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生物兵器(せいぶつへいき)とは、細菌やウイルス、あるいはそれらが作り出す毒素などを使用し、人や動物に対して使われる兵器のこと。国際法(ジュネーヴ議定書)で使用が禁止されている。生物兵器を使用した戦闘を生物戦(せいぶつせん)という[1]。
Contents
特徴
歴史上、医学や細菌学の研究、生物兵器に対する防御法の研究という建前でひそかに開発が行われていたことがあり、現在でもその可能性は無いとは言えない。
核兵器などに比べて簡単に入手ができ、ある程度の知識と設備があれば培養も容易で(失敗したとはいえ、オウム真理教が炭疽菌を培養して散布した)、与える被害が大きいことや以下の特徴からテロリズムなどに使われることが危惧されている。
核兵器の開発は高度な技術と施設が不可欠であり、化学兵器も兵器として十分な量を製造するためにはそれに伴う規模の施設と原料が必要となる。核兵器、生物兵器、化学兵器の3つをあわせて大量破壊兵器、またはこれら3つの頭文字を取ってNBC兵器もしくはABC兵器と呼ぶが、この中でも生物兵器はもっとも費用対効果に優れるとされる。
しかし生物兵器の中には、ある程度の知識と技術があれば大がかりな設備がなくても製造することができるものも存在する。反面、使用時の外部条件(例えば気象)に左右される部分が多いことや、与える被害を予測しにくく、その場で効果が現れることもないため、ほかの二つに比べると兵器としては使いにくい。だが例えば、世界的に甚大なダメージを無差別に与えることを目的とする場合など、生物兵器が有効である場面は多々存在する。
生物兵器が化学兵器と大きく違うところは細菌兵器を例にすると感染してもすぐには効果が現れず、人から人への感染を起こすことである。
感染の方法、感染力はさまざまであるが、生物兵器の多くは生物から生物へ感染する。化学兵器は風の影響や、付着していた化学兵器の蒸発による二次被害などがあるものの、基本的に被害は散布された周辺のみにとどまる。しかし生物兵器は感染者が移動することにより広範囲にわたって影響を及ぼす。特に近年は、丸一日あれば世界のどこにでも行けるほど移動手段が発達しているため、被害は想像以上に大きくなる可能性がある。
特にテロに使用されやすいとするもう一つの理由は潜伏期間の問題で、感染してから数日たってから発病するため、感染経路の特定が難しく、その間に実行犯は国外などへの逃走が可能となる。
WHOは生物兵器はそれがもたらす傷病を別にしても、恐怖を与えるという意味で心理戦としても使用されるという[2]。
実際に病原体がテロに使用された生物兵器テロ事件の例としては、2001年のアメリカ炭疽菌事件、日本国内では、オウム真理教による1993年の亀戸異臭事件(炭疽菌を使用、失敗に終わったためテロ未遂事件とされている)、そして同教団による1995年の霞が関のボツリヌス菌散布(こちらも失敗に終わった)が挙げられる。
生物兵器の歴史
古代ギリシアでは、アテナイ軍がヘレボルスという有害な植物をキルハの水源に投入し、住民は激しい下痢をおこし、アテナイ軍は侵略することができた[3]。
東ローマ帝国は城壁都市に昆虫爆弾を使い、トンネルに蜂を放って敵を撃退したり、サソリを入れた爆弾を投げつけたりした[3]。
西暦1000年から1300年には、蜂の巣の投下が行われた[3]。
1348年にはジェノバの港街カッファでモンゴル軍が生物兵器として病気の患者の死骸を投下し、ペストを広めた[3]。
1710年、エストニアのタリン(レヴァル)でペストが広められた[3]。
1763年6月、ポンティアック(オブワンディヤグ)の叛乱で天然痘に汚染された毛布やハンカチが配布され、ジェフリー・アマースト少将は「忌まわしい人種を絶滅させる」と述べた[3]。また、アメリカ独立革命で天然痘が繰り返し発生したが、これも細菌戦としておこなわれたという[3]。
生物兵器への対応
生物兵器に対する最も有効な対応は、兵器として使用する可能性のある国家・組織に生物兵器を保有させないことである。そしてもし生物兵器が使用された場合には感染の拡大を防ぐため、患者の隔離と治療を行う必要がある。
保有の禁止
生物兵器は従来より戦争で使用する兵器としての保有は生物兵器禁止条約で禁止されている。
1995年の地下鉄サリン事件を受け、世界的に化学兵器及び生物兵器の保有に関する法体制の整備が進む。特にアメリカは2001年に炭疽菌を使用したテロが発生し、法整備がなされた。
隔離・治療
多くのウイルスや細菌は人から人への感染を起こすため、感染者の隔離が必要となる。
通常は患者を隔離し、患者と接触した人へのワクチン注射を行えば感染を防ぐことができる。しかし、兵器として使用された場合には多くの人が感染することになるため、通常の隔離では対応しきれない。そのため状況に応じて地区の隔離や、最悪の場合その国への渡航を禁止し国まるごと隔離する必要がある。
主な生物兵器
炭疽菌
炭疽菌は非常に取り扱いやすく、発芽するまでは各種薬品や紫外線などに対する耐性も非常に強い。
しかも、肺に感染する肺炭疽にかかった場合には致死率が90%前後に達する。そのため炭疽菌は従来より生物兵器の代表格とされており、2001年には実際にアメリカでテロに使用され、死者を出している。日本でも、1993年にオウム真理教が東京都江東区亀戸の新東京総本部(登記上の主たる事務所でもあった)で実際に噴霧している。死傷者こそ出さなかったものの悪臭が周辺に漂う騒動となった(亀戸異臭事件)。
自然界における炭疽菌への感染は、炭疽菌が含まれる土壌などへの接触によることが一般的である。この場合炭疽菌は皮膚に感染(皮膚炭疽)するが、この皮膚炭疽は治療を行わなかった場合でも致死率は約20%、適切な治療を受ければ約1%まで下げることが可能で、(兵器としては)それほど問題はない。
兵器として使用する場合は皮膚炭疽では威力不足であるため、空気中に散布して肺に感染させる必要があるが、エアロゾル化にはある程度の技術力が必要である。
炭疽菌に有効なワクチンは存在するが、
- 接種に手間がかかること。
- 1年ほどしか効果がないこと。
- 弱いながらも副作用が発生する可能性が比較的高いことから、一般的には使用されていない。
炭疽菌の兵器としての欠点は感染力が弱いことで、人から人へ感染することはない。他方でこれは、その後にその地へ味方が進出した場合に被害を受けない、と言う面では利点でもある。
天然痘
天然痘は1980年に撲滅がWHOから宣言され、以降種痘の接種は行われなくなった。そのため現在では多くの人が天然痘に対する耐性を持っていない。このような状況で天然痘によるテロが起きた場合、速やかな対処は不可能である。撲滅宣言後にも、ソ連は天然痘ウイルスを生物兵器として極秘に量産、備蓄しており、ソ連崩壊後にウイルス株や生物兵器技術が流出した可能性が指摘されている[4][5]。
万が一の事態に備え、各国では天然痘に限らず各種ウイルスに対するワクチンの保管をある程度行っている。アメリカ政府はバイオテロなどに備えて全国民に接種できる量の天然痘ワクチンの備蓄を決定し、2001年に1200万人分だった備蓄量を、2010年までに3億人分まで増やした[6]が、追随する国はない。現状では保険的な意味しか持たないものにそこまで予算をかけるのは難しく、十分な数が確保されているとはいえない。しかも、天然痘ワクチンにはごくまれに重い副作用が起こる場合もあり、万が一のために再び種痘接種を義務化することは好ましくない。
人工的に作られたウイルス
現在、ウイルスの遺伝子を組み換え、特定の細胞だけを感染・死滅させる研究が特にがん治療の分野で行われている。この技術を応用すれば、人工的に抗ウイルス剤の効かない薬剤耐性ウイルス、また、鳥インフルエンザのように人類がまったく免疫を持たないウイルスの開発が可能である。テロ目的の遺伝子組み換えウイルスの開発・研究は禁止されていても、これを監視するシステムはすべての研究機関にあるとは限らず、世界のどこかで、いつこのような開発が行われていてもおかしくない。また、これらの人工ウイルスに対するワクチンは当然存在せず(テロリスト(開発者)自身は所持している可能性が高い)、流行してから初めてワクチンの開発が可能になるため、ワクチンができるまで早くても3 - 6か月かかる。国民全員分を用意するにはさらに時間がかかるため、多数の死者が出る恐れがある。
生物兵器の種類
各国の事例
アメリカ合衆国
アメリカの生物兵器研究は、フランクリン・ルーズベルト大統領とアメリカ合衆国陸軍長官のもとで1941年10月に開始され[7]、生産施設はインディアナ州テラ・オートに建設された[8]。フレデリックのフォート・デトリックの施設で、対人および穀物を対象とした対植物兵器が開発された[9]。アメリカは炭疽菌、Q熱、ブルセラ菌、ボツリヌス菌、野兎病菌、ウマ脳炎ウイルスなどの大量生産と兵器化に成功した[5]。
英国や旧ソ連などの科学者からなる国際科学委員会は1952年に、朝鮮戦争でアメリカは日本軍の731部隊のデータをもとに細菌戦を実施したとしている[10]。歴史家のキャサリン・ウエザースビーはこれを北朝鮮、ソ連、中国が捏造したプロパガンダとしたが、中嶋啓明は実際に旧日本軍のデータに基づく細菌戦が行われたと結論づけている[10]。
1969年にニクソン大統領は攻撃用の生物兵器の研究開発を中止することを決定した[5]。この決定に至った理由は、ベトナム戦争の枯れ葉剤の使用で非難を浴びていたこと、生物兵器の開発競争によって多くの国が安価に生産できる大量殺戮兵器の保有国になるとアメリカの軍事力が相対的に低下すること、生物兵器に自国にも被害を及ぼす可能性のあるブーメラン効果があること、などが指摘されている[5]。 アメリカは1975年1月22日にはジュネーヴ議定書を批准[11]、1975年には生物兵器禁止条約(BWC)を批准した[Kissinger 1969]。
日本
ソ連
ソ連は1972年に生物兵器禁止条約に署名したが、それ以後、密かに生物兵器の開発を強化した[12]。ソ連は次の11種を生物兵器化し、貯蔵していた[13](そしてさらに多くの種に対して基礎研究を進めてきた)。炭疽菌、ペスト菌、野兎病菌(ツラレミア)、鼻疽菌、ブルセラ菌、コクシエラ菌(Q熱)、ベネズエラ馬脳炎ウイルス、ボツリヌス菌、ブドウ球菌エンテロトキシンB、天然痘ウイルス、マールブルグウイルス。これらのプログラムは膨大になり、52の極秘施設で5万人を超える人々を用いて実施された[14]。例えば、兵器化された天然痘の年間生産能力は90~100トンだった[14]。1980年代と1990年代には、これらの生物兵器の多くが熱、寒冷、抗生物質に耐性を示すように遺伝的に改変された。1990年代にボリス・エリツィンは、1979年に68人以上の死者がでたスヴェルドロフスクでの事故の原因が炭疽菌漏出であること、また攻撃的な生物兵器開発を行っていたことを認めた[13]。ソ連崩壊後、これらの生物兵器技術は他国に流出したといわれる[4]。生物兵器開発の責任者でありアメリカに亡命したカナジャン・アリベコフは1999年に、著書「バイオハザード」でソ連の生物兵器開発について詳述した[4]。
ステプノゴルスク細菌科学技術研究所[15]は、炭疽菌の感染症(炭疽症)による細菌攻撃の開発を行った[16]。ヴォズロジデニヤ島では1930年代から生物兵器の研究が開始され、1992年まで実験が行われていた。
中華人民共和国
中国では1980年代に生物兵器開発計画が行なわれた[17]。ソ連の生物兵器開発機関バイオプレパラトの元指揮官の一人であるカナジャン・アリベコフは、ソ連は偵察衛星により、中国の核弾頭試験場近くで生物兵器研究施設及び製造工場の存在を確認していたと断言した。ソ連は、1980年代後半に中国の2つの地域で別々に発生した出血熱の流行が、ウイルス性出血熱の兵器化に関与した研究施設における事故が原因であると疑った[18]。
1997年1月、アメリカ合衆国国務長官マデレーン・オルブライトはイラン他の国へ中国が生物兵器を輸出している疑いがあると述べた[19]。2002年1月16日、合衆国は従来からの主張に基づき中国の3企業に対し化学兵器及び生物兵器の製造に使用される材料をイランに供給したとして制裁措置を課した。これに対し、2002年後半に中国は軍民両用に利用可能な生物学的技術について「生物両用品及び関連設備・技術輸出管理条例」を施行した[20]。
朝鮮民主主義人民共和国
2001年、中国人民解放軍の調査で、コレラ、炭疽菌、発疹チフスなど約15種類の細菌類を年間約1トン以上も生産・保管できる能力があることが確認されている[21]。
2009年、韓国国防省は、北朝鮮が2500 - 5000トンの化学兵器と、生物兵器に使われる13種類のウイルス・細菌を保有している可能性があると指摘し、北朝鮮を世界最大の化学・生物兵器保有国の1つと認定している[22]。
韓国の政府系シンクタンクである韓国国防研究院が2016年に発刊した資料によると、北朝鮮が保有している生物兵器用の病原体は13種で、そのうち兵器化が進んでいると推定されるのは炭疽菌、天然痘、ペスト、コレラ、ボツリヌス菌の5種である[23]。
脚注
- ↑ 「生物兵器」世界大百科事典
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 WHO生物・化学兵器への 公衆衛生対策、WHO,2004年
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 スピアーズ 2012年,p.34-37
- ↑ 4.0 4.1 4.2 ケン・アリベック「バイオハザード」 二見書房 1999年
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 山内一也、三瀬勝利「忍び寄るバイオテロ」NHKブックス 2003
- ↑ U.S. government stockpiles new, safer smallpox vaccine USA Today、2010年5月25日
- ↑ Committees on Biological Warfare, 1941-1948
- ↑ United States: Biological Weapons, http://www.fas.org/nuke/guide/usa/cbw/bw.htm, Federation of American Scientists, October 19, 1998
- ↑ United States
- ↑ 10.0 10.1 中嶋啓明「朝鮮戦争における米軍の細菌戦被害の実態 ─現地調査報告」大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター年報 (1), 15-22, 2003
- ↑ 国際赤十字社による締約国一覧
- ↑ 井上尚英「生物兵器と化学兵器―種類・威力・防御法」 中公新書 2003年
- ↑ 13.0 13.1 Cook, Michelle Stem and Amy F. Woolf (April 10, 2002), Preventing Proliferation of Biological Weapons: U.S. Assistance to the Former Soviet States, (Congressional Research Service Report for Congress), pg 3.
- ↑ 14.0 14.1 Martin, James W., George W. Christopher and Edward M. Eitzen (2007), “History of Biological Weapons: From Poisoned Darts to Intentional Epidemics”, In: Dembek, Zygmunt F. (2007), Medical Aspects of Biological Warfare, (Series: Textbooks of Military Medicine), Washington, DC: The Borden Institute, pg 11.
- ↑ Weapons of Mass Destruction (WMD)
- ↑ Miller, Judith; Engelberg, Stephen; and Broad, William. Germs: Biological Weapons and America's Secret War. New York: Simon and Schuster, Inc., 2002.
- ↑ Roland Everett Langford, Introduction to Weapons of Mass Destruction: Radiological, Chemical, and Biological, Wiley-IEEE, 2004
- ↑ William J Broad, Soviet Defector Says China Had Accident at a Germ Plant, New York Times, April 5, 1999
- ↑ Leonard Spector, Chinese Assistance to Iran's Weapons of Mass Destruction and Missile Programs, Carnegie Endowment for International Peace, September 12, 1996
- ↑ Nuclear Threat Initiative, Country Profile: China
- ↑ 明らかになった北朝鮮 生物・化学兵器に実態Foresight2001年2月号,新潮社
- ↑ “北朝鮮、13種類の細菌兵器を保有か 韓国国防省の報告”. (2009年10月5日) . 2016閲覧.
- ↑ 北朝鮮 生化学物質の兵器化能力を誇示か=正男氏暗殺 聯合ニュース 2017年02月21日
参考文献
- 井上尚英『生物兵器と化学兵器―種類・威力・防御法』中公新書 2003年
- エドワード・M. スピアーズ『化学・生物兵器の歴史』東洋書林 2012年
- Anthony T.Tu 『生物兵器、テロとその対処法』じほう 2002年
- Henry A. Kissinger (ca. November 1969). “Draft NSDM re United States Policy on Warfare Program and Bacteriological/Biological Research Program (PDF)”. Nixon Presidential Materials, NSC Files. The National Security Archive. 2016年7月17日閲覧。
関連項目
- 生物兵器禁止条約
- 大量破壊兵器
- 化学兵器 / 核兵器 / 放射能兵器 / NBCR兵器
- 防疫給水部
- バイオハザード
- 動物兵器
- 細菌兵器(生物兵器)及び毒素兵器の開発、生産及び貯蔵の禁止並びに廃棄に関する条約等の実施に関する法律
外部リンク
- WHO生物・化学兵器への 公衆衛生対策、WHO,2004年
- 厚生労働省 - 生物兵器テロの可能性が高い感染症について 平成13年10月15日