緑屋
緑屋(みどりや)は、日本にかつて存在した月賦制の小売店。会社・法人格としては、商号変更を経て現在のクレディセゾンに至る。
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概要
1946年(昭和21年)に岡本虎二郎が三軒茶屋に和洋家具専門店の岡本商店を創業[1]。1951年(昭和26年)5月1日に組織変更し、月賦百貨店の株式会社緑屋を設立[2][1]。
丸井、丸興、ライフアップ大丸(大丸百貨店[注 1])と共に四大月賦百貨店の一つに数えられ、最盛期は丸井をおさえ首位を占めた時期もあった。1960年には「クレジットの丸井」に対して「ホームビルの緑屋」[注 2]というキャッチフレーズを掲げてチェーン展開をした[3]。1963年(昭和38年)に東京証券取引所第2部に上場し、1968年(昭和43年)に第1部に昇格した[2]。
その後高度経済成長が進展。国民の所得水準も向上し、消費者の購買意欲も多様化する中、次第に月賦販売というビジネスモデルは陳腐化してきた[4]。そうした中、緑屋は多店舗化による出店コストや金利負担の増大が経営を圧迫。また商品企画・開発の面での力不足が指摘され、徐々に業績も悪化した[5][注 3]。1971年には丸紅と資本提携を結び、同社が発行済み株式の13.6%を所有し筆頭株主となり、再建にあたった。しかし捗々しい成果が上がらず、再建は困難との認識に至り、丸紅は仲介者を介し西武流通グループに提携を打診した[6]。そして1976年3月に西武百貨店と資本提携を締結。翌月には坂倉芳明同社社長が緑屋社長と兼務となり百貨店が再建の主体を担い[7]、西友ストアー等との共同出店による営業強化を進める一方、一部の小売店は衣料品などの得意の分野の専門店に衣替えすることが検討されていた[8]。1977年1月10日には緑屋29店舗のうち、新宿、八王子、青梅、立川、柏、札幌駅前の6店舗を同年2月末までの閉鎖を発表、新規出店が計画されていた旭川を含めた残る24店舗の改装・増築で再生を図った[9]。
1980年(昭和55年)に株式会社西武クレジットへ商号を変更し総合金融業へ業態を転換すると同時に[1]、本社を三軒茶屋から池袋に移転。この際に物販部門の一部は西武百貨店や西友に譲渡された。緑屋時代からの信用販売のノウハウを生かし、1982年(昭和57年)にグループ統一カードとして「セゾンカード」の発行を開始し、1989年に株式会社クレディセゾンへと商号を変更した[1]。
1981年(昭和56年)3月、子会社であった「緑屋計算センター」は西武情報センター(現:セゾン情報システムズ)に吸収合併された。
商号の由来
商号は、「風雪にめげず木々が緑を増すように、人々に生気と希望を与えよう」という願いを込め、商号を草木の萌え出ずる色である「緑屋」とした[1]。
ロゴ
緑屋の看板は深緑色に白抜きで、大きな○の中に「緑」の文字、その下にカタカナで「ミドリヤ」と書かれたデザインだった。
1979年(昭和54年)にロゴの変更が行われ、草刈順がデザインしたものになった(社名表記はローマン体に「MIDORIYA」)。ローマン体のアルファベットの「M」に鳥がたたずむ様子は、同じく草刈がデザインした阪神百貨店のロゴ(同じくローマン体の「H」の中に「S」が入り、左にはクローバーが添えられているもの。表記も「HANSHIN」)に酷似していたが、翌年の西武クレジットへの改称によりわずか1年でロゴは変更された。
「ams」店舗は、緑屋の名残の深緑色に白抜きのアルファベットで「ams」とだけ表示されていた。同じようにams西武も、深緑色の白抜き(もしくは逆)に西武百貨店のロゴデザイン同様に四角いの線の中に「ams」「西武」とだけ表示されていた。ちなみに、ams西武のロゴのデザインは、田中一光である。
過去に存在した店舗
当時、ライバルである丸井や他の月賦百貨店が、関東のみの店舗展開だったのに対し、緑屋は、唯一 東北、北海道地方へも進出していた。当初は「緑屋」として自ら運営する直営店舗を出店していたが、西武流通グループの傘下になってからはamsと称し、西武百貨店や西友等に運営を委託する新業態店舗に変って行った(ams旭川他)。西武セゾングループ解体後は、ビル管理を行う子会社コンチェルト等に譲渡(渋谷プライム他)したり処分されていくことになった。 旧店舗の敷地内には、現在もクレディセゾンのキャッシングATMが設置されている場合がある。
ams
amsとは「旭川・緑屋・ショッピングセンター」の略。 Attractive Merchandising Store(魅力的な品揃えのお店)というコンセプトが後付され、セゾングループ時代の拠点店に用いられた。
1979年の旭川店開業時のキャッチコピーは、人気コピーライター糸井重里による『女、キラキラ。男、そわそわ。』で、同タイトルのイメージソングも同氏が作詞。作曲・編曲・歌は矢野顕子が担当した。この楽曲は、北海道地区でCM放送に使用されたが、当時レコードの一般発売はされなかった。2016年発売の矢野のオールタイムベストアルバム『矢野山脈』に収録された[注 4]。
ams旭川緑屋ショッピングセンター
(北海道旭川市1条通り8丁目右1号)
1979年(昭和54年)開店。旭川駅前には西友ストアー(現:西友)百貨店事業部運営の旭川西武店が1975年に先行進出しており、その隣地への出店で相乗効果を挙げるという、西武流通グループ下での初めての出店モデルとなった。1981年(昭和56年)、両店を一体直営化し、西武百貨店旭川店A館になったが、2016年9月に閉店し、既に建物は解体されている。
ams西武仙台店
1982年(昭和57年)開店。「仙台駅前開発ビル[10]」出店に際して、既存店2店を統合しての出店となった。同ビルは宮城不動産(現:ヒューモス)が中心に開発した地権者との共同ビル。西武百貨店へ運営委託。2003年8月10日閉店。同年12月より、後継テナントとして「仙台ロフト」が入居した。
緑屋の仙台進出は、東京資本としては三越に次ぐものだった。
- 仙台名掛町店 1952年(昭和27年)開店 - 1978年(昭和53年)閉店。
- 仙台東一番町店(青葉区一番町4-5-13[2] サンシャインビル) 1959年(昭和34年)開店 - 1982年(昭和57年)閉店。
- 仙台駅前店(青葉区中央1-9-1[2]新東北ビル) 1967年(昭和42年)開店 - 1982年(昭和57年)閉店。
特に、駅前店には、TBCラジオのサテライトスタジオがあり、ここから一社提供番組「スタジオ緑屋7(セブン)」を平日夕方、生放送していた。
なお、仙台駅前開発ビルは、1991年に西友と業務提携したエンドーチェーン仙台駅前店と110mほどの距離にあり、地上のほか、仙台駅西口ペデストリアンデッキによって2階でも、さらに仙台市地下鉄仙台駅コンコースによって地下でも接続するライバル店だった。エンドーは、西友百貨店事業部運営の「SEIYO(セイヨー)」と改称し、旭川と同じような相乗効果を期待した。しかし、この提携関係は長くは続かず、ザ・モール仙台長町の開業に合わせ、1997年閉店。駅前店はテナントビル「EBeanS(イービーンズ)」として再出発している。
ams宇都宮店
- (栃木県宇都宮市江野町8-3)
- 初代店舗は1960年(昭和35年)、曲師町に開店。店舗面積が狭かったこともあり1974年(昭和49年)、廃業した旧:山崎百貨店跡に移転した(旧:山崎従業員の雇用も引き受けた)。1985年、「ams宇都宮」に改称(「ams西武」と名乗らなかった)、西武百貨店へ運営委託。宇都宮市中心部には一時期、宇都宮西武(西武百貨店宇都宮店/斉藤会館)、宇都宮西武ロフト館(曲師町ビル)、宇都宮パルコ(1997年開店/相生ビル)と4つのセゾン系店舗が存在したことになる。顧客層がパルコと競合していたことや建物の老朽化もあり2001年1月に閉店した。
- 閉店後、ビル所有者の東急不動産は2001年11月に109UTSUNOMIYAを出店するも、2005年7月に閉店。ビルは宇都宮市に売却されて解体後 2006年11月、イベント施設「オリオンスクエア(オリオン市民広場)」となった。
ams西武三軒茶屋店
(東京都世田谷区太子堂4-24-8[2]) 1946年(昭和21年)に緑屋が創業した地。初代店舗は1984年(昭和59年)に閉店。
1985年(昭和60年)10月25日、東京都の市街地再開発事業により建設された開発ビルに「ams西武三軒茶屋店」として出店。仙台とは異なり西友へ運営委託され、「ams西武」と名乗る西友店舗であった。1998年9月、西友三軒茶屋店(GMS)となった。
志澤
- 志澤小田原本店(買収前)→西武クレジット志澤店→クレディセゾン志澤店(小田原市)
緑屋(ミドリヤ)
北海道
青森県
- 八戸店(八戸市三日町27[2])
- 1968年(昭和43年)開店 - 1986年(昭和61年)閉店。その後「ウォーク八戸」として営業したが閉店。その後の詳細については「WALK (テナントビル)」を参照
- 1968年(昭和43年)開店 - 1986年(昭和61年)閉店。その後「ウォーク八戸」として営業したが閉店。
岩手県
山形県
福島県
群馬県
千葉県
東京都
- 新宿店(新宿区)
- 高田馬場店(新宿区)
- 都立大学駅前店(目黒区中根)
- 阿佐ヶ谷店(杉並区)
- 池袋店(豊島区南池袋1-19-6[2])
- 常盤台店(板橋区南常盤台1-30−6)
- 志村店(板橋区志村2-10−1)
- 赤羽台店(北区)
- 北千住店(足立区千住2-25[2])
- 吉祥寺店(武蔵野市吉祥寺本町1-10-1[2])
- 立川店(立川市曙町2-9−1)
- 八王子店(八王子市)
- 1952年(昭和27年)開店 - 1977年閉店(昭和52年)。
- 田無店(田無市(現:西東京市))
- 調布店(調布市小島町164[2])
- 原町田店(町田市森野1-37−1[2])
- 青梅店(青梅市)
神奈川県
新潟県
静岡県
THE PRIME(ザ・プライム)への転換店舗
東京都
- 渋谷店 (渋谷区道玄坂2-29-5[2]) 1963年開店 - 1984年閉店。渋谷プライム。
- 成増店 (板橋区成増2-15-18[2]) 1970年開店 - 1991年閉店。成増プライム。
- 府中店(府中市宮町1-2-18[2]) 1953年開店 - 1992年閉店。府中プライム(府中プライムも2013年に閉鎖)。
神奈川県
- 横須賀店(横須賀市若松町1-5[2]) 1951年(昭和26年)開店 - 1985年(昭和60年)閉店。ウォーク横須賀を経て、横須賀プライム。
- 溝の口店(川崎市高津区溝口352[2]) 1953年(昭和28年)開店 - 1993年閉店。溝の口amsビルを経て、溝の口プライム。
- 藤沢店(神奈川県藤沢市藤沢391[2]) 1971年(昭和46年)開店 - 1984年(昭和59年)閉店。クッチーネを経て藤沢プライム。
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 春光懇話会事務局「エフ」No.204冬号『創業物語』、2011年
- ↑ 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 2.23 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。 「nikkei-commerce-yearbook-1978
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』p.282
- ↑ 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』p.283
- ↑ 朝日新聞 1976年3月12日朝刊8面
- ↑ 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』p.280
- ↑ 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』p.286
- ↑ 朝日新聞1976年3月12日朝刊8面
- ↑ 朝日新聞1977年1月11日朝刊8面
- ↑ A2 中央一丁目第一地区(ビル名称:仙台駅前開発ビル)(仙台市「仙台市の都市再開発」)
- ↑ 11.0 11.1 新札幌市史 第8巻Ⅱ年表・索引編, 北海道新聞社, (2008-03-25), pp. 486
- ↑ フォト海道(道新写真データベース)緑屋、札幌から撤退 客の流れ変化 南2条店8月閉店へ 8月17日で撤退するミドリヤ札幌南2条店 掲載 1980/06/21
参考文献
- 由井常彦編 『セゾンの歴史 下巻 変革のダイナミズム』 リブロポート、1991年。 ISBN 4845706253
外部リンク
- クレディセゾン
- THE PRIME 渋谷プライム館
- 渋谷チャンネル - フリーペーパー。創刊号はTHE PRIME 渋谷についての特集。