天乙

提供: miniwiki
移動先:案内検索


天乙
初代王
200px
王朝
姓・諱 子履
主癸
外丙

天乙(てんいつ、紀元前1600年頃)は商朝の初代。名は履。姓・諱を合わせ、子履(しり、ピン音:Zǐ Lǚ、ウェード式:Tzu-Lwu)ともいう。殷墟出土の甲骨文占卜には、大乙、名は唐、成と見える。湯王(湯)、太乙、成湯、成唐とも呼ばれる。

それまでの勢力を制圧し中原の覇権を得て、に王都を築営した。

史書の天乙

天乙はの最後のを追放し夏を滅ぼした。

桀は暴虐な政治を行い、人心は夏から離れていた。夏の臣であった天乙は伊尹の補佐を受け桀を攻め、これを滅ぼした(鳴条の戦い中文版)。書経には桀を滅ぼす時に諸侯に向けての演説したとされる『湯誓』がある。

天乙は夏の文王武王と並び聖王として後世に崇められている。徳は高く鳥や獣にまで及ぶと言われた[1]

脚注

  1. 「学習漫画 中国の歴史 人物事典」2008年10月8日発行、監修・春日井明、14頁。

関連項目

テンプレート:殷の王