逸ノ城駿
逸ノ城 駿(いちのじょう たかし、1993年4月7日 - )は、モンゴル国アルハンガイ県バットツェンゲル村出身で、湊部屋所属の現役大相撲力士。本名はアルタンホヤギーン・イチンノロブ(モンゴル語キリル文字表記:Алтанхуягийн Ичинноров[1]、ラテン文字転写:Altankhuyagiin Ichinnorow)。身長193cm、体重212kg[2][3]、2015年3月場所現在、関取では最重量となる。血液型はA型。最高位は東関脇(2018年7月場所)。
Contents
来歴
遊牧民時代
モンゴル在住時代は遊牧民であり、ウランバートルから400キロ離れた草原でヒツジやヤギなど家畜を飼いながら季節によって移動して生活していた。当時は馬の生乳を毎日2リットル飲んでいた。学校がある時期は弟と妹と共に自宅のゲルから20キロ離れた学校のある村のゲルで共同生活を送った[4]。「ヒツジを狙ったオオカミがやって来たときなど、夜中に起きなければならなかったのが大変だった。でも馬に乗って走ることとか、楽しかった」と母国モンゴルでの少年時代を本人は述懐したことがある[5]。幼少期よりブフ(モンゴル相撲)に親しんでおり、14歳の時にアルハンガイ県大会で優勝した実績を持つ。来日直前の3ヶ月間はウランバートルに住んで柔道もしていたが、2010年に鳥取城北高校相撲部の石浦外喜義監督に才能を見出されて来日し、同高校に相撲留学した。なお、逸ノ城より一足先に大相撲に入門した照ノ富士は同じ柔道道場に通い、同じ飛行機で来日し高校の寮も同じ部屋という仲だった[6]。一緒に暮らしていた両親に日本の新聞記者がインタビューし「(将来)逸ノ城は稼いで、お母さんのためにウランバートルに家を買ってくれますよ」と話した際、「私たちは、そういう生活はしたくありません。遊牧民でいいのです。私たちの望みは、息子が人から愛される人になることです」と答えている。
高校時代
石浦監督はスカウト当時の印象として「相撲留学を希望して集まった子供たちの中にいたのが彼だった。目立たない優しそうな子、というのが第一印象。ただ、傑出した太ももの太さに目を見張った」と後年語っている[7]。このころに、「イチコ」という愛称で呼ばれ始めた[8][9]。遊牧民であったため学校にあまり行っていなかったと推測されており、モンゴル語も標準語を話せなかった。日本語の上達には苦労したようであり、石浦監督はしばしば「日本語ができないと、帰らなくちゃならなくなるぞ」と叱った[10]。高校では「我慢」を一番学び、遅刻が当たり前であるモンゴルとは感覚が違うことも覚えた[11]。最初は相撲が非常に弱かったことから、石浦監督は「今のままでは勝てないから、もう相撲はやらなくていい。とにかく四股を踏んでおけ」と指導した[12]。逸ノ城はどんな厳しい稽古よりも四股が嫌いであったため石浦監督は無理にでも四股を踏ませ、不調で出稽古できない時にもこれでもかというほど四股を踏ませたら大会で次々とタイトルを取ったと、監督の自著に書いている[13]。2年時、3年時には合計5つのタイトルを獲得[14]したが、高校横綱は逃した。
社会人時代
卒業後は当時外国人力士枠の空いていた大相撲の湊部屋に入門が有力視されていたが[15]、石浦監督から「高校横綱がダメなら次は実業団選手権でトップに立てばいい。そうすれば幕下付け出しの資格を取れる」と説得され[16][17]、この時点では入門はせず高校に残って相撲部のコーチを務め、また鳥取県体育協会に所属して協会職員として鳥取市内のスポーツ施設を清掃することもあった。[18]石浦監督が逸ノ城を鳥取県体育協会に送り込んだのは逸ノ城の拙い日本語能力を伸ばすには日本人しかいない環境に放り込んだ方が良いという考えからであったが、気の弱い逸ノ城は鳥取県体育協会での生活によってすっかり社交的になり、他種目とのアスリートとも仲良くなったという[16]。実業団選手の立場としてアマチュアの大会に出場するなど競技生活も続け、2013年に全日本実業団相撲選手権大会で優勝して実業団横綱となったことで、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得。翌月に行われた東京国体で1回戦敗退した際には入門について考えていないと語っていたが[19]、直後には湊部屋入門が決定した[20]。
大相撲入門後
四股名は「イチンノロブ」の「イチ」と、人並み外れた才能を持つ意の「逸材」(湊談)の”逸”と相撲留学をしていた鳥取城北高校から、”城”を取り「逸ノ城」と名付けた[21]。新弟子検査に合格した直後の11月場所は興行ビザが発給されていないため出場できなかったが、12月2日付でビザが発給され、同月20日には相撲協会の理事会で幕下付出が承認されたことから[22]、2014年1月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の時点では部屋に幕下以上の力士が他に在籍しておらず、入門即部屋頭になった[23]。モンゴル人力士の中でも逸ノ城は初めての遊牧民出身者であり[24]、外国人としても初めての幕下付出力士である[25]。初土俵前には新弟子としては異例の出稽古を行い、佐渡ケ嶽部屋や貴乃花部屋などへ赴き稽古相手を求めた[26]。2日目の錦木との取組がデビュー戦となり、逸ノ城も緊張したと語る中小手投げで勝利してプロ初白星を挙げる[27]。8日目にプロ初黒星を喫したが、13日目には十両復帰が確実な状況となっていた阿夢露に力強い相撲で勝利するなど実力を発揮して6勝1敗の好成績[28]。翌3月場所は関取目前の西幕下3枚目へと躍進し、再び6勝1敗の好成績を収めて3月場所後の番付編成会議にて新十両に昇進することが決定された[29]。新十両に際して逸ノ城は「自分も1場所で幕内にいきたい。遠藤関に追い付けるように頑張る」と話し、幕内の遠藤に対するライバル心を見せた。幕下15枚目格付出から所要2場所での昇進については「普通だと思う。将来は横綱までいきたい」と悠然と話していた[30]。新十両昇進後も遠藤の例と同じく関取の特権を行使せずに2014年9月場所まで相撲教習所通いを続ける意向を示している[31]。
新十両の2014年5月場所は、初日から4連勝をするなど実力を存分に発揮し、11勝4敗で4人による優勝決定トーナメントに進出。1回戦で琴勇輝、決勝戦で鏡桜と、この場所の本割で敗れてしまった幕内経験者を相次いで倒して、新十両優勝を果たした。翌7月場所も白星を重ね、13勝1敗で千秋楽を迎えたが2敗の栃ノ心に本割・決定戦で連敗、2場所連続の十両優勝とはならなかった。それでも13勝2敗の好成績を挙げ、翌9月場所で新入幕を果たす。幕下付出から所要4場所での新入幕は史上2位タイのスピード出世となった[32]。なお、モンゴルからの2014年新入幕は5月場所の荒鷲がいる。
9月場所は、11日目に大関の稀勢の里、12日目に同じく豪栄道、13日目に横綱の鶴竜を破り、この時点で1敗で白鵬と並び優勝争いのトップとなった。初土俵から5場所目での大関戦勝利及び横綱戦勝利は史上最速[33]。新入幕力士が横綱と二人の大関を倒したのは史上初である[34]。新入幕で金星をあげるのは1973年9月場所の大錦(対琴櫻戦)以来41年ぶりのことだった[35]。14日目に白鵬との直接対決に敗れ(新入幕力士が2人の横綱と対戦したのは、1943年5月場所に東富士が安藝ノ海、照國(いずれも黒星)と対戦して以来71年ぶりのこととなった)、結果的に100年ぶりの新入幕優勝は逃したものの、殊勲賞と敢闘賞を受賞した。新入幕でのダブル受賞は2000年5月場所の栃乃花(敢闘、技能)以来で、幕下付け出しデビューから所要5場所での初受賞は雅山と並び最速となった[36]。新入幕で13勝をあげるのは最多タイ記録(1964年1月場所の北の冨士、1967年3月場所の陸奥嵐に並ぶ3人目)[37]。10月2日、半年間通った相撲教習所を卒業した。
2014年11月場所で西関脇に昇進する。幕下付け出しから所要5場所での三役(新関脇)昇進は昭和以降1位のスピード出世、また新入幕翌場所の関脇昇進は昭和以降では初となった。十両の翌々場所で新関脇は、2001年1月場所の琴光喜以来昭和以降2人目。モンゴルからの新関脇は、2009年7月場所の鶴竜以来7人目。しかし10月に行われた秋巡業では多大な注目を浴びたことによるストレスと過労により帯状疱疹を発症し、1週間の入院を余儀なくされた。[38][39]さらに退院後には入院中ほぼずっとベッドの上にいた影響で骨盤が歪み、場所直前にも拘らず整体を受けるために1泊2日で大阪まで向かう必要に追われた。[39][40]このように明らかな調整不足の中で迎えた11月場所は中日まで4勝4敗と一進一退であったが14日目に勝ち越しを果たし、場所を8勝7敗で終えた。新三役がいきなり関脇だった場所で勝ち越した例は、1994年3月場所の武双山(9勝6敗)以来、20年ぶりの快挙となった。[41]1月場所は6勝9敗と入門以来初の負け越しとなるも平幕に下がった翌3月場所は日馬富士から金星を得るなどの活躍で9勝6敗の勝ち越し。場所後の3月31日に行われた兵庫県姫路市での巡業ではコンタクトレンズを一週間つけっぱなしにしていたことで右目が真っ赤になるなど不調が伝えられたが続く5月場所は初日に白鵬から白星を奪うなどして小結の地位で8勝7敗の勝ち越しを収めた。[42][43]7月場所は西関脇に昇格したが精細を欠き4勝に留まった。東前頭4枚目に落ちた9月場所は9勝としたが、東前頭1枚目として迎えた11月場所は6勝と自身初めて平幕として負け越しを喫した。
2016年1月場所は東前頭3枚目で迎えたが、2勝13敗と散々な成績だった。この場所では取っ組み合いになった後全く踏ん張れずに寄り切られるケースが散見され、無気力相撲とも取れる試合内容に観客からはブーイングが飛び、増やしすぎた体重と稽古不足を解説者に批判されることも多かった。幕内昇進後最も低い番付となった3月場所は開幕5連勝、最終的に11勝を挙げやや調子を取り戻した。5月場所は西前頭2枚目まで番付を上げ、3日目に横綱・日馬富士を破るなど序盤は好調だったが、中日以降負けが込み12日目で負け越しが決まった。7月場所は幕内唯一の5連勝で一時優勝争いのトップに出たがそこからは星が伸ばし切れず優勝争いから脱落、それでも9勝を挙げた。9月場所は腰椎椎間板ヘルニアで自身初の全休。左半身がしびれ、真っすぐに歩けなかったため入院し、25日間の入院生活中は痛みで睡眠も食事もままならないことがあったが、退院時点で212kgの体重が200kgまで落ちた。退院後、減量に励んだ結果187kgまで体重を落とした。“スリム”な姿に11月1日の力士会では玉鷲から「新弟子が来た! 初めまして」とからかわれたほど[44]。しかし場所直前の宮城野部屋での出稽古では18番取って6勝12敗と不調であり、時には十両や幕下に圧倒されることもあった[45]。11月場所の場所成績も振るわず、7勝8敗と自身初となる幕内2ケタ台での皆勤負け越しを喫した。場所後の2016年度冬巡業は全休[46]。この年の勝ち星は1年間幕内にいた力士では照ノ富士の33勝に次ぐ少なさで年間ワースト2位の34勝だった[47]。
2017年1月場所は半年以上続けていた禁酒などによる減量と筋力トレーニングなどの成果が出て優勝争いするなど二桁勝利をあげる[48]。3月場所は東の7枚目の地位で迎えたが、中盤に5連敗を喫するなどで6勝9敗だった。東の9枚目に番付を下げた5月場所は先場所同様に中盤に5連敗を喫し、中日を終えて2勝6敗だったが、そこから6連勝で追い上げて8勝7敗と勝ち越しを決めた。翌7月場所はやや幸運な3枚上昇の東前頭6枚目。その7月場所は5日目に遠藤から不戦勝を獲得したという幸運もあって千秋楽に勝ち越しを懸けるが、同じく7勝7敗の佐田の海に敗れて7勝8敗の負け越し。9月場所は番付据え置き。10月6日の秋巡業横浜場所では9番申し合いを行い、8勝1敗[49]。11日の浜松場所では土俵下で30分間、日馬富士は逸ノ城と向き合い何度もすり足を繰り返させた。日馬富士からその中で左の使い方など、身ぶり手ぶりでテクニックを伝授してもらった。後輩を熱血指導した日馬富士は「立ち合いの練習をしていました。自分の知っていることを教えてあげた。これを一生懸命、頭に入れてやるかは本人次第。どう努力して繰り返すか」と話した[50]。12日の一ノ宮場所では支度部屋で横たわり、母国の乾燥チーズ「アーロール」をつまんだ。「貴ノ岩関からもらったっす。仲良いですよ。鳥取城北高の先輩ですから」と逸ノ城は話した[51]。22日の岸和田場所から、秋巡業を休場することになった。この日の巡業には姿を見せたが、午後の取組を回避して帰京した。巡業部の玉ノ井副部長(元大関・栃東)は「ヘルニアということで。前にもやっているから、負担がかかったんだろう。重度ではないけど。本人から(休場の)話がありました」と経緯を説明した[52]。 西前頭4枚目で迎えた2017年11月場所は、初日から4連勝と好スタートを切ると、8日目には横綱・稀勢の里から金星。ただ稀勢の里が不調だったらしく逸ノ城は「いつもの横綱じゃなくてびっくりした。何か軽かった。途中で力を抜いたような感じだった」と話していた[53]。2016年11月場所は減量の効果で筋肉が落ちて力も出ない上に食事を我慢したストレスが溜まったため、その反省から食事の適量を守りつつ減量をやめてこの場所に挑んだことが、場所中伝えられている[54]。中日を終えて7勝1敗と好調だったが、9日目の大翔丸戦、11日目の髙安戦では力なく完敗するなど3連敗で優勝争いからは脱落。しかし12日目からの大関・関脇戦を3連勝として10勝5敗と二桁の白星を挙げた。
2018年1月場所は前頭筆頭で迎える。初日から連敗してしまうが横綱・稀勢の里を倒しこの場所初白星。その後連敗してしまうが6日目から7連勝し10勝5敗で場所を終えた。これにより翌3月場所は16場所ぶりとなる三役の地位で迎えることが確定した。3日目のインタビュールームでは、筋肉をつけるために減量をやめたことを話している[55]。この場所の相撲内容は武蔵川から「前半に星を落とさなければ優勝もできたのでは?」と評価されるほどであった[56]。また、12日目の取組後の支度部屋では比較的体の動きが良い場所であることを自覚するようなコメントを残している[57]。続く3月場所は入門前からの持病である腰痛が快方に向かっていることから好調で、小結の地位で9勝6敗の勝ち越し。腰痛は悪くなると睡眠にも支障が出るが、この場所は痛みが消え、「相撲を楽しめている」と穏やかにほほえんだ[58]。5月場所は西関脇に復帰。初日から4連勝するなど好調を維持し、14日目には横綱 白鵬に勝利するなど安定した相撲内容で8勝7敗と勝ち越した。7月場所は自身最高位である東関脇で迎えたが、先場所までとは一転して持ち味の腰の重さが見られず、9日目を終えて3勝6敗に留まるなど脆さを見せたが、終盤戦は大関2人を破るなどして8勝7敗と勝ち越し。6場所連続の勝ち越しとした。
人物
- 女将曰く、見た目に見合わぬ性格で「昇進が決まり、『おかみさん、僕、締め込みは何色が似合いますかね?』とうれしそうに訊いてきたり、一所懸命にサインの練習をしてうまく書けず、ひとりでやけっぱちになったりしてます(笑)」とのことである[59]。
- 中国出身だが同じモンゴル系の力士であり遊牧民の両親を持つ蒼国来とは気が合う仲であり[60]、2015年春の常陸大宮巡業(茨城県)では逸ノ城と公園で「なんか田舎に帰った気分だねえ」と緩い気分に浸っていた。[61]
- 場所前には貴乃花部屋に単身出向いては貴ノ岩と稽古を行っている。貴ノ岩は同郷であり逸ノ城の鳥取城北の4学年先輩である[59]。好物は唐揚げと甘いもの、嫌いなものはカレー[7][21][11]。来日してから和食に適応しすぎたことでモンゴルに帰郷した際に食べた郷土料理で腹を壊してしまったと逸ノ城の高校時代の師匠である石浦監督は語っている[62]。2013年9月の全日本実業団選手権前には石浦監督が経営する料理店「ちゃんこ石浦」で食事を行い、山盛りの唐揚げやあんかけ丼など3キロ分を平らげ英気を養った[63]。
- 好きなタレントは西内まりやで、2014年11月2日放送の『ウチくる!?』(フジテレビ)で初対面を果たした[64]。
エピソード
- 2015年1月場所からおやつカンパニーより1番ごとに2本の指定懸賞が設定された。[65]
- 同場所初日の遠藤戦では初日の関脇以下対決として平成以降最多となる21本の懸賞が設定された。[66]
- 逸ノ城の管理は老人ホーム併設の内科医の傍らで湊部屋に従事する女将が行っており、2014年10月の秋巡業を帯状疱疹により途中休場した際の診断書も女将が書いた。スピード出世を遂げる逸ノ城に対しては兄弟子に横柄な態度を取らない、ファンを邪険にしない、の2点を厳守させ、注意は必ず日本語で復唱させるといった具合に厳しく接することがある一方で、母親と息子のようなやりとりもまた日々展開されている。[67]
- 2014年9月場所10日目、逸ノ城はこの時点で9勝1敗となりこの場所の三賞受賞が濃厚になっていた状況の中で「三賞って何ですか? どうするともらえるの?」と話していた。[68]入門から一年足らずでの出来事でありまだ日本語の練度も大相撲に対する知識も乏しかったため、石浦監督も後に「無理はありません」と感想を漏らしている[69]。
- 2016年4月10日の春巡業静岡場所では一門の横綱である鶴竜から居残り説教を受けた。「せっかくいい体を持っているのだから、もっと鍛えて余分な脂肪を落とさないと」「朝稽古だけが稽古じゃない。他にもたくさん時間はある。自分で考えなきゃ」「今やらなきゃいつやるの」。指導は朝稽古の時間が終わっても続き、土俵上では子供と関取衆の稽古が始まっていた。逸ノ城を説教した理由を鶴竜は「同じ一門の若手だから。精いっぱいやって脂肪が落ちなければ体質の問題だけど、そうは見えない」と説明。逸ノ城は「言われたことを頭で考えてやれるようにしたい」と言葉が心に刺さった様子だった[70]。
取り口など
192cm(公称、師匠の湊親方は193cmまで伸びていると主張)、214kgの巨体[2]であることに加えて太もも周りが92cmを記録するなど太い下半身[68]を持ち合わせており、体格を活かした右四つを得意とする。右を差して引きつけ、胸を合わせた際の威力が高い。一方で湊親方は逸ノ城について「まだまだ差し身に気を取られ過ぎ。左上手を取ってから、『いつでも差せるぞ』という形にならないとね。立ち合いをもっと速くするのが課題かな」と今後の課題を述べている[59]。新入幕会見で湊親方は立合いでのスピードや横への動きへの対応など課題を挙げていた[2][71]。新入幕後には巨体に見合わぬバランス感覚に任せた残り腰や突き押しに対する耐性などの守りの固さ、変化や叩きなどの機動力や策士ぶりが注目されるようになった。[71][68]2014年9月場所中日には右で首を巻いての上手投げで対戦相手の隠岐の海を360度振り回し裏返す勝ち方を見せており、その日の取組をNHK中継のゲストとして観戦していたやくみつるから件の上手投げを「逸ノ城スペシャル」と名付けられて称賛されたこともある[72]。同場所前の出稽古では鶴竜・白鵬の2横綱を相手に何もできなかったが新入幕で初日から連勝を続け、白鵬も4日目の朝の時点で「高見盛タイプだね。稽古場に弱くて本場所に強い」と評している。[73]。
遠藤のように突っ張って左四つになる力士が苦手だとして、2014年11月場所後に左四つの勉強をしたいと話した[74]。新関脇になってからは上体が起きる弱点が露呈し[75]、2017年1月場所9日目の取組後に蒼国来が「(逸ノ城の上体を)起こしたかった。三役で一回やってみたい。自分に厳しく(やる)」と逸ノ城の弱点を突く相撲を狙っていたことを話すなど、上体が起きる弱点を突かれることが何度となくある[76]。2015年3月の時点では典型的に相撲が短い力士であり、右四つ左上手になればすぐに相手を下す一方で自分の型にならなければあっさり負けてしまう。[77]2017年1月場所前の時点では減量したことで圧力が落ち、攻めの速さや厳しさが失われており、お笑い芸人のはなわとチロが座談会で指摘している[78]。同じく2017年の一部報道では、足腰を痛めているため当初のような身軽な動きは期待できず、離れられたり立腰になっているところを潜り込まれたりすると弱いという点が目立つようになった、と伝えられている[79]。上背があるため肩越しの上手を取ることもでき、2017年11月場所12日目の豪栄道戦で勝利を収めた相撲などはその典型であった[80]。2018年1月場所は、山根千佳の論評によると、体重を落とした影響で出し投げや横の動きが冴え渡ったとされている[81]。
石浦監督は、稽古不足で体重過多になりがちな逸ノ城個人に向けてではないが「四股やすり足を嫌というほど繰り返すなど、基本の稽古でくたくたになる。その上で体が要求するまま、食べたいだけ食べれば、当然ながら眠くなります。眠くなったら眠りたいだけ眠る。こんな健康的な生活はありません。」とアドバイスしている[82]。基本的に抱える相撲はあまり行わない。逸ノ城の取り口の背景にあるのは高校時代に石浦監督から受けた技術指導であり、足腰の強さに頼って無理に残さず転がるべき時には転がること、抱えずに差すことを教わっている[83]。
主な成績
2018年7月場所終了時点
通算成績
- 通算成績:218勝171敗15休(29場所)
- 通算勝率:.560
- 幕内成績:182勝163敗15休(24場所)
- 幕内勝率:.528
各段優勝
- 十両優勝:1回(2014年5月場所)
三賞・金星
- 三賞:2回
- 殊勲賞:1回(2014年9月場所)
- 敢闘賞:1回(2014年9月場所)
- 金星:5個
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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2014年 (平成26年) |
幕下付出15枚目 6–1 |
西幕下3枚目 6–1 |
西十両10枚目 優勝 11–4 |
西十両3枚目 13–2[84] |
東前頭10枚目 13–2 殊敢★ |
西関脇 8–7 |
2015年 (平成27年) |
西関脇 6–9 |
西前頭筆頭 9–6 ★ |
西小結 8–7 |
西関脇 4–11 |
東前頭4枚目 9–6 |
東前頭筆頭 6–9 |
2016年 (平成28年) |
東前頭3枚目 2–13 |
東前頭11枚目 11–4 |
西前頭2枚目 5–10 ★ |
東前頭7枚目 9–6 |
西前頭3枚目 休場[85] 0–0–15 |
西前頭13枚目 7–8 |
2017年 (平成29年) |
西前頭13枚目 11–4 |
東前頭7枚目 6–9 |
東前頭9枚目 8–7 |
東前頭6枚目 7–8 |
東前頭6枚目 8–7 |
西前頭4枚目 10–5 ★ |
2018年 (平成30年) |
西前頭筆頭 10–5 ★ |
東小結 9–6 |
西関脇 8–7 |
東関脇 8–7 |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
合い口
- いずれも2018年7月場所現在。
- 横綱・白鵬には2勝10敗。2015年5月場所で初勝利。直近の勝利は2018年5月場所で、決まり手は上手投げ。
- 横綱・鶴竜には2勝10敗(うち1勝は不戦勝)。2014年9月場所に初対戦で初勝利し、自身初金星を獲得した。2015年3月場所は不戦勝。
- 横綱・稀勢の里には5勝8敗。稀勢の里の横綱昇進後は2勝。2014年9月場所に初対戦で初勝利。稀勢の里の横綱昇進後初対戦となった2017年11月場所と2018年1月場所で連勝し、2場所連続で金星を獲得。
- 大関・豪栄道には8勝7敗(うち1勝は不戦勝)と、ほぼ五分の対戦成績。直近の勝利は2018年7月場所で、決まり手は引き落とし。
- 大関・髙安には4勝4敗。髙安の大関昇進後は3勝1敗と勝ち越している。直近の勝利は2018年7月場所で、決まり手は押し出し。
- 大関・栃ノ心には5勝11敗。栃ノ心の大関昇進後は対戦なし。直近の勝利は2017年11月場所で、決まり手は寄り切り。
- 大関経験者・琴奨菊には4勝7敗。琴奨菊の大関在位中は3勝5敗。
- 大関経験者・照ノ富士には2勝7敗。照ノ富士の大関在位中は1勝4敗。
- 元横綱・日馬富士には2勝7敗。2015年3月場所と2016年5月場所で金星を獲得。
- 最高位が関脇以下の力士との幕内での対戦成績は以下の通りである。
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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関脇 | |||||||||||
碧山 | 6 | 3 | 安美錦 | 4 | 1 | 勢 | 9 | 3 | 隠岐の海 | 2 | 2 |
魁聖 | 8 | 3 | 琴勇輝 | 2 | 2 | 正代 | 5 | 2 | 宝富士 | 11 | 2 |
豪風 | 1 | 2 | 玉鷲 | 5 | 4 | 栃煌山 | 4 | 8 | 豊ノ島 | 1 | 1 |
御嶽海 | 3 | 3 | 妙義龍 | 2 | 6 | 嘉風 | 5 | 3 | |||
小結 | |||||||||||
遠藤 | 5(1) | 3 | 阿武咲 | 1 | 1 | 臥牙丸 | 3 | 0 | 松鳳山 | 3 | 6 |
貴景勝 | 2 | 4 | 千代鳳 | 5 | 0 | 千代大龍 | 3 | 3 | |||
前頭 | |||||||||||
阿炎 | 2 | 0 | 阿夢露 | 1 | 0 | 荒鷲 | 4(1) | 1 | 石浦 | 0 | 2 |
宇良 | 2(1) | 2 | 大砂嵐 | 3(1) | 0 | 輝 | 6 | 1 | 北磻磨 | 0 | 1 |
旭秀鵬 | 2 | 1 | 佐田の海 | 5 | 4 | 里山 | 1 | 0 | 蒼国来 | 1 | 3 |
大栄翔 | 3 | 1 | 大翔丸 | 2 | 2 | 貴ノ岩 | 3 | 1 | 千代翔馬 | 0 | 4 |
千代ノ皇 | 1 | 0 | 千代の国 | 3 | 3 | 千代丸 | 1 | 0 | 德勝龍 | 3 | 2 |
栃乃若 | 1 | 0 | 豊響 | 4 | 1 | 錦木 | 3 | 0 | 英乃海 | 2 | 0 |
北勝富士 | 4 | 1 | 豊山 | 1 | 0 |
- ※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2018年7月場所終了現在、現役力士。
改名歴
- 逸ノ城 駿(いちのじょう たかし)2014年1月場所 -
主なメディア出演
CM出演
参考文献
- 『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(著者:塩澤実信、発行元:北辰堂出版、2015年)p243-244
脚注
- ↑ “Үлэмж биет Ичиножёо Ичинноров Япон орныг шуугиулж байна” (モンゴル語). Mongolcom.MN (2014年9月22日). . 2014閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 新入幕逸ノ城 大器の雰囲気漂う DairySportsOnline 2014年9月12日
- ↑ 因みに家族も長身揃いであり、父の身長は190cm、母は178cmもある(『大相撲ジャーナル』 2014年4月号 104頁)。
- ↑ 逸ノ城 100年ぶり新入幕優勝だ~! 1敗キープで白鵬追走勝ち越し2014年9月23日 中日スポーツ
- ↑ モンゴルから大型力士 新十両の21歳、逸ノ城 2014年4月19日 Sankei Photo
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年11月号(九州場所展望号) 6~10頁
- ↑ 7.0 7.1 角界の怪物・逸ノ城、恩師が語る“強さの秘密” モットーは「嘘のない稽古」 (1/2ページ) ZAKZAK 2014.09.27
- ↑ 逸ノ城、大関連破 41年ぶり快挙へ鶴竜戦日刊スポーツ
- ↑ 大相撲:「頑張れイイチコ」逸ノ城…秋場所の話題独占 - 毎日新聞
- ↑ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p100
- ↑ 11.0 11.1 逸ノ城 新関脇も モンスター出世街道 nikkansports.com 2014年9月29日9時50分 紙面から
- ↑ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p52-53
- ↑ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p50-51
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 月刊『相撲』 2013年12月号
- ↑ 貴乃花親方 プロアマ交流戦を「来年は全国大会にしたい」 スポニチアネックス 2012年10月22日(2014年2月25日閲覧)
- ↑ 16.0 16.1 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p102
- ↑ 巨漢の怪物、新入幕で金星 大相撲・逸ノ城(上) 日本経済新聞 2015/3/9付
- ↑ 大相撲:「頑張れイイチコ」逸ノ城…秋場所の話題独占 毎日新聞 2014年09月26日
- ↑ モンゴル出身のイチンノロブが初戦敗退/国体 SANSPO.COM 2013年10月1日(2014年2月25日閲覧)
- ↑ イチンノロブ 湊部屋入り モンゴル人アマは高校コーチからプロ転向 スポニチアネックス 2013年10月21日(2014年2月25日閲覧)
- ↑ 21.0 21.1 モンゴル出身逸ノ城3連勝 早くも大物感 nikkansports.com 2014年9月17日9時13分 紙面から
- ↑ 外国出身初の幕下付け出し承認 イチンノロブ初場所デビュー スポニチアネックス 2013年12月20日(2014年2月25日閲覧)
- ↑ 木瀬部屋出身の清瀬海も同様。
- ↑ 中日スポーツ モンゴルの遊牧民から初の力士 2013-11-01 09:44
- ↑ 過去には学生横綱のタイトルを獲得した池森ルイス剛が外国籍(ブラジル国籍、日本人とブラジル人のハーフ)の立場では初めての幕下付出力士となった。
- ↑ 新たな怪物出現!その名は逸ノ城 スタート台に立つまで苦労 ZAKZAK 2014.01.23
- ↑ 逸ノ城 大器の風格 読売新聞夕刊 2014年1月22日
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 月刊『相撲』 2014年2月号
- ↑ 逸ノ城が新十両 外国出身関取が史上最多タイ24人 スポーツ報知 2014年3月26日閲覧
- ↑ モンゴル出身の有望株・逸ノ城「将来は横綱まで」 2014年3月26日17時52分 スポーツ報知
- ↑ “モンゴルの新怪物”逸ノ城 特権辞退「教習所通う」 Sponichi Annex 2014年4月18日 05:30
- ↑ 秋場所の新番付発表 豪風が35歳新関脇 日刊スポーツ 2014年9月1日(2014年9月1日閲覧)
- ↑ 大相撲秋場所 十一日目 「幕内取組」(後半)NHKオンデマンド・2014年9月24日
- ↑ 大相撲秋場所 十三日目 「幕内取組」(後半)NHKオンデマンド・2014年9月26日
- ↑ 新入幕の逸ノ城 横綱・鶴竜破るNHKニュース・2014年9月26日、2014年9月27日観覧
- ↑ 逸ノ城V決定戦「横綱負けたらやる気持ち」ニッカンスポーツ2014年9月28日配信
- ↑ 【秋場所】逸ノ城、真っ向勝負で堂々の完敗「さすが横綱」2014年9月28日スポーツ報知
- ↑ 逸ノ城が入院!注目されすぎストレスで帯状疱疹 2014年10月17日6時2分 スポーツ報知
- ↑ 39.0 39.1 逸ノ城が一時離脱 下半身に張り nikkansports.com 2014年11月4日8時15分 紙面から
- ↑ 大相撲:逸ノ城 骨盤にズレ…「力入らない」原因判明、大阪で緊急治療 毎日新聞 2014年11月04日
- ↑ 逸ノ城は勝ち越し 控えめに喜ぶ nikkansports.com 2014年11月23日8時45分 紙面から
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号40ページ
- ↑ 『相撲』2015年6月号10頁には「殊勲賞受賞でも良かったのでは?」という内容の記事が掲載されている。
- ↑ 逸ノ城、入院で25キロ減量成功「いい感じです」 nikkansports.com 2016年11月4日9時51分 紙面から
- ↑ 逸ノ城、出稽古で不安残し浮かない表情「まだ全然」 SANSPO.COM 2016.11.7 17:57
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号26ページ
- ↑ 白星最少の照ノ富士、5場所皆勤も大不振「つらく、苦しい1年だった」/九州場所
- ↑ 逸ノ城2敗キープ9勝目 禁酒&20キロ減量で怪物復活!
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p7
- ↑ 日馬富士 秋巡業で逸ノ城をマンツーマン指導 Sponichi Annex 2017年10月11日 18:07
- ↑ 逸ノ城、日馬塾&貴ノ岩チーズで1敗死守 我慢の49秒勝ち Sponichi Annex 2017年11月18日 05:30(スポーツニッポン新聞社、2017年11月23日閲覧)
- ↑ 逸ノ城 ヘルニアで秋巡業休場 玉ノ井副部長「重度ではない」 Sponichi Annex 2017年10月22日 05:30(2017年11月5日閲覧)
- ↑ 稀勢に勝利の逸ノ城「いつもの横綱じゃない。軽かった」
- ↑ 日刊スポーツ 2017年11月20日
- ↑ 『相撲』2018年3月号 p.46-47
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.6-7
- ↑ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.39
- ↑ 腰痛が消えて3連勝の逸ノ城「相撲を楽しめている」 産経ニュース 2018.3.13 22:23(産経新聞社、2018年4月12日閲覧)
- ↑ 59.0 59.1 59.2 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 大半のモンゴル系の力士はウランバートル出身であり、いわゆる「都会っ子」である。
- ↑ 2年半のブランクに苦労 大相撲・蒼国来(下) 日本経済新聞 2015/4/25 6:30
- ↑ 恩師が語るモンゴルの怪物逸ノ城の素顔!「初稽古で女性に投げ飛ばされた」? 週プレNEWS 2014年10月01日
- ↑ 【デキる選手の育て方2014】モンゴルの怪物・逸ノ城(4/4ページ) SANSPO.COM 2014.12.10 10:00
- ↑ 関脇・逸ノ城 憧れの西内まりやにデレデレ プライベート空間も初公開 オリコンスタイル 2014年11月2日 13時35分
- ↑ 注目度ますます…逸ノ城に初の通し懸賞「おやつカンパニー」 Sponichi Annex 2015年1月9日 05:30
- ↑ 遠藤臨戦態勢 逸ノ城戦に異例の懸賞21本 nikkansports.com 2015年1月11日9時47分 紙面から
- ↑ 逸ノ城:部屋のおかみさんは医師 躍進支え、マッサージも 毎日新聞 2014年10月28日 11時32分
- ↑ 68.0 68.1 68.2 「逸ノ城は怪物」完敗嘉風ひと言 nikkansports.com 2014年9月24日8時59分 紙面から
- ↑ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p104
- ↑ 鶴竜“優しく”逸ノ城に説教「今やらなきゃいつやるの」 Sponichi Annex 2016年4月11日 05:30
- ↑ 71.0 71.1 2014年11月30日放送分の『情熱大陸』(TBS系列)では、逸ノ城に対して湊親方が立合いに気を配るように指導している様子が伝えられており「11月場所初日の横綱戦で立合いが合わなかったら待ったをかけろ」という趣旨の助言をしていた。
- ↑ しんぶん赤旗 日曜版 2014年10月15日号
- ↑ 21歳逸ノ城、マゲなしまけなし5連勝 nikkansports.com 2014年9月19日9時29分 紙面から
- ↑ 逸ノ城 角界の“二刀流”へ「左四つ勉強する」朝稽古再開 Sponichi Annex 2014年12月9日 05:30
- ↑ 逸ノ城、遠藤に完敗…上体浮く弱点露呈 DAILY SPORTS ONLINE 2014.12.23
- ↑ 照ノ富士「もっとじっくりいけば良かった」 SANSPO.COM 2017.1.16 19:40
- ↑ 力士の大型化で減った「長い相撲」。新三役・照ノ富士の受けは人気の元? Number Web 2015/03/19 10:30
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2017年2月号74ページ
- ↑ 衝撃デビューも遠い過去 「モンゴルの怪物」逸ノ城の凋落 日刊ゲンダイ 2017年7月20日(株式会社日刊現代、2017年11月23日閲覧)
- ↑ 白鵬に完敗の御嶽海「やることが逆だった。作戦ミス」 SANSPO.COM 2017.11.23 19:12(産経新聞社、2017年11月25日閲覧)
- ↑ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.27
- ↑ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p9-10
- ↑ 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p62-63
- ↑ 栃ノ心と優勝決定戦。
- ↑ 腰椎椎間板ヘルニアのため全休、全休は入門後初。
関連項目
外部リンク
大相撲関取一覧 - 平成30年七月場所 | ||||||
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