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株式会社十字屋(じゅうじや、英文表記:JUJIYA Co.,Ltd)は、かつて百貨店を初め、商業施設などを運営していた日本の企業。2007年(平成19年)1月16日に株式会社ダイエーに吸収合併された[1]。
かつて百貨店の十字屋は全国8都市にあったが、平成時代に入り店舗閉鎖を進め、ダイエーの子会社である株式会社中合(福島県福島市)が運営する十字屋山形店(山形県山形市)のみとなったが2018(平成30)年1月31日をもって閉鎖され95年の歴史に幕を閉じた[2][3]。
沿革
1923年(大正12年)、神奈川県平塚市にて、衣料品や身のまわり品を扱う十字屋呉服店として創業した[4]。1935年(昭和10年)に株式会社化[4]。終戦後、早々と関東地方の主要都市を中心に小型店を多数出店し、ダイエーなどよりも早い時期にチェーン展開を図っていた。この時期、東京都内にも多数の店を有していたが、その後時代のニーズにそぐわなくなり整理されるようになった。
法人としては1954年(昭和29年)には商号を株式会社十字屋に変更して本店を東京都中央区日本橋橘町に移転、翌1955年(昭和30年)に株式会社十字屋洋装店など関連企業20社と合併し組織の再構築を図った。1961年(昭和36年)には本店をその後長らく所在する東京都台東区柳橋に移転し[5]、また東京証券取引所市場第二部への上場も果たした[5]。
1967年(昭和42年)には百貨店に業態変更し、初の本格的な百貨店として栃木県足利市に足利店を開業した[6]。1968年(昭和43年)に第一部上場となった[5]。百貨店化にあたって1971年(昭和46年)に大丸と業務提携し[5]、商品券相互利用やTROJANといった大丸のプライベートブランドの取り扱い、物流面で協力体制を図った。
町田、新小岩(東京都)、太田(群馬県)といった売場面積2000㎡前後の小型店では従来からの衣料品量販店の運営を続ける一方、1960年代から大宮(埼玉県)、宇都宮(栃木県)、千葉(千葉県)、船橋(千葉県)などの小型店を売場面積2000~7000㎡の規模に順次大型化させた。また1970年代に入ると仙台(宮城県)、山形(山形県)、藤沢(神奈川県)、銚子(千葉県)に売場面積10000㎡級の大型店を、さらに佐原(千葉県)、八千代台(千葉県)にショッピングセンターを出店し拡大路線を図った[† 1]。しかし、度重なる設備投資によって経営不振が表面化し、丸紅等による経営のテコ入れが実施された。
1976年(昭和51年)、当時百貨店業態の展開に興味を示していたダイエーが、筆頭株主だった丸紅から発行済み株式の約23%にあたる1000万株を取得[7]、1982年(昭和57年)に資本業務提携するに至った[7][5]。ダイエーと提携後は不採算店舗の整理業態変更が実施され、宇都宮、町田、船橋、千葉などの店舗は手芸用品専門店やディスカウントストアに転換し、不採算であった仙台店も仙台十字屋として別会社化された。1996(平成8年)にはダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併し、業績改善のため大型商業施設OPA事業を譲受した[8]。アゴラとの合併後、売場面積が6000㎡に満たない店舗が一斉にスクラップの対象とされ、佐野、太田、宇都宮、船橋などの店舗が閉鎖された。
2004年(平成16年)に親会社のダイエーと共に産業再生機構の支援決定を受け、山形を除く[5]仙台[9][10]、銚子[10][11]、館山[10]の店舗を閉鎖した。山形店については同じダイエーの子会社中合(福島県福島市)に経営権を譲渡し、十字屋は事実上、百貨店事業から撤退した[2]。さらに2006年(平成18年)には、施設運営部門(OPAやステーションパーク)とHIPIN事業部門に関する営業を分割し、新設の株式会社OPAに承継された。またダイエーによる簡易合併手続きを内容とする合併契約書を2006年(平成18年)に締結、翌年の2007年(平成19年)1月16日をもって会社は解散された。この吸収合併により、十字屋の子会社であったOPAがダイエーの直接の完全子会社となった。。
年表
- 1923年(大正12年)12月 - 神奈川県平塚市に十字屋呉服店を創業[5]。
- 1935年(昭和10年)2月 - 商号を株式会社十字屋呉服店に変更[12][5]。(資本金8万円[13])
- 1951年(昭和26年) - 商品の共同仕入を行う十字屋協同組合を設立[12]。
- 1954年(昭和29年)6月 - 商号を株式会社十字屋に変更し、本店を東京都中央区日本橋橘町に移転する[5]。
- 1961年(昭和36年)
- 1967年(昭和42年) - 百貨店に業態変更した[6]。
- 1968年(昭和43年)1月 - 東京証券取引所市場第一部に上場[5]。
- 1971年(昭和46年)6月 - 大丸と業務提携[12][5]。大丸松坂屋CBSグループ(共同仕入れ機構)に 山形店、仙台店、足利店、藤沢店、千葉店、木更津店、銚子店、館山店が加盟し、大丸商品券の取り扱いや共同配送等を行った。
- 1982年(昭和57年)3月 - 株式会社ダイエーと業務提携[5]。
- 1996年(平成8年)9月 - 株式会社ダイエー・アゴラ(OPA事業)と合併、株式会社キャナルシティ・オーパを設立[5]。
- 1999年(平成11年)8月 - 大丸と業務提携解消[5]。
- 2004年(平成16年)12月28日 - 親会社のダイエーとともに、産業再生機構の支援が決定[5]。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)3月1日 - 会社分割によりOPAやステーションパークの施設運営部門とHIPIN事業部門を「株式会社OPA」として分社化。
- 2007年(平成19年)1月16日 - ダイエーに吸収合併され消滅。
- 2018年(平成30年)1月31日-最後の店舗である山形店の閉店をもって完全に消滅。
店舗
十字屋山形店
十字屋山形店 | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 |
〒990-8551[14] 山形県山形市幸町2-8[14] |
座標 | 地図 |
開業日 | 1971年(昭和46年)6月10日[16] |
正式名称 | 十字屋山形店 |
建物名称 | 白蝶ビル[17]。 |
土地所有者 | 株式会社白蝶ビル[3] |
施設所有者 | 株式会社白蝶ビル[3] |
施設管理者 | 株式会社中合 |
設計者 | 山本建築設計事務所[18] |
営業時間 | 10:00 - 19:30 |
駐車台数 |
268台(タイムズ十字屋山形店) 提携:60台(ヨシダパーキング)[14]台 |
商圏人口 | 村山地方約55万人[15] |
最寄駅 | 山形駅 |
最寄IC | 山形自動車道・山形蔵王IC |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1971年(昭和46年)に開業。仙台店(宮城県)、藤沢店(神奈川県)、銚子店(千葉県)といった十字屋の店舗大型化の一環として七日町に既設していた店舗からの移転開業であった。当時、山形市内の大型商業施設は1956年(昭和31年)に大沼(現在も営業)、丸久(山形松坂屋に社名変更、2000年閉店)の2百貨店が開業(十字屋は3番目の開業)、さらに1973年(昭和48年)には大手資本であるダイエー山形店やニチイ山形店(後に山形ビブレに社名変更、2000年閉店)が開業し、東北屈指の大型店の激戦区となった。その中でも十字屋は先立って開業した丸久よりも好業績であり、1981年度(昭和56年度)には100億円を計上し大沼と並び山形県を代表する大型店の地位にあった。[15]
十字屋としても山形店の存在は中小の規模の店舗も多く地方の都市に点在していた同社の店舗体制の中で県庁所在地でかつ売場面積も1万㎡オーバーの店舗であり特別な存在であった。十字屋にはフラッグシップ的存在でかつ売場面積と売上でトップの仙台店(宮城県仙台市)が存在していたが同店は赤字基調であり利益的に貢献していたのは山形店であった。
1990年代前半までは売上高も90億から80億円台と堅調に推移していたが、景気悪化と商業の多様化、高速バスの発達に伴う仙台市へのストロー現象等で徐々に低下し2004年度(平成16年度)には約65億円にまで減少した[2]。
その後親会社のダイエーが産業再生機構の支援が決定し、十字屋もそれに準じ2005年(平成17年)11月30日を以って株式会社十字屋による営業を終了、翌12月1日に同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権が譲渡、その際、山形店のみを継続させた。
2007年(平成19年)10月6日に地下1階の食品売り場を10年振りに改装して地元特産の天元豚や庄内鶏、地元の野菜等の地場の農産物の取り扱い、焼き魚の販売開始や寿司コーナーでのおこわの品目数増強等々総菜販売等を強化した他、有名洋菓子店や焼き立てパンの店なども導入した[19]。
2016年度(平成28年度)の売上高は約31億円で、開業以来、最も少なかった[3][15]。同年12月には当店が入居するビルが耐震基準を満たしていないことが判明した[3]が、2019年(平成31年)に耐震改修を実施予定と公表された[20][17]。
2017年(平成29年)8月30日、運営者の中合が翌2018年(平成30年)1月31日を以って当店を閉店すると発表した[15][21]。地方百貨店業界の低迷、集客を支えてきた大手アパレルブランドのテナントの撤退、宮城県仙台市への消費活動の一極集中、郊外ショッピングモールとの競争激化、客層が50代から70代中心で若者層を取り込めなかった等が閉店要因とされる[3]。中合は耐震工事について所有者と調整してきたが、改修の工期が1年以上必要とみられ、賃借料の値上げも予想される中、折り合いがつかなった[3][22]。そして、発表通り2018年1月31日に閉店した。閉店時刻には店の前の大通りに多くの人がつめかけ、別れを惜しんだ[23][24]。
その後、旧十字屋山形店ビルを所有する事業者が、安全確保を最優先する観点からビル解体の方針を固めたことが同年6月に明らかとなった[25]。解体工事は事業者が国と県、市からそれぞれビル解体費の補助を受け、早ければことし8月にも解体を始め、来年春までに取り壊すとしている[26][27]。
県 | 市 | 店名 | 運営会社 | 売上高(億円) | |
---|---|---|---|---|---|
青森県 | 30px青森市 | さくら野青森本店 | (株)さくら野百貨店 | 57.3 | |
30px弘前市 | さくら野弘前店 | (株)さくら野百貨店 | 69.8 | ||
30px八戸市 | 中合三春屋店 | (株)中合 | 47.4 | ||
さくら野八戸店 | (株)さくら野百貨店 | 40.2 | |||
岩手県 | 30px盛岡市 | パルクアベニューカワトク | (株)川徳 | 188 | |
アネックスカワトク | (株)川徳 | 34.7 | |||
30px北上市 | さくら野北上店 | (株)さくら野百貨店 | 35.9 | ||
宮城県 | 仙台市 | 藤崎 | (株)藤崎 | 431 | |
仙台三越 | (株)仙台三越 | 353 | |||
さくら野仙台店 | (株)エマルシェ | 79.3 | |||
秋田県 | 30px秋田市 | 西武秋田店 | (株)西武百貨店 | 102 | |
山形県 | 30px山形市 | 大沼本店 | (株)大沼 | 62.8 | |
十字屋山形店 | (株)中合 | 34.7 | |||
30px米沢市 | 大沼米沢店 | (株)大沼 | 17.8 | ||
福島県 | 30px福島市 | 中合福島店 | (株)中合 | 94.9 | |
郡山市 | うすい百貨店 | (株)うすい百貨店 | 163 |
OPA(オーパ)
1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設で[8]、聖蹟桜ヶ丘(東京都多摩市)、新百合丘(川崎市麻生区)、藤沢(神奈川県藤沢市)、河原町(京都市)、心斎橋、三宮、キャナルシティ博多の各店は現在も営業を継続している。
ステーションパーク
郊外の近隣型ショッピングセンターとして展開した店舗[29]。
過去に存在した十字屋の店舗
百貨店
店名 | 開店 | 閉店 | 都市 | 位置 | 後身 |
---|---|---|---|---|---|
仙台店 | 1972年 | 2005年 | 宮城県仙台市 | 地図 | 仙台TRビル(核店舗:LABI仙台店) |
足利店 | 1969年 | 1993年 | 栃木県足利市 | 地図 | フレッセイ通町店 |
千葉店 | 1951年 | 1986年 | 千葉県千葉市 | 地図 | 十字屋ショッカー → メディアバレー千葉(電器店) |
銚子店(2代目) | 1976年 | 2005年 | 銚子市 | 千葉県地図 | 銚子セレクト市場 ほか |
館山店 | 1969年 | 2005年 | 館山市 | 千葉県地図 | パインズマンション館山駅前タワー |
木更津店 | 1993年 | 木更津市 | 千葉県地図 | 十字屋ショッカー → アクア木更津立体駐車場 | |
藤沢店 | 1973年 | 1986年 | 神奈川県藤沢市 | 地図 | コスタ → 藤沢オーパ(ファッションビル) |
ダイエー及び株式会社十字屋が産業再生機構の支援を受けて策定した再建策の一環として、2005年(平成17年)11月30日をもって仙台店[9]・銚子店[10][11]・館山店[10]を閉店し、翌日の12月1日に残る山形店については同じダイエーの子会社・株式会社中合に経営権を譲渡して百貨店全店の経営を終了した[2]。
- 仙台店 開店:1972年(昭和47年)4月20日(水)[30]→増床:1974年(昭和49年)12月および1987年(昭和62年)→閉店:2005年(平成17年)11月30日(木)[9][10][30]
- 地上8階・地下3階、延床面積約31,700㎡、[31]売場面積14,883m2の規模で営業[32]していた。屋上にはかつて遊園施設があったが、のちにゴルフ練習場(スイングアカデミー)へ転換された。
- 十字屋としては最大の売場面積と売上高を持つフラッグシップ的な店舗であり、丸光、エンドーチェーン(現在のイービーンズ)、エスパル、ams西武等と共に仙台駅周辺商業地区における中核の一つであった[33]。また、TBC東北放送ラジオ「朝の百貨店案内」(放送期間:1954年7月13日 - 1997年3月31日、放送時間:午前9:35 - 午前9:45)に、一番町の藤崎や仙台三越、仙台駅前の丸光といった市内百貨店各店と共に紹介され、百貨店同士での競合もあった(同番組内や店内放送において十字屋のCMソング「ハニーレイク」が使用された)[30]。
- 1972年(昭和47年)開業(現・仙台TRビル東館に入居)。1974年(昭和49年)に増床(現・仙台TRビル西館に入居)。1984年(昭和59年)4月に「株式会社仙台十字屋」設立[4]。1987年(昭和62年)には、仙台市地下鉄南北線開業に合わせて倉庫だった地下の2フロア(地下2〜3階)のうち地下2階を売り場に転換し増床、地下鉄仙台駅と直結させた。
- アゴラ合併以前は同社が得意とする40代以上の女性をメインターゲットに、1996年(平成8年)まで売り上げを堅調に増加させていた。だが合併後に方針を転換し若い層も取り込むことになり、1999年(平成11年)にはペディストリアンデッキ口(当ビルとの接続年不明)にあたる2階にギャル系のショップを集めたJUJIYA HIP[34]を新設した。このリニューアルに際してアゴラが展開するOPA事業と十字屋が展開し好調であった藤沢COSTAのノウハウを活用し、当時10代から20代の女性層から絶大な支持を有していたココルル、エゴイストなどが出店し話題を呼んだ。
- 2000年(平成12年)9月に「株式会社仙台十字屋」から仙台店を株式会社十字屋に営業譲渡し、2001年(平成13年)2月に株式会社仙台十字屋の清算が結了した[4]。売上高は同2001年2月期をピークに減少[9]。売上高減少を打開するため、食品売場にニュークイック、北辰水産など外部テナントや直営酒類ディスカウントショップ・リカーズの導入を図ったが、功を奏ぜずダイエー再建の一環により2005年(平成17年)に閉鎖が決定した。
- 閉店時の売上高は105億円であり、ピーク時と比べ50億円近く減少していた。
- 閉店後、土地・建物を所有する仙台市の不動産会社「日本オフィスビル」から東急レクリエーションが一括して借り上げ[35]、2007年(平成19年)2月23日にヤマダ電機LABI仙台店を核店舗とする複合商業施設仙台TRビルとして再スタートした[36][37][† 2]。
- 足利店 (旧さくら屋開店:1967年(昭和42年)11月27日[38] → 買収:1969年(昭和44年)12月[38]→1993年(平成5年)閉店・解体[39]
- さくら屋から営業権移譲をうける形で開業した十字屋としては初の百貨店業態[38]。移譲後間もなく店舗西側に別館を建設し玩具売場などの売場の他、地下1階には食料品売場も新設しフルライン型の百貨店を形成した。
- 建物の構造上別館並びに地階へは直接エスカレーターとエレベーターをつなげることができず地下食料品売場へのアクセスはスロープを2ヶ所設置することで対応した。また本館屋上の遊園スペースには小規模な観覧車が設置されていた。
- ただ渡良瀬川南にイトーヨーカ堂が開業すると食料品売場を含む別館は閉鎖され、フルライン型百貨店業態から撤退した。
- その後、ディスカウントストア業態の堅調を受け1988(昭和63)年にかつてレストランがあった6階にディスカウントストアJマートを新設し小規模な食料品売場を復活させたが場所の兼ね合いから振るわず1993(平成5)年に閉店した。
- 建物除却後空地の状態が続いたが、2000(平成12)年11月から2001(平成13)年1月に足利商工会議所が中小企業庁の商店街活性化対策事業補助金を受けビューティフルあしかがスクエアと銘打った各種イベントが開催された[39]。
- 現在は群馬県を本拠とする食品スーパーフレッセイ通町店が進出し現在に至っている[39]。
- (2代目)銚子店 開店:1976年(昭和51年)10月[42][43]1日→増床:1990年(平成2年)11月→閉店:2005年(平成17年)11月30日[43][10][11] 売場面積12,668m2[32]
- 銚子市の表玄関である銚子駅前通りに位置した銚子市内唯一の百貨店で1991年(平成3年)に売上高約107億円を上げたが[42]、郊外型店との競合や不況の影響などで2004年(平成16年)に売上高約47.5億円に落ち込み[42]、産業再生機構の支援を受けて経営再建する一環として2005年(平成17年)11月30日に閉店した[43]。
- 当店の開設の際には、銚子商店連盟連合会が売場面積の縮小など3項目の意見書を提出するなど反対運動を行ったが、1974年(昭和49年)の銚子市長選で誘致を掲げる嶋田が当選を果たしたことなどが影響して進出が決まった[44]。
- 当店開店は、銚子駅前の商店街の通行量の増大や地元の商店主らの積極的な営業姿勢への転換などの効果をもたらし、銚子の商業発展につながったとされた[45]。
- 店舗跡地は、当初、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店[46](注・東京銀座などで百貨店を運営する松屋とは別企業)による商業施設「リズム」が地下1階が食品で地上1階は婦人服など全館を使って2008年(平成20年)11月14日に開店する予定だった[47]がテナントが集まらず断念し[42]、2008年(平成20年)11月下旬から[42]2009年(平成21年)1月頃にかけて解体された。しばらくは更地であったが、ジャパンレジャーサービスグループの松屋百貨店が運営会社「てうし横丁」設立して2011年(平成23年)7月から木造平屋建ての銚子漁港市場「てうし横丁」を建設して2011年(平成23年)12月オープン予定していた[48]が、テナントが集まらず延期。
- 木更津店(? - 1994年(平成6年)1月31日[49])
- 藤沢店 百貨店としての開店(移転拡張):1973年(昭和48年)9月28日[51]→藤沢十字屋(1986年(昭和61年)2月11日閉店[52])→業態転換:1986年(昭和61年)3月13日 COSTA(コスタ)[52] →1995年(平成7年)ダイエー・アゴラと合併に際し 藤沢OPAに改称。仙台、山形、銚子と並ぶ売場面積10,000㎡超の大型店(10,500㎡)として藤沢駅北口から南口に1973年(昭和48年)に移転開業した。開業当初はフルライン型の売場構成であったが、差別化をはかるために10代後半から20代前半の女性をメインターゲットにした専門店ビル藤沢COSTAに業態転換した。またアゴラ合併後は名称を藤沢OPAに改められたが、藤沢COSTAのコンセプトは継承された。十字屋山形店閉店後は十字屋の流れを汲む最後の店舗となっている。
十字エス・シー ポポ
百貨店店舗に準じて展開されていた店舗である。
中小型店舗
衣料品主体の中小型店舗を関東地方や東北地方を中心に展開していた。
末期には後期までの存続した6-7店舗程度が手芸専門店「クロスティ」と称した。○印。
山形県
- 山形七日町店
- 山形市七日町にあった店舗で、山形駅前の現在の山形店が開業した後も並行して営業を継続した[59]。
- 米沢店
- 寒河江店(1982年(昭和57年)9月 - 1994年(平成6年)1月16日[49])
- 1982年9月 「寒河江ショッピングセンター・チェリーモール」の核テナントとして開店。売り場面積は6,400m2。1986年5月「ダイエーFC十字屋寒河江店」に店名変更。1994年1月16日閉店。
- 同ビルは同年7月には「山形ウェルマート」を核とする「パオ2丁目店」としてリニューアルするが、1999年8月ウェルマートも撤退。永らく核テナントが見つからない状況が続いたため寒河江市がビルと敷地を買い取り、2000年に3階以上を公共施設を入居させた複合ビル「フローラ・SAGAE」として再開発を行った。
福島県
茨城県
栃木県
- 佐野店 佐野市
- 地元の大型衣料品店だった小佐野が営業を取り止めた店舗跡の居抜き出店する形で1981(昭和56)年に開業した。売場構成は地上5階地下1階の売場面積7000㎡の規模であった。地階には食品売場が設けられ、当時としてはやや小規模ながらもフルライン型の百貨店であった。駐車場も十字屋としては多い300台分を確保しとしていたため、業績も堅調であった。
- だが、アゴラとの合併を受けた中小規模の店舗整理の一環で1996(平成8)年に閉鎖された。その後医療法人聖生会のデイケア機能を備えた介護老人保健施設「和の里」、1階の一部に給食を行う日清医療食品、2階に指定居宅介護支援事業所「ゆうゆう」、2階から4階を介護対応型高齢者向けマンション「悠楓園」などが入居する福祉関連の複合ビルとして利用されている[65]。
群馬県
- 前橋店(1961年(昭和36年)[66] - ?)
- 前橋松竹跡を改装して出店した[66]。
- 高崎店(1964年(昭和39年)[66] - 1976年(昭和51年)2月[6])
- 桐生店(1963年(昭和38年)[67] - 1992年(平成4年)[67])
- 太田店(1950年(昭和25年)10月[68] - 1996年(平成8年)8月閉店[69])
埼玉県
- (初代)浦和店(1950年(昭和25年)9月[70] - 1962年(昭和37年)11月[70])
- 浦和市仲町に出店していた[70]。
- (2代目)浦和店(1962年(昭和37年)11月[70] - 1984年(昭和59年)2月19日[71])
- 浦和西口の浦和市高砂町、県庁通りに出店していた[55]。
- ○大宮店(大宮市宮町1-83[72]、1955年(昭和30年)2月[72] - )店舗面積約2,448m2[72]
- ○大宮中央デパート店 2005年(平成17年)2月閉店[5]
- 与野店
千葉県
- 本八幡店(最後はローソン等の複合ビルだったが、京成八幡駅前の再開発により解体済み)
- 浦安店(浦安パークスクエアにかつて存在)
- 船橋店(ショッカーに業態転換)→閉店後、現在はドンキホーテ船橋店となっている。
- 千葉店(1951年)、十字屋ショッカー(1986年)、1996年閉店。
東京都
神奈川県
- ○平塚店(1996年(平成8年)7月14日閉店[73][74])
- 1923年(大正12年)に十字屋呉服店として創業した地。売り場面積969m2[73]。
- 横浜店
- ○新百合丘オーパ店(2005年(平成17年)2月閉店[5])
- ○小田原店(1964年(昭和39年)10月[75] - ?)
静岡県
- 伊東支店(1996年(平成7年)7月閉店[76])
- 伊東市猪戸1-26[13]
- 沼津支店(1956年(昭和31年)5月[77] - 1994年(平成6年)11月末[78])
- 仲見世商店街のほぼ中間に出店していた[79]。
- 現「マルサン書店」本店。
- 冨士店
- 島田店
十字屋ショッカー
ディスカウントストアとして営業していた店舗である[80]。
1980年代にダイエーの傘下に入ったことを機に店舗の売り場体制の見直しを行った一環として、手芸専門店業態のクロスティとならび展開された。同業態はダイエーが展開していたディスカウント業態であるトポスのノウハウを導入して比較的人口規模があり購買層の厚さが期待できる千葉県の3店舗があてられた。
特に船橋と千葉(千葉県)の両店は周辺にそごう、西武、東武といった巨艦店とも称される規模の百貨店が立地し小規模の売り場であった同店は業績が悪化していた。業態転換後は1980年代後半からの好景気から好調な業績をあげていたが、アゴラとの合併に伴う中小規模の店舗整理の一環で3店舗とも閉鎖となり消滅した。
- 木更津店
- 船橋店[80]
- 千葉店
十字屋ドアイ
- 看板にはダックスフントをイメージしたキャラクターを使用。
ジューエル
- 浦和店
- 新小岩店
十字マート
- 戸塚店(1969年(昭和44年)[81] - ?)
十字ストア
- 大船店
- 逗子店
- 飯能店
OPA(オーパ)
1996年(平成8年)9月1日にダイエー系デベロッパーの株式会社ダイエー・アゴラと合併して譲受された大型商業施設[8]。
- 浜大津OPA
- 新神戸OPA
子会社
- 株式会社OPA(施設運営事業、2006年(平成18年)3月1日に会社分割で新設された完全子会社)
- 株式会社キャナルシティ・オーパ(施設運営事業、80%出資)[5]
- 株式会社りんくうパーク(商業施設開発事業、りんくうパパラ関連、100%出資)[5]
- 株式会社十字屋友の会(前払い式特定取引業)[5]中合友の会に営業譲渡
- 十字興業株式会社(不動産賃貸業)[5]
- 2006年(平成18年)3月30日より商号をダイエースペースクリエイトに変更した。現在はダイエーの100%子会社。
- 十字エス・シー開発株式会社(不動産賃貸業、間接50%を含め100%出資)[5]
- りんくうパーク、十字エス・シー開発については、2007年(平成19年)に清算
脚注
注釈
出店
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「nikkei-2006-12-15
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 上田泰嗣、辻本貴洋(2005年10月12日)。十字屋山形店、「中合」に営業を譲渡 屋号、雇用は継続(毎日新聞)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 十字屋山形店 来年閉店 競争激化で売り上げ減 中心街の空洞化拍車懸念(毎日新聞 2017年8月31日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 沿革(有報リーダー「株式会社十字屋」)
- ↑ 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 5.16 5.17 5.18 5.19 5.20 5.21 5.22 5.23 5.24 5.25 5.26 引用エラー: 無効な
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タグです。 「jujiya-annual-report-71-2005
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 6.0 6.1 6.2 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985-5。ISBN 978-4771002906。
- ↑ 7.0 7.1 貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社 、1977年5月。ISBN 978-4828200057
- ↑ 8.0 8.1 8.2 “十字屋、9月1日付でダイエー・アゴラと合併 経営基盤強化図る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年4月24日)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 “駅前の顔また消える 十字屋仙台店11月閉店”. 河北新報 (河北新報社). (2005年9月1日)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 10.6 10.7 10.8 “ダイエー、新たに十字屋含め7店を11月末までに閉鎖”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年8月31日)
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 “ダイエー、棒二森屋を当面存続へ”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年9月2日)
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 引用エラー: 無効な
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タグです。 「company-history-list-japan-1991
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 13.0 13.1 13.2 『会社年鑑 上場会社版 下巻 1997年版』 日本経済新聞社、1997年。
- ↑ 14.0 14.1 14.2 アクセス&駐車場(十字屋山形店)
- ↑ 15.0 15.1 15.2 15.3 「十字屋山形店」来年1月閉店 国内最後の店舗…老舗の歴史に幕(産経新聞 2017年8月31日)
- ↑ 山形市史編さん委員会 『山形市史 現代編 』 山形市、1981年。
- ↑ 17.0 17.1 要緊急安全確認大規模建築物(民間建築物) (PDF) (山形市「大規模建築物等の耐震診断の結果及び公表について」)
- ↑ 十字屋山形店(白蝶ビル)(山本建築設計事務所)
- ↑ “十字屋/食品売り場、10年ぶり全面改装”. やまがたコミュニティ新聞 (山形コミュニティ新聞社). (2007年10月12日)
- ↑ 倒壊危険性、山形市内8施設 7施設は対応予定(山形新聞 2016年12月6日)
- ↑ “十字屋山形店、来年1月末で閉店へ”. 山形新聞. (2017年8月30日) . 2017閲覧.
- ↑ 中合 十字屋山形店を閉鎖 来年1月末(日本経済新聞 2017年8月31日)
- ↑ “「十字屋、ありがとう」 山形店が閉店、常連客ら名残惜しむ”. 山形新聞. (2018年2月1日) . 2018-02-3閲覧.
- ↑ “山形)駅前のシンボルに惜しむ声 十字屋山形店が閉店”. 朝日新聞デジタル. (2018年2月1日) . 2018-02-3閲覧.
- ↑ “旧十字屋山形店ビル、解体へ 所有者、安全を最優先”. 山形新聞. (2018年6月6日) . 2018閲覧.
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