レイバン
レイバン (Ray-Ban) は、サングラス、メガネを展開するグローバルリーディングブランドである。
1937年にアメリカ空軍の委託でアメリカの企業ボシュロム社 (Bausch & Lomb) が創立した。1999年に、ファッションブランドのアイウェア(メガネフレーム及びサングラス)を扱うイタリアのルックスオティカ (Luxottica Group S.p.A.) に売却され、現在はルックスオティカグループの主力ブランドである。
日本では、日本法人のミラリジャパンが販売している。
「光学的に眼を守らなければ、サングラスとは呼べない」が設立時の基本コンセプトで、「紫外線100%カット」をはじめとする機能性重視のモデルが多かったが、1999年の売却以降は斬新なデザインを売りにしたモデルも多い。1986年に、アメリカン・ファッション・デザイナー協議会からThe World's Finest Sunglasses(世界最高級のサングラス)の称号を得ている。世界的に最も有名なサングラス・ブランドのひとつで、世界中のセレブリティをはじめ同ブランドの愛用者は多い。
Contents
歴史
レイバン以前
レイバンはドイツからアメリカへ移民してきた2人の青年の野望から始まった。アメリカでの成功を夢見ており、眼鏡職人として働き、眼鏡の輸入販売を行っていたヤン・ヤコブ・ボシュに、当時家具職人として成功していたヘンリー・ロムが60ドルを出資、この資金を元手にボシュは眼鏡店を開業するが、当初の経営状態は必ずしも良好とはいえなかった。
ある日ボシュが道端に転がっていた硬質ゴムのかけらを拾い、「この素材を眼鏡のフレームに使うことはできないだろうか?」と考えたことにより事業は好転する。当時眼鏡フレームとして一般的だったのはアメリカ産の動物の角であったが、衝撃などに対して非常にもろいという欠点があった。一方で生ゴムに硫黄を30~40%加えて硬化させることにより製造されるこの素材は、軽く丈夫で、それまでの角でできたフレームとは比べ物にならない高い品質を誇っていた。後に「バルカナイト」と呼ばれることになるこの素材が、ボシュロム社の基盤を築くことになったのである。
1866年になると、それまでの「ジェイ・ジェイ・ボシュ・アンド・カンパニー」という社名を「バルカナイト・オプティカル・インストゥルメント・カンパニー」と改名。バルカナイト製フレームは爆発的なヒット商品となり、彼らの会社を一躍有名にした。その後、1874年には光学分野にも進出し、顕微鏡の製造を開始。さらに写真機用レンズの製造も手掛けるようになると社名を「ボシュロム・オプティカル・カンパニー」に変えたが、この頃には眼鏡フレームのみならず、様々な分野で成功を収める優良企業へと成長し、アメリカでもトップレベルの光学メーカーに成長した。そうして間もなく、ボシュロム社はパイロット用サングラスの開発を手掛けることになる。
依頼してきたのは、1923年5月に北米大陸無着陸横断飛行に成功したアメリカ陸軍航空隊のジョン・マクレディ中尉であった。彼は飛行中に高空域における強烈な太陽光線を浴びることで、それを原因とする眼球疲労と視力低下、そして頭痛、吐き気に襲われるという悩みを持っていた。この経験から、マクレディ中尉はボシュロム社にパイロット用のサングラスの開発を依頼した。それ以前にもパイロット用のゴーグルやサングラスは存在していたが、その多くは単なる風避けが目的であったり、眩しさをごまかす色ガラス付きの眼鏡に過ぎない代物であった。劣悪な状況で飛行しなければならない飛行士を救うために、ボシュロム社はパイロット用のサングラスの研究開発をスタートさせた。しかしながら、目を太陽の紫外線から保護しつつ、対象物をしっかりと見ることのできる高い視認性を保持するレンズの開発は難航し、完成までに6年という長い年月を費やすこととなる。
こうして1929年に誕生したパイロット用のサングラスには、のちに「レイバン・グリーン」と呼ばれ人気となったグリーンのレンズ(#1と呼ばれた最初のグリーンレンズは、現在のグリーンレンズよりも色の薄いものであった)が採用され、フレームも後のサングラスのデザインに大きな影響を与えることになる「ティアドロップ・シェイプ」を採用。翌1930年には、合衆国陸軍航空隊がこのモデルを「アビエーター・モデル」として制式に採用した。このことによりサングラスはパイロットを象徴する存在となり、アメリカの強大な航空技術を背景に、世界中の空を駆け巡ることとなった。
レイバンの誕生
「アビエーター・モデル」が一般の人々にも知られるようになると、1936年にアビエーター・モデルは「クラシックメタル」(現在はAviatorという名称)として一般にも発売されるようになり、1937年には「光線を遮断する」という意味の「レイバン」というブランドが誕生した。
モデル
レイバンには機能的な物や斬新なデザインの物など多数のモデルがあるが、以下にその代表的なものを挙げる。各モデルの中にはシリーズ化されたり、廃盤になったものなど様々な種類がある。
アビエイター
『アビエイター』(Aviator)は、レイバンを代表する定番モデル。そのルックスからティアドロップとも呼ばれる。
レイバン設立時からアメリカ空軍に採用され、社会的な信頼を得る。ヘルメットを被ったままでも着脱が出来るよう、曲げられていない(真直ぐな)テンプル・モダンが特徴。米国空軍のパイロット用として制式採用され、その後も研究開発を重ね、1937年に誕生した。人間の目の動きと同じ範囲をカバーし、最大の視野を確保できるとされる。優れた光学技術とそのデザイン性で、現在もなお俳優・女優を含む多くのファンに愛されている。
1986年のアメリカ映画『トップガン』でトム・クルーズが着用し、この映画の世界的ヒットでアビエイターの人気が高まり、売り上げが飛躍的に向上したといわれている。
日本では、ダグラス・マッカーサーが厚木基地に上陸した際に着用していたモデルとして、また特撮ドラマ「西部警察」シリーズで渡哲也が着用したモデルとして名高い。
ウェイファーラー
『ウェイファーラー』(Wayfarer)は、1953年から欧米で発売されていた人気モデル。現在も生産され、クラシックなカラーをはじめ、ポップなレッドやホワイトフレームができ、若者の間で再びブームになっている。1952年の誕生以来、“ロックの象徴”として多くの音楽ファンや映画ファンから愛され、 伝説のモデルとなったウェイファーラー。ボブ・ディランやマドンナなど数多くの ロックミュージシャンたちが自由と個性のシンボルとしてウェイファーラーを身につけ、 反体制のスピリットの象徴となり、世界中の人々を魅了している。映画「ブルース・ブラザース」や「ティファニーで朝食を」「卒業白書」などのスクリーンにも登場し、才能あふれるアーティストたちが選ぶサングラスとして絶大な人気を持ち続けている。
日本では、シンガーソングライターの浜田省吾が着用したモデルとして名高い。
オリンピアン
『オリンピアン』は70年代のファッションを予想していたかのように、新たなトレンドを取り入れて1965年に誕生した。自由と自立を象徴するアメリカン・カルチャーを代表する アイテムとして登場したオリンピアンはアイウエアの新たな時代を築き、代表的なアイコン モデルのひとつとなった。繊細でありながらワイルドな雰囲気を醸し出すレンズカーブ、 フロントからまっすぐに伸びるテンプルが印象的な表情を作る。
1967年に発売された『オリンピアン・Ⅰ・デラックス』は映画「イージー・ライダー」にも登場した。
最終的にはボシュロム製で『オリンピアン・Ⅵ』まで作られた。
クラブマスター
『クラブマスター』は50年代の知性の象徴であり、また反体制のスピリットが宿るクラブマスター。クラブマスターは技術的なディテールへのこだわりと、洗練されたスタイリングが、 クラシックの真髄とも言える格別なデザインに仕上がっている。アセテートのテンプル とブローバー、フレームにはメタルを施した上品なラインが多くの人々を魅了し、「JFK」や「マルコムX」、「リプリー」などの数多くのスクリーンにも登場している。
プレデター
『プレデター』(Ray-Ban Predator)は、『メン・イン・ブラック』シリーズでウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズ(MIBエージェントの二人)がかけていたモデル。
愛用者
アメリカ
トム・クルーズ
ジョン・F・ケネディ
マイケル・ジャクソン
ドン・ジョンソン
ジェームズ・ディーン
ボブ・ディラン
ジャック・ニコルソン
ジョン・ベルーシ
ダグラス・マッカーサー
アンドリュー・マッカーシー
マドンナ
カート・ラッセル
ロブ・ロウ
ノーマン・リーダス
イタリア
その他の国
アヴリル・ラヴィーン
ダン・エイクロイド
大沢伸一
桂米朝
木村拓哉
佐藤琢磨
新庄剛志
たむらけんじ
タモリ
CHAGE
トミーズ健
橋田壽賀子
浜田省吾
降谷建志
デビッド・ベッカム
前野健太
みつまJAPAN
渡哲也
横山剣クレイジーケンバンド
今谷慶介
外部リンク
- レイバン 公式サイト(日本語)