陽川尚将
陽川 尚将(ようかわ なおまさ、1991年7月17日 - )は、阪神タイガースに所属する大阪府大阪市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打で、阪神入団後の愛称は「ゴリラ」[1]。
Contents
経歴
プロ入り前
小学2年時に「関目東ライオンズ」で三塁手として野球を始める[2]。大阪市立菫中学校時代には、硬式チームの「大阪都島ボーイズ」で投手兼三塁手を務めた[2]。1学年上に浅村栄斗がいる。
金光大阪高校への進学後は、1年夏に背番号15でベンチ入り。2年春から遊撃のレギュラーを確保する[2]と、3年生の春に第81回選抜高等学校野球大会へ出場した[3]。
高校通算で36本塁打を放つ[3]ほどの長打力が評価されて、2009年のNPB育成ドラフト会議では、読売ジャイアンツから3巡目で指名。育成選手としての契約を想定した指名であったが、陽川は入団を固辞したうえで東京農業大学に進学した[4]。
大学では、1年生の春から東都大学野球2部のリーグ戦に出場[3]。主に三塁を守る[5]とともに、リーグ戦通算で109安打[6]、23本塁打、51打点を記録した[7][6]。
2013年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから3巡目で指名[2]。球団を問わず、4巡目以下の順位で指名された場合には社会人野球へ進むことを事前に表明していた[7]が、契約金5,500万円、年俸840万円(金額は推定)という条件で阪神に入団した。背番号は55。
プロ入り後
2014年春季キャンプ前の1月に内科的疾患で入院[8]、同年シーズンは二軍での生活に終始した。ウエスタン・リーグの公式戦には、98試合に出場。打率.241、6本塁打、38打点を記録する一方で、三塁の守備で12失策を喫した。しかし、シーズン終了後の秋季キャンプでは、当時の監督和田豊からMVPに選定された。
2015年には、正三塁手候補の1人として沖縄での春季一軍キャンプに参加したが、一塁手としてスタメンに起用された三星ライオンズ(KBO)との練習試合(2月13日)1回表の守備中に、ダイビングキャッチによるゴロの捕球で左肩を亜脱臼[9]。患部のリハビリに、およそ3ヶ月を要した[10]。6月中旬から実戦に復帰する[11]と、フレッシュオールスターゲームでは、ウエスタン・リーグ選抜のメンバーに初めて選出[12](試合自体は荒天の影響で中止)。同リーグの公式戦では、54試合の出場で、打率.213、3本塁打、16打点を記録した。シーズン終了後には、NPB選抜チームの一員として台湾でのウィンターリーグに参加、チーム事情で二塁手や遊撃手として起用されながら、17試合の出場で、打率.345、20安打(二塁打6本・三塁打2本・本塁打2本)、13打点という好成績を残した[13]。
2016年には、前年に続いて、沖縄での春季一軍キャンプに参加したものの、いったん一軍を離れた。しかし、3月15日開幕のウエスタン・リーグ公式戦では、開幕戦から2試合連続本塁打を記録[14]。18試合終了時点で、4番打者として全試合にスタメンで出場すると、5本塁打、18打点(いずれもリーグ1位)、打率.347という好成績[15]で3・4月度のリーグ月間MVPを受賞した[16]。4月15日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)5回裏の三塁守備で公式戦に初めて登場すると、7回表の初打席で初安打を記録[17]。同月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)では、初本塁打(逆転の2点本塁打)をバックスクリーン左へ放つと、チームの勝利によって同期入団の岩貞祐太と共に自身初のヒーローインタビューを経験した[18]。公式戦全体では、三塁手や左翼手としてスタメンに随時起用されながら、29試合に出場。2本塁打、4打点、打率.167を記録した。ウエスタン・リーグでは、球団史上初の打撃三冠王誕生を射程圏内に収める[19]ほど、4番打者としてシーズン終盤まで好調を維持。9月中旬に一軍へ復帰した[20]関係で、最終打率(.301)は首位打者(塚田正義)と3分6厘6毛差の3位にとどまったものの、通算62打点で打点王を獲得した。さらに、通算の本塁打数が14本にまで達したことによって、本塁打王のタイトルをバーバロ・カニザレス(いずれも福岡ソフトバンクホークス)と分け合った。
2017年には、外野手への転向[21]を視野に入れながら、掛布雅之二軍監督の方針で春季キャンプを3年振りに二軍(安芸)で過ごした[22]。7月8日にシーズン初の一軍昇格を果たすと、4試合の代打起用で1安打1四球を記録したが、前半戦の終了を機に出場選手登録を抹消された。ウエスタン・リーグ公式戦では前年に続いて好調で、9月上旬には5試合連続で本塁打を放つとともに、5試合目(9日の対ソフトバンク戦)の本塁打でファームにおけるシーズン通算本塁打の球団最多タイ記録(21本)を達成[23]。翌10日から一軍へ復帰すると、同日の対DeNA戦に「5番・一塁手」として1年振りにスタメンへ起用されたが、第1打席から3打席連続で三振を喫するなど4打数無安打に終わった[24]。その一方で、9月18日の対広島東洋カープ戦(いずれも甲子園)では、7回裏に代打で公式戦のシーズン初本塁打を記録した。9月25日に再び登録を抹消されてからは、ウエスタン・リーグ公式戦3試合で左翼手としてフル出場を果たしたものの、サビエル・バティスタ(広島)と同数の21本塁打でシーズンを終了。バティスタとタイトルを分け合いながらも本塁打王、通算91打点で打点王のタイトルを獲得した。いずれも2年連続での獲得であったが、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸850万円(前年から50万円減)という条件で契約を更改。交渉に同席した球団の担当者からは、「二軍でのタイトルはもう要らないから、二軍での打力を一軍で発揮して欲しい」との注文が付いた[25]。
2018年には、2年振りに春季キャンプから一軍へ同行。オープン戦にも12試合へ出場したが、打率が.207にとどまるほど打撃が振るわず、開幕一軍入りを逃した[26]。さらに、新任の矢野燿大二軍監督の方針から、ウエスタン・リーグの公式戦では4番打者の座を板山祐太郎に譲る試合が相次いだ[27]。しかし、公式戦の開幕当初に4番打者を任されていた新外国人選手ウィリン・ロサリオの不振を背景に、6月4日付でロサリオに代わって一軍へ復帰。同日の対埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)に「6番・一塁手」としてスタメンで起用されると、公式戦でのシーズン初本塁打を含む2安打で4打点を挙げた[28]。6月は一軍公式戦での月間打率が.358に達するほど打撃が好調[1]で、7月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)からは、阪神の公式戦103代目の4番打者を任されている[29]。
選手としての特徴・人物
力強いスイングが持ち味の右打の長距離打者[30]。大学時代に1年春から全試合でフルイニング出場を果たしたほど、強い身体の持ち主でもある[5]。
阪神監督の金本知憲には、2015年10月の就任当初から、「今後が期待できる若手選手」の1人に挙げられている[31]。課題は守備で、阪神1年目の2014年には、ウエスタン・リーグ公式戦延べ110試合(三塁71試合・一塁32試合・遊撃7試合)で13失策を記録[32]。2015年には、一塁守備中の左肩亜脱臼によって、およそ4ヶ月間の戦線離脱を余儀なくされた(詳細前述)。「(前述のトレーニングで)以前より体重が6キロ増えたのに30メートル走のタイムが速くなった」という2016年の春季キャンプからは、従来の一塁・三塁に加えて、外野の守備にも挑戦[8]。一軍公式戦でのスタメンデビュー戦であった2016年4月16日の対中日戦(ナゴヤドーム)には、左翼手として出場した[33]。
2010年から2013年まで福岡ソフトバンクホークスに所属していた下沖勇樹とはいとこである[34]。
レゲエシンガーの強とは「大阪都島ボーイズ」時代の選手とコーチの関係であり、現在も交流がある。一軍公式戦にてホームランを打つことを条件にホームゲームで使用する登場曲用としてオリジナルの楽曲を書き下ろすことを約束しており[35]、実際に2016年4月29日の横浜DeNA戦で陽川がプロ初ホームランを放ったことを受けて楽曲が作成された。2017年シーズンより登場曲として使用している。
阪神入団後の2017年頃からは、チームメイトに「ゴリラ」と呼ばれている。2018年のレギュラーシーズン序盤には、ウエスタン・リーグの公式戦で陽川が安打や本塁打を放つたびに、チームメイトが「ゴリラポーズ」(平手で自分の胸を叩く仕草)で陽川を称えるパフォーマンスを披露するまでに発展[1]。6月に陽川が一軍へ昇格してからは、「ゴリラポーズ」が一軍のナインにも波及している[36]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 阪神 | 29 | 77 | 72 | 6 | 12 | 0 | 0 | 2 | 18 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 22 | 0 | .167 | .221 | .250 | .471 |
2017 | 12 | 19 | 18 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | .167 | .211 | .333 | .544 | |
NPB:2年 | 41 | 96 | 90 | 7 | 15 | 0 | 0 | 3 | 24 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 30 | 0 | .167 | .219 | .267 | .486 |
- 2017年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
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試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2016 | 阪神 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 19 | 15 | 21 | 2 | 3 | .947 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
2017 | 2 | 17 | 2 | 0 | 2 | 1.000 | - | - | |||||||||||
通算 | 3 | 25 | 4 | 0 | 2 | 1.000 | 19 | 15 | 21 | 2 | 3 | .947 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
- 2017年度シーズン終了時
記録
- 初記録
- 初出場:2016年4月15日、対中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤドーム)、5回裏にマット・ヘイグに代わり三塁手として途中出場
- 初打席・初安打:同上、7回表にジョーダンから左前安打
- 初先発出場:2016年4月16日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、7番・左翼手として先発出場
- 初本塁打・初打点:2016年4月29日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(阪神甲子園球場)、5回裏に今永昇太から中越2ラン
背番号
- 55 (2014年 - )
登場曲
- 「International Love ft. Chris Brown」 - Pitbull (2014年)
- 「BIG UP」 - 湘南乃風 (2015年)
- 「My House」 - Flo Rida (2016年)
- 「静寂と歓喜~グランドスラム~」 - 強 (2017年 - )
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “阪神・4番陽川 覚醒させた「ゴリラポーズ」”. ZAKZAK. (2018年7月2日) . 2018年7月4日閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 “阪神ドラ3陽川、脱臼自分で治す鉄人”. 日刊スポーツ. (2013年10月29日) . 2013年11月2日閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 “2013年ドラフト 陽川 尚将”. スポーツニッポン . 2013年11月2日閲覧.
- ↑ “[コラム巨]ドラフトで巨人を拒否した男達”. スポーツ報知. (2013年10月19日) . 2016年9月21日閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 週刊ベースボール2013年12月16日号 P85
- ↑ 6.0 6.1 週刊ベースボール2013年12月16日号 P84
- ↑ 7.0 7.1 “ドラフト隠し玉は東都2部の東農大・陽川”. 日刊スポーツ. (2013年10月11日) . 2013年11月2日閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 “阪神金本監督、陽川に付きっきり90分間熱血指導”. 日刊スポーツ. (2016年2月13日) . 2016年3月6日閲覧.
- ↑ “阪神陽川左肩亜脱臼 若手大砲が苦境”. 日刊スポーツ. (2015年2月24日) . 2016年3月5日閲覧.
- ↑ “阪神陽川フリー打撃再開 2月に左肩亜脱臼”. 日刊スポーツ. (2015年5月17日) . 2016年3月5日閲覧.
- ↑ “阪神陽川が復活弾「これが公式戦なら…」”. 日刊スポーツ. (2015年6月25日) . 2016年3月5日閲覧.
- ↑ プロ野球フレッシュオールスターゲーム2015出場者日本野球機構公式サイト
- ↑ “期待の若手の成績は? ウインターリーグの結果を紹介”. THE PAGE. (2015年12月21日) . 2016年3月6日閲覧.
- ↑ “掛布2軍監督連敗に「1歩1歩」陽川2戦連発も無念”. 日刊スポーツ. (2016年3月16日) . 2016年3月30日閲覧.
- ↑ “阪神・陽川、プロ入り初の一軍昇格!二軍でリーグ1位の5本塁打”. サンケイスポーツ. (2016年4月13日) . 2016年4月14日閲覧.
- ↑ “ファーム3、4月度MVPにDeNA白根、阪神陽川”. 日刊スポーツ. (2016年5月12日) . 2016年5月22日閲覧.
- ↑ “阪神・陽川、プロ入り初の一軍昇格!二軍でリーグ1位の5本塁打”. 日刊スポーツ. (2016年4月16日) . 2016年4月17日閲覧.
- ↑ “阪神の陽川が金本マジックでプロ初アーチが逆転決勝2ランに!”. THE PAGE. (2016年4月29日) . 2016年4月29日閲覧.
- ↑ “阪神・陽川、三冠王へ弾み3ラン!掛布2軍監督「財産になる」”. サンケイスポーツ. (2016年9月15日) . 2016年10月2日閲覧.
- ↑ “本間勝の鳴尾浜通信「阪神陽川、ファームの三冠王よりも1軍定着へ」”. 日刊スポーツ. (2016年9月19日) . 2016年10月2日閲覧.
- ↑ “阪神・掛布二軍監督、陽川を外野起用「内外野のバランス考えて」”. サンケイスポーツ. (2017年3月4日) . 2017年3月4日閲覧.
- ↑ “阪神掛布二軍監督が明言、陽川4番「動かさない」”. 日刊スポーツ. (2017年3月2日) . 2017年3月4日閲覧.
- ↑ “阪神・陽川、5試合連続アーチで球団ファーム最多タイ21号”. スポーツニッポン. (2017年9月10日) . 2017年9月18日閲覧.
- ↑ “阪神・陽川、ロジャースに代わって昇格も3三振”. サンケイスポーツ. (2017年9月11日) . 2017年9月18日閲覧.
- ↑ “阪神陽川二軍タイトルもういらん 50万減で更改”. 日刊スポーツ. (2017年11月16日) . 2017年12月9日閲覧.
- ↑ “阪神陽川が開幕二軍決定 オープン戦は打率2割7厘”. 日刊スポーツ. (2018年3月29日) . 2018年6月7日閲覧.
- ↑ “阪神・板山 プロ3年目の初本塁打 初の二塁起用も発奮”. スポーツニッポン. (2018年5月13日) . 2018年6月7日閲覧.
- ↑ “阪神陽川1号 二軍降格ロサリオ代役4打点で存在感”. 日刊スポーツ. (2018年6月4日) . 2018年6月7日閲覧.
- ↑ “阪神103代4番陽川「いつも通り」6点猛攻トリ”. 日刊スポーツ. (2018年6月4日) . 2018年7月4日閲覧.
- ↑ 「週刊ベースボール」 2013年11月11日号「2013ドラフト総決算号」ベースボール・マガジン社 JANコード:4910204421135
- ↑ “金本新監督、期待の若手に江越ら指名”. デイリースポーツ. (2015年10月19日) . 2016年3月6日閲覧.
- ↑ “陽川“掛布グラブ”でつかむ「三塁定位置」…守備向上へ決意”. スポーツニッポン. (2014年12月16日) . 2016年3月6日閲覧.
- ↑ “高山、初のスタメン落ち 陽川が初先発”. デイリースポーツ. (2016年4月16日) . 2016年5月22日閲覧.
- ↑ “光星学院の主将下沖「準々決勝までは」”. 日刊スポーツ (2009年3月14日). . 2017閲覧.
- ↑ 陽川 特大弾で“西岡級”テーマ曲 強からプレゼントの約束 スポニチアネックス 2015年1月26日
- ↑ “阪神・陽川が打つと“ゴリラポーズ”二軍から流行”. サンケイスポーツ. (2018年7月2日) . 2018年7月4日閲覧.
関連項目
外部リンク
ドラフト指名 |
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