小田急バス

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小田急バス株式会社(おだきゅうバス、: Odakyu bus Co., Ltd.)は、東京都および神奈川県路線バスを運行する、小田急電鉄グループ(小田急グループ)の会社である。本社は東京都調布市仙川町2丁目19番地5に存在する。

路線バスの運行エリアは、武蔵野市三鷹市調布市狛江市を中心とする東京北多摩南部、東京23区内では世田谷区渋谷区、南多摩地区では稲城市町田市神奈川県内では川崎市北部(多摩区麻生区)および横浜市北部(青葉区)などに及ぶ。

主要なターミナル駅は、吉祥寺駅三鷹駅調布駅新百合ヶ丘駅など。また高速バス空港連絡バスの運行や、沿線自治体から委託を受けコミュニティバスの運行などもおこなっている。

概要

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小田急バスの車両 調布駅北口にて

主な事業は、路線バスの運行である。6つの営業所に512台のバスを持ち、上記地域における一般路線バスの運行にもっとも多くの車両を割いているほか、空港リムジンバスの運行にも参入している。観光バスの営業規模は小さく、現在は子会社小田急シティバスが担当している。

バス事業以外に副業として、住宅・オフィスビル・駐車場の賃貸や分譲などを行っている。ガソリンスタンドの営業も行っていたが、2014年10月31日をもって全店が閉店した[1]

本社は当初、新宿におかれたが、1990年代に移転し、現在は調布市仙川のバスターミナルに隣接した場所にある。本社ビルの1階には同社が運営していたガソリンスタンド跡に入居したENEOSのガソリンスタンドがある。

近年はコミュニティバスの運行受託にも力を入れており、平成15年10月国土交通省から「国土交通特別大臣賞」を受賞した。

グループ会社として小田急シティバス立川バスタクシー事業者の川崎交通産業新立川交通などがある。

営業エリアについて

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吉祥寺駅前の繁華街を行く小田急バスの車両

後述する歴史のとおり、当社の前身は現在の武蔵野市三鷹市、および調布市を基盤としていた「武蔵野乗合自動車」という会社であり、もともと小田急電鉄とは無関係の事業者だった(もっとも路線が調布から矢野口黒川を経て、柿生駅まで達してはいた)。

一方、戦後新発足した小田急電鉄は直営のバス部門を持たず、傘下会社となった神奈中の路線も当時は鶴川止まりで、東京都近郊区間での沿線バス路線開設が宿願となっていた。

そのため、小田急が当時国際興業傘下だった武蔵野乗合を買収することにより、現在の小田急バスが発足した。このような沿革を持つため、当社は小田急電鉄沿線ではない武蔵野・三鷹・調布地区に路線基盤を有しているのである。

なお小田急グループ全体としては、小田急電鉄沿線に以下の事業者が路線を有している。

歴史

創業期

小田急バスの始まりは、昭和初期に遡る。東京赤坂に本社をおいていた安全自動車が吉祥寺 - 野崎 - 調布間の路線を運営していた。しかし、当時の北多摩地区はまだ人口も少なく、経営状態はよくなかった。そこに長野県出身の児玉衛一が着目し、五島慶太の助言を受けた上で、安全自動車を買収し、1932年(昭和7年)6月武蔵野乗合自動車を設立することとなった。

武蔵野乗合自動車の創業当時の路線は、調布 - 三鷹天文台 - 武蔵境と調布 - 吉祥寺の2路線であったが、人口が少ないこともあり、安全自動車と同様経営は苦しかった。また、安全自動車から買収した資機材による運行のため、車両等の老朽化等による故障にも苦しめられた。

1937年(昭和12年)には、本社を吉祥寺駅南口に移転し、あわせて、吉祥寺 - 野崎、武蔵境 - 野崎の2路線の営業を開始することとなった。

戦時統合と武蔵野乗合自動車

戦時体制に入るにつれて、武蔵野乗合自動車でも戦時輸送が大きな割合を占めていくこととなる。沿線には、中島飛行機富士重工)、日本無線正田製作所日産自動車)など、軍需工場が設置されており、工場への従業員輸送が多く発生した。

このような、戦時体制の中で、陸上交通事業調整法の公布により、バス事業者は極力統合される方向となり、武蔵野乗合自動車が運行を行っていた東京西部地域は、東京急行電鉄(いわゆる大東急)として統合される方針であった。しかし、武蔵野乗合自動車はこれらに統合されることなく引き続き輸送にあたることとなった。

戦後復興と小田急電鉄による買収

上記の軍需工場等の空襲等で沿線地域はある程度被害を受けたものの、武蔵野乗合自動車がのバス路線はほぼ無被害であった。しかし、戦争中からの物資不足等の影響により、保有する車両の整備等もままならず、実質的には運行できる状況ではなかった。この後、終戦直後の1946年(昭和21年)以降、順次運転を再開していくこととなるが、増資等による車両の購入等を進め、運行を行う体制は徐々に整っていくものの、営業収支は厳しい状況が続いた。

1949年(昭和24年)には、東京急行電鉄から東都乗合自動車他を買収した国際興業から、武蔵野乗合自動車に対しても買収を行いたい、との話が持ち込まれ、同年8月に武蔵野乗合自動車は、国際興業傘下のバス事業者となった。借金等は国際興業が肩代わりし、身軽になったものの、経営状態は相変わらず厳しいものであった。

一方、1948年(昭和23年)に東京急行電鉄から分離した小田急電鉄は、神奈川中央交通を傘下にしたものの自社でバス事業を保有しておらず、自社線への乗客輸送等を他社が行うバス事業に頼らざるをえない状況となっていた。このような状況を打開すべく、小田急電鉄は直営バス事業の新規免許取得を目指していたが、復興優先の状況の中では認められない状況であった。そこで、小田急電鉄は、悲願の直営バス事業を得るために、既存事業者の買収を図ることとなった。

武蔵野乗合自動車の株主であった国際興業との意見の一致を見たことにより、小田急電鉄は、1950年(昭和25年)8月17日に武蔵野乗合自動車を買収した。同年9月1日に商号を変更し、ここに小田急バスが誕生した。

小田急バスの発足

小田急バス発足時の体制は以下の通りであった。

路線網の拡充

小田急バスとして発足して以降、大きく路線の拡充を図ることとなる。 1950年(昭和25年)に新宿 - 三軒茶屋(三軒茶屋線)や新川 - 経堂等の運行を開始した。また、当該地域は他のバス会社による路線が多く設定されており、小田急バスがさらなる運行をする余地はなかったが、東京急行電鉄との交渉の末、渋谷駅 - 成城学園前駅千歳烏山駅 - 成城学園前駅間の路線の譲渡を受けることとなった。

1950年代後半以降、小田急沿線や小田急バスの営業エリアは急速に宅地化が進展し、駅などへの輸送需要が発生し、新設路線や既存路線の延長が相次ぐこととなった。

モータリゼーションの進展と運行地域の拡大

1960年(昭和35年)に入ると、宅地化の進展により営業エリアを拡大することとなった。一方で、都内においてはモータリゼーションの進展とともに、道路状況の悪化がすすみ、バスの運行の定時性が失われ乗客減を招くとともに、運賃改定がなかなか認められず、経営状況は苦しくなっていった。 このような状況下において経営改善を図るため、省力化を図ることとなり、1960年以降ワンマン化が推し進められることとなった。

21世紀に向けた新しい対応

コミュニティバスの運行受託

東京都内においても、主要幹線道路から離れている場所等では公共交通機関が不便な地域が残り、これらを解消することが、地方自治体の一つの課題となってきていた。このため、1990年以降地方自治体によるコミュニティバスの導入が増えてくるようになる。一方で、自治体にとっては、運営のノウハウを持っていないため、実務はバス事業者に委託する形を取ることが多かった。

小田急バスのエリアの、三鷹市1998年(平成10年)、みたかシティバス)、世田谷区2001年(平成13年))、武蔵野市2000年(平成12年)、ムーバス)においてコミュニティバスの運行が開始され、これらの運行を小田急バスが受託することとなった。その後も、前述自治体での追加路線や町田市玉ちゃんバス)、調布市調布市ミニバス)、稲城市iバス)、狛江市こまバス)等の運行を受託していくこととなった。

小田急シティバスの設立

1991年(平成3年)をピークとして小田急バスの輸送人員は減少傾向に陥った。また、一方で、人件費等の費用は大きく減少せず、抜本的な改善が求められるようになった。

一方で、道路運送法に定められた「一般乗合バス事業の管理の受委託」が1991年(平成3年)に解禁されており、小田急バス直営では経営的に問題のある路線を運営費用が安い別会社に委託することにより、収支改善を図ることが可能となっていた。 これらの状況を踏まえ、2000年(平成12年)2月に子会社として、小田急バス若林営業所内に小田急シティバスを設立するに至った。 この後、小田急バスは、同年8月から高速バス倉敷線を小田急シティバスに移管した。また、2001年(平成13年)1月には、下61系統(北沢タウンホール - 駒沢陸橋)、同年5月には渋54系統(梅ヶ丘駅北口 - 渋谷駅)、同年11月には梅01系統及び歳22系統(梅ヶ丘駅北口 - 千歳船橋駅・希望ヶ丘団地)及び新宿ランド線(新宿駅西口 - よみうりランド)の計4路線を小田急シティバスに運行委託することとなった。

また、2000年(平成12年)以降に実施されたバス事業の規制緩和に伴い、貸切事業者等による都市間ツアーバスの運行が開始され、運賃の低廉化が進んだ。小田急バスが運行する高速バスもこの影響を受けることとなり、乗客が減少傾向となった。様々な合理化方策やサービスの改善(女性専用車両の導入)等を行ったものの、収支は極めて厳しい状況であった。このため、2002年(平成14年)4月に小田急バスが当時運行していた高速バス全路線(秋田線、広島線、三原線、岐阜線、高知線)を小田急シティバスへ移管した。

年表


各営業所(車庫)所在地

営業所名後ろの括弧内の英字は営業所を略記する際の記号。

廃止された営業所

  • 堀ノ内営業所
  • 小田急シティバス若葉台営業所
    • 神奈川県川崎市麻生区黒川 - 2006年夏頃に貸切部門の小規模な営業所として、若葉台駅付近(現下黒川停留所前)に設置されたが、貸切営業のエリア縮小に伴い2011年9月に廃止・閉鎖された。
  • 生田営業所 (営業所記号 E)
    • 神奈川県川崎市多摩区西生田
    • 2013年6月に登戸営業所に移転する形で廃止・閉鎖された。

現行路線

空港連絡バス

高速バス

路線バス

  • 各営業所の項を参照。

コミュニティバス受託

車両

車種

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小田急バスのハイブリッド車 武蔵境駅南口にて

一部のコミュニティバス用の小型車と、ハイブリッド車日野自動車製が配置されているが、ほとんどの車種がいすゞ自動車ジェイ・バス)製、または三菱ふそうトラック・バス製である。

路線バスの車両は大型車が多いが、一部の営業所には中型車も投入されている。9m大型車、10.5m級中型長尺車の投入はない。

過去の車両では、三菱ふそう・エアロスターにおいては、三菱ふそうバス製造(当時:三菱自動車バス製造)に一本化されるまでは、当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製の車体(エアロスターM)を導入していた。

またいすゞ車においては、純正ボディ(当時:アイ・ケイ・コーチ→いすゞバス製造)以外に、富士重工業架装の車両も導入していた。1990年代まで導入の車両は富士重工ボディのほうが多く、いすゞ・キュービックの純正ボディはノンステップバスとごく一部のツーステップ車に限られていた。富士重工製ボディは大型車は1989年(平成元年)以降は7Eボディを採用したのに対し、中型車は1994年(平成6年)まで6Eボディを採用したが、8Eボディの車両は導入されず、いすゞ・ジャーニーKでは純正ボディの車両を導入した。2000年(平成12年)以降はすべて純正ボディのエルガおよびエルガミオで導入されている。

1999年(平成11年)以降の新車は大部分がノンステップバスとなっており、なかでもいすゞ・エルガの占める割合がかなり大きい。特に2007年(平成19年)と2008年(平成20年)の投入車は全車いすゞ製であった。2009年(平成21年)にPKG-MP系(三菱ふそうバス製造架装)ノンステップ車の発売開始により、三菱ふそう製車両の導入が再開されている。

2003年(平成15年)の新車より「小田急グループマテリアルズ仕様」で導入されている。これは小田急グループ内のバス事業者7社で基本的な仕様を統一し、小田急グループマテリアルズが一括して調達することによりコストダウンを図るとともに、短期間で大量の更新が行えるようになっている(同種の事例としては名鉄グループ内のバス事業者向けに名鉄グループ統一仕様があり、名鉄バスのほか岐阜乗合自動車宮城交通などに導入されている)。

2015年(平成27年)3月末時点で、国土交通省「ノンステップバス導入率が高い事業者ベスト30(全国・導入比率順)」の第3位にランクインした[9]

塗装

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小田急グループ塗装(小田急シティバス)

路線バスのボディーカラーの赤いラインは情熱を表し、白いラインは清潔と忠実をあらわしている。赤いラインの間に白いラインが引いてあるのは、情熱の中にも常に理性があることを意味する。

路線バスのボディカラーは、小田急グループの立川バスと同じ(前面の塗り分けは若干異なる)であるほか、秋田県の羽後交通や北海道のてんてつバスに似ている。ただし羽後交通・てんてつバスはどちらも小田急グループとの資本関係はない。

空港リムジンバスや貸切バスで使用される車両は、神奈川中央交通(および各神奈交バス)を除いて、基本的には小田急グループ各社で共通のデザインが施されており、小田急バスのほか、小田急箱根高速バス箱根登山バス立川バス神奈中観光江ノ電バス東海バスでほぼ同一の塗色となっている。小田急箱根高速バスとは英字の綴りが同じになるが、同社は小文字(odakyu)、小田急バス・小田急シティバスは大文字(ODAKYU)を使っており区別は可能である(ここ数年、江ノ電バスに新製配置される空港リムジンバス、定期観光バス等は独自の塗色となっている。貸切観光バス用車は従来通り)。

また、観光バス・リムジンバス車両と高速バス(小田急シティバス)の一部には、車体に銀色ののレリーフが取り付けられている。この犬のシンボルマークはもとは路線車にも取り付けられていたが、1969年以降は路線車への取り付けは行っていない。なお、この犬マークは小田急バスの登録商標であり、本社ビルの玄関にも取り付けられている。2010年には60周年を記念して路線バスの側面に犬マーク入りの記念ステッカーが貼り出されている。現在は、路線バス前面左上に、マスコットキャラクター「きゅんた」(#キャラクター参照)のステッカーが貼られて様々な種類のきゅんたがいる。

421号車と431号車は安全運転訓練車となっており、誤乗防止の観点から、最初期の旧塗装に復刻されている。

装備

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行先表示がフルカラーLEDとなった町田営業所の一般路線バス車両

1995年には、車両のバリアフリー化の一環として、中扉に自動昇降ステップを装着した「ニューステップバス」が導入され、前面や入口付近にニューステップバスであることを示すハートのマークが掲げられた。

路線バス車両の扉は、大型車の一部や中型車の大半を除き、中扉は幅の広い4枚折戸を採用していたが、リフト付きバスと大半のニューステップバスは2枚折戸、初期のノンステップ車はグライドスライドドアを採用した。ノンステップバスがほとんどになった現在は、小型車を除き中扉は引戸になっている。さらに近年では、中扉のブザー音をチャイムに交換するとともに開閉ランプを設置し、既存車両への設置改造も既に行われている。

また1995年頃に、接続する鉄道路線ごとに行先表示の色を区別した、色地の方向幕が試験的に導入されたことがある。しかし、緑色の地に黄色の文字など一部見づらい配色があり不評だったためか、1996年後半以降は行われなくなった[10]。ただし、色地の方向幕はその後も一部車両に残された。

現在では他事業者と同様に、LED式行先表示器の車が主流になっており、ほとんどの車両がLED式行先表示器を装備している。2016年から複数の営業所で、オージ製のフルカラーLED行先表示器が導入開始された。その後すべての営業所にフルカラーLEDの車両が1台以上導入され、系統番号別に色分けした行先表示が可能となっている。また空港路線バスの新型車両にも、フルカラーLED行先表示器が導入されている。

2010年度の導入車両から、スモークガラスを採用した。また同年に一部車両で、吊革の持ち手形状を三角形に変更し、翌2011年度以降の導入車両から本格採用した。

2011年度以降の導入車両から、後輪巻き込み防止カバーを採用した。大阪シティバス(旧・大阪市営バス)や近鉄バスなど、関西の事業者ではしばしば見られるものだが、首都圏では珍しい仕様である。

2012年度の導入車両から、フロントバンパー上の青色LEDデイライトLED照明を採用している。

2016年度に入り、運賃箱サクサ製からレシップ製の磁気カード非対応のものに交換された。また車内の停留所名表示器も、従来の3色LEDからレシップ製の液晶表示器に交換され、行先や停留所名などの多言語対応が可能になり、英語中国語簡体字)、朝鮮語ハングル)も表示されるようになった。

経年車の処遇

小田急バスでは、1995年頃まで車内外再生工事を行っていた(P-代の大型車まで更新、中型は一部未更新)が、U-代車以降の再生工事は経費節減の絡みで中止された。そのため特にU-代車や初期のKC-代車は、外板に錆が浮いたりと老朽化が著しかった。

近年では車両代替のペースや置き換え時期が比較的早く、全ての車両がノンステップバスになった2017年現在でも、おおむね12年から14年程度のサイクルで経年車の置き換えが行われている。

小田急バスでは、除籍後即座に中古車業者の手に渡ることが多いため、北海道から沖縄まで非常に広範囲で元小田急車を見ることができる。代表的な譲渡先として秋田中央交通羽後交通じょうてつ北海道北見バス弘南バス南部バス岩手県交通東海バス日本平自動車大分バス那覇バス新常磐交通等で活躍するほか、海外へも輸出されている。

乗車券類

小田急バスでは、下記の各種乗車券を発行している。詳細は公式サイト「乗車券のご案内」を参照。

  • IC定期券
    • PASMO・Suicaのみに搭載可能。2012年5月10日から、紙式定期券の廃止・定期券のICカード化を実施した。ただし区間指定・他社共通など、一部の定期券は紙式で残されている。また、これまでは地区ごとに定期券を別々に発売されていたが、定期券のICカード化を機に小田急バス全線定期券をICカードに発売されるようになった。
  • 1日フリーパス[11]
    • PASMO・SuicaではSF残額から差し引く形で、小田急バス・小田急シティバスの全路線(共同運行を行う他社の路線バスや高速バス、空港連絡バス、一部のコミュニティバス等を除く)の一日乗車券を付加することができる。IC定期券同様、上記以外の交通系ICカードには搭載不可。深夜バスへの乗車時は、別途普通運賃相当額を支払って利用する。
    • ICカード化される以前は、都内乗り継ぎ一日乗車券として、利用範囲が都区内均一運賃エリアに限られていたが、現在では武相運賃エリアや神奈川県内を含め、全ての一般路線で利用が可能となった。
    • 以前は、紙製と磁気カード式の一日乗車券が存在した。2008年に全営業所でPASMOが導入されるまでは、紙製のスクラッチ式で最初の乗車の際に初乗り券を切り取って利用する方式だった。磁気カード式は各営業所・案内所・バス車内で発売しており、料金機の磁気カードリーダーライターに通して利用する方式となっていたが、発売が2013年3月31日、使用が4月30日をもって終了し、5月1日からは小田急バス営業所・案内所等にて無手数料で払い戻している。
  • ナイスパス[12]
    • 満65歳以上の高齢者を対象とした特別割引乗車券[13]
    • 本券を提示することで小田急バス及び小田急シティバスの一般乗合バス全線が1乗車100円[14]で利用できる(深夜バスは同200円)。なお、高速バスリムジンバスやもともと運賃が100円であるムーバスは利用できない。
    • 初回購入時に健康保険証などの公的証明書が必要。2回目以降の購入は旧券と引き替え。また、スタンプカードによるポイントサービスがあり、購入時に有効月数分(1ヶ月分に付き1個)の捺印がなされ、6個にたまると次回購入分の有効期間が1ヶ月分延長される。
    • ナイスパスのほか、都内を運行する路線では東京都シルバーパスの、川崎市内の路線では川崎市敬老特別乗車証の利用も可能。ただしムーバスなど、コミュニティバスなどでは使用できない路線もある。
  • みたかシティバス専用乗換カード[15]
    • 小田急バス鷹51・鷹54・鷹58・境91のいずれかと、みたかシティバス三鷹台・飛行場ルートを乗り継ぐ際に利用できる割引券。
    • 小田急バスでは当カードを乗務員に提示するとともに補助乗車証を1枚渡す。みたかシティバスでは当カードを乗務員に提示しそのまま乗車する。
  • 三鷹の森ジブリ美術館往復割引乗車券[16]
    • 三鷹の森ジブリ美術館来館者向けの往復割引乗車券。みたかシティバス三鷹の森ジブリ美術館循環ルートと明星学園ルートで利用可能。

キャラクター

きゅんた

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きゅんたラッピングバス 新百合ヶ丘駅にて

小田急バスでは犬マークが、創業時からバスの車体に取り付けるなどしてお客様に親しまれてきた。2012年9月、新たな犬のマスコットキャラクター「きゅんた」が誕生した。

2012年には、従来の犬マーク(レリーフ)のコンセプトを引き継いだ、新たなマスコットキャラクターを制定することになり、愛称募集キャンペーンとして2012年7月23日から8月31日まで募集を行った[17]

名前は2012年9月21日に小田急バス公式ホームページ上で発表され「きゅんた」に決定、同年9月26日には吉祥寺営業所で「きゅんた」ラッピングバスの運行を開始と同時に着ぐるみデビューした。2013年10月1日以降、誕生1周年を記念して他の営業所でもラッピングバスの運行を開始した。

「きゅんた」のデザインコンセプトは、「バスに乗る人とやさしくふれあうキャラクター」。お客さまを待ち、目的地まで安全にご案内するキャラクター。人をあたたかく迎え、やさしく従順に付き添ってくれる犬のイメージでキャラクター化された。きゅんたのラッピングバスも登場し、小田急バスのナビゲーターとして、いろいろな場面で登場している。ゆるキャラグランプリにも参戦している。

「きゅんた」の着ぐるみは、2015年11月以降小田急グループ関連のイベントに出没しているが、他社のイベントでは2014年9月に開催した都営バス主催のイベントで初出演して以降、都営バス主催のイベントではゲストキャラクターとして出演している。

その他

  • 一部車両では、終点が小田急線の駅の場合は方向幕に「小田急線○○駅」と表記されている。車内放送でも「このバスは、…経由、小田急線○○駅行きでございます」と案内されている。
  • 小田急バスおよび立川バス系の労働組合は、小田急電鉄労働組合などと同様私鉄総連に加入しているが、労使協調路線が多い小田急グループの中では例外的に労働組合の力が強く、春闘や秋闘になるとストライキに突入する場合もある。

脚注

  1. 本社ビル併設のほか、世田谷区内や沿線外(小田原花小金井。ただし、どちらも小田急グループのバス路線が付近を走行している)に出店していた。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 122.
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 123.
  4. 4.0 4.1 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 124.
  5. 5.0 5.1 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 125.
  6. 6.0 6.1 6.2 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 126.
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 7.8 7.9 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 127.
  8. 小田急バス株式会社社史編纂委員会 編 2010, pp. 129.
  9. ノンステップバス導入率が高い事業者ベスト30 (PDF, 国土交通省)
  10. バスラマ・インターナショナル 37 特集・わかりやすい方向幕とは』 ぽると出版、1963年。ISBN 4-938677-37-7。
  11. 1日フリーパス|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  12. ナイスパス|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  13. 矢野きくの「無料&格安がいっぱい!! 賢い情報の見分け方」、『学研ムック らくらくねんきん暮らし』第4巻、2015年1月、 33頁。
  14. この支払いは現金のみでPASMOなどの乗車カード類は使用できない。
  15. みたかシティバス専用乗換カード|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  16. 三鷹の森ジブリ美術館往復割引乗車券|お得な乗車券|乗車券のご案内|路線バス|小田急バス
  17. マスコットキャラクター愛称募集キャンペーン - 小田急バス

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:バス共通カード

テンプレート:小田急グループ