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− | 隋から唐代なかば頃まで中国人が用いたチュルク族に対する称呼。チュルク | + | 隋から唐代なかば頃まで中国人が用いたチュルク族に対する称呼。チュルク Türkの漢音訳。その領域はモンゴル一帯からカスピ海沿岸に及んだ。十数部族から成るが,有力なものが9つあり,したがって九姓鉄勒,鉄勒九姓と呼ばれた。しかし鉄勒それ自体に君長はなく,部族ごとに[[突厥]]に所属していた。突厥が東西に分裂すると,630年鉄勒の一部族[[薛延陀]] (せつえんだ) が唐軍と協力し東突厥を滅ぼしたが,まもなく唐軍と衝突して敗れ,以後鉄勒諸部は唐の間接統治を受けた。 682年東突厥が復興すると再びこれに所属したが,734年突厥のカガンが死ぬと,鉄勒の一部[[ウイグル]]が台頭し,突厥を破り鉄勒諸部を従え,それ以後鉄勒の名は消えた。 ([[トクズ・オグズ]] ) |
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2018/12/31/ (月) 14:15時点における最新版
隋から唐代なかば頃まで中国人が用いたチュルク族に対する称呼。チュルク Türkの漢音訳。その領域はモンゴル一帯からカスピ海沿岸に及んだ。十数部族から成るが,有力なものが9つあり,したがって九姓鉄勒,鉄勒九姓と呼ばれた。しかし鉄勒それ自体に君長はなく,部族ごとに突厥に所属していた。突厥が東西に分裂すると,630年鉄勒の一部族薛延陀 (せつえんだ) が唐軍と協力し東突厥を滅ぼしたが,まもなく唐軍と衝突して敗れ,以後鉄勒諸部は唐の間接統治を受けた。 682年東突厥が復興すると再びこれに所属したが,734年突厥のカガンが死ぬと,鉄勒の一部ウイグルが台頭し,突厥を破り鉄勒諸部を従え,それ以後鉄勒の名は消えた。 (トクズ・オグズ )