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与論島 | |
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座標 |
北緯27度02分40秒 東経128度25分02秒 |
面積 | 20.8 km² |
海岸線長 | 23.5 km |
最高標高 | 98 m |
所在海域 | 東シナ海・太平洋 |
所属諸島 | 奄美群島 |
所属国・地域 | 日本・鹿児島県 |
与論島(よろんじま[1][2])は、奄美群島のひとつで、鹿児島県最南端の島である。
Contents
概要
奄美群島の内で最も沖縄県に近い位置にあり、南方約22kmには沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)があり、西には伊是名島と伊平屋島が望める[† 1][3]。島の周囲は珊瑚礁で囲まれており、美しいサンゴ礁の島である[4]。礁の内側は水深2 - 3mの浅い海が広がる[4]。隆起作用と造礁作用による石灰岩でできた島である[4]。
一島一町で、鹿児島県大島郡与論町。人口は約5,000人で、主な産業は農業と観光業である。1984年7月15日にはミニ独立国、「パナウル王国」を設立した[5]。「パナ」は花、「ウル」はサンゴ礁を意味する[5]。
島で唯一製造されている酒は黒糖焼酎で、代表銘柄の「有泉」(島有泉)は、ほとんどが島で消費されている。客人をもてなす時などには 「与論献奉」と呼ばれる島流の飲み方で飲まれている。
名称
「よろんとう」ともよばれるが、これは1970年代に観光振興の目的で外国風に「ヨロン島」と表記して読ませたもので、旧来の読み方は「よろんじま」である。「与論」は琉球方言で「ユンヌ」と呼ばれていたものが変化したもの。
歴史
伝承時代、女神アマミクと男神シニグクが島に瀬礁に辿り着いたところ、島が浮き上がり与論島が造られたと言う神話がある。古来より島はユンヌと呼ばれていたが、琉球や大和(薩摩藩)により漢字が当てはめられ「与論」となった。[6]
地理的にも琉球(沖縄)と近いため関係は深く、支配層代官の設置や行政区分の歴史的には奄美群島に属するが、島民の意識としては琉球(沖縄)寄りであり、大島(奄美大島)等とは差異がある。古く1266年には琉球の英祖王統初代英祖王に朝貢したとされる[7]。大島の琉球による征服(1447年)に先立って、沖永良部島と共に、14世紀には沖縄本島北部の北山王国の勢力下に入り、1429年には琉球王国の版図となった。薩摩による琉球侵攻以降は、他の奄美群島と同様の歴史を辿る。薩摩代官(与論主)の着任は大島より遅れ、1616年となった。琉球が薩摩の支配に入った後も、与論の民は琉球王と有形無形の交流を続ける。更に、黒糖の総買い上げ制が始まったのは幕末に程近い1829年であった[7]。
島の文化
与論献奉
与論献奉(よろんけんぽう)は、与論島への客人をもてなすための儀式的な飲酒方法。その歴史は1561年に始まるとされるが、現在は主人から順に、客人全員に対して1杯ずつ酒を献上し、口上を述べてから酒を飲み干してから杯を返し、周囲の者は静かに拝聴するものとなっている。
具体的には、最初に、施行者(ホスト)が大きな朱塗りの杯に、主賓に見合った量の焼酎(基本的に島内で作られている奄美黒糖焼酎有泉のアルコール度数20°のものが選ばれる)を入れて、自己紹介と歓迎の気持ちを伝える口上(「ありがとう」は与論方言で「とうとがなし」と言う)を述べてから飲み干す。飲み終わると、杯をひっくり返して残っていない事を見せ、飲み干した杯に数滴残った焼酎は手のひらにとって自分の頭につけ、神(髪)に返す。次に、施行者は、公平に同量の焼酎を杯に注ぎ、主賓に直接渡し、主賓は自己紹介や感謝の口上を述べてから受杯して飲み干し、同じように全部飲み干したことを示し、残った数滴を神に返してから直接施行者に杯を返す。この間、客は受け取った杯を手から離して置いてはいけない。杯が施行者に戻ると、同量の焼酎を注いで次の客に対して手渡し、客は口上を述べて受杯し、飲み干し、返杯する。これを人数分繰り返して、全員が1杯ずつ飲み終わると、ご苦労杯と呼ばれる1杯を飲み干して、献奉の完了を告げる口上を言う。
これで終わりであるが、場合によっては、他の者が施行者の名乗りを上げて、献奉が1巡繰り返されてゆく場合もある。
歓迎と感謝の意味を表すのが本来の目的であって、飲酒を無理強いするものでは無く、施行者が焼酎を注いでいる時に「トォー(与論方言で止めの意味)」と言えば注ぐのを止めるほか、全く飲めない場合は口上を述べて杯をそのまま親に返しても良く、その場合は施行者が責任を持って代わりに飲む。
言語(方言)
琉球語沖永良部与論沖縄北部諸方言に属す与論方言が話されている。
料理
奄美料理よりも沖縄料理に近いが、沖縄本島で食べられていても、与論島では食べられていない料理や、その逆のものもある。
特産品
- 塩 - 沖縄との間の海域にて、水深500mからくみ上げた海洋深層水から作られた塩(商品名「ましゅ」は、方言で塩の意)が作られている。
- きび酢 - サトウキビの絞り汁を壷で発酵、長期熟成させて作る酢。
- もずくそば - 一見日本そばのように見えるが、小麦粉と乾燥モズク粉を捏ねて作った乾麺である。
情報・通信
新聞
奄美群島を主たる発行地域とする南海日日新聞や奄美新聞などが地域に密着したニュース・生活情報を提供している。
テレビ
与論中継局が置かれており、鹿児島県を放送対象地域に含む、NHKと民放4局が視聴可能である。
このほか、スピルオーバーによる沖縄県の放送も受信可能とされる(最寄りの沖縄県の中継局は今帰仁中継局である)。
ラジオ
2015年8月7日に、与論中継局に島内で初めてのラジオ中継局(NHK鹿児島局のAMをFMに変換して送信)が開局した[8]。
- NHK
- 鹿児島・沖縄両局受信できる(ラジオ第1は沖縄局のほうが受信状態がよい)ほか、熊本局のラジオ第2も受信可能。
- 民放
- 鹿児島のMBCラジオ(鹿児島本局および名瀬中継局)が受信できる。なお、μFMは近くに中継局がないため受信不可(radikoも不参加のため利用不可だったが2017年4月3日から参加し利用可能。「LISMO WAVE」「ドコデモFM」に関しては聴取可能)。
- 沖縄のすべての局が受信できる。RBCiラジオ・ラジオ沖縄は那覇本局または名護・国頭両FM中継局から、FM沖縄は那覇本局または今帰仁中継局からそれぞれ受信可能。
交通
空路
- 日本エアコミューター(JAC)
- 琉球エアーコミューター(RAC)
航路
- 与論港
島内交通
路線バス
道路
信号機は町役場がある茶花の中心部の丁字路に3灯式のものが1箇所ある他、赤色の1灯式のものが鹿児島県道631号与論空港茶花線など2箇所にある。
町内を走る県道は以下のとおり。
観光
年間の観光客数は約15万人[5]。
名勝・旧跡
- 百合ヶ浜
- 大金久海岸
- 兼母海岸(サンセットビーチ)
- 品覇海岸
- 寺崎海岸 - 隣接の「トゥマイ浜」が映画『めがね』ロケ地。
- 与論民俗村 - 民家や民具を展示。島で唯一の芭蕉布の工房でもある。
- サザンクロスセンター
- ゆんぬ体験館
- ユンヌ楽園(植物園)
- 与論城跡
- 地主神社(とこぬしじんじゃ)、琴平神社
- ヨロン駅
催事
- 毎年3月初旬に開催される。種目は、フルマラソン・ハーフマラソン・リレーマラソンがあり、いずれも日本陸連公認コースである。制限時間は7時間となっているが、コースで走っている限り止められる事はまず無い。
出身・ゆかりの人物
- 川畑アキラ - ミュージシャン(ザ・コブラツイスターズ)
- 寿里 (歌手) - 歌手。実家は島内で民宿を営んでいる。
- 千代ノ皇王代仁 - 大相撲力士
- 町亞聖 - フリーアナウンサー。与論島出身の父を持つ。
参考文献
- 大竹一彦『最新版 2万5千分の1地図 -地理空間情報時代の地図-』古今書院、2010年10月20日、340p. ISBN 978-4-7722-4142-7
脚注
- 注釈
- ↑ 与論島からは7つの島がつながったように見えるので俗に七切り島と呼ばれている。
- 出典
- ↑ “与論島(よろんじま)とは”. コトバンク. . 2015閲覧.
- ↑ “与論島 | ニューワイド学習百科事典”. 学研キッズネット. . 2015閲覧.
- ↑ “『ヨロン島観光ガイド』ヨロン島から見える島々”. 与論町役場. . 2014閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 大竹(2010):180ページ
- ↑ 5.0 5.1 5.2 “「パナウル王国」と命名、観光アピール/与論町”. 懐かし フォトギャラリー. 南日本新聞社 (2009年8月31日). . 2015閲覧.
- ↑ 与論町誌, 1333頁
- ↑ 7.0 7.1 http://www.yoron.jp/imgkiji/pub/detail.aspx?c_id=45&id=31&pg=1
- ↑ “与論ラジオ中継局開局のお知らせ”. 与論町役場. . 2015閲覧.
- ↑ “奄美国立公園が誕生”. 南日本新聞: p. 1. (2017年3月8日)
- ↑ “『ヨロン島観光ガイド』ヨロン島Q&A”. 与論町役場. . 2014閲覧.
- ↑ “観光ガイド|与論島”. 本物。かごしま離島net. かごしま離島観光促進協議会. 2015年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
関連項目
外部リンク
- 与論町(公式サイト)