北大西洋条約機構
略称 | NATO、OTAN |
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設立年 | 1949年4月4日 |
種類 | 軍事同盟 |
地位 | 北大西洋条約 |
本部 | ブリュッセル |
座標 | 東経4度25分19.24秒北緯50.8761556度 東経4.4220111度 |
メンバー | 29カ国 |
事務総長 | イェンス・ストルテンベルグ |
軍事委員会議長 | クヌート・バーテルス |
ウェブサイト | nato.int (英語) |
北大西洋条約機構(きたたいせいようじょうやくきこう)は、北大西洋条約に基づき、アメリカ合衆国を中心とした北アメリカ(=アメリカとカナダ)およびヨーロッパ諸国によって結成された軍事同盟である。前身はブリュッセル条約 (1948年)。
略称は頭字語が用いられ、英語圏では、North Atlantic Treaty Organization を略した NATO(ネイトー)と呼ばれ、日本やドイツ語圏では NATO(ナトー)、フランス語圏・スペイン語圏・ポルトガル語圏等では OTAN(オタン)と呼ばれる。
Contents
歴史
1949年から1954年まで、パウル・ファン・ゼーラントがベルギー政府とNATO双方の経済顧問を務めた。
設立の経緯
第二次世界大戦が終わり、東欧を影響圏に置いた共産主義のソビエト連邦との冷戦が激しさを増す中で、イギリスやアメリカが主体となり、1949年4月4日締結の北大西洋条約により誕生した。結成当初は、ソ連を中心とする共産圏(東側諸国)に対抗するための西側陣営の多国間軍事同盟であり、「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」[† 1](反共主義と封じ込め)というヘイスティングス・イスメイ初代事務総長の言葉が象徴するように、ヨーロッパ諸国を長年にわたって悩ませたドイツの問題に対するひとつの回答でもあった[† 2]。加盟国は集団的安全保障体制構築に加えて、域内いずれかの国が攻撃された場合、共同で応戦・参戦する集団的自衛権発動の義務を負っている。
当初はアメリカなどの一部でドイツの徹底した脱工業化・非ナチ化が構想されていた(モーゲンソー・プランも参照)。また連合軍占領下ではドイツは武装解除され、小規模な国境警備隊や機雷掃海部隊以外の国軍を持つことは許されず、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国が治安に責任を持っていた。しかし冷戦の開始とともに西ドイツ経済の復興が求められ、主権回復後の1950年には西ドイツの再軍備検討も解禁された。西ドイツは新たな「ドイツ連邦軍」の創設とNATOへの加盟の準備を始めたが、フランスなどはドイツ再軍備とNATO加盟に反対し、欧州防衛共同体構想で対抗した。この構想は1952年に西ドイツを含む西欧各国間で調印されたがド・ゴール主義者たちの反対によりフランス議会で否決され、批准に至らなかった。この結果、フランスもドイツ再軍備を認め、ドイツ連邦軍が1955年11月12日に誕生し、西ドイツはNATOに加盟した。一方、この事態を受けてソ連を中心とする東側8か国はワルシャワ条約を締結してワルシャワ条約機構を発足させ[† 3]、ヨーロッパは2つの軍事同盟によって完全に分割されることとなった。
冷戦中
第二次世界大戦から冷戦を通じて、西欧諸国はNATOの枠組みによってアメリカの強い影響下に置かれることとなったが、それは西欧諸国の望んだことでもあった。二度の世界大戦による甚大な被害と帝国主義の崩壊にともなう植民地経済の喪失により、それぞれの西欧諸国は大きく弱体化した。そのため各国は、アメリカの強大な軍事力と核の抑止力による実質的な庇護のもと、安定した経済成長を遂げる道を持とうとした。
東側との直接戦争に向け、アメリカによって核兵器搭載可能の中距離弾道ミサイルが西欧諸国に配備され、アメリカ製兵器が各国に供給された(ニュークリア・シェアリング)。途中、アメリカやイギリスと外交歩調がずれ、独自戦略の路線に踏みきったフランスは1966年に軍事機構から離脱[1]、そのため、1967年にNATO本部がパリからベルギーのブリュッセルに移転した[2]。一方、戦闘機などの航空兵器分野では、開発費増大も伴って、欧州各国が共同で開発することが増えたが、これもNATO同盟の枠組みが貢献している。航空製造企業エアバス誕生も、NATOの枠組みによって西欧の一員となった西ドイツとフランスの蜜月関係が生んだものと言える。
西欧はアメリカの庇護を利用する事によって、ソ連をはじめとする東欧の軍事的な脅威から国を守ることに成功し、「冷戦」の名の通り、欧州を舞台とした三度目の大戦は阻止された。つまり、NATOは冷戦期間中を通じ、実戦を経験することはなかった。
冷戦終結後
1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧の動乱と1991年のソ連崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また域外紛争に対応する全欧州安保協力機構(OSCE)、東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会(NACC)を発足させた。
1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった空爆を行い、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えた。
一方で、ソ連の崩壊によりソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATO加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連に代わる自国の安全保障政策としてNATO加盟を希望する一方、拡大に警戒心を持つロシアはその動きを牽制した。1994年、「平和のためのパートナーシップ」(PfP)によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展し、1999年にポーランド、チェコ、ハンガリーの3カ国、2004年に7カ国、2009年に2カ国が加盟するに至る。こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く旧ソ連各国(ロシア・ベラルーシ・ウクライナ・モルドバ)を残し、他はすべて西欧圏に引き込まれた。
対テロ戦争
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件への対応については、10月2日に北大西洋条約第5条を発動し、共同組織としては行動しなかったものの、アフガニスタン攻撃(アフガン侵攻、イスラム武装勢力タリバンをアフガン政府から追放した作戦)やアメリカ本土防空、領空通過許可等の支援を実施している[3]。その後の対テロ戦争には賛同しつつも、各国が自主的に参戦するに留め、新生アフガン軍の訓練にNATOの教官が参加することで協力した。
しかし、2003年のイラク戦争にはフランス・ドイツが強硬に反対したために足並みは乱れ、アメリカに追従するポーランドなど東欧の新加盟国と、フランス・ドイツなど旧加盟国に内部分裂した。
2005年にはアフガニスタンでの軍事行動に関する権限の一部が、イラク戦争で疲弊したアメリカ軍からNATOに移譲され、NATO軍は初の地上軍による作戦を行うに至った。
2006年7月にはアフガンでの権限を全て委譲され、NATO以外を含める「多国籍軍」を率いることとなったが、同時期にタリバンがアフガン南部各地で蜂起し、NATOと戦闘となっている。アフガンのNATOはイギリス軍4000名が最大であるように、加盟各国ともに拠出兵力に限界があり、戦闘は苦しいものとなっている。また、フランス・ドイツはこの戦闘作戦には参加しておらず、加盟国の内部分裂とアフガンでの疲弊により、NATOは新たな国際戦略の練り直しが必要とされている。
新冷戦
2000年代後半に入り、アメリカが推進する東欧ミサイル防衛問題や、ロシアの隣国であるジョージア、ウクライナがNATO加盟を目指していることに対し、経済が復興してプーチン政権下で大国の復権を謳っていたロシアは強い反発を示すようになった。2008年8月にはグルジア紛争が勃発、NATO諸国とロシアの関係は険悪化し、「新冷戦」と呼ばれるようになった。ロシアは2002年に設置されたNATOロシア理事会により準加盟国的存在であったが、2008年8月の時点ではNATOとの関係断絶も示唆していた。だが、2009年3月には関係を修復した。
しかしロシアはウクライナ、ジョージアのNATO加盟は断固阻止する構えを見せており、ロシアのウラジーミル・プーチン首相は、もし2008年のNATO-ロシアサミットでウクライナがNATOに加盟する場合、ロシアはウクライナ東部(ロシア人住民が多い)とクリミア半島を併合するためにウクライナと戦争をする用意があると公然と述べた[4]。そして、プーチンの言葉通りウクライナにおいて親欧米政権が誕生したのを機に、クリミア半島及びウクライナ東部でロシアが軍事介入を行い、ウクライナ東部では紛争となっている(東部ウクライナ紛争)。
費用負担
2018年7月11日、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領は、北大西洋条約機構事務総長との朝食会の場で、ドイツなどに対して費用負担について不満を展開。こんな不適なことに我慢していくつもりはないと主張した[5]。
介入した紛争
北大西洋条約機構が介入したのはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争、マケドニア紛争、アフガニスタン紛争 (2001年-)、2011年リビア内戦。2011年リビア内戦においては、2011年3月17日にリビア上空の飛行禁止区域を設定した国連安保理の国際連合安全保障理事会決議1973が採択されたにも拘らず、3月19日よりNATO軍が空爆を開始し[6]、反体制派のリビア国民評議会を支援。リビアが崩壊する最大の要因となった。
日本との関係
冷戦時代には、かつての「列強」であった日米欧の三極が西側陣営の主軸を構成していたが、日米や欧米の関係が緊密なものだったのに比べ、地理的・歴史的な要因もあって日欧の連携は比較的疎遠なものであった。それでも自衛隊では在日米軍が使用する武器弾薬との互換性を確保するためにNATO弾[† 4]を使用しているほか、さまざまなNATO規格を採用している。近年では、2005年にNATO事務総長が訪日、また2007年には安倍晋三首相が欧州歴訪の一環としてNATO本部を訪問しており、人的交流の面でも新たな関係が構築されはじめている。このとき安倍首相が来賓として演説を行った北大西洋理事会 (NAC) では、それに続くNATO加盟各国の代表との会談のなかで主要国が軒並み日本との緊密な協力関係を構築することに賛意を表したことが注目された[7]。これ以降、NACの下部組織である政治委員会と自衛隊との非公式な協議が開催されたり、ローマにあるNATO国防大学の上級コースへ自衛官が留学するようになったり、NATOの災害派遣演習へ自衛官がオブザーバーとしての参加するようになり、実務レベルでの提携も行われるようになった。 2014年5月6日にも、安倍首相が欧州歴訪の際にNATOのラスムセン事務総長と会談[8]。海賊対策のためのNATOの訓練に自衛隊が参加することや、国際平和協力活動に参加した経験を持つ日本政府の女性職員をNATO本部に派遣することなどで合意[8]。さらに日本とNATOとの間で具体的な協力項目を掲げた「国別パートナーシップ協力計画」(IPCP)に署名した[8]。
またNATOはアフガニスタンにおける活動の中で、現地の日本大使館が行っている人道支援や復興活動に注目しており、軍閥の武装解除を進める武装解除・動員解除・社会復帰プログラム (DDR)の指導者的立場にある日本との連携を模索している。
さらには、日本をNATOに加盟させようとする動きもある。これはNATOを北大西洋地域に限定せずに世界規模の機構に発展させた上で、日本・オーストラリア・シンガポール・インド・イスラエルを加盟させるべきだという意見で、ニューヨークのルドルフ・ジュリアーニ元市長、ブルッキングス研究所のアイボ・ダールダーシニアフェローなどが提唱している。
2018年5月、北大西洋理事会は、ブリュッセルの在ベルギー日本大使館にNATO日本政府代表部を開設することに同意[9]。2018年7月1日、NATO日本政府代表部を開設した[10]。
具体的な協力
2008年10月現在、日本政府はアフガニスタンで国際治安支援部隊(ISAF)を展開するNATOに対し財政支援を行っており、NATO・ISAF側は広報センターを通じてこの事実をファクトシートの形で公表している[11]。日本の対NATO協力の変遷は次のとおり。
- 2007年1月、安倍首相が北大西洋理事会で演説。
- 2007年3月、アフガニスタンでの人道支援プロジェクトのために約20億円の財政支援を実施。
- 2007年12月、NATO文民代表部との連絡促進のため常勤の連絡調整員を指名[12]。
- 2010年6月25日、「日・NATO情報保護協定」を締結(日本が情報保護協定を結ぶのは、「日米軍事情報包括保護協定」(2007年にアメリカとの間で締結)に次ぎ2例目である)[13]。
NATOのアフガニスタンでの活動に対する日本の財政支援は、政府の「草の根無償・人間の安全保障資金協力 (GAGP) スキーム」[14]の範囲内で行われている。2008年10月2日現在、日本政府はGAGPの方針に従い29のプロジェクト支援を実施しており、その総額はおよそ260万ドル[† 5]に及んでいる。NATOによれば、政府はさらに39のプロジェクトへの追加資金協力を検討しているという。
加盟国
2017年現在29カ国
加盟した年 | 国 |
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1949年 | アイスランド、 アメリカ合衆国、 イギリス、 イタリア、 オランダ、 カナダ、 デンマーク、 ノルウェー、 フランス、 ベルギー、 ポルトガル、 ルクセンブルク |
1952年 | ギリシャ、 トルコ |
1955年 | ドイツ |
1982年 | スペイン |
1999年 | チェコ、 ハンガリー、 ポーランド |
2004年 | エストニア、 スロバキア、 スロベニア、 ブルガリア、 ラトビア、 リトアニア、 ルーマニア |
2009年 | アルバニア、 クロアチア |
2017年 | モンテネグロ |
- ドイツは当初西ドイツとして加盟、1990年のドイツ再統一(より厳密には東ドイツの連邦加盟、事実上は西ドイツによる東ドイツ編入)に伴い、旧東ドイツ区域にも拡大。
- フランスは1966年にNATOの軍事機構から離脱した(政治機構には継続して加盟)。1992年に軍事委員会への復帰を表明、1995年にはシラク大統領が軍事機構への復帰も示唆したが、実現しなかった。だが、親米路線を強調するサルコジ大統領は2007年11月に再び復帰を示唆し、2008年6月にNATO創設60周年(2009年4月)に合わせて復帰するとし、2009年3月11日に復帰の意向を表明[15]。2009年4月4日の首脳会議でNATO軍事機構への43年ぶりの完全復帰を宣言した。
- ギリシャは1974年にNATO軍事機構を脱退したが、1980年に再加盟している。
- ロシアは2002年5月に結成したNATOロシア理事会によって準加盟国扱い。
国際関係
NATOは加盟国以外にもさまざまなパートナーシップ協定を非加盟国との間に締結しており、多くの国と協力関係や友好関係を築いている。まず1994年には平和のためのパートナーシップがNATO諸国と旧ソビエト連邦諸国・旧ユーゴスラビア諸国・欧州の中立国との間に締結され、アイルランド、アゼルバイジャン、アルメニア、ウクライナ、ウズベキスタン、オーストリア、カザフスタン、キルギス、ジョージア、スイス、スウェーデン、セルビア、タジキスタン、トルクメニスタン、フィンランド、ベラルーシ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、マルタ、モルドバ、ロシアの21か国が加盟している。これら21か国とNATO加盟29か国、あわせて50か国によってEAPC(欧州・大西洋パートナーシップ理事会)が設立され、政治上・安全保障上の問題について会合を開いている。このほか、ヨーロッパ・旧ソ連の諸国とは「加盟のための行動計画」(MAP)や「個別的パートナーシップ行動計画」(IPAP)なども締結されている。北アフリカや中東諸国に対しては1994年に地中海対話(Mediterranean Dialogue)を締結し、NATO諸国とアルジェリア、エジプト、イスラエル、ヨルダン、モーリタニア、モロッコ、チュニジアの7か国との間で協力体制を築いている。同様に、ペルシャ湾岸地域に対しても2004年にイスタンブール協力イニシアティブ(ICI)を提唱し、クウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦の湾岸4か国と協力体制をとっている[16]。このほかにも、個別の協力関係が日本やオーストラリア、ニュージーランドなどと結ばれている。
組織構成
NATOには超国家的な中央機構は存在しておらず、その盟主は「各加盟国の政府それぞれ」であり「各国政府の権利は平等」とされている。そのため中央機関であり、加盟国の政府代表が参加する北大西洋理事会(NAC[† 6])においては、あらゆる議案が『全会一致』によって承認・決定されている。多数決の制度は採用されていない。
理事会ではNATOがもつあらゆる問題が協議され、各加盟国からの代表によって週一回行われる『常設理事会』と、慣例上年2回行われる外相・国防相など閣僚クラスの理事会、さらに臨時で行われる首脳会合などによって意思決定が行われる。この席上においてNATO事務総長は理事会の実施する各種会議の議長としての役職を担い、事務総局はその補佐を行う。
また一時期フランスがNATO軍事機構からの脱退、およびその理由として挙げられた「アメリカ主導による軍事計画の進行」という事由から、特に軍事関係の意思決定は理事会ではなく各国の国防担当大臣により構成される『防衛計画委員会』によって行われる。また核問題に関しては専門の『核計画グループ』も存在しており、核に関連する項目に関しては理事会と同等の権限が付与されている。
これら理事会・防衛計画委員会の下にはさらに、この二つの組織を支援するための常設委員会が設置されており、また必要にあわせて臨時の委員会も設置が可能となっている。
軍事機構に関しては、『軍事委員会』が理事会と防衛計画委員会の決定のもとでNATO軍の各級司令部を統制する。この軍事委員会は任期制の委員長と各加盟国軍の参謀総長クラスの将官によって構成され、下部組織として加盟国の大将・中将により構成される『常設軍事代表委員会』、各国軍の派遣幕僚による『国際参謀部』が付設されている。
- 北大西洋理事会(各種問題の協議)
- 防衛計画委員会(軍事問題の協議 2010年にNACに吸収)
- 核計画グループ(核問題に関する審議)
- NATO事務総長(理事会主催の会合での議長役)
- 国際事務総局
- 軍事委員会(軍事機構の統括)
- 常設軍事代表委員会
- 国際参謀部
- 常設委員会(理事会の支援)
- NATO事務総長(理事会主催の会合での議長役)
機構軍
当初は軍事計画の立案を実施する「常設グループ」(ワシントンに設置)と「地域計画グループ」(各地域に設置)のみが設置されており、本格的な軍事機構が設置されるのは旧西ドイツが加盟して以降であった。 軍事機構の成立後、NATOの各級司令部は概して欧州方面とアメリカ方面とに分かれており、その組織機構の大半は欧州に集中している。これらの組織は地域レベルの司令部や特定種類の部隊・集団の統括組織としての役割をもつが、平時において下部組織に対しては査察権限のみを有し、指揮統制権は戦時にのみ発生するものとされている。ただし、航空関係の各部隊は即応性を求められることもありその大半がすでに各級司令部の指揮下に収められている。
発足当初の機構
- 常設グループ(ワシントンに設置)
- 北大西洋・カナダおよびアメリカ・西欧・北欧・南欧および地中海の5個地域計画グループ
1960年代以降の組織機構
- 欧州連合軍 ACE[† 7]
- 北欧連合部隊
- 中欧連合部隊
- 南欧連合部隊
- 地中海潜水艦部隊
- 大西洋連合軍 ACLANT[† 8]
- 大西洋打撃艦隊 アメリカ海軍の第2艦隊
- 東大西洋管区
- 西大西洋管区
- 大西洋連合潜水艦部隊
- 海峡地区連合軍 ACCHAN[† 9]
- 地中海連合軍[† 10]
現在(2010年代)の機関・部隊
- 作戦連合軍(旧欧州連合軍 司令官はアメリカ欧州軍司令官が兼任)
- 欧州連合軍最高司令部(ベルギー・モンス駐在 最上級作戦司令部)
- ブルンスム統連合軍司令部(オランダ・ブルンスム駐在 欧州北部を担当)
- ナポリ統連合軍司令部(イタリア・ナポリ駐在 欧州南部を担当)
- リスボン統連合軍司令部(ポルトガル・リスボン駐在 海上配備打撃戦力を担当 ブルンスム、ナポリの両司令部より小規模)
- NATO即応部隊(NRF ブルンスム、ナポリ、リスボンの三司令部がローテーションで指揮を担当)
- 即応部隊司令部(陸上部隊主体の即応部隊を統括)
- 欧州連合軍即応部隊(ARRC)司令部(旧イギリス第1軍団 ドイツ駐留イギリス軍主体)
- 欧州合同軍(EUROCORPS)司令部(フランス・ストラスブール駐在)
- イタリア即応部隊司令部(イタリア・ミラノ駐在 イタリア軍主体)
- トルコ即応部隊司令部(トルコ・イスタンブール駐在 トルコ軍主体)
- ドイツ=オランダ即応部隊司令部(ドイツ・ミュンスター駐在)
- スペイン即応部隊司令部(スペイン・バレンシア駐在)
- ギリシア即応部隊司令部(ギリシア駐在)
- その他部隊
- 即応部隊航空参謀部
- NATO早期警戒部隊(AWACSの共同運用)
- 海上即応部隊司令部
- 欧州連合軍機動部隊(空中機動部隊)
- 海上打撃・支援部隊
- 第1常設NATO海洋グループ(常設大西洋艦隊、同盟国による持ち回り)
- 第2常設NATO海洋グループ(常設地中海艦隊、同盟国による持ち回り)
- 常設海峡艦隊(同盟国による持ち回り)
- 変革連合軍(旧大西洋連合軍 司令官はアメリカ統合戦力軍司令官が兼任)
- 沿革連合軍最高司令部
- 統合軍事センター
- NATO統合軍訓練センター
- NATO海上阻止行動訓練センター
- NATO深海調査センター
- その他の組織
歴代事務総長
- 参照: 北大西洋条約機構事務総長
脚注
注釈
- ↑ 英: Keep the Americans in, the Russians out, and the Germans down.
- ↑ 第二次大戦後のドイツ問題は、
- ドイツを復興させてソ連の影響力を排除する。
- 再びドイツがヨーロッパを蹂躙することがないように歯止めをかける。
- ドイツを誰が守るのか。
- ↑ 同時に東ドイツも、1952年に編成された兵営人民警察を格上げする形で、1956年に正式に国家人民軍を創設した。
- ↑ 一般には7.62x51mm NATO弾のこと。
- ↑ 264万7927米ドル。
- ↑ 英: North Atlantic Council
- ↑ 英: Allied Command, Europe
- ↑ 英: Allied Command, Atlantic
- ↑ 英: Allied Command, Channel
- ↑ 英: Allied Command, Mediterranean
出典
- ↑ 「現代国際関係の基礎と課題」内第1章「第二次世界大戦後の国際関係」河内信幸 p8 建帛社 平成11年4月15日初版発行
- ↑ “NATO Update - 1967”. NATO. . 2017閲覧.
- ↑ 福田毅 (2003年). “対テロ戦とNATO 集団的自衛権発動とその影響 (PDF)”. レファレンス 平成15年3月号. 国立国会図書館. . 2016閲覧.
- ↑ Імперські комплекси братів росіян Або Не розсипайте перли перед свинями (ロシア語)
- ↑ “トランプ氏、独はロシアの「捕らわれの身」と批判 メルケル氏は反論”. AFPBB News. フランス通信社. (2018年7月11日) . 2018閲覧.
- ↑ “米英仏軍がリビアに対地攻撃、カダフィ大佐は国民に抗戦呼び掛け”. ロイター日本語ニュース (ロイター). (2011年3月20日) . 2011閲覧.
- ↑ “北大西洋理事会(NAC)における安倍総理演説「日本とNATO:更なる協力に向けて」(仮訳)” (プレスリリース), 外務省, (2007年1月12日)
- ↑ 8.0 8.1 8.2 “安倍首相:中国軍拡,名指し批判 NATO演説で”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2014年5月5日). オリジナルの2014年5月7日時点によるアーカイブ。 . 2014年5月18日閲覧.
- ↑ “NATOに日本政府代表部 理事会で開設同意”. 共同通信 . 2018閲覧.
- ↑ “NATO日本政府代表部を開設”. Qnewニュース. (2018年7月3日) . 2018-7-8閲覧.
- ↑ NATO広報センターファクトシート(2008年10月) (PDF)
- ↑ “NATO文民代表部に対する連絡調整員について” (プレスリリース), 外務省, (2007年12月13日)
- ↑ 福島良典 (2010年6月26日). “NATO:日本政府と情報保護協定締結 情報交換円滑化で”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナルの2010年6月27日時点によるアーカイブ。 . 2010閲覧.
- ↑ 草の根・人間の安全保障無償資金協力 - 外務省
- ↑ “フランス、NATO完全復帰へ サルコジ大統領が表明”. AFPBB News. フランス通信社. (2009年3月12日) . 2016年3月13日閲覧.
- ↑ 「冷戦後のNATO ハイブリッド同盟への挑戦」p231 広瀬佳一・吉崎知典編著 ミネルヴァ書房 2012年11月10日初版第1刷
- ↑ “NCI Agency”. NATO. . 2017閲覧.
- ↑ 「サイバー攻撃1日500件検知 NATO責任者に聞く」『日経産業新聞』2017年11月30日(エレクトロニクス・ネット・通信面)
- ↑ “ロシアの欧米サイバー攻撃「内政揺さぶり狙う」NATO所長”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2016年12月26日)
参考文献
- 佐瀬昌盛『NATO――21世紀からの世界戦略』(文春新書)
- 軍事同盟研究会編『最強の軍事同盟NATO』(アリアドネ企画)
- 防衛法学会編『新訂 世界の国防制度』(第一法規出版)
- NATO概要 (PDF) 平成27年1月 外務省(図解あり)
- 北大西洋条約1949年にNATOを設立した基本条約の全文(日本語訳)
関連項目
- 大西洋主義
- 北大西洋条約機構の旗
- NATOコードネーム
- NATOフォネティックコード
- NATO弾
- NATO陸軍士官の階級と徽章
- MNNA
- ワルシャワ条約機構
- フォークランド紛争
- リフォージャー演習
- 平和のためのパートナーシップ
- 欧州・大西洋パートナーシップ理事会
- 国際治安支援部隊
- アグスタ・スキャンダル — ベルギー陸軍のヘリコプター選考過程において贈賄が行われたとされ、当時のベルギー出身の事務総長が辞任した事件。
- 欧州連合
- 欧州安全保障協力機構
- 東南アジア条約機構
- 西欧同盟
- .nato
- ネイト
- オーディン
外部リンク