「一関市」の版間の差分
ja>そばっち (→小学校) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/4/ (土) 15:56時点における最新版
一関市(いちのせきし)は、岩手県の最南端に位置する県内第二の人口・面積を擁する市。
Contents
概要
現在の一関市は、2005年(平成17年)9月20日に7市町村の対等合併で出来た三代目の一関市である(#歴史参照)。
合併前の旧一関市を中心市とする一関都市圏は、南の宮城県金成町(現・栗原市の一部)から北の岩手県平泉町などを含む西磐井郡を中心とした地域であった。しかし、実際に合併の対象となったのは、旧一関市の都市圏の範囲ではなく、旧磐井郡(西磐井郡および東磐井郡)の範囲であった。東磐井郡では室根村が気仙沼都市圏に入っており、その他の東磐井郡の自治体も一関都市圏の範囲ではない例がいくつかあり、結果として旧磐井郡全域での合併はならなかったが、広大な市域を持つ自治体となり、宮城県と秋田県に接している。人口は約12万人。
岩手県の最南端に位置する一関市は、仙台と盛岡の中間地点、東北地方のほぼ中心に位置している。東京からは約450kmの位置(JRにおける営業キロは445.1km)にある。これは、滋賀県米原市(JRにおける営業キロは445.9km)とほぼ同じ距離にあたる。
一関市の遊水池にある東北新幹線の鉄橋(第一北上川橋梁)は、日本の鉄道橋の中で一番長い。また、世界でも上位に入る。
一関市から奥州市・宮城県気仙沼市にかけての北上高地が国際プロジェクトで建設される超大型加速器「国際リニアコライダー (ILC) 」の最有力候補地となっている。
地理
歴史
地名の由来
- 平安後期まで俘囚の長として奥六郡を支配した安倍氏が一の関、二の関、三の関と砦を築いた事によるという説
- 平安末期に奥州一帯を支配した奥州藤原氏が、平泉の南側を守るために置いた関所に由来しているという説
- 江戸時代にこの地を治めた田村氏が置いた関所に由来しているという説
など諸説あり。いずれにしても、この地は古くから「関」であった。
沿革
- 旧石器時代、市域には後期旧石器時代の花泉遺跡などの遺跡が発見されている。
- 縄文時代、東北南部の大木文化圏に属しながら東北北部の円筒文化圏の影響を受けていた。
- 平安時代、現在の釣山には坂上田村麻呂が東夷東征の際陣を張り、その後、前九年の役では、安倍貞任の弟である家任が居城したとも、源頼義・義家が陣をおいたともいわれている。 四方に街道が延びていることからも一関は交通の要所で軍事的にも重要視されていた。また、舞草の地に刀鍛冶が集団で住まいとし、日本刀の原型とされる舞草刀が作られた。
- 安倍氏は胆沢城(奥州市)の在庁官人として勢力を培ってきたとされる豪族で、本来の勢力範囲は衣川の関以北の奥六郡だったが、早くから衣川の関以南の磐井郡や気仙郡にも勢力を広げ、市域には安倍氏の砦の最南端とされる小松柵(こまつのさく、萩荘・釣山など諸説あり)、河崎柵(かわさきのさく、川崎町門崎)、石坂柵(赤萩福泉か山目赤萩)が築かれ、前九年の役の戦場となった。その後後三年の役を経て、奥州藤原氏の東北支配下で、一関は平泉の南の入り口となった。
- 室町時代、一関は岩手県南部を支配する葛西氏の領土の一部であったが、宮城県北部を支配する大崎氏の国境に隣接しており、葛西氏と大崎氏の係争の地であった。
- 戦国時代末期、葛西氏と大崎氏は共に「伊達の馬打ち」と呼ばれる伊達氏の準領土となった。戦国大名・伊達政宗は葛西氏・大崎氏の軍事指揮権を掌握したが、徴税権は葛西氏・大崎氏が握った。
- 1589年、政宗は「東北地方の南半分を征服」し、関東征服を目前のものとした。しかし、政宗の前に豊臣秀吉が立ちはだかったため、政宗は関東地方の北条氏政親子と同盟して秀吉に対抗した。しかし、結局政宗は秀吉に服属し、そのため北条氏は秀吉に攻め滅ぼされ、1590年、秀吉は「日本統一」を達成した。
- 戦後、秀吉は「奥州仕置」を行い、岩手県・宮城県を支配していた葛西氏・大崎氏を滅亡させて、その領地を家臣、木村吉清に与えた。しかし、これに不満をもった伊達政宗は、旧葛西領・旧大崎領で反乱を起こさせた(葛西大崎一揆)。しかし、政宗の一揆扇動は秀吉に露見し、1591年、政宗は秀吉の命令により自ら一揆を鎮圧した。
- 戦後、秀吉は政宗から先祖ゆかりの伊達郡や征服した会津地方などを没収し、その代わりに旧葛西領・旧大崎領を与えた。政宗は福島県・山形県から宮城県・岩手県へと追いやられ、宮城県の岩出山城を居城として伊達領を統治した。一関も伊達領の一部となった。
- 秀吉が死ぬと、政宗は徳川家康の政権奪取に協力し、1600年の「関ヶ原の戦い」では、政宗は家康を出し抜いて「天下取り」を試みた。しかし、政宗の天下取りはならず、戦後、家康は江戸幕府を開くことになる。1601年、政宗は仙台城を築城し、仙台城を居城とする仙台藩が誕生した。一関も仙台藩の一部となった。
- 政宗の死後、1641年(寛永18年)、政宗の十男伊達宗勝の領地となり。宗勝は幕府の大老・酒井忠清と結び、1660年(万治3年)に仙台藩の内分家として領地を割き、一関藩をつくった。 しかし、宗勝は伊達騒動によって失脚した。
- 伊達政宗の正室愛姫の遺言により、政宗の孫宗良が愛姫の実家三春の田村氏の名跡を継承。1681年(延宝9年)にその子建顕が岩沼藩から一関藩に転封され一関藩主となる。こののち一関藩の藩主は田村氏が代々世襲し、明治維新まで田村家の支配が十一代続いた。
- 一関藩士の大槻氏は仙台藩の藩校、養賢堂の学頭を勤めるなど、「仙台藩の頭脳」として活躍した。
- 明治維新の際の戊辰戦争では、養賢堂の学頭、大槻磐渓が藩論を指導し、仙台藩は奥羽越列藩同盟(北部政府)をつくって明治新政府と戦った。新朝廷を創設する動きまであったが、敗戦により「東武朝廷」の誕生は成らなかった。翌年、一関藩は仙台藩が北方警備のため陣屋を建設していた北海道胆振国白老郡(現・白老町)の支配を命ぜられ、陣屋を壊し、新たに役所等を建築し、現在に至っている。
- 1871年 - 廃藩置県により一関藩が一関県となる。一関が属していた旧仙台領が「仙台県」にならずに「宮城県」になったのは、仙台藩の雄藩のイメージを明治新政府が抹殺したためだといわれる。但しこれは宮武外骨が昭和になって提唱した説であり、実際は官軍側であっても県名に郡名を採用した結果県名と都市名が一致しない例が沢山あることからも、俗説の域を出ない。
- 2008年(平成20年)6月14日 - 午前8時43分の岩手・宮城内陸地震で市内では山目で震度5強。舞川・花泉町・千厩町・室根町で震度5弱。また大東町、東山町、川崎町で震度4を観測した。
- 2008年(平成20年)7月24日 - 午前0時26分の岩手県沿岸北部地震で市内では花泉町・千厩町・室根町で震度5強。山目で震度5弱。舞川・大東町・東山町・川崎町で震度4を観測した。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 午後2時46分の東北地方太平洋沖地震で市内では山目・花泉町・千厩町・室根町で震度6弱。大東町・東山町で震度5強を観測した。
行政区画の変遷
一関市は、下記のように新設合併によって3度設置されている。前身の一関町については当該項目を参照。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。
- 一ノ関村の一部が町制施行し、西磐井郡一関町が成立。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 一関町、山目町、中里村、真滝村が合併し、一関市(初代)となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 旧・一関市、厳美村、萩荘村、舞川村、弥栄村が合併し、改めて一関市(2代目)が発足。
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 境界変更により平泉町の一部を編入。
- 1964年(昭和39年)5月1日 - 境界変更により平泉町の一部を編入。
- 2005年(平成17年)9月20日 - 旧・一関市と西磐井郡花泉町、東磐井郡大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村が合併し、改めて一関市(3代目)が発足。
- 2011年(平成23年)9月26日 - 東磐井郡藤沢町を編入合併。
行政
歴代市長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
1 | 浅井東兵衛 | 2005年(平成17年)10月9日 | 2009年(平成21年)10月8日 |
2 | 勝部修 | 2009年(平成21年)10月9日 | (現職) |
庁舎
一関市では本庁方式を採用し、7か所の支所を設けている。
- 一関市役所 本庁舎
- 〒021-8501
- 一関市竹山町7番2号
- 花泉支所庁舎
- 〒029-3105
- 一関市花泉町涌津字一ノ町29
- 大東支所庁舎
- 〒029-0711
- 一関市大東町大原字川内40
- 千厩支所庁舎
- 〒029-0803
- 一関市千厩町千厩字北方174
- 東山支所庁舎
- 〒029-0302
- 一関市東山町長坂字西本町105-1
- 室根支所庁舎
- 〒029-1201
- 一関市室根町折壁字八幡沖345
- 川崎支所庁舎
- 〒029-0202
- 一関市川崎町薄衣字諏訪前137
- 藤沢支所庁舎
- 〒029-3405
- 一関市藤沢町藤沢字町裏187
岩手県の機関
- 県南教育事務所
- 所管区域:一関市、奥州市、金ケ崎町、平泉町
国の機関
- 盛岡地方裁判所一関支部
- 所管区域:一関市、大船渡市、陸前高田市、平泉町、住田町
- 盛岡家庭裁判所一関支部
- 所管区域:一関市、大船渡市、陸前高田市、平泉町、住田町
- 一関簡易裁判所
- 所管区域:一関市、大船渡市、陸前高田市、平泉町、住田町
- 盛岡地方検察庁一関支部
- 所管区域:一関市、平泉町
- 一関区検察庁
- 所管区域:一関市、平泉町
- 国税庁仙台国税局一関税務署
- 所管区域:一関市、平泉町
旧一関市のデータ
一関市 | |
---|---|
廃止日 | 2005年(平成17年)9月20日 |
廃止理由 |
新設合併 一関市(旧)、花泉町、大東町、千厩町、 東山町、室根村、川崎村→一関市(新) |
現在の自治体 | 一関市(新) |
廃止時点のデータ | |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
団体コード | 03209-3 |
面積 | 410.23km2 |
総人口 |
62,811人 (2005年(平成17年)8月1日) |
隣接自治体 |
平泉町、衣川村、胆沢町、東山町、川崎村、花泉町 宮城県栗原市 秋田県東成瀬村 |
一関市役所 | |
所在地 |
〒021-8501 岩手県一関市竹山町7番2号 |
旧一関市の位置 | |
新制の一関市の面積や人口の規模が大きいため、旧制の一関市のデータも右記の通り掲載する。
新一関市は新設合併によって発足した自治体であり、これに伴い旧一関市は廃止されている。国勢調査などの制度上では、新一関市と旧一関市は、同名異質の全く違う自治体である。新一関市と旧一関市はともに旧磐井郡に所属していたが、合併後の新一関市は、旧磐井郡の大部分におよぶ市となっている。
旧一関市の市役所本庁は、新一関市における市役所本庁となっている。
姉妹都市・友好都市
国内
- 三春町(福島県 田村郡)
- 田辺市(和歌山県)
- 旧室根村が旧本宮町と1987年(昭和62年)8月8日友好都市提携
- 吉川市(埼玉県)
- 気仙沼市(宮城県)
- 旧一関市、および旧室根村が1997年(平成9年)5月1日友好都市提携
海外
地域
人口
一関市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
商業施設
金融機関
教育
短期大学
専修学校
- 岩手県立一関高等看護学院
- 一関市医師会附属一関准看護高等専修学校
- 一関市医師会附属一関看護専門学校
- 一関経理専門学校
- 国際医療福祉専門学校一関校
- 東北ヘアーモード学院
高等専門学校
高等学校
中学校
- 岩手県立
- 一関市立
- 一関市立一関中学校
- 一関市立磐井中学校
- 一関市立一関東中学校
- 一関市立桜町中学校
- 一関市立萩荘中学校
- 一関市立厳美中学校
- 一関市立舞川中学校
- 一関市立花泉中学校
- 一関市立大原中学校
- 一関市立大東中学校
- 一関市立興田中学校
- 一関市立千厩中学校
- 一関市立東山中学校
- 一関市立室根中学校
- 一関市立川崎中学校
- 一関市立藤沢中学校
小学校
- 一関市立一関小学校
- 一関市立山目小学校
- 一関市立赤荻小学校
- 一関市立中里小学校
- 一関市立滝沢小学校
- 一関市立南小学校
- 一関市立弥栄小学校
- 一関市立萩荘小学校
- 一関市立厳美小学校
- 一関市立本寺小学校
- 一関市立舞川小学校
- 一関市立永井小学校
- 一関市立涌津小学校
- 一関市立油島小学校
- 一関市立花泉小学校
- 一関市立老松小学校
- 一関市立金沢小学校
- 一関市立大原小学校
- 一関市立大東小学校
- 一関市立興田小学校
- 一関市立猿沢小学校
- 一関市立千厩小学校
- 一関市立東山小学校
- 一関市立室根東小学校
- 一関市立室根西小学校
- 一関市立川崎小学校
- 一関市立藤沢小学校
- 一関市立黄海小学校
- 一関市立新沼小学校
特別支援学校
- 岩手県立一関清明支援学校
同校は、2009年に、岩手県立一関養護学校と岩手県立一関聾学校を統合して新規に開校。旧一関養護では病弱、旧一関聾学校では聴覚障害をそれぞれ教育領域としてきたが、統合に併せて知的障害が教育領域に追加された(ただし、聴覚障害領域の高等部は一関清明支援学校には継承されず、盛岡市の岩手県立盛岡聴覚支援学校(岩手県立盛岡聾学校より改称)が継承している)。統合校は、校舎を新たに新設し、旧一関養護跡地を山目校舎として活用している。さらに、千厩地区には同支援学校千厩分教室小学部・同中学部が分散設置されている(理由は、小学部・中学部ともに一般公立小・中学校に併設されているため)。
学校教育以外の施設
- 岩手県立千厩高等技術専門校(職業能力開発促進法に基づく公共職業能力開発施設)
郵便
- 一関郵便局(集配局)
- 薄衣郵便局(集配局)
- 與田郵便局(集配局)
- 厳美郵便局(集配局)
- 摺沢郵便局(集配局)
- 千厩郵便局(集配局)
- 花泉郵便局(集配局)
- 東山郵便局(集配局)
- 室根郵便局(集配局)
- 藤沢郵便局(集配局)
- 山目町郵便局
- 一関中央町郵便局
- 本寺郵便局
- 舞川郵便局
- 三関郵便局
- 一関駅前郵便局
- 一関台町郵便局
- 一関田村町郵便局
- 萩荘郵便局
- 真滝郵便局
- 門崎郵便局
- 薄衣矢作郵便局
- 松川町郵便局
- 大原郵便局
- 猿沢郵便局
- 曽慶郵便局
- 小梨郵便局
- 奥玉郵便局
- 矢越郵便局
- 金沢郵便局
- 涌津郵便局
- 永井郵便局
- 黄海郵便局
- 保呂羽郵便局
- 一関泥田簡易郵便局
- 岩手関が丘簡易郵便局
- 田河津簡易郵便局
- 一関渋民簡易郵便局
- 磐清水簡易郵便局
- 津谷川簡易郵便局
- 八沢簡易郵便局
- 大籠簡易郵便局
- 舞草簡易郵便局
- 日形簡易郵便局
警察
消防
交通
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 中心となる駅:一ノ関駅
バス
高速バス
道路
高速自動車国道
- 東北自動車道 : 一関IC
- 地域によって(旧:花泉町・旧:藤沢町)は、若柳金成ICから宮城県道4号中田栗駒線・宮城県道・岩手県道184号石越停車場白崖線を経由するアプローチがある。
一般国道
県道
主要地方道
一般県道
市道
- 一関市道金沢線・一関市道岩ヶ崎川台線
- 一関真柴字吉野沢 - 南新町 - 台町 - 一関市萩荘字苅又までの17.5 kmの道路[1]。江戸時代の俳人である松尾芭蕉ゆかりの道で知られ、1986年(昭和61年)8月10日に、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された「日本の道100選」に選ばれている[2]。紀行文『奥の細道』のなかで芭蕉が河合曾良とともに奥羽・北陸地方を行脚した際に、安久津(花泉町涌津)から馬に乗って一関に入った道が市道金沢線で、道筋には道標や道心塚杉などが当時の姿をとどめて残されている[1]。また、宿泊地の一関から平泉を訪ね岩手の里(岩出山町)へと旅に出る際に通った道が市道岩ヶ崎川台線で、道筋には道標や一里塚が残っている[1]。
ナンバープレート
報道機関
名所・旧跡・観光
- 唐梅舘
- 釣山公園(一関城址)
- 旧沼田家武家住宅
- 石と賢治のミュージアム
- 宮沢賢治の碑(東山町)
- 芦東山記念館(大東町)
- 大夫黒顕彰碑
- 千厩酒のくら交流施設 - 旧横屋酒造佐藤家住宅(国の登録有形文化財)
- 久保川流域ため池群 - ため池百選(農林水産省選定)
- 百間堤(有切ため池) - ため池百選
- 「萩荘・厳美の農村部」 - にほんの里100選
- 岩手サファリパーク
- 館ヶ森アーク牧場
- 館ヶ森高原ホテル
- ペンション・グリューボーデン館ヶ森
- 藤沢スポーツランド(公認モトクロス場)
- 大籠キリシタン殉教公園
一関市の風景
名物・特産物
一関市が舞台となっている作品
- タマラセ - 六塚光
出身有名人
学問
文学・芸術
- 上野火山 - 劇作家・演出家
- 遠藤公男 - 作家
- きざきかおる - 児童文学作家
- 小松沢陽一 - 映画ジャーナリスト
- 佐藤智一 - 漫画家
- 島地勝彦 - 編集者・実業家・作家
- ジョヴァンニ安東 - 芸術家(サイバーゲージツ家)
- 白石公子 - 詩人・エッセイスト
- なかだえり - イラストレーター
- 中津文彦 - 作家
- 馬里邑れい - 小説家
- 六塚光 - ライトノベル作家
- 村上昭夫 - 詩人
- 門馬もとき - 漫画家
- 弓館小鰐 - 新聞記者・随筆家
- 三好京三 - 作家
- 光瀬龍 - SF作家
- 及川和男 - ノンフィクション・児童文学作家
- 星亮一 - 作家
芸能
- 天野滋 - ミュージシャン
- 伊藤孝雄 - 俳優
- 及川ひろみ - ミュージシャン
- 小松彩夏 - タレント
- 佐藤茜 - フリーアナウンサー
- 志田友美 - タレント
- 鈴木エレカ - 作曲家
- 双葉みどり - 漫才コンビ(橘ミノル・双葉みどり)
- 千田淳一 - 福島テレビアナウンサー
- 野口亜紀子 - フリーアナウンサー・DJ
- 藤圭子 - 歌手
スポーツ
- 及川英香 - バレーボール選手
- 小野寺祥太 - プロバスケットボール選手
- 加藤誠 - プロレスラー
- 木村正太 - プロ野球選手
- 佐々木貴 - プロレスラー
- 高島覚 - プロ野球選手
- 宮城山福松 - 大相撲力士
- YAMATO - プロレスラー
- 阿部寿樹 - プロ野球選手
- 岩渕麗楽 - プロスノーボーダー(一関市民栄誉賞受賞)
その他
- ケンジ・ステファン・スズキ - 環境活動家
- 佐々木洋平 - 政治家
- 菅原喜重郎 - 政治家
- 高平小五郎 - 外交官
- 山田揆一 - 政治家
一関にゆかりのある有名人
|
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 「日本の道100選」研究会 2002, pp. 28-29.
- ↑ 「日本の道100選」研究会 2002, p. 8.
参考文献
- 「日本の道100選」研究会 『日本の道100選〈新版〉』 国土交通省道路局(監修)、ぎょうせい、2002-06-20、28-29。ISBN 4-324-06810-0。
関連項目
外部リンク
・いちのせき.me https://ichinoseki.me/
- [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト]
- 一関市公式観光サイト いちのせき観光NAVI