.03.01/03.10更新
関連項目
- ユーラシア主義
- 日露関係史
- 河豚計画
- 杉原千畝
- 日本のユダヤ人
- 日本のロシア人
- ドン・コサック合唱団セルゲイ・ジャーロフ
- NHK交響楽団
- 宝塚歌劇団
- ハルビン
- ロシアファシスト党
- 西比利亜自治團
- ザリヤ - 白系露字新聞
- グンバオ - 白系露字新聞
- 満州国白系ロシア人事務局
- 上海租界
- 残留ロシア人 (南樺太)
- ベラルーシ人 「ベラルーシ(=白ロシア)人」と「白系ロシア人」は全く意味が異なることに注意。