蠣崎氏
蠣崎氏(かきざきし)/松前氏(まつまえし)は、戦国時代から蝦夷地を本拠とした大名の氏族。糠部郡蠣崎(青森県むつ市川内町)を領して蠣崎氏を称する家系があり、その子孫との説がある。江戸時代に松前と改姓したが、庶流の中には引き続き蠣崎と名乗る者もいた。本姓は源氏で、清和源氏(河内源氏)義光流で甲斐源氏の庶流と称した。実際には陸奥の土豪が蝦夷へ移住して甲斐源氏武田氏を仮冒したとする説もある。
Contents
蠣崎氏
系譜
下北半島は鎌倉時代以来、津軽安藤氏の支配下にあり、建武元年以後は南部氏の一族が知行していた。その系譜については以下の史料が残っている。
南部史要
『北部御陣日記(東北太平記)』に拠れば、蠣崎氏は八戸根城南部師行の家臣 武田修理太夫信義から五郎信長-信吉-治部丞信道-信純(蠣崎蔵人)と続き、建武年間の頃から5代120年間、むつ市川内町蛎崎に所在した蠣崎城を居城とした。
1448年(文安5年)5月、順法寺城「北部王家[注釈 1]」新田義純一族が蠣崎蔵人の陰謀により殺害されると、13代八戸南部政経は1456年(康正2年)から翌年にかけ蠣崎氏追討を始めた。これに対し、蔵人は松前のアイヌや安東氏・葛西氏の応援を得たが抗しきれず松前に逃げた。(康正の乱)[1]
新羅之記録
『新羅之記録』に拠れば、若狭武田氏の流れを汲む武田信広を祖とする。若狭武田氏当主信賢の子とされる武田信広が宝徳3年(1451年)に若狭から下北半島の蠣崎(むつ市川内町)に移り、その後に北海道に移住してその地を治める豪族となったという。
蝦夷における蠣崎氏
当時道南では蝦夷沙汰代官であった津軽安東氏の統制下にある渡党(一般的には和人と見られているが異論がある)が、それぞれ独立した道南十二館を築き、そこを拠点にアイヌと交易を行っていた。花沢館主蠣崎季繁もその一人にすぎなかった。長禄元年(1457年)、和人とのトラブルを契機としてアイヌのコシャマインを中心とする和人への武装闘争(コシャマインの戦い)が発生すると、12館の内10の館がアイヌに落とされた。激戦の末、蠣崎季繁の客将であった信広が鎮圧したという。これにより、蝦夷地の和人社会において蠣崎氏が優勢となり、支配を確固たるものとした。また、武田信広は蠣崎季繁の婿養子となり、蠣崎氏を継承して蠣崎信広を名乗り、拠点を勝山館に移した。文明7年(1475年)には、樺太アイヌの首長から貢物を献上され、樺太にも影響力を及ぼした。信広の子光広の時代の永正11年(1514年)に松前の徳山館に本拠を移転している。
戦国時代に入ると東北北部から北海道南部に影響力をもっていた主家である檜山安東氏から実質的に自立の傾向を見せる。蠣崎義広の時代にはアイヌの酋長・タリコナを謀殺し、その子の蠣崎季広の時代には13人の娘を安東氏などそれぞれの奥州諸大名に嫁がせて政治的な連携をはかり、戦国大名としての地位を築き上げたという。
信広の活躍を記した『新羅之記録』は松前家臣近藤家に伝来した資料で、寛永20年(1643年)に成立し、松前氏の由緒となる源義光(新羅三郎義光)以来の甲斐源氏の伝統と事跡や信広の事跡が記されている。武田信広は同時代の文書・記録資料が皆無で実在性が不明の人物であるが、若狭武田氏は戦国期に東北・北海道との交易活動を行っており、蠣崎(松前氏)の由緒(信広伝承)は甲斐源氏・武田氏の日本海交易のネットワークを前提に、東北地方の南部氏や浅利氏など甲斐源氏の同族に肩を並べる由緒として仮託されたものであると考えられている[2]。
松前氏
蠣崎季広の子・蠣崎慶広の代には上洛して、天下を平定した豊臣秀吉(関白、太閤)に拝謁することで本領を安堵された。これによって秋田氏(旧・安東氏)から名実ともに独立する事になった。天正19年(1591年)、秀吉の命に応じて九戸政実の乱に多数のアイヌを動員して参陣[注釈 2]。秀吉の死後は徳川家康に接近して慶長4年(1599年)、姓名をアイヌ語「マトマエ」由来の地名である「松前」に因んで松前慶広に改める。その後、慶長8年(1603年)徳川家康は征夷大将軍の宣下を受ける。こうして征夷大将軍のお墨付きを得て松前氏と改めた蠣崎氏は江戸時代を生き抜くことに成功したのである。当初は米が穫れない蝦夷において無石の島主扱いに過ぎなかったが、5代・矩広の代に交代寄合を経て、享保4年(1719年)には大名に昇格し正式に1万石格の松前藩藩主となった。幕末には、藩主の松前崇広が外様大名ながら幕府の老中に取り立てられている。
明治維新以後
明治維新の際に松前家は箱館戦争などで官軍に属して戦うなどしたものの、いまひとつ大きな戦功がなかった。その後も、華族の子爵には列したものの全般的には不遇の時代を送ることが多かった。太平洋戦争時にも当時の当主が陸軍上等兵で出征、戦死するという他家には無い苦難にも見舞われている。現在は神奈川県横浜市に居住している。
系譜
- 太字は当主、実線は実子、点線は養子。
宗家
蠣崎季繁 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信広1 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光広2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
義広3 | 高広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季広4 | 基広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
舜広 | 明石元広 | 松前慶広5 | 正広 | 長広 | 吉広 | 守広 | 員広 | 貞広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[正広系蠣崎家] | [長広系蠣崎家] | [吉広系蠣崎家] | [守広系蠣崎家] | [員広系蠣崎家] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
盛広6 | 忠広 | 利広 | 由広 | 景広 | 安広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[河野氏系松前家] | [松川松前家] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公広7 | 直広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
氏広8 | 泰広 | 広諶 | 幸広 | 玄広 | 本広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[泰広系松前家] | [村上氏系松前家] | [斎藤氏系松前家] | [忠広系松前家] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高広9 | 邦広11 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
矩広10 | 伊沢忠広 | 資広12 | 柳生俊則 | 広保 | 広長 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
周広 | 富広 | 方広 | 道広13 | 池田頼完 | 勝田武広 | 蛎崎広文 | 蠣崎波響 | 古田信真 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
章広14 | 蠣崎広匡 | 杉村治義 | 広純 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
見広 | 広経 | 崇広17 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
良広15 | 昌広16 | 隆広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳広18 | 靖広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
修広19 | 宣広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
勝広20 | 興広 | 亮広 | 俊広 | 福広 | 慶広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正広21 | 之広22 | 直広 | 孝広23 | 賀広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蠣崎姓庶流
蠣崎季広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[正広系蠣崎家] 正広 | [長広系蠣崎家] 長広 | [守広系蠣崎家] 守広 | [員広系蠣崎家] 員広 | 貞広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞広 | 資広 | 友広 | 種広 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利広 | 知広 | 家広 | 広隆 | 広明 | 清広[注釈 3] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広林 | 広政 | 広光 | 広武 | 成頼 | 某 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広久 | 広久 | 栄広 | 広栄 | 広清[注釈 4] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広賢 | 下国要季 | 宗広 | 広重 | 広豊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広命 | 広休 | 広房 | 広近 | 下国季岑 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広匡[注釈 5] | 広顕 | 広常 | 広虎[注釈 6] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広甫 | 長敦 | 右狩 | 広文[注釈 7] | 広経 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広為 | 長栄 | 守道 | 継晃 | 広文[注釈 8] | 総族[注釈 9] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
熊太郎 | 長久 | 広鄰 | 敏四郎[注釈 10] | 広備 | 清彦 | 田村俊吉 | 鐘五郎 | 勇造 | 総宇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
長政 | 勇造 | 鐘五郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広良 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蠣崎季広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[吉広系蠣崎家] 吉広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
重広 | [次広系蠣崎家] 次広 | 清広 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元広 | 則重 | 敷広 | 茂広 | [広次系松前家] 松前広次 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実広 | 詮貞 | 宗儀 | 広光 | 広長 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吉次 | 泰重 | 宗時 | 広当 | 広久 | 青木正之 | 小西正元 | 広行 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広昌 | 賢中 | 広重 | 広武 | 広行 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
好昌 | 則賢 | 広保 | 波響[注釈 11] | 具具[注釈 12] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
好方 | 則賢 | 時敷 | 波鶩 | 広配[注釈 13] | 広実 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
好重 | 則虎 | 敷義 | 広明 | 松前崇效 | 伴茂[注釈 14] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吉包 | 賢貞 | 啓次郎 | 広興 | 広興 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広雅 | 広之 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広胖 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広親 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
俊広[注釈 15] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
松前姓庶流
別姓松前家
蒋土季成 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
女 | 蠣崎義広 | 河野季通 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
村上季儀 | 季広 | 女 | 斎藤実繁1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
忠儀 | 直儀 | 女 | 松前慶広 | 女 | 直政2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[村上氏系松前家] 松前広諶1 | 盛広 | [河野氏系松前家] 景広1[注釈 22] | [斎藤氏系松前家] 幸広3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広時2 | 公広 | 高橋季信[注釈 23] | 広維3 | 宣広2 | (2代略) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広孝3 | 厚谷政寅 | [村上氏系松前家] 広諶 | [斎藤氏系松前家] 幸広 | 広保4 | 元広5 | 広継6 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広行4 | 広通 | 酒井好庸 | 蠣崎広林 | 広侯6 | 広森 | 広道7 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広長5[注釈 24] | 広通7 | 広政8 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広英6 | 和田精維 | 広雅 | 広寛8 | 広純9[注釈 25] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広雅7 | 広亮 | [岡本甚蔵家] 岡本政善 | 村上則英 | 広典9 | 広重10 | 新井田玄蕃備寿 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広亮8 | [岡本時蔵家] 岡本長義 | 広休 | 北見政庸 | 広昭10 | 崇效11[注釈 26] | 斎藤帯刀 | 隼人備寿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広休9 | 村上延雄 | 広房11 | 富之助12 | 備栄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広庸10 | 柴田儀休 | 柴田元恵 | 広経12[注釈 27] | 松前富之助 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広愛11 | 岡本豊治 | 福島厳常 | 福原英六郎 | 間部鉄雄 | 広通13 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
注釈
- ↑ 根城南部6代信政が1347年(貞和3年:正平2年)吉野行宮に参内した際、後村上天皇の聖旨により、鶴ヶ崎山順法寺(むつ市城ヶ沢)の地に「順法寺城」を築城し、後醍醐天皇の皇孫「従三位民部卿・源良尹(ながただ)」を北部王として立て、宇曾利郷(下北半島)に下向し、順法寺城主として田名部一円の経営を行ない繁栄した。
- ↑ 後世の資料である『松前家記』(『福島町史』所収)には、アイヌ民族を率いて参陣したとの記載がある(「其矢ニ中ル者微傷と雖斃レサルナシ、 賊兵之が爲ニ大ニ困シム」)。
- ↑ 吉広系蠣崎家・吉広の3男。
- ↑ 佐藤右衛門の子。
- ↑ 宗家(藩主)・道広の3男。
- ↑ 下国季寿の3男。
- ↑ 宗家(藩主)・資広の4男。
- ↑ 酒井采女の子。
- ↑ 村井成右衛門の1男。
- ↑ 斎藤系松前家・崇效の4男。
- ↑ 宗家(藩主)・資広の5男。
- ↑ 服部保高の2男。
- ↑ 旗本・浅野長延の5男。
- ↑ 下国季鄰の4男。
- ↑ 宗家・修広の4男。
- ↑ 松前藩主家相続
- ↑ 本広系松前家・広屯の6男。
- ↑ 旗本・北条氏平の2男。
- ↑ 大竹信延の3男
- ↑ 安部信方の3男。
- ↑ 山口権左衛門の子。
- ↑ 河野季通の名跡を継ぐ。
- ↑ 蒋土季成の名跡を再興、高橋姓に改姓。
- ↑ 宗家(藩主)・邦広の5男。
- ↑ 宗家(藩主)・道広の5男。
- ↑ 次広系蠣崎家・広伴の2男。
- ↑ 宗家(藩主)・章広の5男。
出典
参考文献
- 岩手県編纂 『岩手県史』第12巻 年表、森嘉兵衛監修・校閲、杜陵印刷、1966-11-1。全国書誌番号:50005776。OCLC 68201414。
- 岩手放送 『新版 岩手百科事典』 岩手放送株式会社、1988-10-15。
- 太田亮、国立国会図書館デジタルコレクション 「蠣崎 カキサキ」 『姓氏家系大辞典』第1巻、上田萬年、三上参次監修 姓氏家系大辞典刊行会、1934年、1419-1421頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 2 青森県』 角川書店、1985-12-1。ISBN 4-04-001020-5。
- 川内町史編さん委員会編 『川内町史』5 原始・古代 中世 近世編、川内町、2005-3-13。
- 菊池悟郎編集 『国立国会図書館デジタルコレクション 南部史要 : 全』 菊池悟郎出版、1911-8-28。全国書誌番号:40007368。
- 松前町史編集室編 『松前町史』史料編 第1巻、松前町、1974-12。全国書誌番号:73021677。OCLC 61183638。
- むつ市史編さん委員会編 『むつ市史』年表 編、むつ市、1988-2-20。全国書誌番号:89017266。OCLC 630835506。
- むつ市史編さん委員会編 『むつ市史』近世 編、むつ市、1988-3-31。全国書誌番号:88029029。OCLC 757172585。
関連項目
外部リンク
- 北海道松前郡福島町 (日本語)
- (福島町)福島町史 通説編 (日本語)