新幹線300系電車

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300系は、かつて東海旅客鉄道(JR東海)および西日本旅客鉄道(JR西日本)に在籍した新幹線電車である。東海道山陽新幹線の第三世代の営業用車両であり、初めて270km/h走行を行う「のぞみ」用車両として開発・製造された。

概要

1990年平成2年)に東海旅客鉄道(JR東海)が発注した量産先行試作車(J0編成。のち量産化改造によりJ1編成)が登場し、その後量産車(J編成)が1992年(平成4年)1月から1998年(平成10年)10月にかけて製造された。なお1993年(平成5年)度以降の製造分は、1975年昭和50年)3月の博多駅延伸に併せて製造された0系の置き換えを兼ねている。量産車のデザインは手銭正道、戸谷毅史、松本哲夫、木村一男によって設計された。

安定した高速走行を実現するため、車体の空力特性の向上と軽量化を行い、1992年3月14日「のぞみ」でデビュー。東京駅 - 新大阪駅間をそれまでのひかりより19分速い2時間30分で結んだ。その後、1993年3月18日から「のぞみ」の運転区間を博多駅まで延長することが決定し、西日本旅客鉄道(JR西日本)でも同仕様の3000番台(F編成)を9編成製造・投入し、東京駅 - 博多駅間をグランドひかりより43分速い5時間4分で結んだ。

日本車輌製造日立製作所川崎重工業近畿車輛(JR東海所有編成のみ)に発注され、最終的にJ編成61本・976両とF編成9本・144両の合わせて70本・1,120両が製造されたが、J編成の中には500系の製造開始後に落成した編成もあるほか、J52以降の編成は700系の量産先行試作車であるC0→C1編成より後に落成。また、量産車第1号のJ2編成は、100系G編成のうち最終増備編成のG46編成より先に落成した[注 1]が、G46編成が先に廃車になった。

東海道新幹線最高速度を一気に50km/hも向上させた画期的な車両ではあったが、営業投入前のテスト運転が不十分だったため、デビュー後は故障が続発し、頻繁に運転打ち切りが発生するなど、のぞみ301号の名古屋飛ばしとともにマスコミから連日クローズアップされることになった。

高速化を最優先させるための徹底的な軽量化が仇となり、220km/hで走行していた100系と比べると車内の騒音が増加し、座席のシートも金属バネによる支持方式から薄いウレタンのみに取って代わられたため、居住性が悪化した。特に振動の大きさは深刻で、導入当初は「座席前のテーブルに置いたコーヒーがこぼれた」「サンドイッチが手も触れていないのに丸ごと床に転落した」等の苦情が相次いだ。これらの教訓を生かし、以後の500系・700系からは乗り心地や居住性を重視した設計となり、不具合の洗い出しのために営業投入前に40万kmの長期耐久試験が実施されることが常となった。

700系の量産と100系の廃車が開始された1999年(平成11年)以降は、「のぞみ」の運用を徐々に700系に譲り、代って「ひかり」や「こだま」に使われるようになったが、本系列の置き換えを目的に開発されたN700系2007年(平成19年)に量産を開始したことにより、所定の使用年数に当たる製造後13年に達した車両から順次廃車が開始された。

2012年(平成20年)3月16日をもって東海道・山陽新幹線での営業運転から離脱し、JR東海所属車は同月中に全車廃車され、JR西日本所属車も同年10月までに全車廃車された(詳細は後述)。

開発

スーパーひかり

「のぞみ」の原形である「スーパーひかり」の開発スタートは1988年1月にまでさかのぼる[1]。JR東海内に「新幹線速度向上プロジェクト委員会」が設置され、同年1月28日に1回目の講義がおこなわれた[1]。この委員会では、100系のあとを継ぐ300系の開発について検討する委員会であった[1]

270km/h

「のぞみ」の目的はできるだけ速く東京駅 - 新大阪駅間を結ぶことであり、そのライバルとしては航空機があった。羽田空港 - 伊丹空港間の航空機は、飛行時間は1時間ほどで済むが、東京や大阪市の中心部から空港までの移動や搭乗手続きなどで時間を要する場合が多い。この航空機対抗策として2時間30分運転であれば、空の客を取ることができるのではないかという計算があったからである[2]。「のぞみ」の当初のキャッチフレーズは「(午前)9時の会議に間に合う」であった。

これらの事情や、線路設備の面から検討された結果、運転速度は270km/hに設定された。

軸重11.3トン以下

初代新幹線である0系は、最高速度が220km/hで軸重が16t(1両当たり64t)であった[3]。300系を開発するにあたって、270km/h走行時で0系220km/h走行時と同じ、もしくはそれ以下の騒音と振動に抑えるにはどこまで軽量化をすればよいか検討された[4]。そこで、0系の車両から電動機や抵抗器といった走行機器を取り外して軽量化、付随車とした上で編成中央に挟まれてテスト走行が1988年5月24日 - 6月3日の間に浜松駅 - 名古屋駅[4]で実施された[4]。この即席の付随車の車重は44tであった[4]。このほかにも、56tの空車、水などを積んで64tにした空車などが用いられテストされた[4]

0系の最高速度は前述のように220km/hであったため、得られたデータ(220km/h走行時)を、270km/hではどのような値になるかをフィールド試験によって計算すると、軸重にして11.3t(車重では45t)以下であれば、現行の車両の振動値を越さないことがわかった[5]。300系以降、東海道・山陽新幹線を走行する車両は、軸重11.3t以下を目標に設計されている。

地上施設の改良

東海道区間に多数存在するR2500のカーブではカント量は180mmであったが、300系の運転開始に伴い限界までの200mmに変更された[6]。また、R3000のカーブでも、カント量が150mmから180mmに変更された[6]。こうすることで、これらの区間でも最大255km/hで走行できるようにした[6]。このカント量の変更工事は、東海道新幹線の約1/4である120km(上下線あわせて240km)で実施された[6]

また、従来の車両と最高速度が異なるため、ATCにも改良が加えられた。まず、ATCを270km/hにも対応させるため、ATCが2周波数化された[7]。新たに高速側に信号を増やすことになったが、従来の1周波数方式では情報が乗りきらなくなるためである[7]。加えて、閉塞区間の長さを、安全性の面から再検討して従来の10kmから8.5kmに短縮した[7]。こうすることで、従来のダイヤに高速化した300系を加えることができるようにした[7]

その他にも、東海道新幹線の饋電方式を、BT饋電方式からAT饋電方式に変更した。これは、300系は編成内に特高圧引通線を引き通し、そこに3基のパンタグラフを装備して、編成内の各ユニットに架線からの電気を供給するため、BT饋電方式の場合だと、約4㎞ごとに架線に挿入されるブースタートランスによってトロリー線にブースターセクションが設けられるため、そこを通過すると、交流周波数の位相差により、パンタグラフの間で特高圧引通線を介して電気が流れトラブルが発生すること、負荷電流が大きいと通過時の一時的な遮断により過大なアークが発生してしまうためであり、1991年までにAT饋電方式に改良された。その結果、沿線に25あった変電所が増強も含めて16に減らされた。

試乗会

1992年3月8日に試乗会がおこなわれたが、くしくも同日に新幹線開発史において重要な存在である初代小田急3000形電車のさよなら運転もあり、新旧の節目と報じられた[8]

構造

車両軽量化のために、車体にはアルミ押出成形が新幹線として初めて採用された。これにより100系では9.3tあった構体重量は6.8tにまで軽量化することが可能になった[1]新幹線では、制御装置にVVVFインバータ制御と台車にボルスタレス台車を初めて装備し、電気ブレーキに回生ブレーキを初めて使用した車両である。

車両外観

ファイル:Hikari.JPG
滑らかな形状の運転台周り

軽量化の観点から、東海道・山陽新幹線用車両で初のアルミニウム合金を使用したシングルスキン構造の車体を採用した。

屋根板、側外板、床面には、全長24.5m、最大幅600mmのA6N01S-T5部材を、床と外板交差部分にあたる側梁および横梁は強度が必要なことから、中空形材およびA7N01S-T5部材を使用している[9]。また、軽量化の観点から室内床にはアルミハニカムパネルを、騒音防止の観点から主変圧器付近の床下には鋼製パネルを張り付けている[9]。これらの特徴により、車体単体質量を6.0tと大幅に軽減した[10]。営業用新幹線として初めてのアルミニウム製車体であった200系の8.5tと比べて2.5tの軽量化を達成した[10]

初期車のプラグドア 後期車の引き戸
初期車のプラグドア
後期車の引き戸

空気抵抗低減のために車体断面を縮小し、車高は100系より約40cm低くなった。走行時の空力音を軽減するために、運転台周りは滑らかに仕上げられ、スカートと一体構造になっている。さらに低重心化のため、同系列までは天井にあった空調装置を床下に移動した。そのため、窓間の柱内のダクトを経由して送風する構造になった。側窓は再び狭窓(普通車で天地660mm×幅780mm)となった一方で、窓框高さは100系までの855mmから一転して710mmと低くされた。

初期の車両(J1 - J15, F1 - F5編成)は空気抵抗低減のため、ドアを閉めた際に車体との段差のないプラグドアを採用していたが、構造が複雑でトラブルが多かったことに加え、コストの割りに騒音低減効果が少なかったことから、1993年度初の増備車であるJ16編成より通常の引き戸に変更した。また100系まで屋根の肩に付いていた雨どいは省略され、ドア上部のみに設置する簡易的なものになった。以降、東日本旅客鉄道(JR東日本)の新幹線車両も含め現在まで主流となっている。

主要機器

電源・制御機器

テンプレート:Sound テンプレート:Sound 架線からの単相交流25kVを主変圧器で降圧した上で、主変換装置で単相交流から直流、さらに三相交流へと変換して交流電源とした。その交流電源で主電動機を駆動した。

M1+T+M2ユニットを採用し、M1車(315形・325形)には主変換装置・補助電源装置が、M2車(316形・322形・326形)には主変換装置が、T車(319形・328形・329形)には主変圧器・集電装置・空気圧縮機が搭載される。床下の平滑化による騒音の低減と着雪障害の防止のため、床下機器機器類を収納する簡易ふさぎ板が設けられている。

主変圧器 (TTM2, WTM204) は強制風冷式を採用し、2,900kVAの容量を備える[11]

主変換装置 (TCI1, WPC2) は、GTO素子を利用したPWMコンバータ2基+VVVFインバータ1基で構成されている。制御方式は2レベル制御により、電圧・電流波形を交流の正弦波に近い形としている。GTO素子はスイッチング周波数が低いため、発車時と停車時に電動機(モーター)からの磁励音が目立つ。

主電動機は (TMT1 - TMT5, WMT203)、かご形三相誘導電動機を電動車両1両あたり4基搭載する。連続定格出力は300kWとし、交流モーターの採用により100系の直流モーターと比較して出力は約30%アップしながら質量は約半分になっており、車両全体の軽量化に寄与している。

VVVFインバータ制御を利用した回生ブレーキも新幹線車両として初めて装備し、ブレーキ性能を強化した。ただしモーターのない付随車は回生ブレーキが装備できないため、渦電流ブレーキを装備する。本系列からブレーキ制御に応荷重装置を追加したが、これは車体の軽量化により編成全体に占める旅客質量の比率が高まったためである。

ただし前述のアルミ合金車体の採用による軽量化は、付随車で渦電流ブレーキ装置の質量がモーターより重く、さらに機器の中で最も質量のある主変圧器を搭載していたことも相まって、モーター装備の電動車よりも付随車の方が重くなる結果になった。その後開発された500系では全車電動車となったことから付随車採用時の質量増は発生せず、700系ではブレーキ装置の軽量化と機器配置の最適化によって電動車と付随車の質量を同等とした。

台車

台車鉄道総合技術研究所(JR総研)が開発した9023EF形台車をベースとした、新幹線の車両で初採用となる軽量ボルスタレス台車で、軽量で曲線通過性に優れる特徴を持っている。軸箱支持方式は270km/h走行時の安定性を高めるため、0系以来のIS方式を改良し、軸箱前後にある軸バネのコイルバネ内に円筒積層ゴムを内蔵したウイングバネ方式を採用しており、軸箱の上部と台車枠の間には軸ダンパーが装備されている。これは、ウイングバネのコイルバネが上下の荷重を支持して、軸箱の案内を円筒積層ゴムが行うようになっており、摺動部分がないため耐久性が優れている長所がある。また、ボルスタレス台車は首振り(回転)を左右に装備された空気バネの前後方向の撓みの許容により行うため、左右方向の剛性が低くなる特性があり、左右方向の空気バネの撓みを抑えるための空気バネストッパーが設けられており、台車枠と車体の中心ピン(牽引装置)との間に左右動ダンパが装備されている。その他にも、ボルスタレス台車は舵行動(ヨーイング)しやすい特性があるため、その抑制を図るためのアンチヨーダンパが台車枠と車体の間で連結されている[12]。軽量化のため、車輪径が910mmから860mmに縮小され、車軸も中グリ軸と呼ばれる中空式となったほか、台車枠端ばりの廃止、台車枠への高張力鋼、軸箱・歯車箱にアルミニウム合金の採用がなされた[13]。駆動装置は100系でも採用されたWN平行カルダン駆動方式である。なお、300系の台車のこれらの装備と機構は、その後の16両編成の700系とN700系の台車にも採用されている[14]

形式はM車がTDT203形(3000番台はWDT203形)、T車がTTR7001形(3000番台がWTR7001形)である。質量はTDT203形が6,689kg、TTR7001形が6,914kgで、100系DT202形の9,800kgやTR7000形の9,225kgから大幅な軽量化を達成した。

集電装置など

パンタグラフは当初、下枠交差形(TPS203型)に大型カバーを組み合わせたものを編成内に3基(6, 9, 12号車博多寄り)搭載していた。また、パンタグラフの離線によるスパークの発生を抑えるために特高圧引通線を屋根に設置して各ユニットを電気的に接続していた。各車両間はケーブルヘッドを介して接続していた。走行中は、騒音低減のため後ろの2基使用で対応したが、トンネル内でパンタグラフカバーの影響により車両が左右に揺さぶられて乗り心地が低下することが判明したため、現車走行試験の結果をもとに1995年(平成7年)8月から1998年(平成10年)9月にかけて編成中央のパンタグラフを撤去、編成前後のカバーは形状が変更された[15]。そして700系登場目前である1998年(平成10年)10月から12月の間に落成したJ59 - J61編成は、高圧引き通し線が落成当初から700系と同様の直ジョイントと4両おきのケーブルヘッド式となっている。1999年(平成11年)度からは700系で採用された低騒音化技術を反映して、既存の編成にもシングルアームパンタグラフがいしカバー、直ジョイント(除くJ59 - J61編成)を搭載する改造を実施している。

  • TPS203型[16]
    • 折り畳み高さ:65mm[16]
    • 標準作用高さ:575mm[16]
    • 標準押上力:5.5kg[16]
    • 総組み立て重量:140kg[16]

J編成とF編成の外観上での見分け方として、パンタグラフカバー(J編成はグレーに対しF編成は白)とJRロゴの色が異なることに加え、F編成では車体下部にリフティングジャッキをセットするための凹みが追加されている。

車内設備

16両編成で8 - 10号車がグリーン車、他は普通車である[注 2]100系とは異なり、2階建車両やグリーン個室食堂車及びカフェテリアはない。

グリーン車は横2列+2列の座席配列で、100系と同様読書灯を各席に設置してイヤホン式のオーディオサービスがある[注 3]

普通車は横3+2列の座席配列で、シートピッチ(座席の前後間隔)は100系と同じく1,040mmと広い。また、本系列量産車からは、3人がけ座席のうち中央列座席(B席)については窓側席と通路側席の座席有効幅430mmに対して30mm広い460mm幅とした[17]。J1編成以外の定員はグリーン車200名と普通車1,123名の計1,323名[18]、この標準定員と1車両毎の座席数の共通化が以降の東海道新幹線車両の基本となった。なお、J編成はブラウン系、F編成はグレー系の配色でまとめられている。普通席はおおよそ同一(モケット色違い)だが、グリーン席に関して言うと、ヘッドレストの張り出し、オーディオスイッチ・読書灯スイッチの配置、読書灯のデザイン、背もたれのシートバックポケットのデザインなどがJ編成、F編成の間で異なっている。

本系列から消滅した食堂車に代わり、7号車の東京寄り、11号車の博多寄り[19]に車内販売準備室を兼ねた「サービスコーナー」を設置し、車内販売を実施。ワゴンサービスも充実したため、2003年10月1日のダイヤ改正によりサービスコーナーは廃止され、以降は車販準備室のみとなった。また、奇数号車の洗面台同士の間には冷水器と紙コップが設けられていたが、700系には当初から設けていないこともあり、700系デビュー以降は500系とともに冷水器は使用停止となり、冷水器の箇所は板で塞がれた。

ファイル:West Japan Railway - Series 300-3000 - Cabin - 01.JPG
間接照明を採用した普通車(F編成)

車内照明は、間接照明が採用されている。これは車体断面縮小からくる全高の低下にもかかわらず、室内高の拡大(100系との比較で全高は3,800mmから3,650mmへ150mm低下しつつ、室内高は2,100mmから2,140mmと40mm拡大)を実現するための合理的な方法である。

「のぞみ」としての高速運転を達成することを第一優先にして開発された車両であるだけに、座席の背もたれが低めであることや、高速運転に伴い振動が大きくなるなどの問題が発生した。2010年代に入っても、回生ブレーキの具合により大きな前後衝動が起きることがあった。また付随車において加減速時に補助電源装置からの発生音が大きくなる欠点も改善されないまま、運用を終えている。

その後の騒音対策として床、台枠の一部に鋼材を導入し改造したり、振動対策では下記「乗り心地改良工事」にて改善されていた。

美観上の問題も発生した。デッキのくず物入れが大人の膝下サイズにまで小型化されたため、投入口からは弁当殻などがあふれ出す状態になってしまった。

空調装置の床下への移設でダクトを壁内に納めたことにより、体感温度が外部の気温変化や直射日光の照射の影響を受にくくなっている。これは外壁の薄いシングルスキンに接したダクト内を空気が通ってから室内に吹き出すため、夏は日光に暖められ冷房の効きが悪く、冬は外気温で冷やされて暖房の効きが悪くなるというように、エアコンの負荷効率は悪くなった一方で、壁面温度が先に制御されるので室内にいる人にとっては放射加熱や放射冷却の影響を受けにくくなっているからである。

有限要素法などの新しい設計方法を駆使して当初から本格的にトンネル内微気圧波対策を施した密閉車両とし、室内の気圧変化を抑えているので、この面での快適性は従来車両より向上している。

本系列は新技術を数多く採用・実用化し、新幹線高速化の第一歩となった。そのため技術的には高く評価される車両だが、利用客にとっての居住性という観点からの評価は低いことが多い。このことを反省してJR東海では後継車両の700系開発には高速運転性能のみならず、居住性を含めた快適性重視の姿勢をとった。振動低減や居住快適性アップなど利用者にはその成果を支持されている。これは新幹線に限らず、その後のJR各社の在来線新型特急車両の開発の際にも重視されるようになった。

前照灯・尾灯

JR東海と西日本では旧国鉄時代の0系以来、前照灯と尾灯は同一ライトで折り返しの際は色の違うガラス板を切り替えて対応する構造を採用してきたが、この伝統の構造も本系列限りで終焉を迎え、500系以降の新型新幹線車両ではフィラメント構造の前照灯と発光ダイオードの尾灯が完全に分離されている。

初期トラブル

東海道新幹線での最高速度を50km/hも引き上げた300系だが、前述の通り営業投入前のテスト運転が不十分だったため、導入当初はトラブルに悩まされた。走行不能に陥って運転が打ち切りになるなど深刻な事態に発展するケースもしばしば発生し[2]、連日マスコミからバッシングされた。

営業開始から4月25日までの1ヵ月半の間に183件(J2編成:48件〈そのうち主変換装置6件〉、J3編成68件〈そのうち主変換装置29件、ATC3件〉、J4編成55件〈そのうち主変換装置9件、ATC1件〉、J5編成12件〈そのうち主変換装置6件、ATC3件〉)ものトラブルが発生した[20]

1992年5月6日には名古屋駅 - 三河安城駅間を190km/で走行中の「ひかり238号」(新大阪発東京行き・J4編成)で主電動機を固定するボルトが折損し、4時間立ち往生するトラブルが発生した[21]。これは最悪の場合高速走行中にモーターが線路に脱落し、大惨事に繋がる恐れのある重大インシデントであった。

この他にもネジの長さが足らずマスコンハンドルが外れたり(川崎重工の施工ミス)、パンタグラフの取り付けボルトの落下、台車の異常を知らせるランプの誤作動など準備不足が原因のトラブルが多数発生した。

設計上の欠陥

軽量化を目的にMT比をそれまでの100系の12M4Tから10M6Tに変更し、電動車を削減したが、付随車に採用した渦電流ブレーキの重量が嵩んだために逆に付随車の方が重くなってしまった。しかし基本仕様を変更するには設計を一からやり直す必要があったため、MT比が変更されることは無かった。

軽量化と低床化のために空調機が床下に納められたことで、天井にある吹き出し口までダクトを延長する必要が生じた。このため長いダクト内で冷気が温められてしまい、冷房能力が不足する欠陥が初期編成で見られた。

300系のスタイルの決め手となっているレール面から近すぎるノーズポイントも、性能上で不都合を生じさせた。ノーズポイントがレール面から近すぎると、ノーズポイントの上面と下面で大きな圧力差が発生し、空気の流れが剥離することにより後尾車両で"尻振り"と呼ばれる現象が生じ、乗り心地を大きく悪化させる[22]。尻振りはトンネル内で特に顕著に発生したが、300系の開発時にはこの現象が解明されていなかった。このため300系はレール面直上のノーズポイントから屋根まで一筆書きで続く、他の新幹線車両では見られない独特なワンモーションデザインになった。以後の新幹線車両からは尻振り性能を改善するためにノーズポイントが高く設定されるようになり、300系のような形状は見られなくなった。

また、2両に跨がった大きすぎるパンタカバーはトンネル内で乗り心地を悪化させた。その後パンタグラフごと700系で開発された新型に載せ換える改造が一部の編成で実施されたが、車体左側面とトンネル左下壁面との乱流の近接効果による左右動の問題は完全に解決されることなく全車引退を迎えた[23]

乗り心地改良工事

2004年(平成16年)9月29日にJR東海は、J編成のうち後期に製造された編成を中心とする43編成(J17・J18・J20 - J26・J28編成以降)に乗り心地向上のためN700系の量産先行試作車で採用した改良型セミアクティブサスペンションを1・6・8 - 10・12・16号車の7両(両先頭車、グリーン車とパンタグラフ搭載車)に、改良型左右動ダンパを残りの9両にそれぞれ搭載し、700系で採用された非線形空気ばねとヨーダンパを全車両に搭載することを発表した。検査入場に合わせて順次施工し、2006年(平成18年)10月までに完了した[24]

車体間ダンパーの設置については車体端部がアルミ製で、装着のために必要な補強改造が容易でないことから見送られている。なお上記以外の編成(J2 - J16・J19・J27編成)はN700系への早期置き換え対象のため施工対象から外されていた。

J1編成(登場時:J0編成)

「のぞみ」車両の試験車として、1990年3月8日に東京第二車両所に配属された。製造費用は46億円となっており、先代の100系G編成と比較すると15億円高く、500系N700系と同じである[25]。なお、量産車の製造費用は40億円とされている[25]

1990年に303km/hを記録しており、1991年(平成3年)2月28日未明には325.7km/hを記録し、961形による国内最高速度記録を12年ぶりに更新している。

量産車との相違点

J1編成(浜松駅) J51編成(浜松駅)
J1編成(浜松駅)
J51編成(浜松駅)

後に登場した量産車とは違った外見をいくつか持っていた。

  • 屋根高さが、量産車が3,650mmに対し、J0は3,600mm
  • 前面窓ガラスの形状の違い
  • 先頭車両側面の台車近くにあるプレスライン(膨らみ)
  • 前面ライトのガラスの形が角ばっている(量産車は丸みを帯びている)
  • 前面スカートの分割ラインの違い
  • 側面窓の高さ
  • 運転台窓ガラス上部の取っ手(J1は横置きタイプだが、量産車は縦置きタイプ)

それらに加え、登場時の外観は以下のようなものだった。

  • 連結器カバーに前面ライトと一体化するデザインの銀色の飾り帯がある(量産車は飾り帯のようなグレー塗装)

また、一時期連結器カバーには針状のアンテナのようなものが設置されていた

  • 帯の色がこれまでの青20号ではなく水色(量産車は従来どおり青20号)
  • シンボルマークが側面に描かれている

J0登場当初は東海道新幹線がBT饋電方式を採用していたため、パンタグラフは各ユニットに1台ずつの計5台(3・6・9・12・15号車)に搭載されていたが、1991年にAT饋電方式への切り替えが完了した後は3・15号車のパンタグラフを撤去、残った3台のうち9号車のものは予備として実使用パンタグラフを2台にまで削減した。その後、9号車のパンタグラフを撤去して2台のみとし、最終的に700系タイプのシングルパンタグラフとパンタカバーに変更された。

量産化改造後

量産車登場後の1993年3月10日に量産化改造が行われてJ1編成となり営業運転に使用された。外観は量産車に合わされ、帯の色の変更、シンボルマークの消去が行われた。また、15号車の車号が329-9002から329-9501に改番されている。後に、飾り帯にあたる部分が量産車と同じくグレーの塗装となった連結器カバーに交換された。

トランスポンダの関係で、「のぞみ」での営業運転では東海道区間に限定されたが、「ひかり」では岡山・広島発着列車に時折使用された。2001年以降は、再び試験車として使用されることとなり、営業運転からは2000年に離脱した。

N700系に搭載される新型パンタグラフや車体傾斜システム、全周ほろのほか、東海道新幹線区間で新たに採用されたデジタルATCの試験にも充当された。

2005年にはN700系Z0編成が落成し、試験車としての主な役割はZ0が担った。

形式および車種

本系列に属する各形式名とその車種は以下のとおり。

ユニットは2M1Tの3両を一組とする構成で、1号車(博多寄り先頭車)の323形は1両のみでユニットに属さないTC。2 - 16号車は、質量配分の平均化を狙い2両の電動車 (M) が1両の付随車 (T) の両端を挟む計3両M1+Tp+M2で1ユニットを構成する。この構成は日本国内で本系列のみで他系列での採用例はないが、日本国外ではイタリア鉄道 (FS) のETR460ドイツ鉄道 (DB) のICE 3での採用例がある。

300系編成表
← 博多
東京 →
号車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
形式 J・F編成 323形
(Tc)
325形
(M1)
329形
(Tpw)
326形
(M2)
325形
(M1w)
328形
(Tp)
326形
(M2k)
315形
(M1s)
319形
(Tps)
316形
(M2s)
325形
(M1h)
328形
(Tp)
326形
(M2w)
325形
(M1)
329形
(Tpw)
322形
(M'c)
座席 普通車 グリーン車 普通車
ユニット   1ユニット 2ユニット 3ユニット 4ユニット 5ユニット

番台としては、試作編成である(J0→)J1編成は9000番台を、J2編成以降は0番台を、F編成は3000番台を名乗る。

315形 (M1S)
グリーン席を備える中間電動車。8号車として使用。主変換装置などを搭載する。定員68名(2&2シートが17列)。
316形 (M2S)
グリーン席を備える中間電動車。10号車として使用。車掌室を備え、主変換装置などを搭載する。定員68名(2&2シートが17列)。
319形 (TpS)
グリーン席を備える中間付随車。9号車として使用。荷物保管室、業務用室、便所、洗面所を備え、主変圧器などを搭載する。定員64名(2&2シートが16列)。かつて集電装置が搭載されていた。
322形 (M2C)
普通席を備える制御電動車。16号車として使用。東京向き運転台を備え、主変換装置などを搭載する。定員75名。
323形 (TC)
普通席を備え、唯一ユニットに属さない制御付随車。1号車として使用。博多向き運転台、便所、洗面所を備える。定員65名。
325形
普通席を備える中間電動車。主変換装置などを搭載する。
0・3000・9000番台 (M1)
2・14号車として使用。定員100名。
500・3500・9500番台 (M1w)
5号車として使用。便所、洗面所を備える。定員90名。
700・3700・9700番台 (M1h)
11号車として使用。便所、多目的室、洗面所、車内販売準備室、車椅子対応設備を備える。定員63名(700, 3700番台)73名(9700番台)。
326形
普通席を備える中間電動車。主変換装置などを搭載する。
0・3000・9000番台 (M2)
4号車として使用。定員100名。
400・3400・9400番台 (M2k)
7号車として使用。便所、洗面所、車内販売準備室を備える。定員75名。
500・3500・9500番台 (M2w)
13号車として使用。便所、洗面所を備える。定員90名。
328形 (Tp)
普通席を備える中間付随車。6・12号車として使用。主変圧器、集電装置などを搭載する。定員100名。
329形 (Tpw)
普通席を備える中間付随車。便所、洗面所、車販準備室を備え、主変圧器などを搭載する。
0・3000番台
3号車として使用。定員85名。
9000番台
3号車として使用。かつて集電装置が搭載されていた。定員85名。
500・3500番台
15号車として使用。定員80名。
9500番台
15号車として使用。かつて集電装置が搭載されていた。定員80名。前述の通り、1993年の量産化改造時に9000番台から改番された。300系で唯一、改番を伴う改造を受けた車両である。

製造

1次車

1990年に落成した先行試作車であるJ0編成による長期試験走行の結果、「のぞみ」に充当するため、1992年1月から3月にかけて4編成64両(J2 - J5編成)が落成した。

2次車

1993年3月18日ダイヤ改正から行われた「のぞみ」1本/時運転に対応するため、1992年9月から1993年3月にかけて10編成160両(J6 - J15編成)が落成した。また、JR西日本所有のF1 - F5編成も製造された。

東京 - 博多間の長距離運転に対応して水タンク容量が拡大されたほか、車内騒音軽減のために、加速時におけるモータ電流値の変更や防音板の挿入が行われた[26]

3次車

0系置き換え用として、1993年3月から1994年7月にかけて8編成128両(J16 - J23編成)が落成した。また、JR西日本所有のF6 - F9編成も製造された。

客用扉がプラグドアから引き戸に変更された。

4次車

老朽車両取り替え用として、1994年11月から1995年6月にかけて6編成96両(J24 - J29編成)が落成した。

5次車

老朽車両取り替え用として、1995年8月から10月にかけて4編成64両(J30 - J33編成)が落成した。

グリーン席のフットレストが変更された。従来は座席台座に固定されていたが、座席に固定される形に変更された。

6 - 9次車

老朽車両取り替え用として、1996年2月から1998年3月にかけて24編成384両(J34 - J57編成)が製造された。その間、J51編成とJ52編成の間に700系先行試作車(C1編成)を導入し、ほぼ同時期にJR西日本では500系を9本導入している。

10次車

老朽車両取り替え用として、1998年6月から10月にかけて4編成64両(J58 - J61編成)が製造された。J61編成をもって新造投入を終え、700系量産車の製作が始まった。

各車両の特高圧引き通し線接続部分が、4両おきのケーブルヘッド式に改められている。既存の編成にも追工事の形で行われた。

編成一覧

運用

ファイル:300nozomi.JPG
臨時「のぞみ」に充当されることが多かった300系
(2007年9月13日 東京駅)
ファイル:JRC Shinkansen Series 300 J55.jpg
三原駅 - 東京駅間の「ひかり」に充当されていた300系J55編成
(2008年10月8日 岡山駅 - 相生駅間)

導入当初の運用

1992年3月14日の導入時には、「のぞみ」2往復(早朝・深夜の各1往復・当時運転されているすべての「のぞみ」であった)と、日中の東京駅 - 新大阪駅間「ひかり」1往復(238号・243号)で運用されていた。

博多直通後の運用

本系列による東京駅 - 博多駅間直通運転が始まった1993年3月18日のJRダイヤ改正で初めて1編成につき全区間を1往復半運用を組むことが可能になり、0系の置き換えのためにJ61編成までの増備を続けつつ編成数削減による運用合理化を可能にした。

その後、増備が進むにつれて「ひかり」での運用も増えていった。さらに後継車両の500系や700系の導入により2001年以降は「のぞみ」の定期運用から離脱し、引き替えに東海道新幹線の昼間の「こだま」にも充当されるようになったが、当時の「こだま」と、「ひかり」のうち名古屋・京都の2駅のみ、または新横浜を加えた3駅停車の便は100系との共通ダイヤが組まれており、最高速度を220km/hに抑えて走っていたため、300系の増備は進んだものの2003年10月の品川駅開業によるダイヤ改正が行われるまでその性能を持て余す状況が長らく続いた。その反面、1996年から1997年には静岡停車タイプや名古屋駅 - 新大阪駅間各駅停車タイプの定期「ひかり」のほとんどが最高速度が270km/hに引き上げられ、また2001年には山陽区間に限り270km/h運転を行う「ひかり」が設定されるなどのダイヤ改正が行われ、これらの便に300系が限定運用に入ることとなり、その性能が活かされることとなっていった。なおJ1編成はトランスポンダの関係から「のぞみ」での山陽区間への入線ができない時期があった(試験や岡山・広島発着の「ひかり」で入線した実績はある)。

前述の乗り心地改善工事を受けていない初期のJ編成(J2 - J16, J19, J27編成)が「のぞみ」「ひかり」運用を追われ「こだま」専用になってきているなど、新旧の編成間で運用が分かれつつあった。

2011年3月12日のダイヤ改正でJ編成は山陽新幹線に乗り入れる定期運用が消滅したが、運用調整のためF編成の運用に充当する場合があるほか臨時の「のぞみ」として博多まで乗り入れることがあった。

廃止および廃車に至った経過

2007年から当系列の置き換え用として製作されたN700系の投入・増備が始まったことを受け、同年からJR東海所属のJ編成のうち、所定の経年である製造後13年を過ぎたものから運用離脱が始まった。

まず量産先行試作車のJ1編成が同年3月28日に浜松工場へ廃車回送され、3月31日付けで車籍抹消、同年7月21・22日の「新幹線なるほど発見デー」で、現在はリニア・鉄道館で展示され、16号車 (322-9001) を除いて4月末までに全車が解体された。同編成は2003年以降営業運転から外れ、N700系をはじめとする新技術の開発に資するため試験車として代用されていたが、同系列の量産車登場によってその役割を終えた。

続いて同年7月11日付でJ14編成が廃車となり、量産車の廃車第1号となった。2007年度はこの後前半にJ2, J19のあわせて3編成が廃車になった[27]のをはじめ、同年度後半にはさらにJ3, J4, J6, J8, J11の5編成が廃車となっている[28]

J編成廃車はN700系Z編成(改造車はX編成)増備の進行と共に順次進められており、2008年度末までには20編成が廃車となり[29]、2009年4月時点のJ編成の在籍本数は41編成(J20 - J26, J28 - J61編成)となっていた[30]。J編成の全般検査は2010年6月9日に出場したJ61編成をもって終了した[31]

JR西日本保有のF編成に関しては2011年度まで廃車がなかったが、博多総合車両所広島支所に疎開されていたF5編成が2011年7月11日に博多総合車両所広島支所 - 新幹線鳥飼基地間で、翌12日に新幹線鳥飼基地 - 浜松工場間で回送され[32]、14日付で廃車されたのをはじめ、その後8月にF6編成[33]が、9月にF2編成[34]が、10月にF1編成[35]が、11月にF4編成[36]とF3編成[37]がそれぞれほぼ同様に浜松工場に送られている。0系・100系・500系は短編成化されて山陽新幹線「こだま」への転用が行われたが、300系の短編成化は行われなかった。

2011年11月時点では、JR東海5編成[36]・JR西日本3編成[37]の計8編成まで数を減らした。

300系在籍状況
年度 J編成 F編成 備考
2006 J1 - J61 F1 - F9
2007 J2 - J61 F1 - F9
2008 J5, J7, J9, J10, J12, J13,
J15 - J18, J20 - J61
F1 - F9
2009 J20 - J26, J28 - J61 F1 - F9 JR東海乗り心地改良工事未施行編成全廃
JR東海プラグドア仕様編成全廃
2010 J20, J22, J30, J32 - J37
J44, J47, J48 - J61[38]
F1 - F9[39]
2011 J30, J44, J53 - J57, J60, J61[40] F1 - F9[41] JR西日本プラグドア仕様編成は2011年内に全廃
  • 編成数は各年4月1日でのもの

営業運転終了とさよなら運転

ファイル:Tōkaidō Shinkansen series 300 last run Nose.jpg
営業運転終了を記念してJ55・J57編成に施工された車体装飾[42]

2012年3月17日ダイヤ改正において、300系はJR東海保有編成のほか、JR西日本保有の9編成についても同社に残留していた100系とともに[43]運用終了となった[44]。JR西日本保有のF編成9編成の代替として、JR東海からJR西日本に同数の700系(C編成)9編成を譲渡した[44]

東海道新幹線における2012年1月10日以降の定期運用は次の通り[45]

  • 「こだま」697号(三島6:50→新大阪9:53、F編成、3月12日まで)
  • 「ひかり」501号(東京6:26→新大阪9:30、J編成、2月1日まで)
  • 「こだま」659号(東京13:26→名古屋16:16、J編成、2月1日まで)
  • 「ひかり」477号(東京15:03→岡山19:17、F編成、3月12日まで)
  • 「こだま」807号(東京20:56→三島21:51、F編成、3月11日まで)
  • 「ひかり」512号(新大阪10:13→東京13:10、J編成、2月1日まで)
  • 「こだま」650号(新大阪10:50→東京14:47、F編成、3月12日まで)
  • 「ひかり」482号(岡山16:26→東京20:40、F編成、3月11日まで)
  • 「こだま」680号(名古屋19:28→東京22:17、J編成、2月1日まで)

また、山陽新幹線における2012年1月以降の定期運用は次の通り[46]

  • 「こだま」727号(岡山6:50→博多9:53、F編成、3月13日まで)
  • 「こだま」734号(博多7:10→岡山10:53、F編成、3月11日まで)

これにより、東海道新幹線での定期運用はJ編成は同年2月1日の「こだま」680号がJ57編成を使用して、F編成は同年3月12日の「ひかり」477号が、山陽新幹線での定期運用は同年3月13日の「こだま」727号がいずれもF8編成を使用してそれぞれ最終となった。

ファイル:Nozomi 03.jpg
記念品が配られるのぞみ329号車内(J57編成)

さよなら運転は2012年3月16日に以下の臨時列車により運行された(いずれも全車指定席)[47][46]。このうち、山陽新幹線で運転された「のぞみ609号」については、同日に営業運転を終了する100系のさよなら列車「ひかり445号」と岡山駅の同一ホームでさよなら列車同士が並ぶ演出が行われた[48]

  • 東海道新幹線:「のぞみ」329号、J57編成、(東京10:47→新大阪13:23)
  • 山陽新幹線:「のぞみ」609号、F7編成、(新大阪10:52→博多13:28)

JR東海所属車はさよなら運転に使用されたJ57編成が2012年3月23日付で廃車された[49]のをもって、全車廃車された。JR西日本所属車は2012年度初めの時点でF7/F8/F9編成が残存していた[50]が、同年10月20日付のF9編成を最後にすべて廃車され形式消滅した。

保存車両

ファイル:J1 322-9001 Hamamatsu Works Open Day 20100725.jpg
量産先行試作車 322-9001(J1編成)

かつては323-20(J21編成1号車)もリニア・鉄道館で保存展示されていたが、700系(723-9001、C1編成1号車)の搬入に伴い、入れ替わる形で2013年12月27日に展示を終了し[52]、その後浜松工場に送られて解体された[53]

同じくリニア・鉄道館内には本形式のグリーン車座席や台車、パンタグラフなどが展示されている。

脚注

注釈

  1. J2編成の各車両は1992年2月5日、100系G46編成の各車両は同月28日落成(交友社『鉄道ファン』1992年8月号 No.376 p.83参照)。
  2. この車両構成はのちの東海道・山陽新幹線における500系・700系・N700系16両編成でも採用されている。
  3. 100系ではV編成(グランドひかり)のみグリーン席に衛星放送受信可能な座席内蔵の液晶テレビが設置されていたが、本系列以降はグリーン席からテレビサービスが廃止されている。
  4. J1編成(旧J0編成)は1 - 4号車を川崎重工業、5 - 10号車を日本車輌製造、11 - 16号車を日立製作所が製造した。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、pp.8 - 9。ISBN 4-10-400201-1。
  2. 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、pp.13 - 14。ISBN 4-10-400201-1。
  3. 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、p.20。ISBN 4-10-400201-1。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、p.21。ISBN 4-10-400201-1。
  5. 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、p.22。ISBN 4-10-400201-1。
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、pp.125 - 126。ISBN 4-10-400201-1。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、pp.133 - 136。ISBN 4-10-400201-1。
  8. 『超高速に挑む』 p. 9
  9. 9.0 9.1 新幹線車両用アルミニウム合金製押出部材の技術開発 (PDF) 神戸製鋼技報 第58巻第3号(2008年)、神戸製鋼所
  10. 10.0 10.1 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、pp.58 - 65。ISBN 4-10-400201-1。
  11. 車両システム・推進制御システム・主変圧器--製品紹介--三菱電機 車両システム
  12. 『新幹線テクノロジー -進化を続ける新幹線の最新マカニズム-』 佐藤芳彦、三栄書房、2014年、p.072。ISBN 9784779620263。
  13. 『新幹線テクノロジー -0系から800系九州新幹線の高速車両技術-』 佐藤芳彦、山海堂、2004年、p.117。ISBN 9784381088277。
  14. N700系の場合は、車枠と車体の中心ピン(牽引装置)との間に左右動ダンパを比例電磁弁リリーフ方式による無段階減衰力調整式のセミアクティブサスペンションに変更している。
  15. 坂東重樹「300系新幹線電車のパンタグラフ数削減」『鉄道ジャーナル』1996年3月号、No.353。
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 『新幹線のぞみ白書』 大朏博善、新潮社、1994年、p.91。ISBN 4-10-400201-1。
  17. 『鉄道ジャーナル 1992年4月号』 鉄道ジャーナル社、1992年。
  18. 500系は1名多い1,324名であり、300系・700系・N700系とは1車両毎の乗車定員が異なる。また、運転席の後側には乗降口は存在しない。
  19. グリーン車の前後に設けることで、普通車利用客によるグリーン車通り抜けを極力防ぐ目的もある。
  20. 『新幹線「安全神話」が壊れる日』 桜井淳、講談社、1993年、p.99。ISBN 4-06-206313-1。
  21. 『新幹線「安全神話」が壊れる日』 桜井淳、講談社、1993年、pp.70 - 71。ISBN 4-06-206313-1。
  22. 有田義正「九州新幹線800系の先頭形状の開発について」、『JREA』第47巻第12号、日本鉄道技術協会、20104、 30526-30528頁、 NAID 10014123615
  23. 新幹線の車両運動・制御研究の歴史と課題 2003/8 明星大学、理工学部、機械工学科 宮本昌幸
  24. 『JR電車編成表 '07夏号』 ジェー・アール・アール、2007年、P.108。ISBN 9784882830474。
  25. 25.0 25.1 『鉄道ジャーナル』2012年7月号、鉄道ジャーナル社、2012年、p.75
  26. 『東海道新幹線 写真・時刻表で見る新幹線の昨日・今日・明日』 須田寛、JTBパブリッシング、2000年、p.106。ISBN 4-533-03563-9。
  27. 『JR電車編成表 '08冬号』 ジェー・アール・アール、2007年、p.108。ISBN 9784882830481。
  28. 『JR電車編成表 '08夏号』 ジェー・アール・アール、2008年、はしがき。ISBN 9784882830498。
  29. 『鉄道ジャーナル 2009年6月号』 鉄道ジャーナル社、2009年、p.27。
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  38. 『鉄道ファン2010年7月号付録「車両のデータバンク」』 交友社、2010年、p.18, 19。
  39. 『鉄道ファン2010年7月号付録「車両のデータバンク」』 交友社、2010年、p.27, 28。
  40. 『JR電車編成表 2011夏』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2011年、p.114。ISBN 9784330212111。
  41. 『JR電車編成表 2011夏』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2011年、p.134。ISBN 9784330212111。
  42. 鉄道ファン2012年7月号「JR車両ファイル2012」p.10
  43. 平成24年春ダイヤ改正について (PDF) (西日本旅客鉄道プレスリリース、2011年12月16日閲覧)
  44. 44.0 44.1 東海道・山陽新幹線から来春300系が引退します (PDF) - 東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道 2011年10月20日
  45. 運転計画|ありがとう300系 - JR東海「ありがとう300系」スペシャルサイト
  46. 46.0 46.1 100系・300系新幹線営業運転終了に伴うイベントの開催について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2012年1月18日
  47. LAST RUN|ありがとう300系 - 東海旅客鉄道「ありがとう300系」スペシャルサイト
  48. 新幹線:引退の300系と100系車両 岡山駅で並ぶ - 毎日新聞2012年3月16日
  49. 『JR電車編成表』2012夏 ISBN 9784330286129 p.357。
  50. 『JR電車編成表』2012夏 p.133。
  51. JR東海博物館(仮称)に0系新幹線搬入。2010年8月10日、編集長敬白・鉄道ホビダス
  52. 【社長会見】リニア・鉄道館 700系新幹線電車の展示について - JR東海ニュースリリース
  53. 「鉄道ファン」2014年5月号

関連項目

外部リンク


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