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対面交通(たいめんこうつう)とは、自動車と歩行者とが対面して通行することをいう。これによって、自動車と歩行者とが相互を認識しながら通行することができるので、自動車が普及している社会においては法制化されている。
Contents
沿革
日本
日本では、車両と歩行者が同じく左側通行であったが、終戦直後死亡事故が頻発した[注釈 1]ことから、1949年11月1日に車両と歩行者の対面交通が採用された。その際、歩行者の通行区分を右側通行(歩道・路側帯と車道の区別のない道路に限る)に変更した[注釈 2][1]が、鉄道駅構内は現在も左側通行が採用されている所が多い[注釈 3]。また、盲導犬は道路の左側を歩くよう訓練されており、道交法でも左側通行が認められている[3]。
韓国
大韓帝国時代の1905年に「大韓帝国規定」で右側通行が規定され、日本統治時代の1921年に内地に合わせて左側通行となった[4]。そして米軍軍政期の1946年に車両が右側通行に変更され、対面交通が始まった[5]。しかし、2009年10月1日に駅、空港等の公共交通施設や公共交通機関内で歩行者も右側通行に変更され[6]、長らく韓国でも続いた対面交通は廃止された。
車両の通行区分
これには車両は原則として道路中央よりも左側の部分を通行しなければならないとする左側通行と、この逆に車両は原則として道路中央よりも右側の部分を通行しなければならないとする右側通行とがある。
日本においては上述のように左側通行が採られ、道路交通法第17条第4項に「車両は、道路の中央から左の部分を通行しなければならない。」と定められている。したがって、車両は原則として道路の中央から右の部分にその全部又は一部をはみ出して通行することができない。ただし、以下の例外がある(道路交通法第17条第5項)。
- 当該道路が一方通行の場合
- 当該道路の左側部分の幅員が当該車両の通行に十分でない場合
- 当該車両が道路上の何らかの障害(道路の損壊や道路工事など)のため当該道路の左側部分を通行することができない場合
- 法令上追越しのために右側部分にはみ出して通行することが禁止される場合を除いて、当該道路の左側部分の幅員が6メートルに満たない道路で他の車両を追い越そうとする場合
- 勾配の急な道路のまがりかど付近で道路標識等により通行の方法が指定されている場合において、当該車両が当該指定に従い通行する場合(なお、このような道路で通行方法を指定するために路面上に描かれる白矢印の標示は、「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」の別表において「右側通行」の標示として定められている)
歴史
通行区分採用の理由には様々な説がある。日本の左側通行については、江戸時代頃から武士などが左腰に差している刀が触れ合うことを避けて自然と左側通行になっていたという説[1]や、明治政府がイギリスの制度に範をとったためとする説などがある。一方、欧州大陸諸国においては、ローマ帝国の時代には左側通行が採用されていたという記録がある。その後の右側通行については、馬車の馭者は右手で鞭を振るうので、対向する馬車に鞭を当てないために自然と右側通行になったという説や、フランス革命の際に教会の定めていた左側通行に対抗して右側通行にし、その後、ナポレオンがヨーロッパ各地を占領していったことで普及したなどといった説がある。アメリカ合衆国の右側通行は、道路行政を担当した官僚がオランダ出身だったためという説や、独立によってイギリスの支配から脱した記念に転換したとする説などがある。しかし、どの説も決め手に欠け、なぜ左/右側通行になったのかはっきりとわかっていない。
各国の運用
右側通行を採用している国が多数になっている。人口比では左側通行と右側通行の比率が34:66で、道路の総延長距離では27.5:72.5になる[注釈 4]。
- 左側通行
- イギリスおよび一部を除く旧イギリス領(アイルランド・香港など)、一部を除くイギリス連邦加盟国(オーストラリア・ニュージーランド・インド・パキスタン・マレーシア・ブルネイ・シンガポール・ケニア・南アフリカ・キプロス・マルタ・ジャマイカ・ガイアナ・バハマなど)といったイギリスの影響を受けた国や地域が多く、その他で左側通行を採用している国や地域は日本・タイ・インドネシア・スリナム・モザンビーク・東ティモール・マカオなどである。
- 右側通行
- 一部を除く北米大陸諸国(アメリカ・カナダ・メキシコ・コスタリカ・パナマなど)、欧州大陸諸国(ドイツ・フランス・スイス・イタリア・スペインなど)、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)、イスラエル・サウジアラビア・ロシア・CIS諸国・ペルー・ブラジル・モンゴル・中国(香港とマカオは除く)・台湾・ミャンマー(旧ビルマ)・朝鮮半島(韓国・北朝鮮)などがある。
ひとつの国の領内でも、地域によって通行区分が異なる場合がある。中国返還後の香港およびマカオ(後述)のほか、アメリカ領ヴァージン諸島はアメリカ合衆国の領土であるが左側通行である。また、イギリス領のジブラルタルは右側通行である。更に、沖縄県もかつては右側通行であった(後述)。
左右通行区分が異なるタイとラオス両国を結ぶタイ=ラオス友好橋は左側通行であり、通行区分を逆転させるためラオス側手前で上下線が平面交差によって入れ替わる構造になっている。一方第2タイ=ラオス友好橋は右側通行であり、タイ側で上下線が平面交差によって入れ替わっている。
通常、左側通行国では右ハンドル車(運転席が進行方向右側にある)が使用され、右側通行国では左ハンドル車(運転席が進行方向左側にある)が使用される。すなわち運転席の位置は、それぞれ道路の内側である。これは、車両すれ違い時の安全性や右左折時・追い越し時などの視界、対向車の確認のしやすさなどを考慮した結果であり、デファクトスタンダードともなっている。法的規制(逆のハンドル位置の車の登録や走行を認めない)がある国も多い。そのため、他国に自動車を輸出する自動車メーカーは、同一車種について左右ハンドル両方の仕様を設計・製造することが一般的である。車両改造業者にて、輸入中古車に対しハンドル位置変更の改造が行われることもある(右写真参照)。
しかし例外的に、左側通行の日本では、主に消費者の嗜好から輸入車の一部が左ハンドルのままで販売されている。オールテレーンクレーンなどの全長・全幅が極めて大きい車種では、右ハンドルを採用すると左折時の巻き込み事故や幅寄せ時の接触事故の危険性が大きく上昇するため、国内仕様車であっても例外的に左ハンドルを採用している。左側通行時代のスウェーデンも左ハンドル車が主流であった。
また、右側通行の地域であるが左側通行の国から中古車を輸入した為に右ハンドル車が多数存在するという例もある。例えば、右側通行のロシア(特にウラル山脈から東の沿海地方や極東・ハバロフスク地方など)では日本から中古車を多数輸入しており、現地で右ハンドルのまま使用されている。また一部アジア諸国でも同様の現象があり、モンゴル、ミャンマー、北朝鮮、アフガニスタンといった国々がそれに該当する。ミャンマーでは、隣国のタイ(左側通行)から輸入した右ハンドルの中古車も多く見られ、走行する車の大部分は右ハンドル車である。なおアメリカ領ヴァージン諸島は、左側通行であるが使用される車はアメリカ本国仕様に準じた左ハンドル車である。
また、右側通行の国の車であっても「右ハンドルのみ」という場合が存在する。初期の自動車の多くは、通行方式の左右に関係なく右ハンドルだった。これは車体外側に設置されたレバーを操作するのに都合がよいためであり、右側通行の国で左ハンドル車が一般化するのはフォード・モデルTが登場する1908年からである。なおそれ以降も、保守的な高級車は右ハンドルを堅持し続けていた[7]。
近年でも、イタリアのフェラーリ・250LM 、西ドイツ(当時)のポルシェ・935・モビーディック、アメリカのフォード・GT40は右ハンドルのみである。これは、それらの車がル・マン24時間レースでの競技走行を念頭に置いて設計されており、レースのコースが時計回りであるため、右ハンドルの方が視界の上で有利となるからである。
左右交通区分の転換
人と自動車の対面交通制度は、自動車数の増加に伴い、大半の国で採用されている。もっとも、20世紀初頭から第二次世界大戦前後にかけては、主に左側通行から右側通行へ左右交通区分の転換が行われたケースが各地で存在する。
- カナダは1867年までイギリス植民地であり、元々自動車は左側通行であったが、アメリカと陸続きであることから1920年代に右側通行に変更している。
- オーストリアは、1938年のナチス・ドイツによる独墺併合(アンシュルス)を機に、左側通行からドイツ同様の右側通行に変更された。
- ポルトガルは、1928年に左側通行から右側通行に変更された。ただし、旧ポルトガル植民地であってもモザンビークや東ティモール、マカオは左側通行である。
- イギリス領ジブラルタルでは、1929年6月16日に本国同様の左側通行から隣国スペインに合わせ右側通行へ変更された。ジブラルタルの交通#道路参照。
- その他、欧州大陸ではチェコスロバキアやハンガリーが1930年から1940年代にかけて左側通行から右側通行に変更した歴史を持つ。
- 中国大陸では、上海などのイギリス租界や日本租界、関東州(大連)といった日本の租借地、また満州国も左側通行であったが、1949年の中華人民共和国成立後は、全土が右側通行に変更・統一されている。ただし、香港およびマカオは中国に返還された後も従来通り左側通行を維持している[注釈 5]。
- 台湾・パラオ・フィリピン・朝鮮半島(韓国・北朝鮮)などは、日本に統治されていた時代は日本式の左側通行であったが、戦後に右側通行に変更している。
- ミャンマーは、旧宗主国であるイギリスからの制度である左側通行を1970年に右側通行に変更した。ミャンマーの場合、国境線は右側通行の国(中国・ラオス)と左側通行の国(タイ、インド、バングラデシュ)の両方と接しているが、左側通行の国とのほうが遙かに距離が長く通行量も多いため、右側通行に変更するメリットは少ない。変更の理由は、ミャンマー政府がイギリス式を嫌ったためとも指導者が占い師による助言を受け入れたためともされている。しかし前述の通り、走行している車の大多数は右ハンドル車である。
- 右側通行から左側通行への転換は、ナミビアとナウル(共に1918年)、サモア独立国(2009年)、また、日本本土復帰後6年目の沖縄県の例(後述)がある。
自動車が普及し交通インフラが整備された国や地域での左右交通区分の転換は、住民への周知徹底、信号機や道路標識の全面的変更、道路の構造変更、乗車扉を変更するためのバスの更新など、多大な費用と事故の危険が伴うため非常に稀である。それでも、近年では以下のような例がある。
- 1967年9月3日に、スウェーデンで自動車の通行区分が左側通行から右側通行へ転換された。これをダゲン・Hという。
- 日本の沖縄県は、第二次世界大戦後にアメリカ軍の統治下に置かれ、左側通行から右側通行に変更されていた。1972年に日本本土に復帰した後、1978年7月30日、日本本土に合わせて再び左側通行に戻した。これを730(ななさんまる)という。
- サモア独立国は、2009年9月7日、自動車の通行区分を従来の右側通行から左側通行に変更した。これは同国の自動車普及において、左側通行のオーストラリアやニュージーランドが地理的に近いため、それらの国から右ハンドルの中古車を輸入することが低コストになるということが大きな理由とされる[8]。
- Camp Foster 01.jpg
キャンプ・フォスター内の道路。日本に合わせて、基地内であっても左側通行である。
脚注
注釈
- ↑ 例えば1946年の交通事故の3件に1件は死亡事故であった。また、死者数は昭和20年代前半で既に毎年4千人前後に上っており、2014年の死者数4113人と殆ど変わらない。
- ↑ この対面交通取り入れには連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの強い要請があったとされ、GHQはアメリカと同じ「車両の右側通行」を求めたが、日本政府が莫大な予算を要することを理由に断り、歩行者の方を右側通行に変えたとされている。
- ↑ これは、車の走らない駅構内にはGHQの指導が及ばなかったからとされている[2]。
- ↑ 右側通行か左側通行かが一目でわかる世界地図 - GIGAZINE
- ↑ さらに返還後もジュネーヴ条約の対象地域となっている。
出典
- ↑ 1.0 1.1 “俗語辞典”. 日本放送協会 (2015年7月6日). . 2018閲覧.
- ↑ “右側通行?左側通行?(1)-「車は左、人は右」と言われている歩行者の通行ルールは本当はどうなっているのか-”. ニッセイ基礎研究所 (2016年11月14日). . 2018閲覧.
- ↑ “広報はにゅう 2016年5月1日号 (PDF)”. 羽生市. . 2018閲覧.(8頁参照)
- ↑ “なぜ「右側通行」に変更?”. 中央日報. (2009年10月6日) . 2018閲覧.
- ↑ “[オピニオン]右側歩行”. 東亜日報. (2009年4月30日) . 2018閲覧.
- ↑ “きょうから歩行者も「右側通行」、駅・空港などで実施”. 聯合ニュース. (2009年10月1日) . 2018閲覧.
- ↑ 小林彰太郞 『天皇の御料車』 46頁より。
- ↑ “Samoan cars ready to switch sides(サモアの車左側通行へ準備)” (英語). 英国放送協会. . 2017閲覧.
参考文献
関連項目
外部リンク
- 石井研堂『明治事物起原』(国会図書館・近代デジタルライブラリー)
- 映画『沖縄730 道の記録』 - 科学映像館(科学映像館を支える会)Webサイトより《→YouTube版》
- 米国統治下では米国式の「車は右側」の交通政策が執られていた沖縄が、日本への返還を機に、日本本土と同じ「車は左側」へと切り替わった際の、その直前直後の街の様子などを纏めた短編映画。