「大奥 (1968年のテレビドラマ)」の版間の差分
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『大奥』(おおおく)は、1968年に製作された連続時代劇テレビドラマ[1]。会社創立10周年記念作品として関西テレビが東映とともに製作し、フジテレビ系列で1968年4月6日から1969年3月29日まで、毎週土曜22:30 - 23:25の時間帯で放送された[2]。全52話。カラー放送。
物語は、江戸時代に将軍の妻たちが居住した江戸城の女の園「大奥」を舞台に、大奥の女性たちの人間模様と愛憎劇を通して徳川幕府の繁栄と落城の波乱万丈の物語を描く[2]。
Contents
概要
東映の岡田茂プロデューサー(のちの同社社長)が企画・製作した1967年の映画『大奥㊙物語』から、エロ部分を薄めて、大奥での女たちの激しい権力争いを中心とした内容に変更しテレビドラマ化したもの[3][4][5][6]。映画とテレビが連動したのも、これが最初といわれる[7]。しかし関西テレビから「この㊙だけは困る。題名は㊙はやめて『大奥』だけにしてくれ」と言われ、タイトルは『大奥』と変更された[3][8][9]。「大奥」とタイトルの冠されたテレビドラマは本作が初。しかしエッセンスの全ては映画『大奥㊙物語』に凝縮されていた[10]。テレビドラマ『大奥』は初めて取り上げた「女性時代劇」であり[2][7]最高視聴率30%を突破する人気シリーズとなり、視聴者の大きな共感を得たことで[7]今に通じる『大奥』の世界観を作ったといわれる[11][12][13]。
製作過程
製作まで
大川博社長(当時)の命で1964年、所長として東京撮影所から京都撮影所(以下、京撮)に帰還した岡田茂の最大のミッションが京撮の合理化であったが[4][14][15][16][17]時代劇の退潮とテレビの興隆を肌で感じていた岡田は、時代劇中心の京撮を抜本的に改革しなければ東映の将来はないと考え[18]それだけの人数を減らすにはテレビ部門を拡充、別会社にしてそこへ押し込むしかないという結論に達した[8]。岡田は京撮で製作する映画は任侠映画のみとし[16]「東映京都テレビプロダクション」を設立して[4][19]時代劇の製作はテレビに移行させて[16]『新選組血風録』、『素浪人 月影兵庫』、『銭形平次』といったテレビ時代劇の大ヒット作を製作した[6][8][15][19][20]。これらの実績により関西テレビから開局十周年企画番組を東映で、というオファーが舞い込んだ[3][21][22]。かねてから親交のあった関西テレビ・芝田研三副社長と岡田の話し合いにより、岡田がプロデュースした1967年の映画『大奥㊙物語』のテレビシリーズ化が決定[21]、京撮本体による製作が決定した[6][8][22]。キャストは岡田が全部決めた[3][8]。脚本の内容も岡田がかなりの部分を指示したという[8]。当時関西テレビは、いい作品が一本もなく、いつもフジテレビにやられていた[3]。本作の成功により、一時は途絶えていた京都撮影所でのテレビ制作が本格化し、その後『あゝ忠臣蔵』、『長谷川伸シリーズ』、『暴れん坊将軍』、『影の軍団シリーズ』など、主として異色時代劇の分野を開拓していく[7]。またここで築かれた東映=関西テレビの信頼関係が、後に東映京都撮影所の時代劇復興の礎となっていった[21]。
カラー作品
当時関西テレビはまだカラー設備を持っていなかった[9]。このため、あくまで局制作を主張する意見と、たとえ外注でもカラー作品を優先しようという考えが対立した。そんな折、たまたま女子社員の一人が『大奥㊙物語』を観て、「大奥もの」ならカラフルだし、女性ファンを掴めるのではという意見が出され、これを受け京撮で京撮のスタッフによって制作される事が決定した[9]。
制作費など
関西テレビ開局10周年として力が入り、当時のトップどころの女優たちが毎回、一着200万~300万円もする衣装で登場[2]。セットも豪華に組まれた。大奥の女たちを艶やかに着飾らせる衣装や小道具は、東映の時代劇黄金期に作られたものを使い回すことで予算を圧縮させたというが[22]それでも制作費だけで当時としては破格の1回1000万円かかったといわれる[2]。15年後に制作した1983年の『大奥』では、この2~3倍の制作費をかけた[2]。
その他
京撮で撮影が始まった当初は、テレビ映画への偏見や「大奥もの」のエロイメージがあって女優側に拒否反応があったが、大ヒットドラマになって軌道に乗ると「大奥に出なければ女優じゃない」といった空気となり、逆に女優から売り込んでくるようになったという[9]。
キャスト
大奥・徳川家
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幕閣・諸大名・関係者
その他の架空人物
- 松島:扇千景(幼君乳母、大奥版「先代萩」の政岡役)
- 重野:沢村貞子 (家光側室お萬の方付き老女)
- 浮橋:荒木雅子 (家継御年寄、仕置き部屋で折檻する役)
- 滝川:細川ちか子(家宣御年寄、御台所らをいびる役。大奥版「先代萩」の八汐役)
- 藤岡:浪花千栄子(家治御年寄、大奥版「忠臣蔵」の敵役。岩藤風)
- 岡野:荒木道子(家定御年寄、大奥版「レベッカ」のダンヴァース夫人役。家定最初の正室附きの老女)
- 歌川:水戸光子 (家慶御年寄)
- 浦路:森光子 (家茂御年寄、和宮降嫁の為に京都禁裏へ上がる役)
- 万里小路:萬代峰子 (綱吉御台所附き上臈御年寄)
- 西尾 :萬代峰子 (幕末大奥御年寄)
- しの:磯村みどり (家治大奥女中)
- 右京:野川由美子(家重大奥老女)
- 梶山:東恵美子(御年寄、奈美に若君性教育係を命ずる役)
- 奈美:左幸子 (若君性教育係)
- 磯乃:高森和子 (大奥版「重の井子別れ」の重の井役)
- 捨吉:雷門ケン坊(馬子、磯乃の子供役)
- 柳川:加賀まりこ(大奥最後の御台所付き御中臈)
- 森永小次郎:夏八木勲
- 立野:原泉 (滝川の姉。先代の御中臈だった老婆役)
- 桂:村松英子(トイチハイチ好みの上臈、宰相典侍)
- 琴:松山容子 (綱吉大奥御客会釈、御台所附き中臈)
- 水之江:三条美紀(将軍お手つき中臈落飾後の比丘尼御殿取締役、老尼)
- 恵心 :三島ゆり子(比丘尼御殿の尼、もと将軍側室)
- お袖:長内美那子 (吉宗愛人)
- ゆき:吉田日出子 (家茂大奥女中)
- 里江:中山千夏 (家重大奥女中)
- くら:若水ヤエ子(家継大奥女中)
- ゆう:中原早苗(家継大奥女中)
- そめ:茅島成美
- おかね:赤木春恵
- 八重:花園ひろみ
- お鶴:小桜京子
- 滝山:丹阿弥谷津子(春日局付き老女、お蘭の後見役)
- 浦路:久保菜穂子(お知保の方付き中臈・祐筆、後お末。大奥版「忠臣蔵」の主役)
- 九重:白木万理(当時は、白木マリ。お知保の方付き女中、裏切り者役)
- おゆき:緑魔子 (家慶上臈・姉小路の部屋子)
- お坊主:北林谷栄 (家光大奥の御坊主)
- お玉の母:清川虹子(家光側室・お玉の母。実在の人物)
- 結城島之助:寺田農
- 中山小平次:小池朝雄(お琴の方の元夫)
- 近藤数馬:河原崎長一郎
- 竹生越前守:東千代之介
- 怨霊:岸田今日子 (最終回、幕府瓦解後の大奥に登場)
スタッフ
- 企画:芝田研三、岡田茂
- プロデューサー:加藤哲夫、翁長孝雄、三村敬三
- 脚本:高岩肇、西沢裕子、高久進、宮川一郎他[1]
- 音楽:渡辺岳夫
- 監督:倉田準二、中島貞夫、山内鉄也、佐々木康他[1]
- 制作:関西テレビ放送、東映株式会社
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ビデオソフト化・再放送
- 同番組の終了後、FNS系列局各局や独立UHF局といったあらゆる放送局及びCSのチャンネルで再放送が行われた。また、1973年から1974年頃にかけては、TBSテレビにて土曜日朝9時から再放送される事もあった。
- 近年では東映チャンネル、時代劇専門チャンネルでも再放送が行われている。
- 一般家庭にビデオが普及する前の1981年頃、東映芸能ビデオから話数不明の1話分を収録したビデオが4万円で発売されていたことがある[23]。本作の映像ソフトはこれが唯一となっており、現在まで一切再発売やDVD化・BD化は行われていない。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 大奥(1968)/東映チャンネル
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 #ドラマ全史、175、179頁
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 #波瀾、160-164頁
- ↑ 4.0 4.1 4.2 #悔いなき、148頁
- ↑ #クロニクル、220-221頁
- ↑ 6.0 6.1 6.2 #仁義沈没、242-244頁
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 #テレビ映画25年、1頁
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 #読物、214-217頁
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 #テレビ時代劇史、138-141頁
- ↑ #キネ旬20117、44-45
- ↑ #遊撃、102-104頁
- ↑ #プリズム、154-159頁
- ↑ 男女逆転版だけじゃない! 時代を彩った『大奥もの』歴史【歴史】、堺雅人、連ドラから映画へ!『大奥』を見る前に知っておくべき全知識、page=2 ウレぴあ総研
- ↑ 東映の岡田茂名誉会長 死去 | NHK「かぶん」ブログ:NHK、NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】
- ↑ 15.0 15.1 『私と東映』× 神先 頌尚氏インタビュー (第3回 / 全4回)
- ↑ 16.0 16.1 16.2 #キネ旬20117、51頁
- ↑ #あかん、215頁
- ↑ #悔いなき、133頁
- ↑ 19.0 19.1 #日本の映画人、112頁
- ↑ #時代劇マガジン、84頁
- ↑ 21.0 21.1 21.2 #死なず、222-225頁
- ↑ 22.0 22.1 22.2 #春秋sp、104-107頁
- ↑ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号
参考文献
- 『東映京都・テレビ映画25年』 東映京都スタジオ(東映太秦映画村)、1982年。
- 東映 『クロニクル東映:1947-1991』1、東映、1992年。
- 松島利行 『風雲映画城』下、講談社、1992年。ISBN 4-06-206226-7。
- 『テレビドラマ全史 1953-1994』 東京ニュース通信社、1994年。
- 能村庸一 『実録テレビ時代劇史ちゃんばらクロニクル1953-1998』 東京新聞出版局、1999年。ISBN 4-8083-0654-9。
- 杉作J太郎・植地毅(編著) 『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』 徳間書店、1999年。ISBN 4-19-861016-9。
- 岡田茂 『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』 財界研究所、2001年。ISBN 4-87932-016-1。
- 岡田茂 『波瀾万丈の映画人生:岡田茂自伝』 角川書店、2004年。ISBN 4-04-883871-7。
- 岡田茂(東映・相談役)×福田和也「東映ヤクザ映画の時代 『網走番外地』『緋牡丹博徒』『仁義なき戦い』の舞台裏は 」、『オール読物』、文藝春秋、2006年3月。
- 春日太一「東映京都撮影所60年史」、『時代劇マガジン (タツミムック)』l17、辰巳出版、2008年1月1日。
- 春日太一 『時代劇は死なず!:京都太秦の「職人」たち』 集英社〈集英社新書〉、2008年。ISBN 978-4-08-720471-1。
- 淡島千景 『淡島千景 女優というプリズム』 青弓社、2009年。978-4787272638。
- 「欲望する映画 カツドウ屋、岡田茂の時代」、『キネマ旬報』2011年7月上旬号。
- 春日太一 『仁義なき日本沈没 東宝VS.東映の戦後サバイバル』 新潮社〈新潮新書〉、2012年。ISBN 978-4-10-610459-6。
- 春日太一 『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 文藝春秋、2013年。ISBN 4-1637-68-10-6。
- 春日太一「特別企画 『現代の軍師』16人の素顔 知られざるエピソードでつづる伝説の男たち 翁長孝雄 『映画界のドン・岡田茂』を支え続けた現場力」、『文藝春秋special「日本の軍師100人」』第26巻、文藝春秋、2013年・冬。
フジテレビ系 土曜22時台後半 - 23時台前半 | ||
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大奥(1968年版)
(関西テレビ制作、1968.4.6 - 1969.3.29) |
あゝ忠臣蔵
(関西テレビ制作) |