土湯温泉

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土湯温泉(つちゆ おんせん)は、福島県福島市土湯温泉町にある温泉

概要

福島市郊外南西(土湯温泉町地域)の安達太良山連峰の中腹から峠付近に位置する温泉街。10種類以上の泉質を持ち、伝統工芸品こけし発祥の地として有名である。

福島城下町から会津方面へと向かう会津街道(土湯街道)宿場としての役割を兼ね備えた温泉郷として、1400年以上の歴史を持つる。現在も県都福島市から会津地方へ向かう最短ルート国道115号(土湯街道)沿いに立地する。

安達太良山連峰の峠付近に位置する温泉施設も「土湯温泉郷」に含まれることも多い(鷲倉温泉赤湯温泉野地温泉新野地温泉幕川温泉)。土湯温泉観光協会の公式サイトでは、これらを含めて旅館17軒を掲載している(2018年4月時点)[1]

温泉街近郊の仁田沼周辺には、ミズバショウカタクリの花が咲き、女沼などの自然観光スポットも存在する。

荒川沿いに大小の旅館ホテルが並ぶ。昔からの歴史ある温泉街で、最近は旅館やホテルなども充実している。町内には足湯が4か所存在し、全て無料で利用できる。共同浴場は中之湯、こけし湯(サンスカイつちゆ)の2軒がある。

泉質

土湯温泉にはいくつもの源泉があり、10種類以上の泉質の温泉が楽しめることができる。

歴史

開湯伝説では、オオムナチノミコト(大穴貴命)が荒川のほとりで地面を鉾で突いて発見したとされる。鉾で突いたことから「突き湯」となり、それが転じで「土湯」となったという。

こけし(土湯系)

土湯こけしは福島市を代表する郷土玩具。三大こけし発祥の地で有名な温泉地であり(残りは鳴子温泉遠刈田温泉土産物としてはもちろん温泉街の様々な場所のモニュメントにも使われており、こけしの温泉街としての特徴が強い。土湯見聞録館やこけしの展示館などが存在する。

土湯系の特徴は、頭部には蛇の目の輪を描き、前髪と鬘の間にカセと呼ぶ赤い模様がある。胴の模様は線の組み合わせが主体である。

東日本大震災の影響

土湯温泉の最盛期は昭和50年代半ばで、23軒の旅館があり、ピーク時で年間約23万人が宿泊した[3]

2011年の東日本大震災以降、最も廃業が目立った温泉地としても報道され、16軒あった旅館は11軒にまで減少した。主な要因として、福島第一原子力発電所事故後の風評被害が挙げられるものの、福島県内にある他の温泉地はそこまで廃業が相次ぐほどには至っていない。これは震災直後、土湯が被災者や避難者を受け容れたことと、その後の反動が大きな要因である。避難者を受け容れていた8月までは、結果的にツアーバスなど観光目的の立ち寄りや受け容れによる、宿泊施設等の稼働率確保ができていた。しかし、8月を目処に避難者が他所に移ったため稼働率が3割未満に急落し、人件費など過剰となった運営費用が旅館経営を圧迫したためである。その結果、半年で5軒の旅館が休廃業に追い込まれ、温泉地は存亡の危機に立たされた。

その後は営業を再開する旅館があったり[4]、上記の公衆浴場の一つ「中之湯」が建て替えられたり[5]といった復興の動きが進んでいる。

中之湯の運営も担う地元企業「元気アップつちゆ」は温泉街再生事業の主体として設立され、2015年には地熱発電と小規模水力発電を開始。その後は養殖したオニテナガエビを行楽客に釣ってもらったり、旅館の食材として使ったりする事業にも乗り出している[6][7]

交通

画像

脚注・出典

  1. 土湯の宿に泊まる土湯温泉観光協会(2018年4月26日閲覧)
  2. 土湯こけしの魅力土湯温泉観光協会(2018年4月26日閲覧)
  3. 【イキイキ地域】福島市土湯温泉/エビ養殖で復興に弾み『日経MJ』2018年3月26日(街づくり面)
  4. 大震災(1)旅館再開 励ましに応えて『日本経済新聞』写真ニュース(2012年11月1日)2018年4月26日閲覧
  5. 土湯公衆浴場「中之湯」26日新装 市内最大級、貸し切り風呂4室福島民友』2018年4月25日(2018年4月26日閲覧)
  6. 元気アップつちゆ(2018年4月26日閲覧)
  7. 【イキイキ地域】福島市土湯温泉/エビ養殖で復興に弾み『日経MJ』2018年3月26日(街づくり面)

関連項目

外部リンク