滝田栄

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滝田 栄(たきた さかえ、1950年12月5日 - )は、日本の俳優司会者千葉県印西市出身[1]。近年は仏像彫刻家としての活動が多い。

来歴・人物

実家は代々、関東一帯の米を利根川から船で江戸城に納める「米庄」であった[1]。第24代横綱は祖父の弟にあたる[1]成田高等学校を経て、中央大学文学部仏文科(夜間部)中退[1]文学座の養成所を経て入団した劇団四季では、『王様の耳はロバの耳』の王様役、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役などで有名になる。81年劇団四季を退団、デビュー当時は加藤剛に瓜二つといわれ、業界の関係者からもよく顔を確認しないと分からない程だった。

1983年、『徳川家康』で主役の徳川家康を演じたことで全国的な知名度を上げる。

山歩き(成田高校山岳部出身)・武道・料理と多芸多趣味なことでも知られる。大の料理好きが高じて『料理バンザイ!』の司会を放送開始から最終回まで20年に渡って務めた。また抜刀術(戸山流)の有段者であり、時代劇の場面では試し斬りを披露することもある。

『料理バンザイ!』が終了した後、2年ほど座禅のためインドに滞在していた(『旅の香り』)。その背景は『レ・ミゼラブル』の滝田自身による怪我での降板と『料理バンザイ!』がスポンサーによる不祥事で終了と、愛着ある仕事を一度に失ったショックだという(『ザ・ヒューマンD』)。

近年は仏像彫刻に励んでいる(『ザ・ヒューマンD』・『グレートマザー物語』)。

エピソード

  • 兄・詔生(つぐお)は成田高校陸上部の元監督で、マラソン増田明美ハンマー投室伏広治を育てた名監督であった[1]。この縁もあって、増田は滝田の大ファンである。その兄をガンで無くしてからは肉類は一切食べないという。ただし、植物性のものしか食べないわけではなく、「生中継 ふるさと一番!」に出演した際はシシャモハモ等を食べていた。
  • 役者になったきっかけは大学一年のとき。70年安保でほとんど授業はなく、暇で銀座をブラブラしていてテアトル銀座で、たまたま『アラビアのロレンス』を観て感動したこと。友人にそれを話したら「君は俳優になるべき。君は文学座だ」「作文の試験には杉村春子さんの芝居に感動して役者を目指しました、と書いたら合格するから」と言われ、「俺、観たことねぇよ」と言ったら、「とにかく書け」と言われその通りにしたら文学座に合格したという[1]

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

バラエティ

紀行番組

CM

著作

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 週刊文春』2000年8月5日号 p.88 - 90「新・家の履歴書」

外部リンク