横川駅 (広島県)
横川駅(よこがわえき)は、広島県広島市西区横川町三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・広島電鉄の駅である。
広島電鉄の駅は「駅」も正式電停名に入り、横川駅電停(よこがわえきでんてい)となる。
Contents
乗り入れ路線
JR西日本の駅には、当駅を所属線[1]とする山陽本線と、当駅を起点とする可部線が乗り入れる。 可部線は線路名称上は当駅を起点とするものの、全列車が広島駅まで乗り入れる。
広島電鉄の駅には、横川線が乗り入れる。系統上7号線・8号線が乗り入れる。
歴史
国産乗合バス発祥の地
1905年(明治38年)2月5日、12人乗りの乗合バスが横川町 - 可部町間約15kmを運行を開始[2]、これは日本最初の国産乗合バスであった。このことを知った地域の横川商店街が「レトロバス復元の会」を設立。車体の復元が始まった。2004年3月の復元完成時に役割を終えた会は解散、同時に町興しに活用すべく「広島かよこバス活用委員会」を設立[3]。復元時に「かよこバス」と名付けた[2]。名前の由来は、レトロバス復元記念の土産物を開発に取り組んでいた活用委員会メンバーの可部の「か」に横川の「よこ」を取って「かよこ」という駄洒落から[3]。
2004年から横川駅前には当時の車両を復元した物が展示されている[4]。
なお、京都で乗合バスが運行されたのは1903年(明治36年)9月20日であり、こちらの方が運行開始が早く、後にバスの日に設定されたものの、使われた車両は6人乗りで現在の「バス」の法定義である「11人以上が乗れる車」の要件は満たしていない。
JR西日本
- 1897年(明治30年)9月25日 - 山陽鉄道 広島駅 - 徳山駅間延伸時に開業。一般駅。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道が国有化、国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)
- 1919年(大正8年)3月11日 - 大日本軌道広島支社線が可部軌道へ譲渡され、横川停留場も同社の停留場となる。
- 1926年(大正15年)5月1日 - 可部軌道が広島電気に合併され、横川停留場も同社の停留場となる。
- 1931年(昭和6年)7月1日 - 広島電気線が広浜鉄道へ譲渡され、横川停留場も同社の停留場となる。
- 1933年(昭和8年)4月20日 - 広浜鉄道の横川停留場が駅に昇格、横川町駅に改称。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 広浜鉄道が国有化、国有鉄道可部線となる。横川町駅を横川駅に統合。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により、駅舎全壊など大きな被害を受ける。
- 1962年(昭和37年)10月1日 - 経路変更に伴い、可部線ホームが現在地に開業[注 1]。
- 1980年(昭和55年)9月24日 - 車扱貨物の取り扱いを廃止(旅客駅となる)[注 2]。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1991年(平成3年)3月16日 - 可部線の全列車が広島駅まで乗り入れ開始。通常時に当駅を始発・終着とする列車が消滅する。
- 2003年(平成15年)8月23日 - 新駅舎が完成[6]。
- 2004年(平成16年)3月28日 - 復元した日本初の国産乗合バスの展示場が駅構内に設置。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 北口をジェイアール西日本広島メンテックに業務委託。
- 2007年(平成19年)
- 2010年(平成22年)3月13日 - 旅客案内におけるのりば番号を改称。可部線下りホームを4番のりばから5番のりばに、可部線上りホームを5番のりばから6番のりばに改称し、4番のりばは欠番となる。
- 2011年(平成23年)4月1日 - ジェイアール西日本広島メンテックに駅業務を委託していた北口を直営化。
- 2013年(平成25年)4月 - 可部線線形改良工事起工[7]。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)3月 - ダイヤ改正までに可部線線形改良工事と北口耐震工事が完了。
広島電鉄
- 1917年(大正6年)11月1日 - 広島瓦斯電軌(広島電鉄の前身)横川線開業。現在の横川駅付近に横川駅前電停、その先に三篠(みささ)電停が設置される。
- 1926年(大正15年)頃 - 三篠電停が横川電停に改称。
- 1941年(昭和16年)7月28日 - 横川駅前電停廃止。
- 1951年(昭和26年)7月19日 - 軌道を70m短縮し、横川電停を移設。当時は横川駅前交差点東の道路上の1面1線の上り下り併用電停であった[10]。
- 2001年(平成13年)11月1日 - 横川電停を横川駅電停に改称。
- 2003年(平成15年)3月27日 - 現在地に移転[11]。
駅構造
JR西日本
島式ホーム2面4線と単式ホーム1面1線の合わせて3面5線を持つ高架駅。JRの特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。
駅舎は南側と北側にある。2003年(平成15年)落成の南口の駅舎は地上に、1949年(昭和24年)に落成し2003年(平成15年)に改装された北口の駅舎は可部線の高架下にある。南北それぞれに改札口・みどりの窓口を備え、デイリーインもある。コンコースから各ホームへはエレベーターが設置されている。
直営駅(宮島口駅傘下の地区駅で駅長配置)。ICOCA(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)が利用可能。
駅舎の西側には、南北連絡用の自由通路トンネルが設けられている。
JRの乗車券には信越本線にある横川駅(こちらは「よこかわ」と読む)と区別するため、「(陽)横川」と表記している。 駅スタンプは「日本最初の国産乗合バス誕生地の駅」。
のりば
のりば | 路線 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | R 山陽本線 下り | 宮島口・岩国方面 | |
2 | (山陽本線中線、予備ホーム) | ||
3 | R 山陽本線 上り | 広島・呉・三原方面 | 山陽本線岩国方面から |
5 | B 可部線 下り | 緑井・可部・あき亀山方面 | |
6 | B 山陽本線 上り | 広島・呉方面 | 可部線可部方面から |
- 2番のりばは定期での旅客列車の発着はないが、事故・トラブル・大雨・落雷などによるダイヤの乱れの場合と、気動車の回送に使われることがある。
- かつては2・3番ホームと5・6番ホームの間に横川電車区の線路があったが現在は撤去されている。
- 2010年3月13日より、可部線ホームは4・5番のりばから5・6番のりばに改称された。
- 可部線の5・6番のりばから山陽本線へ合流する線路が単線である為に、可部線上り列車が下り列車を横川駅で待ち合わせする状況が発生していたが、可部線列車同士の山陽本線上下線同時進入出を可能にする為の配線変更工事が行われた[7][12]。それに伴い3番のりば東側が北に約1m移動し、同時に3番のりばが拡幅された。同工事中に2番のりばの岩国方面側に停止位置目標が新たに設置されている。
線形改良工事に合わせて駅舎北口側で耐震補強工事も行われ、可部線配線変更、北口耐震工事共に2015年3月14日のダイヤ改正までに完工した。それに伴い、山陽本線と可部線を接続する分岐器の高番化も実施され、5番のりば到着と6番のりば出発の制限速度が45km/hに緩和した。
広島電鉄
JR横川駅(南口)広場内東側にある。大屋根が電停を覆うように設けられており、雨の日でも濡れずにJR横川駅へ乗換えができるよう電停にも屋根がついている。
両のりばとも、7号線広電前行きおよび8号線江波行き電車が停車する。これは、1つの列車が横川駅電停を境に7号線と8号線を交互に運転すること(俗に三角運用と呼ばれている)があるためである(一部時間帯を除く)。横川駅電停にはほとんどの場合単車が乗り入れているが、朝夕ラッシュ時には連接車の乗り入れも設定されている。朝ラッシュには係員が案内をするが、広島駅のような集札員を配置した集札業務はひろしまフラワーフェスティバルのような大規模イベント開催時でないとおこなわれない。尚、2013年2月より新型車両(1000形)が導入された事により一日7・8号線合わせて24往復の設定がある。
横川駅電停直前の国道上にクロスオーバー線路を敷き、両ホームにおける入線と出発を可能にしている。1番線は線路の左右にホームが有り、1番ホームの向かい側を降車専用ホームにしている。降車専用ホームにはホーム番号は設定されていない。
なお、2003年3月26日までは、横川駅前交差点の東側に1面1線の片面ホームの形で存在していた(白島電停と同様の構造)。
運行系統
1・2 | 7号線 | 広電前ゆき | |
---|---|---|---|
8号線 | 江波ゆき |
ギャラリー
- JR横川駅北口01a.jpg
北口
- Yokogawa Station showing Hiroden line 2.jpg
南口・交差点より
- Hiroden Yokogawa Station.jpg
南口 広電駅舎
- JR横川駅南口・広島02.JPG
南口 改札口
- Platform ticket Yokogawa Sta.jpg
入場券。「(陽)横川」と表記。
- 可部線0キロポスト.JPG
駅構内に立つ可部線の0キロポスト
利用状況
- JR横川駅
以下の情報は、広島市統計書及び広島市勢要覧に基づいたデータである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
1日平均 降車人員 |
---|---|---|
1947年(昭和22年) | 7,305 | - |
1948年(昭和23年) | 10,182 | - |
1949年(昭和24年) | 8,291 | - |
1950年(昭和25年) | 7,103 | - |
1951年(昭和26年) | 6,671 | 6,338 |
年度 | 1日平均 乗車人員 |
年度毎 乗客数 |
年度毎 降車数 |
年度毎 発送貨物(t) |
年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|
1952年(昭和27年) | 6,399.9 | 2,335,973 | - | - | - |
1953年(昭和28年) | 5,783.5 | 2,110,993 | - | - | - |
1954年(昭和29年) | 5,507.1 | 2,010,079 | - | - | - |
1955年(昭和30年) | 5,265.8 | 1,927,269 | - | - | - |
1956年(昭和31年) | 5,528.9 | 2,018,060 | - | - | - |
1957年(昭和32年) | 5,714.4 | 2,085,762 | - | 26,555 | 71,997 |
1958年(昭和33年) | 5,788.1 | 2,112,673 | 2,088,830 | 23,865 | 76,418 |
1959年(昭和34年) | 5,957.8 | 2,180,562 | 2,169,209 | 23,145 | 81,463 |
1960年(昭和35年) | 6,100.3 | 2,226,625 | 2,208,286 | 21,173 | 78,671 |
1961年(昭和36年) | 5,529.2 | 2,018,167 | 1,982,341 | 28,733 | 79,054 |
1962年(昭和37年) | 5,319.8 | 1,941,711 | 1,916,864 | 19,584 | 79,354 |
以上の1日平均乗車人員は、年度毎乗客数を365(閏年が関係する1955・1959年は366)で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
年度毎 総数 |
定期券 総数 |
普通券 総数 |
年度毎 発送貨物(t) |
年度毎 到着貨物(t) |
---|---|---|---|---|---|---|
1963年(昭和38年) | 5,598.3 | 4,097,931 | 3,344,314 | 753,617 | - | - |
1964年(昭和39年) | 6,056.7 | 4,421,401 | 3,582,862 | 838,539 | 18,678 | 74,153 |
1965年(昭和40年) | 6,834.2 | 4,988,954 | 4,017,120 | 971,834 | 13,859 | 66,023 |
1966年(昭和41年) | 6,750.0 | 4,927,474 | 4,018,480 | 908,994 | 7,687 | 68,158 |
1967年(昭和42年) | 6,776.8 | 4,960,623 | 3,954,334 | 1,006,289 | 10,407 | 76,459 |
1968年(昭和43年) | 6,165.1 | 4,500,533 | 3,469,088 | 1,031,445 | - | - |
1969年(昭和44年) | 5,967.8 | 4,356,463 | 3,356,418 | 1,000,045 | - | - |
1970年(昭和45年) | 6,209.4 | 4,532,835 | 3,375,512 | 1,157,323 | - | - |
1971年(昭和46年) | 6,305.2 | 4,615,424 | 3,352,004 | 1,263,420 | - | - |
1972年(昭和47年) | 6,423.2 | 4,688,907 | 3,233,512 | 1,455,395 | - | - |
1973年(昭和48年) | 7,306.5 | 5,333,770 | 3,408,290 | 1,925,480 | - | - |
1974年(昭和49年) | 8,239.1 | 6,014,529 | 3,711,488 | 2,303,041 | - | - |
1975年(昭和50年) | 9,767.1 | 7,149,491 | 3,741,790 | 3,407,701 | - | - |
1976年(昭和51年) | 9,539.1 | 6,963,513 | 4,030,328 | 2,933,185 | - | - |
1977年(昭和52年) | 9,278.5 | 6,773,331 | 3,986,980 | 2,786,351 | - | - |
1978年(昭和53年) | 9,353.8 | 6,828,295 | 4,135,530 | 2,692,765 | - | - |
以上の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1963・1967・1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にしたものである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1979年(昭和54年) | 8,894 |
1980年(昭和55年) | 8,889 |
1981年(昭和56年) | 8,811 |
1982年(昭和57年) | 8,875 |
1983年(昭和58年) | 8,977 |
1984年(昭和59年) | 9,285 |
1985年(昭和60年) | 9,860 |
1986年(昭和61年) | 10,299 |
1987年(昭和62年) | 12,200 |
1988年(昭和63年) | 12,582 |
1989年(平成 元年) | 13,309 |
1990年(平成 2年) | 14,478 |
1991年(平成 3年) | 15,301 |
1992年(平成 4年) | 16,312 |
1993年(平成 5年) | 16,942 |
1994年(平成 6年) | 16,386 |
1995年(平成 7年) | 15,624 |
1996年(平成 8年) | 15,524 |
1997年(平成 9年) | 15,131 |
1998年(平成10年) | 14,949 |
1999年(平成11年) | 14,868 |
2000年(平成12年) | 14,679 |
2001年(平成13年) | 14,384 |
2002年(平成14年) | 14,283 |
2003年(平成15年) | 15,001 |
2004年(平成16年) | 15,875 |
2005年(平成17年) | 16,499 |
2006年(平成18年) | 16,714 |
2007年(平成19年) | 17,168 |
2008年(平成20年) | 17,562 |
2009年(平成21年) | 17,696 |
2010年(平成22年) | 17,635 |
2011年(平成23年) | 17,751 |
2012年(平成24年) | 17,856 |
2013年(平成25年) | 18,249 |
2014年(平成26年) | 17,762 |
2015年(平成27年) | 16,758 |
2016年(平成28年) | 16,901 |
- 乗車数グラフ
JRの駅としては広島市の中心である紙屋町に最も近かったため、もともと通勤客の利用が多かったが、2003年(平成15年)の広島電鉄7号線運行開始以来、顕著に増加の趨勢がみられる。
広島電鉄でのJRとの乗換客数は5,000人となっている(7号線開業前の値)[13]。
駅周辺
南口
- 西区区民文化センター
- 横川商店街
- 横川シネマ!!
- フレスタモールカジル横川
- フタバ図書横川店(第1号店舗)
- アクロスボックス横川駅前
- 快活CLUB広島横川店
- 広島横川郵便局
- 広島銀行横川支店
- 広島信用金庫横川支店
- 長崎病院 - 原爆投下時、横川駅の陰になった(被爆当時三篠町に所在。2014年より横川新町)ことで損害が比較的軽微だったことから、被爆者の救護拠点として機能したことで知られる。
北口
- 広島市立三篠小学校
- もみじ銀行三篠支店
路線バス
広島地区のバス路線は、基本的に、市内線(主に旧市内(中区・西区・南区の3区と東区の一部)だけを走る路線)と郊外線(広島バスセンターまたは広島駅・八丁堀と旧市内の外を結ぶ路線)に大別され、これらはバス停も別々になっている。
横川駅においても、市内線は南口ロータリー内、郊外線は国道183号(2008年(平成20年)4月1日に道路管理者が国土交通省から広島市に移管されたことに伴い、国道54号から変更された)上と分かれて設置されている。ただし、広島駅と違い、横川駅では可部街道を通る広島電鉄、広島交通のバスはロータリーに入らない。
なお、郊外線バス停の市内線乗り場(広島バスが郊外線と同方向に向かう23号線乗り場として使用)としての名称は、上りが「横川3丁目」、下りが「横川1丁目」と同じバス停に「横川駅前」バス停乗り場が併設されている。
- ロータリー内バス停
- 広島電鉄(市内線と、郊外線のうち広島高速4号線を経由する路線)
- 広島バス(市内線)
- 中国ジェイアールバス(郊外線とバスセンター方面)
※上記のほか、Jリーグサンフレッチェ広島の試合がある日にはエディオンスタジアム広島行きシャトルバスが発着しており、シャトルバスの唯一の発着場となっている。
隣の駅
- 広島電鉄
- ■横川線
- 横川一丁目電停 (Y4) - 横川駅電停 (Y5)
脚注
注釈
出典
- ↑ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ↑ 3.0 3.1 “かよこバス特集”. 横川商店街. . 2014閲覧.
- ↑ “日本初の国産の乗合バス(横川~可部間)”. 広島市. . 2014閲覧.
- ↑ 「国鉄監修 交通公社の時刻表」1986年4月号・5月号
- ↑ 「鉄道記録帳2003年8月」、『RAIL FAN』第50巻第11号、鉄道友の会、2003年11月1日、 20頁。
- ↑ 7.0 7.1 中川雅晴 (2014年4月8日). “可部線延伸にらみ改修 横川駅 列車のホーム待機短縮”. 中国新聞 朝刊 (広島市: 中国新聞社)
- ↑ 8.0 8.1 8月16日から続く大雨等による被害状況について(第6報) (PDF) - 国土交通省 災害情報、2014年8月20日 15:00現在
- ↑ 広島大規模土砂災害で可部線など不通 - レスポンス 2014年8月20日
- ↑ “tumori.nu 市内線全電停紹介 横川駅”. TUMOCHAN. . 2012閲覧.
- ↑ 「鉄道記録帳2003年3月」、『RAIL FAN』第50巻第6号、鉄道友の会、2003年6月1日、 20頁。
- ↑ “JR可部線活性化連携計画を変更しました”. 広島市. . 2014-10-5閲覧. |社色 = #0072bc |文字色 =
- ↑ 鉄道ピクトリアル 2000年7月号 臨時増刊号【特集】路面電車〜LRT
参考書籍
- 各 広島市統計書
- 各 広島市勢要覧
関連項目
外部リンク
- 横川駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- JR横川駅NKビル(ジェイアール西日本不動産開発より)