松竹芸能
松竹芸能株式会社(しょうちくげいのう)は、大阪府大阪市中央区道頓堀に本社を置く芸能事務所。松竹の連結子会社である。吉本興業と並び、上方演芸界の二大プロダクションのひとつ。
Contents
沿革
1958年、大阪歌舞伎座の地階にあった歌舞伎地下演芸場に芸人を配給していた新生プロダクション[1]と上方演芸[2]が合併。新たに松竹の資本参加を得て、前身会社である松竹新演芸が設立される。
以降、道頓堀角座(演芸の角座)を中心に、神戸松竹座と新世界新花月に芸人を配給し、隆盛を極めるが、1980年前半に起こった「漫才ブーム」以降は吉本興業直営の花月劇場チェーンに観客を奪われ、1984年に角座は3年間にわたり閉鎖される。このことが発表された時、今は亡き6代目笑福亭松鶴がテレビで『その3年間、私ら芸人はどこに出ればいいんですか。代替の席も用意せずに閉館するなんて無茶だ』と訴えたことがある。その際彼の後ろに松竹芸能所属の芸人たちが居並んでいたことから、この時多くの所属芸人が同様の不満を持っていたと推測される。実際この間に松竹芸能を離脱した芸人もおり、契約で角座に出演していた他の事務所の所属芸人たちも軒並み吉本に流れ、未だに松竹芸能の興行には戻ってきていない。
角座閉鎖後、松竹は1987年1月に同じ道頓堀の映画館・浪花座の一部を演芸場に改装して「演芸の浪花座」を開場し、松竹芸能所属芸人の本拠地としたが、遠のいた客足を取り戻すことはできず、浪花座は2002年1月に閉館した。ちなみにこの浪花座閉館の際、サンケイスポーツ大阪本社版での「浪花座閉館」を報じた記事の中で正司敏江は、「角座(ビル)に映画館が2つあるから、どちらかを演芸場にできんやろか」という、「私案」とも言うべき興味深いコメントを残している。
2002年4月、道頓堀のパチンコ店「四海樓道頓堀店」4階の小ホール・「ミナミのど真ん中ホール」を間借りし、演芸興行を再開する。このホールは、パチンコ店の4階にあるというだけでなく、3階で券をもぎり、すぐに階段を上り、屋上を通過してホールへ入るという、まるで隠し部屋のような場所だった。
この「ミナミのど真ん中ホール」での興行から、若手芸人が中心となった日替わりのお笑いライブ「ナイトイベント」を新たに導入、昼は「とんぼり一番館」と銘打った従来からの寄席興行、夜は若手芸人によるライブという2部構成で、演芸興行を行うようになった。この「寄席」と「お笑いライブ」の『二部構成』というスタイルは、後述の「B1角座」以降にも継承されている。なお「とんぼり一番館」という名称は、「ミナミのど真ん中ホール」での興行を終えた2003年12月まで使われた。
「ミナミのど真ん中ホール」は、奇しくもますだおかだやアメリカザリガニの人気が急上昇し始めた頃と重なり、大盛況となる。とりわけ場数を踏む機会が限られていた松竹芸能の若手芸人にとって、「ミナミのど真ん中ホール」は良い刺激や成長できる場所となった。それまでは月に1回程度のごく小規模な場でしか、ネタを披露する機会を与えられていなかったが、このホールにより松竹芸能の若手によるライブの回数は格段に増えていった。
2004年1月、道頓堀角座跡に建てられた角座ビル地下1階の居酒屋跡を松竹から賃借して「ライブスペースB1角座」を開設し、新たな常打小屋を確保。同時に劇場の運営を松竹芸能が直接行うことで、従前の間借り状態の劇場では制約があって難しかったオールナイトライブなど、より柔軟な形でのイベントの開催が可能となった。
2004年には、安倍彰が社長に就任している(2011年5月に副会長、その後、2012年4月に会長に異動となった)。
2006年には設立50周年を記念したロゴマークを作成し、制作を担当しているテレビ番組のエンドロールの社名の前に記している。なお、50周年というのは前述の上方演芸の設立年から数えたもので、松竹新演芸の設立から数えると同年で48年目である。また2008年には松竹新演芸の設立から数えると同年で50周年を機に社名の書体を宋朝体に改めた。
2007年1月に角座ビル3階に入っている映画館を閉館して改修し、現在の3倍の350席を確保して、角座を復活させると発表。新角座では演芸だけでなく、演劇など様々なプログラムを提供するとしていた。しかし、4月19日に防音面など構造上の問題が見つかり、改修費が当初の見込みから大幅に増えることが判明したとして、計画の白紙撤回を発表した。この一件は松竹芸能の甘い状況判断によって起きた事件だったことから、所属芸人の一部から不満の声も漏れた。
新角座のこけら落としで予定されていた桂春菜(2代目桂春蝶の息子)の3代目桂春蝶襲名披露公演は翌春以降に延期された(2007年5月11日付の京都新聞のインタビュー記事では、春菜が松竹芸能への不信感から独自に襲名披露公演を行うことが書かれていた。なお、実際に春菜改め3代目春蝶は、襲名から1年強経過した2011年春に松竹芸能との契約を打ち切った)。
演芸興行については、2008年7月5日より通天閣の真下にある「STUDIO210」にて、「通天閣劇場 TENGEKI」と称した興行を再開させている。「STUDIO210」(旧称「通天閣歌謡劇場」)は通天閣観光の運営するホールであり、松竹芸能はホール運営には携わっておらず、「TENGEKI」の開催は土・日のみで「B1角座」の時より縮小となる。これに先立って、2008年5月を最後に、角座ビルの建物施設の老朽化を原因に「B1角座」の閉館が発表され、本ビルの3階部分を改修しての新角座計画が、改めて甘い状況判断であった事を浮き彫りとした。同年5月31日をもって正式に「B1角座」は閉鎖、跡地は松竹の手により売却された。
2007年1月1日付から所属タレントの非喫煙者かつ嫌煙家の増加により、松竹芸能事務所内の全面禁煙(喫煙エリアおよび喫煙ルームの廃止)を導入した。
2011年5月14日に、同社の東京での初の劇場として、新宿区の元・小劇場「THEATER/TOPS」跡に、「松竹芸能 新宿角座」をオープンし、「角座」の名跡を復活させた[3][4]。さらに、道頓堀角座の敷地を買収したケンズネットワークスより賃借する形で、2013年夏に『松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座』を開場、松竹芸能本社も同所に移転する。
2018年7月末で、借地契約満了に伴い「松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座」が閉館することとなり、同月24日には同所に入居している松竹芸能本社が同じ中央区内の北久宝寺2丁目へ移転する予定だが、角座に代わる劇場については設置計画はあるものの具体的な設置時期については「未定」としており、その間は他の劇場を間借りすることとなる[5]。
特徴
多角な経営
「沿革」の項にて述べた特徴以外には、三波春夫のマネジメントを皮切りに、演芸以外にも幅広く展開。「ザ・ハングマン」等のテレビドラマを制作する傍ら、ジャニーズ事務所関西公演の勧進元にもなり、俳優陣やリポーター、モデル、タレントも数多く抱える。また、新世界・通天閣地下の「STUDIO210」にて行う歌謡ショー・「通天閣歌謡劇場」の運営も行う。その他、サンドウィッチマンとマネージャーが設立したグレープカンパニーの営業の窓口は松竹芸能が行っていることがナカイの窓にてサンドウィッチマンの伊達みきおの口から語られた。
名物社員
松竹芸能取締役・東京支社長で松嶋尚美のマネージャーも兼務していたコズモ難波こと難波規精(コズモ難波という名前は、同志社大学・プロレス同好会時代のリングネームである)は、よゐこのいずれかをプロレス技で激励するという役割で「めちゃ×2イケてるッ!」に登場する名物社員(難波は、若手時代によゐこのマネージャーをしていた時期もある)であったが、2007年に松竹芸能を退社し、松嶋尚美の個人事務所「ステッカー」の社長となった。しかし、松竹芸能との関係は引き続き継続している。
タレント養成所
吉本興業に先駆け1968年に即戦力の新人タレントを発掘、供給することを目的として養成所が設立される。基本的にはお笑い芸人にこだわらない方針で、部門別で分かれており子役なども扱っている。1984年3月に第一回松竹芸能(株)オーディションがあり、森脇健児・山田雅人・東ちづるが合格し発掘されている。2008年には、松竹芸能タレントスクールへと名称変更している。
コンプライアンスと企業倫理に関して
松竹芸能はコンプライアンスと企業倫理を行っていると宣伝している。所属芸人・タレント・社員による批判に対しては容赦なく徹底して許さない方針も創業当時から貫いており、芸人・タレントが事務所に纏わる自虐ネタを使うことも禁じていた。社員や契約解除された芸人・タレントが、その経緯及び詳細を語ることも禁じており、コンプライアンスと情報漏洩防止は徹底している。この傾向は勝忠男の社長在任時には特に顕著に見られ、会社の方針に従わない芸人とタレントがことごとく専属マネジメント契約の解除という形で追放された。これは恐怖政治と批判されたほどである。
多額の借金を抱え破産をした藤山寛美に契約解除の通告を行った事や、嘉門達夫が笑福亭鶴光の門下時代、鶴光と仕事観を巡って対立し鶴光および松竹芸能に反旗を翻した為、嘉門に対して鶴光一門から破門と契約解除の決断を下した事や、父である6代目笑福亭松鶴の一周忌記念落語会を無断欠席した5代目笑福亭枝鶴との契約を打ち切った事など、専属タレントの契約解除に関するエピソードには枚挙に暇が無い。嘉門は破門・契約解除については、「破門の理由は『サルに自慰行為を教えると死ぬまでやり続ける』と言う俗説の真偽を確かめる為、師匠のペットのサルを実験台にした事である」などという"架空のエピソード"を頻繁に語っているが、真相に話が及ぶと、「ただいきなり、師匠からの破門と事務所からのクビを言い渡され、その場で社屋からつまみ出された」としか語っていない。
2009年、所属タレントの北野誠が、朝日放送のラジオ番組やイベントなどでの不適切発言があったとして、4月13日に無期限謹慎処分となり[6]、これを受ける形で、松竹芸能と朝日放送が、日本音楽事業者協会に退会届を提出し、受理されていたことが、同月15日に判明[7]。これに関し、松竹芸能は「社内の極秘事項なので公表はできない」と、処分理由を明らかにしていない。また、北野自身も不適切な発言の内容に関しては「コメントできるような内容ではない」と回答を拒絶している。
しかし近年においては緩和も見られ、よゐこは「(事務所主導の)舞台活動は控えたい」と語り、漫才活動の他に芝居へと活動を広げたTKOの木本はテレビにおいて事務所にばかり頼っていられない状況を露にするなど、かつては絶対的であった公然での事務所批判の禁忌がある程度ではあるが容認されている。これは長年の経営者だった首脳部の退社と世代交代が吉本同様上手く行った結果であり、勝(松竹)対林(吉本)の図式が緩和されつつ、『めちゃ×2イケてるッ!』に代表される様に両社のタレントが全国放映の番組において共演を果たすなどは、両社長在職時には松竹から吉本への移籍、またはその逆の事が頻繁に行われてはいたが考えられなかった事である。
その一方で、所属芸人・タレント・社員などから社外の人間に対しては「厳格」とは程遠く徹底されておらず、その利己的な姿勢が昨今問題提起されている。客への中傷や客の情報漏えいなどもまるで守られていないことが現状であり、問題視されている。
労働問題
同社の元執行役員の男性2人が、2007年11月に取締役から執行役員に降格され、翌2008年11月に解任されたとして、「名ばかり役員とされ、また、今回のリストラは違法解雇に当たる」などとして、大阪地裁に労働審判を申し立てた[8]。
吉本興業との関係
松竹の演芸進出は1927年に遡る。吉本興業は松竹所有の道頓堀弁天座で諸芸名人会(萬歳大会)を興行して大成功を収めた。これを見た当時の松竹社長白井松次郎は自らも演芸進出を企てる。間もなくその資金力を背景に当時吉本に所属していた人気芸人を高額ギャラで釣って次々と引き抜いたため怨恨が発生。吉本の林正之助総監督(当時。のち会長)が松竹大阪事務所に乗り込み、恫喝するという事件がおこった。この一件は白井が林に非礼を詫び、「松竹は吉本の芸人に一切手を出さない」と一礼を入れ事態は収拾した。
しかし、1939年白井は傍系の映画会社である新興キネマ(のち大映に合併)に演芸部を新設し、「新興演芸」の名で演芸に再進出した。ミスワカナ・玉松一郎、あきれたぼういず等の吉本芸人を引き抜き、道頓堀浪花座や千日前アシベ劇場等で興行を行った。ライバル東宝が吉本と提携した事に対して行ったこの一件は演芸界を揺るがす大問題となった。吉本側は芸人の劇場への出演を阻止すべく仮処分申請を出したり、暴力団を使って実力で興行を阻止しようとするなどして対抗したが、松竹自らが乗り出したわけではなく、日中戦争下といった時節柄もあり大阪府警と京都府警が調停に乗り出して、結局二か月で和解。以降、吉本・新興で上方演芸界は二分されたが、新興キネマの合併消滅や戦時体制等で新興演芸は自然消滅の憂き目にあった。
終戦直後の1945年、吉本は所属する全ての芸人の借金を棒引きにした上で契約解除を断行して演芸から撤退した。一方、5代目笑福亭松鶴等が落語会を催し、好評であるのを知った白井は、まず四つ橋文楽座で落語会を開催。好評だったため、1947年自ら経営する千日土地建物(通称・千土地。のちの日本ドリーム観光)の戎橋松竹で演芸に三たび進出した。このとき吉本は既に映画会社に転身していたが、この場合も千土地が表向き演芸興行を行い、松竹自らが進出することはなかった。なお、この戎橋松竹の支配人を務めていたのが、松竹芸能創業者の一人となる勝忠男である。
以降の経緯は、既述の通りであるが、吉本の演芸再進出は1959年であり、このとき既に松竹は道頓堀角座で演芸興行を本格的に行っていた。これ以降、逆に吉本から松竹・千土地芸人の引き抜きが行われるようになり、1960年代初頭は吉本・松竹・千土地の各社間での芸人の引き抜き・移籍が多くなった。やがて松竹芸能と吉本興業の両社はお互いに所属芸人を引き抜かない協定を結んだ。このため、無理な引き抜きは行われなくなったが、その後も1970年6月に松竹の看板芸人である中田ダイマル・ラケットが吉本興業に移籍すると両者の関係は一層悪化した[9]。それゆえ、以降在阪局制作のテレビ番組等ではごく一部の例外(所属事務所よりも一門の関係を優先することがある落語家の番組や、吉本・松竹が制作に関与せず在京のタレントなども出演するテレビ局主導の番組など[10])を除いて吉本と松竹芸能の芸人は共演しないのが暗黙の了解である時代が1980年代後半まで続く。
1970年代後半のある正月に吉本所属の漫才師・横山やすしが松竹芸能系の演芸場である新世界・新花月の楽屋へ遊びに行った際、泥酔していたやすしはそのまま新花月の舞台に上がってかつての弟子を舞台上で叱咤激励、唖然とした観客はやすしに対し「吉本に怒られるぞ」とたしなめたという。大阪一厳しい客と言わしめた新花月の客にまで気を遣わせるほど、両社の関係は険悪だった。
1980年代末期の頃から、両社が番組の制作に関与しない一部の番組(『探偵!ナイトスクープ』、『たかじんnoばぁ〜』など)において共演するケースが徐々に現れ始める。しかしこの頃はまだ上岡龍太郎ややしきたかじんといった中立の立場にいるタレントの力があってこその共演という認識が強く、過去の風潮そのものは変わらない状況が1990年代後半まで続いた。こうした状況から吉本興業に対して劣勢に立たされていた松竹芸能であったが、1980年代後半に笑福亭鶴瓶が全国区となり、1990年代は森脇健児、2000年代以降ではオセロが大ブレイクし、さらに、よゐこ、TKO、ますだおかだ、アメリカザリガニ、安田大サーカス、まえだまえだなどがゴールデンタイムの全国ネット番組に出演する好調ぶりで、吉本との差が縮まってきている。その好調ぶりから、数年ほど前までは資本金が1千万円台だったのが、現在の1億円台にまで増資されている。
これは、両事務所の対立の大きな原因のひとつであった林正之助が1991年に逝去し、その存在から来る影響力が薄れるに伴い両事務所所属の芸人が共演する機会が増えていった。まず過去の関係において比較的影響力が少ない東京吉本が制作に関与する番組で1990年代後半から松竹芸能所属のタレントがレギュラー・準レギュラー出演をするケースが出始める(『いきなり!黄金伝説。』のよゐこ・濱口優や『ぐるナイ』のオセロなど。『いろもん貮・参』は鶴瓶と今田耕司・東野幸治の3人が司会進行で、エンドロールには企画協力に松竹芸能と吉本興業の両社名が並んで表記されていた)。
その後、大阪においても2000年代頃から徐々に協調路線へ切り替えられていくこととなる。2002年、吉本興業最大の寄席劇場なんばグランド花月(NGK)にますだおかだと、アメリカザリガニが松竹芸能の所属芸人としては初めて通常公演の出演者として舞台に立った。吉本主催の若手漫才選手権『M-1グランプリ』での活躍が認められての大抜擢だったが、当時はまだ吉本と松竹は犬猿の仲であるという印象が少なからず残っていたため、関西のスポーツ新聞に「歴史的事件」として取り上げられたほどだった。当時の吉本興業常務取締役であった木村政雄が、この件について「今はもう所属事務所がどうこうという時代ではない。世界中の面白い人になんばグランド花月の舞台に立って欲しい」とコメントしていたことも歴史的事件実現の背景にあった。
松竹芸能に限らず他事務所所属の人気芸人を吉本制作の番組やイベントに招いて大きな利益につなげるビジネスモデルが確立して以降、この傾向はますます強くなっている。例えば吉本興業の木村明浩(バッファロー吾郎)が主催する大喜利イベント「ダイナマイト関西」では大阪のbaseよしもとや東京のルミネtheよしもとといった吉本系の演芸場だけでなく、松竹系のB1角座でも予選大会が開催された。このB1角座予選にはもちろん主催者としてバッファロー吾郎も出演し角座の舞台を踏んでいる。当日はTKOの木下隆行が勝利し、NGKで開催された本戦トーナメント開幕戦へと進出した。
2007年にNGKで行われた小籔千豊の吉本新喜劇座長就任一周年記念イベント「コヤブ新喜劇〜座長になって一年たちましたスペシャル〜」に藤山直美が登場した。松竹新喜劇の顔であった藤山寛美の娘である直美の吉本新喜劇出演は「歴史的な瞬間」と小籔も語るほどであり、関西を代表する二つの喜劇の競演となった。藤山直美はその後、2014年には松竹製作の舞台『笑う門には福来たる ~女興行師 吉本せい~』で、吉本興業の創始者である吉本せい役を演じている。
他には松本人志監督・吉本興業製作映画の『大日本人』には海原はるかが出演し[11]、『めちゃ×2イケてるッ!』の企画「松竹DMC芸能」による濱口だまし企画への全面的協力や、2008年には吉本伝統の番組枠であり、なんばグランド花月で収録され放送されている、前述の吉本新喜劇と同様の舞台コメディ「日曜笑劇場」(朝日放送)に安田大サーカスとTKOがゲスト出演しているほか、吉本が企画制作しているライブイベント「LIVE STAND」への交流出演、関西ローカルのテレビ番組においても大阪吉本制作の番組にも松竹芸能所属の芸人がゲストとして招かれたり、NGKで収録され吉本・松竹の漫才コンビが一堂に会する2社共同制作の演芸特番「上方漫才トラディショナル」(毎日放送)が企画されるなど、両社の所属タレントが共演する機会は着実に増えている。
また、親会社の松竹が吉本興業からもわずかながら出資を受けるようになり、経営面でも間接的に関係が生じるようになった。
所属タレント
※2017年現在
看板タレント
- アメリカザリガニ(柳原哲也、平井善之)
- 上田まりえ(日本テレビ元アナウンサー)
- SBK48 / 松木坂46
- 北野誠
- キンタロー。
- 収納王子コジマジック
- 笑福亭鶴光
- 笑福亭鶴瓶
- TKO(木本武宏、木下隆行)
- 禿夢(キク、ヤス、コウタロック、タカマサ、ヨシユキ、ETチャン)
- 濱口善幸
- 広海・深海
- 堀ちえみ
- ますだおかだ(増田英彦、岡田圭右)
- 森脇健児
- 安田大サーカス(団長安田、クロちゃん、HIRO)
- よゐこ(有野晋哉、濱口優)
お笑いタレント
男性
※男女コンビもこの節に含める
- アースフレーバーズ(太田潤、長屋ソコツ、ゆーや)
- アゲイン(けーた、河村徳人)
- 麻生くにひこ(麻生邦彦)
- あひるちゃんスポンジクラブ(岩本貴一、森奨夢)
- 飴色ギミック(林雅人、中野文也)
- 荒井義久
- あらじお(原田竜介、湊川圭)
- 池城淳
- いち・もく・さん(くぼた隆政、江口輝)
- 一本槍(りょうちゃん、村上亮太)
- いろどりパレット(ジョン、大平晃史、高橋 健太)
- インサイドアウト(田中力、井田照輝)
- 植村茂浩
- うしろシティ(金子学、阿諏訪泰義)
- ウッドランド(澤田竜希、竹藤聡司)
- ウドントミカン(イッシー、まっしー)
- ウルトラトウフ(カモシダせぶん、マリッジスターこうもと)
- オールスターズ(山和真、松本翔吾)
- 緒方雅史
- 岡山祐児(オーケイ)
- オキャディー(緒方雅史)
- おくりびと青木(青木康年)
- オジンオズボーン(篠宮暁、高松新一)
- おにく(田中勝也)
- 小野島徹
- おはよーサンフランシスコ(斗澤康秋、羽瀬絵里奈)
- おゆうやくん
- 風穴あけるズ(ノブヨシ日本代表、飛び出せっ!安藤っ!、コブラ)
- かみじょうたけし(上条剛志)
- 雷ジャクソン(黒木俊彦、高本剛志)
- かわしゅん(河田俊太郎)
- キャメルトロフィー(嶋田恭兵、花形遊)
- ギャンブラー(堀田登輝典、岡崎駿一郎)
- 久山貴史
- コーヒールンバ(平岡佐智男、西原朗演)
- ゴッホ向井ブルー(向井浩志)
- 小林ヒロユキ
- コンチェルト(池水龍三、足立征夫)
- ジックと国定(ジックサン・オーガスティン、国定涼介)
- じなんぼ~いず(鴫原ヨシアキ、ウィーアー店崎)
- しみぶん(清水広樹)
- ジャクソン石山(石山雄一)
- ジャズの100枚(丹原一稀、井内良一、太平洋太郎)
- 新里たかひろ
- 菅沼大朗
- 鈴木ひろし
- ストレンジャー(占部雅典、稲垣陽介)
- 絶対的7%(川勝雅人、森田智裕)
- セバスチャン(阿部健一、原田公志)
- ゼブライン(松井弘貴、鈴木俊)
- ソエジマ隊員(副島隆吾)
- SOGO
- 空の耳(藤井学、福島翔太)
- タイーク(和田佑、金井貴史)
- 代走みつくに(光圀大輔)
- 太平洋太郎(深井洋太郎)
- 高橋洋平
- タケウチパンダ(竹内宣和)
- 竹下ポップ(竹下浩貴)
- 橘ここみ(橘正明)
- たなかつよし(田中毅)
- たぬきごはん(宍倉孝雄、ほりゆうこ)
- だるまウインナー(野尻野哲汰、大角真生)
- チュンちゃん(中平真司)
- チョップリン(小林幸太郎、西野恭之介)
- デリンパ(太田陽平、登野城衛)
- とっくん(勝岡俊昭)
- 友池さん(友池一彦)
- トライアングル(森直樹、田中匡)
- トリオザスリー(竹下ポップ、にしね・ザ・タイガー、華井二等兵)
- どんぐり兄弟(あきら、さとる)
- 中田健太郎
- なすなかにし (那須晃行、中西茂樹)
- なにわプラッチック (三輪善行、阪本勝紀)
- 南国バカンス(ナガシマパイナポー、マンゴー北川)
- 西口宜夫
- にしね・ザ・タイガー(西根緩之)
- ニダンギア(中込裕太、フランシスコ小林)
- ぬまっち(沼豪)
- 野良鯨(賢者クサヤマ、小川おんせん)
- はしっこウォーカー(藤井久一、生田裕二)
- ばったもん(山下泰和、河合なつき)
- ハッピー遠藤
- 華井二等兵(華井啓行)
- バニラハンバーグ(寺内健人、江口謙)
- ハリード(八木健太、八木和也)
- 春田和幸
- パワフルコンビーフ(兼重清志、コウタ)
- パンドラ(伊東和輝、福田和真)
- ビーグル38能勢(能勢浩)
- ピーマンズスタンダード(吉田寛、南川聡史)
- 土方兄弟(土方大空、土方拓軌)
- ひでよしっと(延本英祥)
- 兵頭裕
- ぶち(市来大祐、工藤拓馬)
- ブティックあゆみ
- ブラックストーン(木立貴也、佐藤貴智)
- ブランシュブラン(福田成、田代芙美)
- ブリキカラス(黒田和基、小林メロディ)
- ブルーウェーブ(住川仁昭、四番サード西澤)
- ベストフレンズ(石塚慎也、木村康隆)※元トムソーヤ
- ほせいとよだ(保清正之、豊田耕造)
- ポッピングフェアリー(佐々木洋平)
- ボルトボルズ(河口哲、弓川信男)
- まえだまえだ(前田航基、前田旺志郎) - 2017年現在 お笑い活動休止中
- マイアミリボルバーヒロシ(本山宏)
- 松原タニシ(松原高志)
- マリン
- 三浦6月(三浦友太)
- 三日月マンハッタン(又吉隆行、仲嶺巧)
- みょーちゃん(茗荷貴史)
- みわゆうすけ(柿原祐介)
- ムートン伊藤(伊藤俊一)
- メイ・イズモト
- 森本サイダー(森本圭哉)
- モンツキはかま(お祭りBoy、大藤顕人)
- もんてぃー(川村大地、モッコ)
- やのぱん(矢野ひろし)
- ヤブキサドヤ(矢吹純一郎、佐渡谷賢治)
- 山口剛樹
- 山崎ユタカ(山崎豊)
- 山城功児
- 山田BODY
- ゆんぼだんぷ(カシューナッツ、藤原大輔)
- よふかしイエロー(永田さとし、信宗啓太)
- ラジバンダリ西井
- RICAちゃん(齋藤直哉)
- わっしー教授(鷲田豊明)
- 我こそは田中(田中康之)
- ワンワンニャンニャン(福井修一、菊地正志)
女性
- あけみん
- アルミカン(赤阪侑子、高橋沙織)
- 梅小鉢(高田紗千子、小森麻由)
- エリザβ
- ガール座(百瀬さつき、小野綾香)
- 河邑ミク
- 奇天烈オムレツ(はつを、ちばなちなこ)元初澤ちなこ
- 紺野ぶるま
- Jan2(カヲル、エリカ)
- ジョリー惑星(フラポテおおた、⊿あべみな)
- せつこ(平川摂子)
- 大納言光子
- だぶるえー(あやの、あいか)
- たべごろピーチ(星ちゃん、だいどぅ)
- チキチキジョニー(岩見真利、石原祐美子)
- 天然もろこし(植山由美子、関根知佳)
- ドキドキ☆純情ガールズ(ぽっぽ、のぞみ)
- ドス恋戦士M(左近どすえ、まどぅー)
- 長江もみ(長江智美)
- 2%(坊あかね、井垣海)
- はるはる(齋藤晴恵)
- 半田あかり(半田亜香里)
- ヒコロヒー
- 府中ふみえ(府中文江)
- ベルサイユ(森田えり)
- 増野美由紀
- ミサト
- みよこ(山中美代子)
- 餅田コシヒカリ(持田ひかり)
- 脇屋敷(脇屋敷麻美)
YouTuber
俳優
男性
女性
女性タレント
- 相沢美紗樹
- 赤崎加林
- あだち理絵子(足立理絵子)
- アベトモミ(阿部友美)
- 天野美穂子
- アン☆ドゥ(森下雅美、森下里美)
- 池亀早紀
- 池田麻理子
- 去来川奈央
- 岩崎絵美
- 遠藤萌美
- 大木場美鈴
- 大島榎奈
- 大西めぐみ
- 岡崎ゆう子
- 岡田彩花(元AKB48)
- 岡村亜紀
- 岡山瞳
- 小川恵理子
- 奥津洋子
- 片山淳子
- 加藤香緒梨
- 加納永美子
- 神谷ゆう子(神谷悠子)
- 河嶋まいこ(河嶋茉衣子)
- 城戸優立香
- きのせひかる
- 清原優希乃
- こしきさやか(甑さやか)
- 児玉磨利
- koppy(小平舞)
- 小西梨花
- 小林美稀
- 小林優子
- 近藤綾香
- 西連地あゆみ
- 繁田梨世
- シャドウ・リュウ(劉致妤)
- 新宅マキ
- 杉山菜摘
- 瀬岡容子
- 高島麻利央
- 高橋知裕
- 田口万莉
- 竹下佳奈
- 田中さなえ(田中早苗)
- ちかまろ(小川智佳代)
- 天童なこ
- 東塚菜実子
- トモチン(西森知子)
- 朋未
- 中村恭子
- なかむら摂(中村摂)
- 中村友香
- 中村祐美子
- 中山知紗
- 浪江佳代
- 西田美歩
- ノンシュガー(グループ)(松樹侑奈、奈良怜那、小林茉由、梅山涼、栗野春香)
- ノンスウィート(梅山涼、小林茉由、小林萌恵、見吉梢、櫻井もも)
- 春けいこ
- 春やすこ
- 一二なおこ(一二尚子)
- ぴょんぴょん(三保麻美)
- 藤井日菜子
- 藤田瞳
- 藤本志保
- 藤原宏美
- 古橋舞悠(元アイドリング!!!31号)
- 古谷あつみ
- 外田ありさ
- 星加莉佐
- 増田みなみ
- 松本美香
- mari(内田真理)
- 三上夏輝
- 南山千恵美
- 峯松麗
- 宮川陽香
- 宮元香織
- みわともこ(三輪智子)
- 本輝咲
- 吉岡亜沙美
- 渡上ありさ
落語家
- 福郎一門
漫才師
諸芸
文化人
- 伊勢孝夫(元プロ野球選手)
- 大八木淳史(元ラグビー選手)
- 木下定子(TKO木下の母)
- スーパー・ササダンゴ・マシン(マッスル坂井)(プロレスラー)
- 船木誠勝(プロレスラー)
- 南和行(弁護士)
- 三輪記子(弁護士)
子役
過去の所属タレント
- 暁伸(暁伸・ミスハワイ)
- 中田ダイマル・ラケット
- 夢路いとし・喜味こいし(預かり 大宝芸能所属)
- 藤山寛美
- ミヤコ蝶々(預かり 日向企画所属中に死去)
- 三倉茉奈、三倉佳奈
- 河島あみる
- かしまし娘
- 宮川左近ショー
- 暁照雄(宮川左近ショー→暁照雄・光雄)
- タイヘイトリオ
- 初代森乃福郎
- 2代目露の五郎兵衛(所属当時・桂春坊→桂小春団治(2代目))
- 2代目桂枝雀(米朝事務所発足前に在籍)
- 笑福亭松之助(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
- 6代目笑福亭松喬
- 海原お浜・小浜
- 若井はんじ・けんじ
- 平和ラッパ・日佐丸
- 夢乃タンゴ・園ひとみ
- 2代目桂春蝶
- 3代目桂春團治
- 3代目桂花團治(所属当時・桂蝶六)
- 若井ぼん・はやと
- はな寛太(はな寛太・いま寛大)
- 宮川大助(大助・小助時代、現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
- 太平サブロー・シロー(サブローは現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー)
- 青芝金太・紋太
- 山田雅人
- パート2
- 笑福亭笑瓶(現・太田プロダクション)
- 笑福亭瓶太
- 笑福亭べ瓶(解雇、所属当時・笑福亭瓶成)
- 東ちづる(現・ホリプロ)
- 桂春彦(現在はフリー)
- 3代目桂春蝶(現・インナースケッチ)
- 桂福車
- 正司玲児(正司敏江・玲児)
- 逢坂じゅん(レツゴー三匹)
- レツゴー長作(レツゴー三匹)
- オセロ(中島知子、松嶋尚美)(中島解雇により2013年4月11日付で解散[12]。松嶋はそれ以前に個人事務所(ステッカー)を設立しており、現在もステッカーと松竹で業務提携を結んでいる)
- あくび虫
- 石野敦士(Over Drive)
- 大阪キッズ(吉本興業へ移籍。解散)
- フロントページ
- 上嶋祐佳(-4℃、現在タレントの岡田祐佳・元岡田圭右夫人)
- ヤツる
- ファイヤーバード
- アントニオ
- 早乙女愛
- 石垣明日花
- カーネリアン(現・浅井企画)
- 日本パブリック連合(現・日本エレキテル連合、タイタン所属)
- さっぽろマイスター(現・ハラノマイスター、アップフロントプロモーション所属後引退)
- 柚月美穂(GMBプロダクションへ移籍)
- 江本理恵(ワタナベエンターテインメントへ移籍、芸名を「えもとりえ」に改名した)
- 赤ちょうちん(嶋田恭兵、山口貴之)
- カブル/カブル(ひょうご、柳橋大介)
- ごちそうさま。(河津まるこ、西山征孝)
- 猿愛児(新垣龍、濱田郁雄)
- 三尺花火(太田洋平、浅野雅也)
- ほうらい(小野祐太、山崎豊)
- ボイコット(鶴隆一、豊田耕造)
- ミヤ(河野智彰、山田直人)
- ほりじ
- マジック中島&ひろみ
- 清水ただし(漫才コンビ「ツインタワー」を経て、現在は日本共産党大阪府委員会副委員長)
- 井上智栄子
- 梶原麻美
- 上市麻由
- 仮谷早知子
- 河野めぐみ
- 小橋宏美
- 佐藤未歩
- 鈴木妃呂子
- 武智かなえ
- 冨本貴子
- 福岡寿里
- 布沢知花
- 松田真理
- 松宮志保
- 吉田夕香
- 秋山統哉
- 井ノ口美月
- 大山益枝
- 岡田高澄
- 河井彩伽
- 齋藤雅乃
- 清水遼河
- 新家萌野
- 高木美羽
- 田中碧
- 鎮西彩乃
- 鳥山優衣
- 長森由芽
- 濱中員季
- 原田おさむ(個人事務所に移籍)
- 藤田育人
- 松宮果歩
- 三浦桃弥
- 宮村希紀
- 宮原涼
- 森田美衣
- 三浦淳一
- 兼島ダンシング
- さらば青春の光(東口宜隆、森田哲矢、現在は個人事務所株式会社ザ・森東を設立)
- プリンセス金魚(大前亮将、高道淳史、ワタナベエンターテインメントへ移籍)
- 恋愛小説家(西野晶雄、大蜘蛛英紀、サンミュージックプロダクションに移籍)
- ヴェートーベン(久保隆司、青井貴治、オスカープロモーションへ移籍)
- 加藤統士(ビーグル38、芸能界引退)
- 国沢一誠(ヒカリゴケ、芸能界引退)
- Aマッソ(加納愛子、村上愛、ワタナベエンターテインメントへ移籍)
- 小森園ひろし(よしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪に移籍)
- 村瀬みちゃこ(芸能界引退)
- 江渡万里彩(元アイドリング!!!4号)
- 飛び魚(川堺弥生、橋本マリエ、共に芸能界引退)
- satomi
- こども十字軍(芸能界引退)
- ばろん(吉間洋平、中村亨、サンミュージックプロダクションへ移籍後、解散)
- シトラス菅野
- 西郷きよし
- コジャ
- ベッターマン(1号、2号)
- トマトキャット(畑中綾、家門菜美)
- 松島ひで夫・ひで丸(松島ひで夫、松島ひで丸)
- レッドスコア(篠原塁、織内敦紀)
- 川端のん子
- みゆちむ(ちむちむちぇりー、芸能界引退)
- 郷原朱加(ガールプレイヤー、芸能界引退)
- 岡田壱隆(ルネサンス)
- 山本真嗣(ルネサンス、芸能界引退)
- 長隼人(セクシーモンキーズ、芸能界引退)
- 横田翔(ラバボーズ、芸能界引退)
- ツインズ(長塚啓佑、長塚崇宏)
- 生田裕二
- 賢者クサヤマ
- こんてぃにゅー(太田潤、すぎんこ)
- 長順介
- 濱崎悟
- ハングオーバー(福山拓登、澤田竜輝)
- 松本美香
- む印(林直人、小川おんせん)
- 山元瞳
- 小川稔
- 小西武
- 山部晶
- 和田聡一郎
- 池下敦子
- 井上幸子
- グレーブ多美
- 後藤明日香
- さくら亜希子
- 末岡奈々
- 高宮悠子
- 田中里枝
- 肥後ゆう子
- 平松泉
- 藤岡桃音
- 古川真実子
- 宮下ジェイミー静
- 大道芸人ひろと
- 西川小のり
- 萩本果穂
- 水田かかし
- ミッチー純
- 出口・入口・堀ぐっち〜
- 奈沙えりか(芸能界引退)
- アーマーカッパ(橘正明、村上亮太)解散後共に残留
- うらじゃ(山下泰和、久山貴史)山下は「ばったもん」を結成、久山はピンで残留
- カブレラ(兵頭裕、久下司)兵頭はピンで残留
- ガーランド(竹藤聡司、蛭子郁哉)
- ごーちん(青木剛)
- 青年タイアップ(鳥飼詠太、金井貴史)金井はタイークを結成
- ダムラン(秋山ペイソン、小林ヒロユキ)秋山はYouTuberとして、小林はピンで残留
- ブルエコー(小玉翔、村岡直毅)
- PON PON(山本一智、才田龍一郎)
- ナンシー(木之内七絵)
- 森林子
- 竹井輝彦
- 棟方あきほ(芸能界引退)
- おねだり豊(芸能界引退)
- さんびーち(ひょうご、山田直人)山田はピン芸人山田BODYとして残留
- トチギフ(長屋真治、荒井義久)荒井はピン芸人として残留
- 世界少年(吉田悟、鯨井春樹)共に芸能界引退
- 自由気まま(西口宜夫、稲村ジェーン)稲村は芸能界引退、西口はピンで残留
- ひぐちん(樋口勇治)退社・休業中
- ムゲンダイパス(市川優裕、嘉手納大明)芸能界引退
- ムムム倉尾(倉尾勇気)芸能界引退
- トーキョーハコクラブ(ブティックあゆみ、高橋洋平)解散後共に残留
- フライデーズ(ふちゅうふみえ、ますのみゆき)解散後共に残留
- 滝譲二
- 東野正志
- 関真由美
- 奈和せつ子
- 藤原宏美
- 若井たまる(若井やるき・たまる)
- アーム祭主(芸能界引退)
- 天田仁
- しまけーすけ(志摩圭亮)
- 平田ぽー(平田涼)
松竹芸能タレントスクール出身者
- 春やすこ・けいこ
- パート2
- 森脇健児
- 山田雅人
- 小川恵理子
- よゐこ
- オセロ
- ますだおかだ
- -4℃
- TKO
- アメリカザリガニ
- アン☆ドゥ
- 田中まさみ
- 安田大サーカス
- コーヒールンバ
- オジンオズボーン
- なすなかにし
- ワンワンニャンニャン
- パワフルコンビーフ
- ピーマンズスタンダード
- チョップリン
- せんたくばさみ
- シンデレラエキスプレス
- ヴェートーベン
- オーケイ
- トムコリンズ
- Fun Park
- ミラール
- レイカーズ
- HTH
- 正源敬三
- ゆんぼだんぷ
- せつこ
- さんびーち
- ひでよしっと
- カモシダせぶん
- RICAちゃん
- 紺野ぶるま
- たぬきごはん
- おねだり豊
- キンタロー。
- エリザβ
- ヒコロヒー
- 高橋沙織
- ガール座
- ⊿あべみな
- 古橋舞悠
- はるはる
- フライデーズ
- ほか多数
制作番組
- ザ・ハングマンシリーズ(朝日放送)
- 突然ガバチョ!(毎日放送)制作協力
- 鶴瓶上岡パペポTV(よみうりテレビ)制作協力(上岡プロモーションと共同)
- ざこば・鶴瓶らくごのご(朝日放送)制作協力
- 裏刑事-URADEKA-(朝日放送)
- Change!(朝日放送)
- 最後の晩餐(よみうりテレビ)制作協力
- BAN!BOO!ぱいん!!(よみうりテレビ)制作協力
- きらきらアフロ(テレビ大阪)制作協力
- 知っとこ!(毎日放送)制作協力
- よゐこ部(毎日放送)制作協力
- A-Studio(TBSテレビ)
- ほか多数
注釈
- ↑ 戎橋松竹の支配人だった勝忠男が興した芸能プロダクション
- ↑ 秋田實を中心に設立された芸能プロダクションで、勝忠男も関係していた、現ケーエープロダクションの母体。
- ↑ 松竹芸能、新劇場でよゐこらチャリティー サンケイスポーツ 2011年3月26日
- ↑ 「新劇場『松竹芸能 新宿 角座』での取り組みについて」 トピックス:東北関東大震災に対する弊社の取り組みについて 松竹芸能公式 2011年3月25日
- ↑ 松竹芸能、角座閉館で“間借り興行”へ 新しい常設劇場決まらず…芸人不安の声も - スポーツニッポン 2018年7月17日
- ↑ 北野誠さん:不適切発言 無期限の謹慎処分に 毎日新聞 2009年4月13日
- ↑ 松竹芸能:音事協を退会 北野誠さんの不適切発言で 毎日新聞 2009年4月15日
- ↑ 労働審判:「名ばかり役員」解雇 松竹芸能の元執行役員、地位確認を申し立て
- ↑ その前後にも横山たかし・ひろし(吉本→松竹)、太平サブロー・シロー(松竹→吉本)のように何らかの理由で移籍した芸人は少なからずいるが、前者は横山やすしによる弟子に向かっての面罵と恫喝の様子を見るに見かねた周囲からの配慮、後者は吉本入りを熱望していたことから、師匠のレツゴー三匹が破門を言い渡して円満な移籍を実現させている。
- ↑ 一例として、1975年1月1日に放送された『上方喜劇・赤目の卵やん』(朝日放送制作。山陽放送・中国放送などにネット)では笑福亭仁鶴・桂三枝・藤山寛美など吉本・松竹の両方のタレントに加え、ちあきなおみ等が出演していた(出典、中国新聞、1975年1月1日、40ページ、テレビ・ラジオ欄)。また、関西テレビ制作『爆笑寄席』では吉本所属が中心ながら松竹所属のタレントも出演していた。
- ↑ の配給は親会社の松竹が担当している。
- ↑ 「オセロ松嶋さんが解散発表」 『産経新聞』 2013年4月12日付け、東京本社発行15版、28面。