長崎県

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ながさきけん
長崎県
地方 九州地方
団体コード 42000-0
ISO 3166-2:JP JP-42
面積 4,130.88km2
総人口 1,341,702
推計人口、2018年7月1日)
人口密度 325人/km2
隣接都道府県 佐賀県熊本県
県の木 ヒノキツバキ
県の花 雲仙ツツジ
県の鳥 オシドリ
他のシンボル 県の歌:南の風(1961年制定)
県の獣:九州シカ
県の魚(春):タイイカアマダイ
県の魚(夏):アジイサキアワビ
県の魚(秋):サバトビウオヒラメ
県の魚(冬):ブリイワシフグ
長崎県庁
所在地 850-8570
長崎県長崎市尾上町3番1号
北緯32度44分41.4秒東経129度52分25.4秒
長崎県庁
外部リンク 長崎県
長崎県の位置

長崎県行政区画図

― 市 / ― 町

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長崎県(ながさきけん)は、日本九州地方北西端に位置するである。県庁所在地長崎市

五島列島壱岐島対馬など、数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られる。また、多島であるうえにリアス式海岸を多く擁することから、海岸線の長さは47都道府県中第2位もしくは第1位である(※地形」節にて詳説)。

名称

「長崎」という地名の由来は次のように長崎氏よりといわれている。長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られる。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説と、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の筆頭御内人である桓武平氏長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説がある。少なくとも長崎小太郎重綱なる人物が、鎌倉初期の嘉禎3年(1237年)ごろには、長埼浦の地頭職を知行する御家人であったことが判明しており、南北朝期以降、長崎氏は桜馬場城(鶴城)に拠り、次第に勢力を拡大していった。 また、その他にも俗説として「訛り」に基づく言い伝えがある。地元では野母崎半島を「長い岬」と称していたが、長崎弁では「長か岬(ながか・みさき)」となり、さらにこれが「なんか・みさき」と転訛し、この語が約まって「長崎」になった、というものである。

地理・地域

地形

東に佐賀県と隣接する他は、周囲を海に囲まれている。対馬壱岐五島列島などの島嶼が971あり、その数は日本一である。また、海岸線の長さは4,137キロメートル (km) であり、北海道に次いで国内2位である(北方領土を除いた場合には1位となる)。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長大であるのは、島嶼が非常に多いことに加え、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるためである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の港湾が点在しており、その数は国内の7.4%に及ぶ。なお、長崎県内には海岸線からの距離が15 km以上の地点はない。

長崎県の主な地形

自然公園

気候

南西方向から暖流の対馬海流が流入してくるため、全般的には気候は温暖で、寒暖差も小さい。しかしながら、大陸に近いために寒波の影響を受けやすく、平年を大きく下回るほどに寒さが厳しくなることもあり、真冬日が観測されることもある。冬場は東シナ海側を中心に曇りがちの天気になることが多く、時雨を降らせることがある。積雪することは少ないが、すぐ西側は東シナ海なので季節風の風向によっては、雪雲が遮られずに供給されることにより、大雪となることがある。特に2001年(平成13年)1月16日には長崎市で14cmの積雪を観測し、さらに2016年(平成28年)1月24日には17cmの積雪を記録し[2]、県内各地で大雪となった。しかし、九州地方最北端の対馬では朝鮮半島のすぐ南側に位置するため、東シナ海で発生した雪雲は朝鮮半島に遮られる上、朝鮮半島との海上区間はわずか50km程と極端に短いため雪雲は発達せず、降雪日は多いものの積雪することは稀である。

生物的見地から見ると、各地の海岸に見られるアコウなどの亜熱帯性植物は温暖な気候を反映している。他にも大陸に近いためツシマヤマネコムツゴロウなどの大陸系遺存種が多いこと、各地の離島で多くの亜種変種が確認されていることなども特徴である。

島原半島活火山地帯で温泉が多いが、1990年平成2年) - 1995年(平成7年)の雲仙・普賢岳の噴火は島原市深江町を中心に大きな被害をもたらした。また、東シナ海に突き出しているため、台風の上陸数も多く、長崎県に限らず、日本列島に大災害をもたらした台風9号(1970年、長崎市)、台風17号(1976年、長崎市)台風17号(1991年、長崎市)台風19号(1991年、佐世保市)台風18号(2004年、長崎市)台風14号(2005年、諫早市)台風13号(2006年、佐世保市)などの台風が上陸している。

長崎県各地の平年値(統計期間:1971年 - 2000年、出典:気象庁・気象統計情報
平年値
(月単位)
北部 南部
平戸 松浦 佐世保 西海市
大瀬戸
大村 長崎 長崎市
野母崎
南島原市
口之津
島原 雲仙市
雲仙岳
平均
気温
(°C)
最暖月 26.0
(8月)
27.4
(8月)
26.3
(8月)
27.6
(8月)
26.1
(8月)
27.3
(8月)
22.8
(8月)
最寒月 6.6
(1月)
6.6
(1月)
7.2
(1月)
6.8
(1月)
7.2
(1月)
6.8
(1月)
2.0
(1月)
降水量
(mm)
最多月 346.9
(7月)
347.8
(6月)
299.9
(6月)
345.2
(7月)
360.7
(6月)
314.3
(6月)
353.4
(6月)
573.5
(6月)
最少月 64.1
(12月)
54.3
(12月)
49.6
(12月)
45.8
(12月)
57.3
(12月)
47.5
(12月)
44.2
(12月)
78.0
(12月)
平年値
(月単位)
対馬 壱岐 五島列島
対馬市
鰐浦
対馬市
美津島
対馬市
厳原
壱岐市
芦辺
壱岐市
石田
小値賀 新上五島町
頭ヶ島
新上五島町
有川
五島市
福江
五島市
上大津
平均
気温
(°C)
最暖月 25.8
(8月)
25.7
(8月)
26.7
(8月)
最寒月 5.5
(1月)
5.9
(1月)
7.3
(1月)
降水量
(mm)
最多月 323.4
(6月)
303.2
(9月)
368.5
(6月)
最少月 56.2
(12月)
55.7
(12月)
82.0
(12月)

地域区分

長崎県による地域区分 では、長崎地域、県北地域 、県央地域、島原地域、五島地域、壱岐地域 、対馬地域の7つの地域に分けられる。自治体は13市4郡8町がある。「町」の読みは、すべて「ちょう」。2000年(平成12年)の段階では79もの市町村があったが、平成の大合併で2010年(平成22年)4月までに21市町となっている。村は2005年(平成17年)10月1日大島村の合併に伴って消滅している。

長崎地域
県北地域
県央地域
島原地域
五島地域
壱岐地域
対馬地域

平成の大合併で消滅した自治体

本項では記事がある市町村のみを掲載。記事がないものについては、長崎県の廃止市町村一覧を参照。

消滅した市・郡
  • 諫早市になった町(4町すべて)
  • 雲仙市になった町(7町)
  • 島原市になった町(1町)
  • 南島原市になった町(8町)
  • 上県郡 - 3町すべて対馬市となった
  • 下県郡 - 3町すべてが対馬市となった
  • 壱岐郡 - 4町すべてが壱岐市となった
町村が減少したが、存続している郡
  • 西彼杵郡 - 15町から2町へ減少(現在 時津町と長与町の2町のみ)
  • 長崎市になった町(7町)
  • 諫早市になった町(1町)
  • 西海市になった町(5町)
  • 北松浦郡 - 12町1村から2町へ減少(現在 小値賀町と佐々町の2町のみ。)
  • 佐世保市になった町(6町)
  • 平戸市になった町村(2町1村)
  • 松浦市になった町(2町)
  • 南松浦郡 - 10町から1町へ減少(現在 新上五島町の1町のみ)
  • 五島市になった町(5町)
  • 新上五島町になった町(5町)

地名

長崎県内には、対馬を除く地域において市町村下の地名の末尾に付する独特の単位が複数存在する。壱岐島では農村集落で「○○触(ふれ)」、漁村集落で「○○浦(うら)」、壱岐を除く旧平戸藩領では「○○免(めん)」、旧大村藩領および五島列島では「○○郷(ごう)」、旧佐賀藩領および旧島原藩領では「○○名(みょう)」が付く。
これらの単位の中には市町村合併などで町名の変更があった際に削除されるものも多いが、現在も市町村下の行政区画単位として一部の地域で使われ続けている。

市町村の人口と面積

市町村 面積(km2 人口(人) 人口密度
(人/km2
1 長崎市 405.86 417,509 1,029
2 佐世保市 426.06 250,097 587
3 島原市 82.97 44,001 530
4 諫早市 341.79 135,546 397
5 大村市 126.64 94,192 744
6 平戸市 235.09 30,279 129
7 松浦市 130.55 22,346 171
8 対馬市 707.42 29,944 42
9 壱岐市 139.42 25,901 186
10 五島市 420.10 35,501 85
11 西海市 241.59 27,346 113
12 雲仙市 214.31 42,477 198
13 南島原市 170.11 44,002 259
14 長与町 28.73 41,954 1,460
15 時津町 20.94 29,736 1,420
16 東彼杵町 74.28 7,947 107
17 川棚町 37.25 13,680 367
18 波佐見町 56.00 14,616 261
19 小値賀町 25.52 2,402 94
20 佐々町 32.27 13,739 426
21 新上五島町 213.99 18,487 86
1 西彼杵郡 49.58 72,382 1,460
2 東彼杵郡 167.47 37,835 226
3 北松浦郡 57.76 16,217 281
4 南松浦郡 213.98 20,725 97
0 長崎県 4,130.88 1,341,702 325

人口は2013年6月1日現在。

歴史

古くは肥前国佐賀県と、壱岐・対馬を除く長崎県全域)、対馬国壱岐国に分かれていたが、肥前の国府は佐賀県の佐賀市旧大和町)にあった。

先史

旧石器時代

現在の佐世保市に当たる地域からは、福井洞窟泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも日本の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。2003年平成15年)12月には、平戸市入口遺跡で10万年前の土層から旧石器が見つかり、古くから人が居住していた可能性が考えられる。

縄文時代

縄文時代の遺跡として有名なのが、南島原市(旧南高来郡北有馬町)の原山支石墓群である。そのほか、有喜貝塚、佐賀貝塚、白浜貝塚などが発見されている。

弥生時代

弥生時代の遺跡としては、『魏志倭人伝』に登場する「一支国」と見られる原の辻遺跡は現在の壱岐市芦辺町、石田町にあり、日本の特別史跡に指定されている。また里田原遺跡が発見されており、当時の農業技術を知る上で重要なものの1つである。またこのほか、弥生時代の鉄剣が出土した富の原遺跡(大村市)、塔の首遺跡、日本最古のネコの骨が出土したカラカミ遺跡(壱岐市)などがある。

古墳時代

県内の古墳の数は500を超え、その大半は壱岐に存在し壱岐古墳群として日本の史跡に指定されている。古墳時代初期の古墳としては、対馬市の出居塚古墳根曽古墳群がある。後期に入ると、大規模な古墳が多くなる。その代表としては壱岐市の鬼の窟古墳があり、これは県内最大の円墳である。このほかには双六古墳(これは県内最大の前方後円墳である)、矢立山古墳群曲崎古墳群がある。

飛鳥時代

倭国が朝鮮半島での白村江の戦いに敗れたため、664年に対馬・壱岐などに防人烽(とぶひ)を置き、唐や新羅からの侵攻に備えた。667年には対馬に金田城が築かれた。

奈良・平安時代

小野妹子をはじめとする遣隋使遣唐使は、日本の最西北である壱岐や対馬、五島を経由し、朝鮮半島や中国に渡っていた。五島列島遣唐使南路の出発地として有名である。万葉集には関連した歌が数多く残されている。日本最後の寄港地であった、現在の三井楽町柏崎には、空海の「辞本涯の碑」が建てられている。

12世紀のはじめに入ると、平家の西日本への進出が進み、肥前国の松浦党や九州の武士の多くは平家方につき、松浦党は壇ノ浦の戦いにおいても平家方の水軍として戦った。

中世

中世には松浦党などの海賊衆水軍)が興り、対馬を含め各地が倭寇の根拠地となった。

1274年(文永11年)(文永の役)、1281年(弘安4年)(弘安の役)の元寇では対馬、壱岐、鷹島高麗軍が襲来したが、「神風」(大型台風)が九州を襲い元軍が退却したのはこれらの島々が破壊しつくされた後であり、これらの島々に神風の恩恵は全く無かった。

室町時代に入り、1419年には応永の外寇1507年には五島で玉之浦納の反乱が起こっている。

1550年には、ポルトガル船が平戸に来航した。これを知ったフランシスコ・ザビエルは鹿児島を出発し平戸を訪れ、布教を開始した。貿易都市となった平戸であったが、1561年に起きた宮ノ前事件によりポルトガル船は横瀬浦港(現在の西海市)に入港するようになった。ところが2年後の1563年、横瀬浦は武雄領主後藤貴明の焼き討ちに合い、壊滅。ポルトガル船は再び平戸に戻った。しかし、イエズス会宣教師コスメ・デ・トーレスの意向により、今度は大村領の福田浦(現在の長崎市)に入港することになった。この間、大村純忠はキリスト教の洗礼を受け、初のキリシタン大名となっている。1567年には、ポルトガル船が有馬領の口之津港に入港し、後にセミナリヨが建てられるなど、有馬は九州におけるキリスト教布教の拠点となっていった。大村純忠の兄である有馬義貞も口之津で洗礼を受けている。大村純忠は、ポルトガル貿易を自分の領地で行えるよう働きかけを行い、1571年に貿易港が口之津から長崎に移された。1580年には長崎をイエズス会に寄進した。1582年には天正遣欧少年使節が長崎港を出発し、スペイン、イタリア、ポルトガルを訪問した。

1588年、豊臣秀吉が長崎などを直轄地とした。2年後には天正遣欧少年使節が長崎に戻り、秀吉に謁見している。1592年には文禄・慶長の役により、松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵している。南蛮貿易を継続させたい意向もあり、強硬な禁教は行っていなかった秀吉であったが、すでにバテレン追放令が出されており、1597年には長崎西坂でカトリック信者26人が処刑されている。二十六聖人という。

近世

17世紀にはいるとオランダ東インド会社イギリス東インド会社が相継いで平戸に商館を開設している。江戸時代の長崎県は佐賀藩島原藩(島原半島)、大村藩(彼杵地方)、平戸藩(松浦半島・平戸島・壱岐)、平戸新田藩福江藩(五島列島)、対馬府中藩(対馬)、佐賀藩家老の諫早陣屋、交代寄合の五島家の富江陣屋、天領(長崎)に分かれる。江戸幕府鎖国方針により、ポルトガル人は長崎から追放され、1641年にオランダ商館が出島に移った。中国商船の長崎来航も認められており、長崎は鎖国下の日本では数少ない国際貿易港となった。また、対馬藩は幕府から李氏朝鮮との国交の実務を委任される傍ら朝鮮との貿易を公認され、釜山倭館を置いてこれらの業務を行っていた。このように、今の長崎県域には、鎖国時にも幕府公認で海外へ開かれていた港が2箇所存在した。なお、鎖国下における江戸幕府公認の国際貿易港は上記2港のみである。

1637年島原の乱が起こった土地だけに江戸期を通じて隠れキリシタンが多く存在した(壱岐・対馬を除く)。現在でも、人口に対するキリスト教信者の割合が日本の他地域と比べて多い地域[3] となっている。しかし、第二次世界大戦中に投下された原子爆弾は教会(浦上教会)のすぐ近くに落ち、原爆落下当日は教会で8月15日の聖母の被昇天の祝日に向けて「ゆるしの秘跡」が行われていた為、司祭をはじめ教会内にいた信徒全員が死亡し、その他にも多数の信徒が犠牲になったことなどから、信仰に悩みを持ったままの人や棄教した人も多く存在する。2013年現在でも、爆心地跡には教会の残骸が一部だけ保存されている。

近代以降

幕末の長崎港開港によって各国商船が来航し、長崎は国際貿易港として更に発展を遂げる事となった。それまでは遠国奉行首座たる長崎奉行が治めていた長崎であったが、「鳥羽・伏見の戦い」に於ける幕府軍敗戦の報を聞いた長崎奉行河津祐邦慶応4年(1868年)1月15日早朝に長崎を船で脱出。これを受けて、長崎詰めの各藩士や長崎の地役人達の間に協議が行われ、政府から責任者が派遣されるまでの間の暫定協議体として「長崎会議所」の設置が決定され、長崎奉行所西役所がその役所とされた。

江戸幕府崩壊後の慶応4年(1868年)2月2日には澤宣嘉を総督に長崎裁判所が、5月4日には沢を府知事に長崎府が設置され、肥前国松浦郡5村・彼杵郡6村・高来郡5村、筑後国三池郡12村、肥後国天草郡89村の幕府領および肥後国松浦郡の旗本領5村を管轄。明治2年(1869年)6月20日にはこれが長崎県へと改められ、旧肥前国域は明治4年(1871年)の第1次府県統合の際に長崎県と伊万里県(現佐賀県)とに分立した。その後、佐賀県の統廃合の影響で徐々に長崎県の県域は拡大し、1874年(明治7年)の佐賀の乱後には、政府による懲罰によって佐賀県全域が長崎県に併合されることとなる。1883年(明治16年)、佐賀県の復県によって10の郡が長崎県より分離し、おおよその現在の長崎県が成立した。

なお、天草諸島は一時、富岡県(のち天草県に改称)に移管されたのち、いったん長崎府に復帰し、第1次府県統合で八代県(現・熊本県)に移管された。

佐世保は日本海軍の大規模な軍港となり、長崎では戦艦武蔵が建造されるなど造船が発達した。第二次世界大戦末期、1945年(昭和20年)6月29日(未明)に佐世保大空襲があり、1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分 (JST) 米国陸軍爆撃機B-29ボックスカーによって長崎市に原子爆弾が投下され、広島市とともに原爆被災地となった。

人口

ファイル:Growth rate map of municipalities of Nagasaki prefecture, Japan.svg
長崎県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)
増加
  2.5 - 4.99 %
  0.0 - 2.49 %
減少
  0.0 - 2.5 %
  2.5 - 5.0 %
  5.0 - 7.5 %
  7.5 - 10.0 %
  10.0 % 以上
長崎県(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

政治・行政

歴代知事(公選)

氏名 就任期間
初代 杉山宗次郎 1947年昭和22年)4月16日 - 1951年(昭和26年)4月4日まで1期4年
2 - 3代 西岡竹次郎 1951年(昭和26年)5月6日 - 1958年(昭和33年)1月14日まで2期7年
4 - 6代 佐藤勝也 1958年(昭和33年)3月2日 - 1970年(昭和45年)3月6日まで3期12年
7 - 9代 久保勘一 1970年(昭和45年)3月2日 - 1982年(昭和57年)3月1日まで3期12年
10 - 13代 高田勇 1982年(昭和57年)3月2日 - 1998年(平成10年)3月1日まで4期16年
14 - 16代 金子原二郎 1998年平成10年)3月2日 - 2010年(平成22年)3月1日まで3期12年
17代(現職) 中村法道 2010年(平成22年)3月2日 - 2期目

組織

参照: 長崎県庁

財政

2012年度(平成24年度)

  • 標準財政規模 3834億859万円
  • 財政力指数 0.29(都道府県平均 0.46)
    • 財政力指数が0.3未満のEグループ(11自治体)に分類されている
  • 経常収支比率 96.2%(都道府県平均 94.6%)
    • 財政の硬直化が進んでいることを示す指標である
  • 将来負担比率 192.1%(都道府県平均 210.5%)
  • 実質公債費比率 14.3%(都道府県平均 13.7%)
  • 人口100,000人当たりの職員数 1,417.81人(都道府県平均 1,110.90人)
  • ラスパイレス指数 107.3(都道府県平均 107.4)

地方債残高

  • 普通会計分の地方債現在高 1兆2235億3900万円
  • 上記以外の特別会計分の地方債(企業債)現在高 184億8900万円

2011年度(平成23年度)

  • 財政力指数 0.29(都道府県平均0.47)

離島行政

五島、壱岐、対馬には県の出先機関として支庁を設置していたが、2003年(平成15年)に地方局に再編された後、2009年(平成21年)からは本土と同様の振興局となっている。

経済・産業

産業

平成20年度(2008年 - 2009年)の県内総生産は4兆3109億円である[4]。これは世界の過半数の国の国内総生産 (GDP) よりも規模が大きい[5]。県民所得は3兆1070億円であり、一人当たり県民所得は215.7万円である。

県庁所在地長崎市は歴史を誇る港湾都市で、観光客が多い。戦艦武蔵を建造した造船の町でもある。

県第2の市である佐世保市は昔からの軍港があり、現在も海上自衛隊米第7艦隊の基地があるほか、陸上自衛隊も駐屯している。また、南部にはヨーロッパの町並みを模した観光施設ハウステンボスがあり、韓国台湾からの観光客も多い。

その他の地域もかつては炭鉱、底曳き網などの漁業基地、宝石サンゴ漁などにより繁栄したが、1970年代頃からそれらの産業が徐々に振るわなくなり、過疎化が進んだ。2000年代となっても過疎化は進行中で、産業の振興が重要課題となっている。

なお、壱岐・対馬地区は経済圏としては長崎や佐世保ではなく福岡に属する。

県内に拠点事業所を置く企業

産学官連携への取り組み

2010年11月30日、産学官関係団体の連携を強化し、産学官の研究開発等を推進することにより、持続的・発展的にイノベーションを創出するシステムを構築し、科学技術による産業振興及び県民生活の向上に寄与することを目的として、長崎“新生”産学官連携コンソーシアム(通称NRC:Nagasaki Renaissance Consortium)が設立された。会長は長崎県知事、副会長は長崎大学[6][7]

生活・交通

治安・防衛

海上保安庁

第七管区海上保安本部
  • 長崎海上保安部(長崎市
    • 五島海上保安署(五島市)
  • 佐世保海上保安部(佐世保市)
  • 対馬海上保安部(対馬市)
    • 比田勝海上保安署(対馬市)
  • (唐津海上保安部)(佐賀県唐津市
    • 壱岐海上保安署(壱岐市)

警察

  • 長崎県警察
    • 警察署数 - 23
      • 交番数 - 73
      • 警察官駐在所数 - 127
2011年(平成23年)4月現在)

交通

航空

空港
2012年度旅客数[8]
空港 旅客合計 国内線 国際線
旅客数 定期便 旅客数 定期便
長崎 2,726,929人 2,695,339人 県外
東京中部大阪
鹿児島那覇
31,590人 ソウル上海
県内 対馬・福江・壱岐
対馬 253,367人 251,183人 県外 福岡 2,184人 -
県内 長崎
福江 127,594人 127,594人 県外 関西)・福岡 0人 -
県内 長崎
壱岐 31,767人 31,767人 県内 長崎 0人 -
上五島 4,702人 4,702人 県内 - 0人 -
小値賀 0人 0人 県内 - 0人 -
  • チャーター便の旅客数含む
  • 定期便就航地は2007年現在(上五島・小値賀両空港への定期便は2006年(平成18年)3月31日限りで全廃)
  • 括弧書きは季節運航を示す
  • 三大都市圏への便は太字

鉄道・軌道

長崎県内で旅客輸送を行っている鉄道軌道は以下の通り。

乗合バス事業者

道路

高速有料道路
一般国道
2011年(平成23年)現在、警察庁JAFが毎年10月に合同で行っている「シートベルト着用率調査」による一般道でのシートベルト着用率は長崎県が近年連続して国内1位である。

船舶航路

長崎市
西彼杵郡
  • 長崎空港(大村市) - 時津(時津町)(安田産業汽船)
  • 長崎空港 - 長与港(長与町)(大村湾観光汽船
佐世保市
  • 長崎空港 - ハウステンボス(佐世保市)(安田産業汽船)
  • 相浦(佐世保市) - 高島(佐世保市) - 黒島(佐世保市)(黒島旅客船
  • 宇久島・小値賀島への航路は下記の五島列島を参考
  • 西海市への航路は下記の西海市を参考
  • 平戸市への航路は下記の平戸市を参考
西海市
  • 佐世保 - 寄船(西海市) - 横瀬西(西海市) - 横瀬東(西海市) - 小郡(西海市) - 畑下(西海市) - 川内(西海市)(瀬川汽船
  • 佐世保 - 崎戸(西海市) - 江島(西海市) - 平島(西海市) - 友住(新上五島町)(崎戸商船
平戸市
松浦市
  • 今福(松浦市) - 飛島(松浦市) - 殿ノ浦(松浦市)(鷹島汽船
  • 御厨(松浦市) - 青島(松浦市) - 船唐津(松浦市) - 黒島(松浦市) - 阿翁(松浦市)(鷹島汽船)
  • 福島(松浦市) - 浦ノ崎(佐賀県伊万里市)(金子廻漕店)
島原半島
五島列島
  • 長崎(長崎市) - 奈良尾(新上五島町) - 奈留(五島市) - 福江(五島市)(九州商船)
  • 長崎 - 福江(五島市)(五島汽船
  • 長崎 - 鯛の浦(新上五島町)(五島産業汽船)
  • 佐世保(佐世保市) - 有川(新上五島町)(九州商船、五島産業汽船、美咲海送
  • 佐世保 - 宇久(佐世保市) - 小値賀(小値賀町)(九州商船)
  • 福江 - 青方(新上五島町) - 小値賀 - 宇久 - 博多(福岡県福岡市)(野母商船
  • 福江 - 奈留 - 土井ノ浦(新上五島町) - 郷ノ首(新上五島町)(五島旅客船
  • 福江・奥浦(五島市) - 田ノ浦(五島市)(木口汽船
壱岐市・対馬市
  • 比田勝(対馬市) - 厳原(対馬市) - 芦辺(壱岐市)/郷ノ浦(壱岐市) - 博多埠頭(福岡県福岡市)(九州郵船
  • 厳原 - 芦辺/郷ノ浦 - 博多埠頭(九州郵船)
  • 厳原 - 芦辺 - 天神北(福岡県福岡市)(壱岐・対馬フェリー)
  • 印通寺(壱岐市) - 唐津東(佐賀県唐津市)(九州郵船)
  • 印通寺 - 呼子(佐賀県唐津市)(壱岐・対馬フェリー)
  • 郷ノ浦 - 渡良浦(壱岐市) - 原島(壱岐市) - 長島(壱岐市) - 大島(壱岐市)(壱岐市観光商工企業課)
  • 比田勝 - 博多埠頭(九州郵船)
  • 厳原/比田勝 - プサン(韓国釜山)(大亜高速海運JR九州高速船未来高速
廃止された航路

医療・福祉

災害拠点病院

教育

大学

国立(1大学)

県立(1大学)

私立(6大学)

短期大学

私立(2大学)

高等専門学校

国立

短期大学同等

県立

高等学校同等

国立

特別支援学校
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
保育所

マスメディア

新聞社

フリーペーパー

  • フリーGOTO

放送局

テレビ

開局順に表記。(チャンネルは地上デジタル放送のもの)

放送局名 開局日 チャンネル
NHK長崎放送局 1933年昭和8年)9月20日 総合1ch/教育2ch(現在Eテレ)
長崎放送(NBC、JNN系列) 1959年(昭和34年)1月1日 3ch
テレビ長崎(KTN、FNSFNN系列) 1969年(昭和44年)4月1日 8ch
長崎文化放送(NCC、ANN系列) 1990年平成2年)4月1日 5ch
長崎国際テレビ(NIB、NNSNNN系列) 1991年(平成3年)4月1日 4ch
地上デジタル放送の整備
  • 2006年(平成18年)12月 - 稲佐山(長崎市)の親局から本放送を開始
  • 2007年(平成19年)- 烏帽子岳(佐世保市)・五家原岳(諫早市)から送信を開始し、3送信所体制となる
  • 2011年(平成23年)
    • 1月24日 - 対馬のうち厳原中継局を除く5中継局が、半年早く終了[9]
    • 7月24日 - 長崎県すべての地域で終了

ケーブルテレビ

ラジオ

長崎県全域
コミュニティ放送
外国関係

文化・スポーツ

方言

食文化

郷土料理
料理・加工食品
水産品
農産品

伝統工芸

経済産業大臣指定伝統的工芸品
伝統工芸品

スポーツ

スポーツ施設

2020年夏季オリンピック誘致関係

当初は広島市長崎市共催での五輪開催を提案するも国際オリンピック委員会が共催不可とする判断から長崎市が招致断念。その後広島市単独で招致を目指したが、ヒロシマ五輪反対派が広島市長に当選したことや東日本大震災後の世相から広島市も招致を断念した。

観光

長崎県の観光地」も参照

世界遺産

明治日本の産業革命遺産

有形文化財建造物

国宝
重要伝統的建造物群保存地区
その他主な観光地

長崎県を舞台とした作品

映画・テレビドラマ
歌劇
戯曲
楽曲
小説・紀行・随筆
詩集
  • 山田かん『山田かん詩集』など
  • 詩・福田須磨子、下田秀枝、筒井茅乃、香月クニ子、朗読 吉永小百合『第二楽章 長崎から』1999
歌集・句集
漫画
アニメ
ゲーム
体操

長崎県出身の人物

脚注

注釈

  1. 基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. . 2016閲覧. “基準点コード TR35129211801”
  2. 平成28年三角点標高成果の改定に伴う標高変更で649 mから648 mと1 m低くなった[1]。なお、山頂にある三等水準点の標高は648.40 m[* 1]

出典

関連項目

外部リンク

行政
観光
先代:
長崎奉行

天草県(いったん分離後復帰)


平戸県福江県大村県島原県


佐賀県(第2次)

行政区の変遷
1871年 - (長崎裁判所→長崎府→長崎県)
次代:
-----

八代県肥前国天草郡


佐賀県(第3次)