亀山継夫
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亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は、日本の法律家、検察官、弁護士。元最高裁判所裁判官。
略歴
- 1956年、東京大学法学部卒業。司法修習生。
- 1958年、横浜地方裁判所・家庭裁判所判事補。
- 1960年、法務省司法法制調査部付検事。
- 1967年、法務省刑事局付検事。
- 1970年、法務省刑事局参事官。
- 1976年、法務省刑事局青少年課長。
- 1979年、東京地方検察庁公判部副部長。
- 1980年、東京地方検察庁刑事部副部長。
- 1981年、法務大臣官房審議官(刑事局担当)。
- 1984年、東京高等検察庁刑事部長。最高検察庁検事。
- 1986年、札幌地方検察庁検事正。
- 1988年、前橋地方検察庁検事正。
- 1989年、最高検察庁総務部長。
- 1991年、法務総合研究所所長。
- 1994年、広島高等検察庁検事長。
- 1996年、名古屋高等検察庁検事長。
- 1997年、定年退官。弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。東海大学法学部教授。
- 1998年12月4日、最高裁判所裁判官就任(根岸重治の後任)。第二小法廷担当、足利事件担当。
- 2004年、最高裁判所定年退官(後任は行政官出身の津野修)。東海大学法科大学院教授(実務法学研究科長)。
- 2006年4月、旭日大綬章受章
- 2009年、東海大学退職。
担当訴訟
- 2000年7月17日、足利事件(最高裁第二小法廷)判決。裁判長として被告人側の上告を棄却し、一・二審の無期懲役判決が確定した。しかし2009年、同事件は再審開始が決定され、翌2010年に再審無罪判決が言い渡され、確定した。
- 2001年12月3日、市川一家4人殺人事件(最高裁第二小法廷)判決。裁判長として被告人側の上告を棄却し、当時少年の被告人に対して言い渡された、一・二審の死刑判決が確定した(少年死刑囚)。
最高裁の誤審
足利事件の刑事裁判において、亀山が裁判長を務めていた最高裁第二小法廷は、無罪を主張していた被告人の上告を棄却し、一・二審の無期懲役判決が確定したが、同事件は後に、DNA型鑑定にて冤罪であることが証明され、被告人の無罪が確定した。無罪確定後、亀山は毎日新聞の取材に「退官した現在は手元に資料がない」「回答することは判決理由を後から変更するに等しい」とし、誤審との認識を否定した。また、2009年テレビ局の取材で謝罪する意思を問われ「いいえ全然そういう気はありません」「謝罪をする筋合いじゃない」と冤罪事件への謝罪を拒否した[1]。
著書
- 少年法改正(宮沢浩一編、慶應通信、1972年)
- 現代刑罰法大系(5)(石原一彦ほか編、日本評論社、1983年)
- 少年法および少年警察(赤木孝志共著、令文社、1984年)
- 松尾浩也先生古稀祝賀論文集(下)(芝原邦爾・西田典之・井上正仁編、有斐閣、1998年)
論文
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所 2010年5月7日閲覧。
脚注
典拠レコード: