港南区
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こうなんく 港南区 | |
---|---|
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
市 | 横浜市 |
団体コード | 14111-9 |
面積 |
19.90km2 |
総人口 |
214,002人 (推計人口、2018年4月1日) |
人口密度 | 10,754人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 | 横浜市(南区、磯子区、戸塚区、栄区) |
外部リンク | 港南区ホームページ |
港南区(こうなんく)は、横浜市を構成する18行政区のうちの一つである。
Contents
概要
昭和44年(1969年)10月1日、行政区再編成により南区より分区して発足した。かつては農村地帯が広がっていたが、1950年代から虫食い的に宅地開発が始まった。1970年代には野庭(のば)団地、港南台団地などといった巨大団地が形成され、人口は爆発的に増加した。発足時の人口は約9万5千人であったが、現在では約22万人の暮らす住宅都市となっている。戦後しばらくは、大岡川沿いに捺染工場が林立し、横浜名産のスカーフが生産されていた。
地理
区の北東を京浜急行本線が通り、また北東から中央部にかけて横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、さらに南にはJR根岸線が通っている。区の中央部には横浜横須賀道路が縦断しており、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号の交点に港南台インターチェンジがそれぞれ設けられている。区の南北には鎌倉街道、東から北にかけて環状2号、南には環状3号が通っている。
商業地は主に上大岡駅周辺と港南台駅周辺で、区役所や警察署など官公庁は港南中央駅周辺に集中している。特に上大岡駅周辺地区は、横浜市における主要な生活拠点(旧:副都心)位置付けられており[1][2]、市街地再開発事業が進行中である。
横浜市内の行政区の中で唯一、区が旧武蔵国と旧相模国に二分されている。
歴史
中世には、永野小学校一帯に宅間上杉家の砦があり、そのまま後北条氏が受け継いでいる。また、笹下一帯は、佐々木氏一族間宮氏が笹下城を構え、これも後北条氏が受け継いでいる。
- 江戸時代までは武蔵国久良岐郡久保村、最戸村、上大岡村、笹下村、日野村と相模国鎌倉郡永谷村、上野庭村、下野庭村、平戸村(一部:飛び地)であった[3]。
- 1889年4月1日 市制・町村制施行に伴ういわゆる「明治の大合併」で、久良岐郡大岡川村[4]と日下村[5]、鎌倉郡永野村[6]が成立。
- 1927年4月1日 久良岐郡大岡川村と日下村が横浜市に編入される。
- 1927年10月1日 中区に編入される。
- 1930年4月1日 湘南電気鉄道(現在の京急本線)黄金町-浦賀間開通。上大岡駅開業。
- 1936年10月1日 鎌倉郡永野村が横浜市中区に編入される。
- 1943年12月1日 戦時配給制度の手続の軽減を図るため、中区の寿警察署・大岡警察署管内の地区を南区に分区。
- 1950年12月1日 南区役所港南出張所が開設される。
- 1954年4月 横浜市立南高等学校開校。
- 1964年11月1日 港南出張所が港南支所になる。
- 1969年10月1日 行政区再編成に伴い港南支所管内[7]を南区から分区し、港南区が発足。
- 1970年5月 区の人口が10万人を突破する。
- 1971年10月 港南区総合庁舎落成。
- 1972年12月16日 市営地下鉄1号線(ブルーライン)伊勢佐木長者町-上大岡間開通。
- 1973年4月9日 国鉄(現在のJR)根岸線洋光台-大船間開通。港南台駅開業。
- 1973年4月 神奈川県立港南台高等学校開校。
- 1976年9月4日 市営地下鉄1号線上大岡-上永谷間開通。港南中央駅・上永谷駅開業。
- 1978年6月 横浜港南メディカルセンター完成。
- 1984年6月 区の人口が20万人を突破する。
- 1985年3月14日 市営地下鉄1号線上永谷-舞岡間開通。下永谷駅開業。
- 1986年4月 神奈川県立永谷高等学校開校。
- 2003年4月 神奈川県立野庭高等学校と神奈川県立日野高等学校が統合され、神奈川県立横浜南陵高等学校となる。
- 2014年4月10日 定時制高校の神奈川県立横浜明朋高等学校開校
地域
現行行政町名
港南区内では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町名の読み | 設置年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前の町名 | 備考 |
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最戸一・二丁目 | さいど | 1975年7月28日 | 1975年7月28日 | 最戸町、大久保町の各一部 | |
大久保一〜三丁目 | おおくぼ | 1975年7月28日 | 1975年7月28日 | 大久保町、上大岡町、最戸町の各一部 | |
港南一〜六丁目 | こうなん | 1972年6月5日 | 1972年6月5日 | 笹下町、上大岡町、日野町の各一部 | |
港南中央通 | こうなんちゅうおうどおり | 1972年6月5日 | 1972年6月5日 | 笹下町、上大岡町、日野町の各一部 | |
日野一〜九丁目 | ひの | 1985年7月22日 | 1985年7月22日 | 日野町、野庭町の各一部 | |
野庭町 | のばちょう | 1936年10月1日 | 未実施 | ||
上永谷町 | かみながやちょう | 1936年10月1日 | 未実施 | ||
下永谷一〜六丁目 | しもながや | 1990年7月9日(一〜四) | 1990年7月9日 | 下永谷町、上永谷6の各一部 | |
1997年10月27日(五・六) | 1997年10月27日 | 下永谷町の全部及び戸塚区上柏尾町の一部 | |||
上大岡東一〜三丁目 | かみおおおかひがし | 1975年7月28日 | 1975年7月28日 | 上大岡町、笹下町の各一部 | |
上大岡西一〜三丁目 | かみおおおかにし | 1975年7月28日 | 1975年7月28日 | 上大岡町、笹下町、大久保町の各一部 | |
笹下一〜七丁目 | ささげ | 1977年8月1日 | 1977年8月1日 | 笹下町、磯子区森が丘2、磯子区田中町、磯子区森町の各一部 | |
芹が谷一〜五丁目 | せりがや | 1978年7月31日 | 1978年7月31日 | 下永谷町の一部 | |
1990年7月9日(五に編入) | 下永谷町の一部 | ||||
東永谷一〜三丁目 | ひがしながや | 1978年7月31日(一・二) | 1978年7月31日 | 下永谷町、上永谷町の各一部 | |
1983年8月8日(三) | 1983年8月8日 | 下永谷町の一部 | |||
上永谷一〜六丁目 | かみながや | 1979年7月23日 | 1979年7月23日 | 上永谷町、下永谷町、野庭町の各一部 | |
丸山台一〜四丁目 | まるやまだい | 1979年7月23日 | 1979年7月23日 | 上永谷町、野庭町の各一部 | |
港南台一〜九丁目 | こうなんだい | 1981年7月27日 | 1981年7月27日 | 日野町、磯子区峰町、戸塚区上郷町、戸塚区中野町の各一部 | |
日限山一〜四丁目 | ひぎりやま | 1980年11月10日 | 1980年11月10日 | 上永谷町、下永谷町、野庭町、戸塚区舞岡町の各一部 | |
1990年7月9日(一に編入) | 下永谷町の一部 | ||||
東芹が谷 | ひがしせりがや | 1983年8月8日 | 1983年8月8日 | 下永谷町の一部 | |
日野南一〜七丁目 | ひのみなみ | 1983年8月8日(一〜三) | 1983年8月8日 | 日野町の一部 | |
1987年7月20日(四〜七) | 1987年7月20日 | 日野町、野庭町の各一部 | |||
日野中央一〜三丁目 | ひのちゅうおう | 1993年10月18日 | 1993年10月18日 | 日野町の全部 |
健康
- 平均年齢 44.28歳(2010年1月1日)※横浜市の平均は43.12歳
行政
- 区長:
教育
大学
高等学校
- 公立
- 私立
- 鹿島学園高等学校横浜港南台キャンパス
中学校
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小学校
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特別支援学校
- 横浜市立日野中央高等特別支援学校
- 横浜市立港南台ひの特別支援学校
交通
鉄道
路線バス
道路
- 高速道路
- 県道
- 市道
商業施設
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
港南区に関する作品
出身有名人
- 福嶋晃子 プロゴルファー
- 坂田大輔 サッカー選手
- 黒羽根利規 プロ野球選手
- 松井淳 プロ野球選手
- 松浦勝人 実業家
- ジャッキー佐藤 女子プロレスラー
- 石井裕也 プロ野球選手
- 青木隆治 ものまね芸人
- 神田愛花 フリーアナウンサー
註
- ↑ 横浜市都市計画マスタープラン(全体構想) (PDF) 平成25年3月発行。編集・発行、横浜市都市整備局企画部企画課。
- ↑ 上大岡が副都心に選ばれた理由、そして副都心の定義とは?(はまれぽ.com 2012年8月19日)
- ↑ なお、笹下村は更に雑色村、松本村、関村に、日野村は吉原村、宮ヶ谷村、金井村、宮下村に、永谷村は永谷上村、永谷中村、永谷下村に分立していた時期もある。
- ↑ 久保村、最戸村、上大岡村(以上、現在の港南区域)と下大岡村、別所村、中里村、引越村、弘明寺村、蒔田村、井土ヶ谷村、永田村、堀之内村(以上現在の南区域)の12か村が合併して成立。旧村を承継した12大字を形成。1911年大字井土ヶ谷、堀之内、蒔田、弘明寺が横浜市に編入される。
- ↑ 日野村、笹下村(以上、現在の港南区域)と、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村(以上、現在の磯子区域)の8か村が合併して成立。旧村を承継した8大字を形成。区制施行の際磯子区と地域を分割する。
- ↑ 永谷村、上野庭村、下野庭村の3か村と平戸村の飛び地が合併して成立。旧村名を承継した4大字を形成。横浜市合併時に大字上野庭、下野庭が野庭町へまとめられる一方、大字永谷は逆に上永谷町、下永谷町に分割された。大字平戸は下永谷町に編入される。
- ↑ 下永谷町字山谷を除く。同地は現在の南区六ツ川四丁目