2005年の日本プロ野球
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2005年の日本プロ野球(2005ねんのにほんぷろやきゅう)では、2005年の日本プロ野球(NPB)における動向をまとめる。
NPB以外の動向については2005年の野球を参照。
Contents
できごと
1月
- 1月11日 - 福岡ソフトバンクホークスに新外国人選手のホルベルト・カブレラとトニー・バティスタが入団[1]
- 1月22日 - 東北楽天ゴールデンイーグルスは本拠地の宮城球場の名称を「フルキャストスタジアム宮城」とすることを発表[2]
- 1月14日 - 阪神タイガースの藪恵壹がメジャーリーグのオークランド・アスレチックス入りすることが決定。
- 1月25日 - 前福岡ダイエーホークスの井口資仁のメジャーリーグ・シカゴ・ホワイトソックスへの移籍が決定。
- 1月28日 - 福岡ダイエーホークスからの株式譲渡が完了し、株式会社福岡ソフトバンクホークスが正式に発足[1]。王貞治監督が副社長とゼネラルマネージャーを兼任。
2月
- 2月3日 - 前近鉄バファローズの中村紀洋がロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。
- 2月14日 - 前年までのYahoo! BB STADIUMの名称が「スカイマークスタジアム」に改称[2]
- 2月25日 - 福岡ドームの名称が「福岡 Yahoo! JAPANドーム」に改称[1]
3月
- 3月1日 - 西武ドームの名称が「インボイスSEIBUドーム」に改称。西武の二軍チームは「インボイス」に改称[2]
- 3月9日 - ロッテは今年6月28、29日に韓国のソウルで開催予定だったソフトバンクとの公式戦を、興行面での不安から中止にすることを発表。代替試合は同日に千葉マリンスタジアムで開催[3]
- 3月26日 - パ・リーグ公式戦が開幕[4]。新規加入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスの球団公式戦初試合となる、千葉マリンスタジアムでの対千葉ロッテマリーンズ戦が行われ、楽天が3対1で勝利。球団初勝利を記録[5]。
- 3月27日 - ロッテ対楽天戦(千葉マリン)にて、ロッテが26対0で大勝(当該試合記事参照)。完封の得点記録としては日本プロ野球タイ、2リーグ制以降では最多となった[6]。開幕戦でプロ野球参戦初勝利を遂げた楽天だったが、翌日に歴史的な大敗を喫することとなった。
4月
- 4月1日 - セ・リーグ公式戦が開幕[4]。中日ドラゴンズは対横浜ベイスターズ戦(ナゴヤドーム)でアレックス・オチョアがセ・リーグ史上初の開幕戦でのサヨナラ満塁本塁打を放ち勝利[4]。
- 4月2日 - 中日は対横浜戦(ナゴヤドーム)で高橋光信が代打逆転サヨナラ打で、NPB史上初の開幕から2戦連続サヨナラ勝利[4]
- 4月6日 - ヤクルトスワローズは対中日戦(明治神宮野球場)で藤井秀悟、石井弘寿、五十嵐亮太の継投で、セ・リーグ新記録の19奪三振。ヤクルトの古田敦也がセ・リーグ新記録の捕手による1試合19刺殺[7]
- 4月14日 - 阪神タイガースはこの日の試合に敗れ、球団通算4000敗[8]
- 4月16日 - 読売ジャイアンツの前田幸長が対横浜戦の6回にNPB史上11人目の1イニング4奪三振[9]
- 4月18日 - ソフトバンクのトニー・バティスタが対オリックス戦(ヤフードーム)で8回裏に山口和男からパ・リーグ史上通算40000本塁打[2]
- 4月19日 - ヤクルトの古田敦也が対横浜戦(神宮)の4回裏に吉川輝昭からNPB史上24人目の通算350二塁打[7]
- 4月24日 - ヤクルトの古田敦也が対広島東洋カープ戦(松山坊っちゃんスタジアム)の6回裏に大竹寛から二塁打を放ち、NPB史上32人目の通算2000安打。大学から社会人を経てプロ入りした選手では史上初、捕手としては史上2人目[7]
- 4月25日 - コミッショナーの根來泰周は元西鉄ライオンズの池永正明の永久失格処分を解除[2]
- 4月26日 - プロ野球実行委員会は2段モーションを厳格に適用し、禁止を徹底させることを承認[4]
- 4月29日 - 巨人の清原和博内野手が通算500本塁打を達成。
5月
- 5月6日 - 日本プロ野球初のセ・パ交流戦(日本版インターリーグ)が開幕[4]。
- 5月9日 - 横浜の三浦大輔が対楽天戦(横浜スタジアム)でNPB通算100勝[10]
- 5月13日 - 中日の川上憲伸が対ソフトバンク戦(ナゴヤドーム)でNPB通算1000投球回[11]
- 5月13日 - 西武の西口文也が対巨人戦で9回2死まで1死球のみ無安打無得点も28人目の清水隆行に本塁打を打たれる。9回2死でノーヒットノーランを逃したのはパ・リーグ史上9人目[12]
- 5月19日 - 中日の立浪和義が対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)でNPB新記録の通算450二塁打[4]。
6月
- 6月1日 - 横浜は対楽天戦(横浜)で小池正晃が球団通算6000本塁打[13]
- 6月4日 - 中日の立浪和義が対日本ハム戦(ナゴヤドーム)で球団新記録の通算2275安打[4]
- 6月7日 - ヤクルトの真中満が対西武戦(インボイス)で8回表に長田秀一郎から二塁打を放ち、NPB史上233人目の通算1000安打[7]
- 6月10日 - 阪神の金本知憲が対日本ハム戦で1回に入来祐作から本塁打を放ち、NPB史上4人目、交流戦導入以降では初の全球団から本塁打を達成[14][15]
- 6月16日 - 中日のタイロン・ウッズが対オリックス戦(ナゴヤドーム)で加藤大輔からNPB通算100本塁打[11]
- 6月18日 - セ・パ交流戦全日程終了。千葉ロッテマリーンズが初代チャンピオンに。
- 6月18日 - 横浜の三浦大輔が対西武戦(インボイス)でNPB通算1500奪三振[10]
- 6月21日 - 阪神の赤星憲広がNPB史上初の1シーズンで11球団から盗塁[8]
- 6月22日 - 中日の立浪和義が対阪神戦(大阪ドーム)で橋本健太郎からNPB通算1000四球[11]
- 6月23日 - 広島の野村謙二郎が対ヤクルト戦(広島市民球場)の4回に川島亮からNPB通算2000安打を達成。東都大学野球出身選手では史上初[16]
- 6月23日 - 巨人の球団代表取締役会長に前球団オーナーの渡邊恒雄が就任[17]
7月
- 7月2日 - 日本ハムのフェルナンド・セギノールが5回に山村宏樹から本塁打を放ち、NPB史上5人目の全球団から本塁打を達成。前年消滅の大阪近鉄バファローズを含む13球団から本塁打は史上初[15]
- 7月3日 - 長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督が東京ドームで行われた巨人対広島東洋カープ戦を観戦。脳梗塞で倒れて以来、1年4カ月ぶりに公の場に姿を見せた。
- 7月10日 - 阪神が対中日戦に勝利し、球団新記録の9カード連続勝ち越し[8]
- 7月18日 - ソフトバンクの投手コーチの尾花高夫が退団[1]
- 7月19日 - オーナー会議でドラフト改革案が承認。高校と大学生、社会人の2度に分けられ、自由獲得枠を2人から1人とする[4]
- 7月19日 - 甲子園球場で行われた阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦で横浜のマーク・クルーン投手が日本球界最速となる球速161キロを記録。
- 7月30日 - オリックスの吉井理人が対日本ハム戦(釧路)で5回を5安打1失点の内容で、勝利投手となり、開幕から5連勝。40歳での5連勝はNPB史上2人目、パ・リーグでは初[18]
- 7月30日 - 通算349本塁打としていた巨人の江藤智が対中日戦(東京ドーム)で8回裏2死三塁の場面で平井正史から左翼へ大飛球を放つが天井にあたり、同球場特別ルールで左飛となり、幻の本塁打となった[19]
8月
- 8月6日 - ヤクルトは対巨人戦(神宮)で前日の同戦に続いて、NPBタイ記録の2試合連続毎回安打。ヤクルトのアダム・リグスが球団タイ記録の8打席連続安打[7]
- 8月7日 - ヤクルトは対巨人戦の7回までNPB新記録の23イニング連続安打、8回に記録はストップ[7]
- 8月12日 - 横浜の石井琢朗が対ヤクルト戦(横浜)で球団新記録の通算2082安打[10]
- 8月17日 - 阪神は対横浜戦(大阪ドーム)で球団新記録の8試合連続2桁安打[8]
- 8月19日 - ヤクルトのアレックス・ラミレスが対阪神戦(神宮)の初回に下柳剛からNPB史上137人目の通算150本塁打[7]
- 8月23日 - 楽天は4月に続いて、今季2度目の11連敗。シーズン2度の11連敗以上はNPB史上2度目[20]
- 8月20日 - 横浜の門倉健が対中日戦(ナゴヤドーム)で史上4人目の全球団勝利[21][22]
- 8月23日 - 中日の山本昌が対ヤクルト戦(いわき)で球団史上初の40歳代勝利[4]
- 8月27日 - 西武の西口文也が対楽天戦(インボイス)に9回まで完全試合も、延長10回に沖原佳典に初安打を打たれる。延長で完全試合を逃したのはNPB史上初[2]
- 8月28日 - 横浜の監督の牛島和彦が今季限りでの監督退任を表明[10]
- 8月29日 - 新球団の楽天の今季最下位が決定[23]
- 8月31日 - ソフトバンクの斉藤和巳がNPBタイ記録の開幕から15連勝[24]
- 8月31日 - ウエスタンリーグは阪神が2年ぶりのリーグ優勝[8]
- 8月31日 - ヤクルトの岩村明憲が対巨人戦(大阪ドーム)でバート・ミアディッチからNPB史上138人目の通算150本塁打[7]
9月
- 9月9日 - 巨人対中日戦(東京ドーム)の先発は巨人が42歳の工藤公康、中日が40歳山本昌で、40歳代が共に先発投手となったのはNPB史上2度目、セ・リーグでは初[25]
- 9月10日 - 阪神は対広島戦(甲子園)で球団新記録の21得点[8]
- 9月15日 - 阪神の今岡誠が対巨人戦(東京ドーム)で球団新記録のシーズン4本目の満塁本塁打[8]
- 9月21日 - 阪神は対中日戦でNPB新記録のシーズン1127奪三振[8]
- 9月23日 - 阪神のジェフ・ウィリアムスが今季70試合目の登板で、1シーズンに同一球団から2人(藤川球児が75試合登板)が70試合登板は史上初[8]
- 9月25日 - ソフトバンクは対西武戦(インボイス)に4対2で勝利し、リーグ戦1位を確定[26][27]
- 9月25日 - 楽天は成績不振を理由に、監督の田尾安志を解任を発表[28]
- 9月25日 - ロッテは小野晋吾が今季10勝目で、同一球団から2桁勝利6人はNPBタイ記録
- 9月27日 - 村上ファンドによる阪神タイガースの親会社の阪神電気鉄道の株の大量取得が発覚[4]
- 9月28日 - パ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了。1位は福岡ソフトバンクホークス。新規参入の楽天は38勝97敗1分、最下位で1年目を終えた。楽天の勝率.281は2リーグ制以降の新球団の1年目の成績ではワースト記録[29]
- 9月29日 - セ・リーグ、阪神が2年ぶり5度目のリーグ優勝。また、藤川球児投手がこの日の登板でシーズン最多登板の新記録を達成した。
- 9月29日 - オリックスの監督の仰木彬が辞任[30]
10月
- 10月1日 - 阪神の赤星憲広がセ・リーグ新記録の3年連続60盗塁[8]
- 10月1日 - 中日の岩瀬仁紀が対広島戦(ナゴヤドーム)でNPB新記録のシーズン46セーブを達成。
- 10月3日 -高校生を対象としたプロ野球ドラフト会議が開催。36年ぶりに分割開催となった[31]
- 10月5日 - 阪神はシーズン公式戦最終戦の対横浜戦に3対2で勝利し、球団タイ記録のシーズン87勝"[32]。阪神の今岡誠は球団新記録のシーズン147打点[8]
- 10月5日 - ヤクルトの古田敦也が対中日戦(神宮)の8回に高橋聡文からNPB史上27人目の通算1000打点[7]
- 10月5日 - 巨人は、退任した堀内恒夫監督の後任として、原辰徳前監督の復帰を発表した。
- 10月5日 - 阪神電気鉄道の筆頭株主となった村上ファンドが、阪神タイガースの株式公開を提案していた事が判明。阪神電鉄側はこれを拒否、球界・関西財界も反対の姿勢を見せる。
- 10月6日 - ヤクルトの青木宣親が対中日戦(神宮)の1回裏に、佐藤充からセ・リーグ新記録のシーズン193安打[7]
- 10月7日 - オリックスは、退任した仰木彬監督の後任として、中村勝広GMが監督に就任する事を発表した。
- 10月8日 - ファーム日本選手権(スカイマーク)はロッテが阪神に7対5で勝利し、初優勝達成、MVPはロッテの辻俊哉[33]
- 10月9日 - パ・リーグのプレーオフの第1ステージの第2試合(千葉マリン)でロッテが西武に3対1で勝利し2連勝で第2ステージ進出決定[4][34]
- 10月11日 - ヤクルトの青木宣親が対横浜戦(神宮)の1回裏に門倉健からNPB史上2人目、セ・リーグ初のシーズン200安打[7]。1994年のイチロー(当時オリックス)以来、プロ野球史上2人目。
- 10月13日 - 楽天がTBS(当時の東京放送)の筆頭株主になり、経営統合を提案した事から、東北楽天ゴールデンイーグルスと横浜ベイスターズの2球団保持という、野球協約に抵触する問題が発生。阪神タイガースの上場問題を含め、球界再々編問題が急浮上した。
- 10月14日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[4]。巨人は62勝80敗4分と、球団創設以来ワースト記録となる80敗を記録してシーズンを終えた。
- 10月14日 - ヤクルトの青木宣親はセ・リーグ史上最多のシーズン202安打とし、シーズン165単打とマルチ安打62回はそれぞれセ・リーグ新記録[7]
- 10月16日 - 横浜の新監督に大矢明彦が就任 [10]
- 10月17日 - パ・リーグのプレーオフの第2ステージの第5戦(ヤフードーム)でロッテがソフトバンクに3対2で勝利し、3勝2敗でパ・リーグ優勝決定[35]。31年ぶり5度目のリーグ優勝で、千葉ロッテマリーンズになってからは初めての優勝となる。またボビー・バレンタイン監督は史上初の日米優勝監督となった。ソフトバンクは前年の雪辱を果たすことはできなかった。
- 10月18日 - ヤクルトは、退任した若松勉監督の後任として、古田敦也捕手が現役を続行したまま監督に就任する事が正式に決定したと発表。NPBでの選手兼任監督(プレイングマネージャー)は野村克也(当時南海ホークス)以来29年ぶりとなる[7]。
- 10月21日 - 広島は、退任した山本浩二監督の後任として、元広島の内野手でマイナーリーグ3Aバファローのマーティ・ブラウン前監督が監督に就任する事を発表した。広島の外国人監督は31年ぶり。
- 10月22日 - 第56回日本シリーズが千葉マリンスタジアムで開幕。ロッテが10-1の大量リードで迎えた7回裏1死無走者で濃霧のため試合が中断、そのままコールドゲームとなった。日本シリーズの試合がコールドゲームになったのは4例目だが、勝敗が決したのは史上初。また濃霧でコールドゲームになったのも初めて。
- 10月26日 - 日本シリーズ第4戦(甲子園)が行われ、ロッテが阪神を3対2で勝利し、4連勝のストレート勝ちで31年ぶり3回目の日本一達成。4連勝のストレート勝ちはロッテとしては前身を通じて球団史上初で、シリーズとしては2002年の巨人以来、3年ぶり。ボビー・バレンタイン監督は外国人監督初の日本シリーズ優勝監督となった。
11月
- 11月1日 - 楽天は、退任した田尾安志監督の後任として、野村克也シダックスGM兼監督が就任する事が決定したと発表した。
- 11月6日 - 阪神の優勝パレードが御堂筋で行われた[8]
- 11月11日 - 中日はデニー友利の獲得を発表[4]
- 11月13日 - 日本シリーズ王者として出場した千葉ロッテマリーンズがアジアシリーズ優勝。初代アジア王者に。
- 11月16日 - 中日の仲澤忠厚が無償トレードでソフトバンクへ移籍[1]
- 11月17日 - 中日からFAの野口茂樹が巨人へ入団[4]
- 11月18日 - 大学生と社会人を対象としたプロ野球ドラフト会議が開催[36]
- 11月22日 - ソフトバンクの城島健司捕手がシアトル・マリナーズと3年契約を結ぶ事で合意。日本人捕手初のメジャーリーガーとなる。
- 11月26日 - 前中日の田上秀則がソフトバンクへ入団[1]
- 11月28日 - 前日本ハムの芝草宇宙がソフトバンクへ入団[1]
12月
- 12月1日
- 12月1日 - プロ野球実行委員会は育成選手制度と、研修生制度の導入を正式決定[4]。その後第1回育成ドラフトが行われ、四国アイランドリーグから初の指名選手として、愛媛マンダリンパイレーツの中谷翼内野手が広島から、西山道隆投手がソフトバンクから指名を受けた。
- 12月5日 - 今季オリックスの監督をつとめた仰木彬が呼吸不全で死去[30]
- 12月8日 - オリックスは二軍チームのサーパス神戸の名称を「サーパス」へ変更[37]
- 12月11日 - 横浜からFAの門倉健が巨人に入団[10]
- 12月19日 - ヤクルトスワローズは球団名を「東京ヤクルトスワローズ」へ改称[4]
- 12月19日 - プロ野球実行委員会はオリックスの専用球場を大阪ドームからスカイマークスタジアムへの変更を承認[2]
レギュラーシーズン
- 本年度よりセ・パ交流戦の導入につき、セ・リーグは146試合(レギュラーシーズン22回総当たり・110試合、交流戦6回総当たり・36試合)、パ・リーグは136試合(レギュラーシーズン20回総当たり・100試合、交流戦はセと同文)となった。パ・リーグは上位3チームのプレーオフトーナメントを並行採用。
セ・パ交流戦
- 優勝:千葉ロッテマリーンズ
- MVP: 小林宏之(ロッテ)
パシフィック・リーグプレーオフ
テンプレート:2005年のパシフィック・リーグプレーオフ第1ステージ テンプレート:2005年のパシフィック・リーグプレーオフ第2ステージ
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 金本知憲 | 阪神 | 杉内俊哉 | ソフトバンク | ||
最優秀新人 | 青木宣親 | ヤクルト | 久保康友 | ロッテ | ||
首位打者 | 青木宣親 | ヤクルト | .344 | 和田一浩 | 西武 | .322 |
本塁打王 | 新井貴浩 | 広島 | 43本 | 松中信彦 | ソフトバンク | 46本 |
打点王 | 今岡誠 | 阪神 | 147点 | 松中信彦 | ソフトバンク | 121点 |
最多安打 | 青木宣親 | ヤクルト | 202本 | 和田一浩 | 西武 | 153本 |
盗塁王 | 赤星憲広 | 阪神 | 60個 | 西岡剛 | ロッテ | 41個 |
最高出塁率 | 福留孝介 | 中日 | .430 | 松中信彦 | ソフトバンク | .412 |
最優秀防御率 | 三浦大輔 | 横浜 | 2.52 | 杉内俊哉 | ソフトバンク | 2.11 |
最多勝利 | 黒田博樹 下柳剛 |
広島 阪神 |
15勝 | 杉内俊哉 | ソフトバンク | 18勝 |
最多奪三振 | 三浦大輔 門倉健 |
横浜 横浜 |
177個 | 松坂大輔 | 西武 | 226個 |
最高勝率 | 安藤優也 | 阪神 | .688 | 斉藤和巳 | ソフトバンク | .941 |
最優秀救援投手 | 岩瀬仁紀 | 中日 | 46S | 小林雅英 | ロッテ | 29S |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 黒田博樹 | 広島 | 杉内俊哉 | ソフトバンク |
捕手 | 矢野輝弘 | 阪神 | 城島健司 | ソフトバンク |
一塁手 | 新井貴浩 | 広島 | J.ズレータ | ソフトバンク |
二塁手 | 荒木雅博 | 中日 | 堀幸一 | ロッテ |
三塁手 | 今岡誠 | 阪神 | 今江敏晃 | ロッテ |
遊撃手 | 井端弘和 | 中日 | 西岡剛 | ロッテ |
外野手 | 青木宣親 | ヤクルト | M.フランコ | ロッテ |
赤星憲広 | 阪神 | 宮地克彦 | ソフトバンク | |
金本知憲 | 阪神 | 和田一浩 | 西武 | |
指名打者 | 松中信彦 | ソフトバンク |
オールスター戦
- 第1戦 (インボイスSEIBUドーム、7月22日)
- パシフィック・リーグ 5対6 セントラル・リーグ
- セントラル・リーグ 5対3 パシフィック・リーグ
誕生
2005年の野球を参照
死去
2005年の野球を参照
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 ソフトバンク刊「王貞治監督 ホークス14年の軌跡」78ページ
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 パシフィック・リーグ略史(2001年~)パ・リーグ公式サイト
- ↑ ベースボールマガジン社刊「日本プロ野球事件史1934-2013」57ページ
- ↑ 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 4.13 4.14 4.15 4.16 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」202ページ
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 週刊ベースボール別冊青葉号「楽天主義。東北楽天ゴールデンイーグルス応援BOOK」6-7ページ
- ↑ 【3月27日】2005年(平17) 楽天、歴史的1勝の翌日は歴史的大敗スポーツニッポン公式サイト
- ↑ 7.00 7.01 7.02 7.03 7.04 7.05 7.06 7.07 7.08 7.09 7.10 7.11 7.12 球団のあゆみ2000年代ヤクルト球団公式サイト
- ↑ 8.00 8.01 8.02 8.03 8.04 8.05 8.06 8.07 8.08 8.09 8.10 8.11 タイガースヒストリー2005-2009阪神球団公式サイト
- ↑ 週刊ベースボール2012年4月30日号107ページ
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 ベースボール・マガジン社刊「ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡」27ページ
- ↑ 11.0 11.1 11.2 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」284ページ
- ↑ 記録メモ(個人投手編) パ・リーグ公式サイト
- ↑ 週刊ベースボール2013年12月30日号64ページ
- ↑ 前年消滅の近鉄とは対戦機会無し
- ↑ 15.0 15.1 記録メモ(個人打者編) パ・リーグ公式サイト
- ↑ 6月23日】2005年(平17) 満身創痍…野村謙二郎 ようやくたどり着いた2000本安打スポーツニッポン2009年6月11日配信
- ↑ 巨人軍年表巨人球団公式サイト
- ↑ 【7月30日】2005年(平17) 40歳5連勝 お前が生まれる前からプロでメシ食っとるんや!スポーツニッポン2008年7月28日配信
- ↑ 日刊スポーツ出版社プロ野球B級ニュース事件簿【平成版】-エーッ、ウソッ、アリャリャ……170連発- 174ページ
- ↑ 週刊ベースボール2012年4月30日号32-35ページ「記録の手帳」
- ↑ 前年消滅の大阪近鉄バファローズからは未勝利
- ↑ 日外アソシエイツ刊「日本スポーツ事典トピックス1964-2005」512ページ
- ↑ 毎日新聞2013年9月27日スポーツ面
- ↑ 日外アソシエイツ刊「日本スポーツ事典トピックス1964-2005」513ページ
- ↑ 【9月9日】2005年(平17) 工藤公康VS山本昌 55年ぶりの40代対決スポーツニッポン2009年9月1日配信
- ↑ パ・リーグはプレーオフ勝利チームが優勝チーム
- ↑ 週刊ベースボール2013年10月7日号42-43ページ
- ↑ 【9月30日】2005年(平17) 楽天・三木谷オーナー、ノムさん獲りを正式表明スポーツニッポン2007年9月21日配信
- ↑ スポーツニッポン2013年9月27日関西版4面
- ↑ 30.0 30.1 【12月15日】2005年(平17) ユニホーム脱いでわずか3カ月足らず…仰木彬前監督死去スポーツニッポン2009年12月1日配信
- ↑ ベースボール・マガジン社刊「プロ野球ドラフト全史 2012最新版」74ページ
- ↑ 【10月5日】2005年(平17) 下柳剛、37歳で“初体験”!61年ぶりの記録更新スポーツニッポン2008年10月02日配信
- ↑ ファーム日本選手権NPB公式サイト
- ↑ 2005年10月9日 (日)NPB公式サイト
- ↑ 【10月17日】2005年(平17) 解任から10年 バレンタイン監督、栄冠勝ち取るスポーツニッポン2008年10月15日配信
- ↑ ベースボール・マガジン社刊「プロ野球ドラフト全史 2012最新版」76ページ
- ↑ 週刊ベースボール2011年12月12日号39ページ