ライン同盟

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ファイル:Rheinbund 1807.png
1808年のライン同盟

ライン同盟(ラインどうめい、: Rheinbund: Confédération du Rhin)は、19世紀ドイツにおいて、フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により成立した国家連合である。1813年に起きたライプツィヒの戦いで、ナポレオンの敗退とともに解体した。ライン連邦とも訳される。

概要

1806年7月12日、フランス皇帝ナポレオン1世の圧力により、神聖ローマ帝国内の全ドイツ諸侯は名目だけ存続していた帝国を離脱してフランス帝国と同盟し、ライン同盟が成立した。同盟は、ナポレオンを盟主とし、大司教ダールベルクを総裁としたフランス主導の国家連合であった。

ライン同盟には、1808年の最大期には4つの王国(Königreich)、5つの大公国(Großherzogtum)、13の公国(Herzogtum)、17の侯国(Fürstentum)、3つの自由都市(Freie Stadt)が加盟していた。公式には同盟という対等の名称であるが、その実態はフランスの従属国というものに等しかった。国家連合内では法令は全てナポレオン法典が使用された。国家連合自体の力は脆弱で、ナポレオンに援助した総兵力はわずかに6万人ほどだったという。

ライン同盟規約の第27条は、帝国郵便を経営するトゥルン・ウント・タクシス侯家の郵便事業権を保護した。ナポレオンとは幾重にも交渉がなされていた。

1815年ウィーン会議により、ドイツにはオーストリアを盟主とするドイツ連邦が成立した。

加盟諸邦

以下はアルファベット順。

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外部リンク

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