佐柳島
佐柳島 | |
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座標 | 東経133度37分30.2665秒北緯34.340739528度 東経133.625074028度 |
面積 | 1.83 km² |
海岸線長 | 6.6 km |
最高標高 | 248.52 m |
最高峰 | 高登山 |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 | 塩飽諸島 |
所属国・地域 |
佐柳島 (香川県) |
佐柳島(さなぎしま)は香川県仲多度郡多度津町にある島で、瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島の一つ。
概要
面積1.83km2、周囲6.6km。2017年時点の人口は80人弱[1]。最高峰は248.52mの高登山。全域が香川県仲多度郡多度津町大字佐柳に属し、集落は南部に本浦、北部に長崎がある。本浦・長崎集落ともに埋め墓と参り墓と呼ばれる両墓制が残っていて、長崎の埋め墓は県の有形民俗文化財に指定[2]されている。
2010年8月18日に第6管区海上保安本部広島航空基地のベル412EP型ヘリコプター「あきづる」が同島と小島とを結ぶ送電線に接触して海に墜落する佐柳島沖海保ヘリ墜落事故が起きた[3]。
近年は多くの地域猫が棲む「猫の島」として知られるようになっており、動物写真家岩合光昭も『岩合光昭の世界ネコ歩き』撮影のために訪れている。
歴史
島名の由来は、室町幕府第3代将軍・足利義満が厳島参詣の途中に強風に遭い、この島に避難すると風が和らいだので、早凪(はやなぎ)と呼んだのが変化したという説がある。
幕末の頃、数名の島民が咸臨丸の乗組員に選ばれ勝海舟らと共にアメリカ合衆国サンフランシスコに渡米。航海中に病を患い客死した平田富蔵の墓が乗蓮寺に残る。 また坂本龍馬率いる海援隊の志士として活躍した佐柳高次は「いろは丸沈没事件」当時のいろは丸の航海長を勤め、長崎奉行所占拠事件にも参加している。
明治以降は東方にある無人島・小島(おしま。TV・書籍などで「おじま」と表記されることがあるが島民の発音では「おしま」となる)と共に「仲多度郡佐柳島村」(さなぎしまむら)として存在した。1956年9月30日に多度津町に編入された。
交通
道路
水上交通
四国本土へのアクセスは三洋汽船が運行するフェリーで、長崎港発、本浦港経由(一部本浦港発)の多度津港まで運行している。全便とも途中で高見島を経由する。
- 三洋汽船
- 本浦港 - 3往復半
- 長崎港 - 2往復
主な施設
現在は島内に小中学校は無く、海路で本土の学校に通うことになる(2017年現在、島内に就学児童・生徒は居ない)。
- 多度津町佐柳出張所
- 八幡神社
- 乗蓮寺
- 大天狗神社
- 佐柳島自然体験センター(旧佐柳小学校)
関連項目
脚注
- ↑ 【移住のミカタ】「ネコの島」でスローライフ『産経新聞』朝刊2017年9月10日
- ↑ 1965年(昭和40年)4月3日指定:「国・県指定有形民俗文化財」 - 香川県
- ↑ asahi.com(リンク切れ)