「フランシスコ (ローマ教皇)」の版間の差分
提供: miniwiki
27行目: | 27行目: | ||
| 母校 = [[ブエノスアイレス大学]] | | 母校 = [[ブエノスアイレス大学]] | ||
| 署名 = | | 署名 = | ||
− | | 曖昧 = | + | | 曖昧 = |
}} | }} | ||
− | '''フランシスコ'''({{lang-la-short|'''Franciscus'''}}、{{lang-it-short|'''Francesco'''}}、{{lang-es-short|'''Francisco'''}}、{{lang-en-short|'''Francis'''}}、[[1936年]] | + | '''フランシスコ'''({{lang-la-short|'''Franciscus'''}}、{{lang-it-short|'''Francesco'''}}、{{lang-es-short|'''Francisco'''}}、{{lang-en-short|'''Francis'''}}、[[1936年]]12月17日 - ) |
[[教皇]](在位 2013~ )。本名 Jorge Mario Bergoglio。初の南アメリカ出身の教皇。また初の[[イエズス会]]出身の教皇である。 | [[教皇]](在位 2013~ )。本名 Jorge Mario Bergoglio。初の南アメリカ出身の教皇。また初の[[イエズス会]]出身の教皇である。 |
2018/8/9/ (木) 21:53時点における最新版
フランシスコ(羅: Franciscus、伊: Francesco、西: Francisco、英: Francis、1936年12月17日 - )
教皇(在位 2013~ )。本名 Jorge Mario Bergoglio。初の南アメリカ出身の教皇。また初のイエズス会出身の教皇である。
アルゼンチンでイタリア移民の息子として生まれた。ブエノスアイレス大学で化学を学んだが,その後,哲学と神学に専攻を変えた。
1969年に叙階されて司祭となり,1973~79年イエズス会のアルゼンチン管区長を務めた。1992年にブエノスアイレスの補佐司教に任命され,1998年にはブエノスアイレスの大司教に就任した。2013年2月,教皇ベネディクツス16世が高齢と健康上の問題を理由に退位を表明すると,近づく復活祭までに後継者を選出するため,3月の初めにコンクラーベが召集され,5回目の投票で第266代教皇に選出された。