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オスヴァルト・アルノルト・ゴットフリート・シュペングラー(独: Oswald Arnold Gottfried Spengler、1880年5月29日 - 1936年5月8日)はドイツの文化哲学者、歴史学者。
アメリカ合衆国、ロシア(ソ連)といった非ヨーロッパ勢力の台頭を受けて書かれた主著『西洋の没落』(Der Untergang des Abendlandes) は、直線的な考え方である当時のヨーロッパ中心史観・文明観を痛烈に批判したもので、その影響は哲学・歴史学・文化学、芸術など多方面に及んだ。
(注:「西洋の没落 第一巻」村松正俊訳 P57 したがってより狭い主題は今日、全地球に広がっているヨーロッパ・アメリカ文化の没落の分析である。しかし目的は一つの哲学の展開であり、世界史の比較形態学という、この哲学に独特な、ここで検討されるべき方法の展開である。)
生涯
ザクセン=アンハルト州ブランケンブルクの生まれ[1]。父親は鉱山技師であり、中流家庭の出身であった。保守的な考えの家庭で育ち、シュペングラーの思想にも影響を与えた。幼少期にハレに移住し、ハレ大学・ミュンヘン大学・ベルリン大学の各大学に学び、哲学・歴史学・美術・音楽・数学などを学び、1904年に「ヘラクレイトス─彼の哲学のエネルギー論の根本思想に関する研究」(Heraklit, Eine Studie über den energetischen Grundgedanken seiner Philosophie) で学位取得。
学位取得後、デュッセルドルフやハンブルクなどの高等学校で教鞭をとるも、1911年には教職を辞して以降は、著述と思索のなかで生活をする。後年は、「プロイセン的社会主義」を展開し、保守革命と呼ばれる思想の一角を形成する。1936年にミュンヘンにて心臓病のため死去。55歳であった。
著書(日本語訳)
- 村松正俊訳 『西洋の没落―世界史の形態学の素描〈第1巻〉 形態と現実と』 五月書房、新装版2007、2015ほか
- 八田恭昌訳 『運命・歴史・政治』理想社 1960、同・実存主義叢書 1967
- 駒井義昭・尾崎恭一訳 『人間と技術-生の哲学のために』富士書店:富士思想叢書、1986
- 桑原秀光訳 『シュペングラー 政治論集』不知火書房、1992
脚注
- ↑ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. . 2018閲覧.
参考文献
- 西部邁「文明という名の死 - オズヴァルト・シュペングラー」『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』に収録
関連項目
- 生の哲学
- 保守革命
- アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルック
- エルンスト・ユンガー
- 文明の衝突 -- サミュエル・P・ハンティントンの著作。
- 歴史の終わり -- フランシス・フクヤマの著作。
外部リンク
- の著作およびを主題とする文献 - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。
- テンプレート:DDB
- テンプレート:PGDA
- テンプレート:Zeno-Autor
- www.ifhas.de – Kolloquium aus Anlass der 100. Jährung von Spenglers Promotion an der Universität Halle-Wittenberg
- テンプレート:BBF Personaldaten
- PDF bei www.sicetnon.org – Ästhetische Welterschließung bei Oswald Spengler und Walter Benjamin von Andreas Hetzel (1993)
- Theodor W. Adorno: Spengler nach dem Untergang.
- Online-Bibliographie der modernen Forschungsliteratur zu Spengler (Work in progress) sowie Verzeichnis der Erstausgaben der Schriften von Oswald Spengler