横須賀・総武快速線

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横須賀・総武快速線(よこすか・そうぶかいそくせん)は、神奈川県横須賀市久里浜駅から千葉県千葉市千葉駅までを、東京都千代田区東京駅経由で結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の運転系統名称である[1]。正式路線名称は久里浜駅 - 大船駅間が横須賀線、大船駅 - 東京駅間が東海道本線、東京駅 - 千葉駅間が総武本線である[1]駅ナンバリングで使われる路線記号はJO。一部の列車は千葉駅から総武本線成東駅内房線君津駅外房線上総一ノ宮駅成田線成田空港駅鹿島線鹿島神宮駅まで乗り入れている[2]

本稿では、通勤五方面作戦と総称された、混雑緩和プロジェクトの一環として、1972年(昭和47年)7月15日に完成した総武本線の錦糸町駅 - 津田沼駅間複々線化及び1980年(昭和55年)10月1日に開始した通称SM分離MS分離とも呼ぶ[3][注 1])またはSF直結[4][5](以下本稿では前者の〝SM分離〟と表記)と呼ばれる横須賀線と総武快速線の相互直通運転の前後から、これ以降に一体となって運用された列車や車両、運行形態などを記述する。

概要

横須賀・総武快速線は、東京地区の電車特定区間E電)の路線・運転系統の一つであり、横須賀線(東京駅 - 久里浜駅間)と総武快速線(東京駅 - 千葉駅間)を東京駅経由で結んでいる。

JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)が運営していた時代、「通勤五方面作戦」の一環として、1972年(昭和47年)に総武本線東京駅 - 錦糸町駅間の新線と錦糸町駅 - 津田沼駅間の複々線化の完成と同時に運転が開始、その後1976年(昭和51年)の品川駅延伸を経て1980年(昭和55年)から横須賀線[注 2]との相互直通運転を開始した[3]。それ以降は、一体的な運転系統となっていることから、これらを合わせて横須賀・総武快速線または横須賀・総武線と呼ばれることがある。1981年(昭和56年)7月の複々線区間の千葉駅延伸、同年10月の稲毛駅停車開始によって現在の運行形態が築かれた[6]。使用される列車の先頭部には「横須賀線-総武線」と表示される[注 3](詳細は後述)。なお、運営は1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化によりJR東日本に継承されている。

全区間が電車特定区間内であるが、編成の一部にクロスシートトイレを備えた近郊タイプの電車が用いられ、グリーン車も2両組み込まれている。運転される列車は、横須賀線は普通電車、総武快速線は快速電車が主であり、このほか、成田国際空港への空港アクセス特急「成田エクスプレス」や湘南新宿ライン蛇窪信号場 - 逗子駅間)の走行ルートともなっており、2001年(平成13年)の湘南新宿ラインの乗り入れにより、横須賀線沿線と新宿などの東京副都心とが直結した。また、東京駅から銚子市などの千葉県東部方面への特急列車など多種多彩の列車が運行されている。さらに、蛇窪信号場 - 鶴見駅間(東海道本線の貨物支線、通称品鶴線)や大船駅 - 逗子駅間、総武快速線の新小岩駅以東では日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている[注 4]。また2010年(平成22年)3月まで日本国内最後の荷物列車が走っていた[7]

運行形態は、横須賀線及び総武快速線からの相互直通が主であるが、東京駅発着の両線内への運行や、両線内のみの区間運行もある。また、一部の列車は千葉駅から外房線上総一ノ宮駅、内房線君津駅、総武本線(千葉以東)成東駅、成田線成田空港駅・鹿島線鹿島神宮駅までへ直通運転を行っている[8]

品川駅 - 横須賀・総武快速線 - 千葉駅間の終夜運転は基本的に行われない(中央・総武線各駅停車は行われる)。ラインカラーは、運用電車の車体色(通称:スカ色)の一部に近い色である)で案内されている。

歴史

本節では、横須賀線と総武快速線の直通運転開始前後からの歴史・沿革について記述する。なお、複線化完成前までの総武快速線については総武本線#歴史を、SM分離以前などの横須賀線については横須賀線#歴史をそれぞれ参照。

(節全体の出典:[6][9][10][11][12][13][14]

通勤五方面作戦

高度経済成長を迎えたころ、同じ線路(東海道本線旅客線)を共用して運行していた東京駅 - 大船駅間[注 5]東海道本線の小田原・熱海方面の列車(湘南電車)と、横須賀線の逗子・横須賀方面と直通する電車は、通勤ラッシュによる混雑が日を追うごとに深刻化し、増発を繰り返した結果、輸送力が限界に達していた。一方総武本線も朝のラッシュ時を中心に他の東京近郊の主要路線同様、混雑をきわめていた。そんな中で国鉄千葉鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道千葉支社)では様々な計画案が立案されていた。一例として1962年(昭和37年)に発表された段階案[15]では、

  • 旧型車両8輌編成を101系10輌編成に置き換え、2割の輸送力増強を図る。
  • 新宿駅での中央線上り快速電車と同様に、新小岩駅(案)に島式ホームを増設し交互発着を行うことで運転間隔を20秒短縮、さらに2割の輸送力増強を図る。
  • 1965年(昭和40年) - 1970年(昭和45年)の間に御茶ノ水駅 - 市川駅、市川駅 - 津田沼駅、津田沼駅 - 千葉駅の3区間に分けて複々線化。急行線では1962年(昭和37年)より25分の時間短縮を図る。停車駅は市川駅、船橋駅、津田沼駅、千葉駅を予定。ただし、東京都内は未定とした。さらに貨物列車も分離し輸送力を2倍とする。

このほかにも、当時最高混雑区間であった亀戸駅 - 新小岩駅を先行して複々線化する案などがあった。1965年(昭和40年)になると、日本国有鉄道(国鉄)は、混雑緩和と輸送力の増大を図るため、首都圏における通勤路線の輸送量増大プロジェクト「通勤五方面作戦」策定した。これは国鉄が、1961年(昭和36年)度からの第2次5ヵ年計画を1964年(昭和39年)に打ち切り、1965年(昭和40年)度を初年度とする1971年(昭和46年)度までの7年間におよぶ第3次長期計画を策定、都市間旅客輸送、長距離貨物輸送とならび、大都市の通勤輸送増強が計画的に遂行されるようにしたもので、そのうちの都市近郊(東海道、中央、総武、常磐、東北)各線輸送力増強計画の一環として、総武本線では快速線と緩行線を分ける複々線化を、横須賀線では、東京駅 - 小田原駅間の線路増設と東京駅 - 大船駅間における東海道本線(湘南電車)と横須賀線の別線化による、系統別の路線分離を計画した。

総武快速線新設(複々線化)

総武快速線新設に関する主な計画は以下のとおりである。

  1. (横須賀線品川駅 - )東京駅 - 錦糸町駅を地下トンネルで新設。東京駅 - 錦糸町駅間に新日本橋駅馬喰町駅を設置する。
  2. 両国駅 - 津田沼駅間は在来線併設の形で、線路別の複々線とし、前述の東京駅 - 錦糸町駅間とあわせ、快速列車などを運行する。
  3. 快速の停車駅は、1.の区間内の駅と新小岩駅・市川駅・船橋駅・津田沼駅として、快速線にそれぞれホームを設置する。
  4. 小岩駅 - 西船橋駅間及び船橋駅付近を高架化、さらにその他区間の踏切を単独立体交差をさせて、全体で56ヶ所の踏切を除去する。
  5. 貨物取扱駅を新小岩駅(のちに同駅の貨物扱いを分離した新小岩操駅→現・新小岩信号場駅)、西船橋駅山側へ集約、整理統合を行い、亀戸駅 - 新小岩操駅に貨物線を増設し、亀戸駅付近で本線と立体交差する。
  6. 総武快速線および房総ローカル線運用の113系、房総特急の183系、房総急行の165系を収容する幕張電車区(現・幕張車両センター)を津田沼駅 - 幕張駅間に新設。地下駅である東京駅の電留線機能を錦糸町駅構内の客車操車場跡に設置。
  7. 総武快速線は、別途計画の東海道本線増線(品川駅 - 東京駅間の地下区間)と東京駅で相互に直通する。
  8. 津田沼駅 - 千葉駅間の複々線は1971年(昭和46年)以降の完成とする。

東京駅 - 両国駅間の建設ルート案は、1.在来線に腹付線増する(工費約380億円)、2.神田川上に高架線を建設して神田駅に入る(工費約320億円)、3.地下線を建設し東京駅に直通する(工費約210億円・金額は計画当時の予定額)が出され、建設費用および運行距離のもっとも短い3.の地下線案に決定した。なお、東京駅への乗り入れには、従来から東京駅方面への乗換駅であった秋葉原駅の混雑を緩和する目的もあった。1965年(昭和40年)4月から着工を開始、軟弱地盤を通過することから大半がシールド工法によって建設され、隅田川との交差部はケーソン9基を両岸に仮設した築島から沈下させ、水中で次々に水平方向に押し進めることでケーソンを接続する築島ケーソン工法がとられた。同トンネルから複々線へのアプローチが設けられたのは両国駅構内だが、連続する急勾配のためホーム設置は見送られた。この区間は信号見通し距離の確保が困難であったため、保安装置に国鉄在来線では初となる車内信号方式の自動列車制御装置(ATC)を導入した[注 6]。長大トンネル[注 7]のため、乗り入れ車両はA基準対応車両のみとされ、新製車両はつとめてA-A基準対応とすることが定められた[注 8]。このため、A-A基準に準拠して新製された113系1000番台183系が投入された[16][17]。なお、両国駅および新宿発着の房総急行で使用していた165系については、保安装置が対応していないため地下区間への乗り入れは行わないことにした[注 9]。このトンネルは、総武トンネル(東京駅-品川駅間は東京トンネル)と呼ばれ、国鉄初の都市内トンネルとなった。

複々線化にあたり線路別とした理由は、両国駅及び錦糸町駅付近で大規模な立体交差が生じること、計画段階で貨物取扱駅を新小岩操駅[注 10]、西船橋駅山側に集約することになり、その場合上り貨物列車が貨物駅の出入りのために下り線を横断しなければならず立体交差が必要であること[注 11]、線路別にすることで、快速に乗客が集中することを防ぎ、各駅停車との乗車率の均衡を図ることができること、津田沼駅 - 幕張駅間に新設する幕張電車区が線路別であれば、複々線の千葉延長時に上下快速線間に抱き込み配線で設置できることである。両国駅 - 錦糸町駅間は開業以来デッキガーダーによる高架線となっていたが、地盤沈下および老朽化のため新規に高架線を建設、亀戸駅 - 新小岩駅間には、亀戸駅から南下し小名木川駅方面へ向かう貨物線に接続する単線(路盤は複線に対応)の線路を別途建設した。優等列車待避は市川駅と錦糸町駅で可能としたが、錦糸町駅については当面全列車が停車することから通過線は敷設せず、駅構内の客車操車場跡に電留線を設置した。なお、錦糸町駅は東京方面と御茶ノ水方面の分岐駅となった。また、西船橋駅のホーム設置は見送られた[注 12]

1972年(昭和47年)7月15日に総武快速線は開業、しかし津田沼駅までの複々線化であったので、津田沼駅 - 千葉駅間は各駅停車と快速・特急などが同じ線路を利用、快速は津田沼駅 - 千葉駅間はノンストップであった。同線開業により、それまで101系10両編成で運転されていた快速電車はも全て新造車の113系電車に置き換わり、編成も11両編成になり、同時に幕張電車区が開設され、車両は同電車区所属となった。これは、将来横須賀線と直通することが決定していたため、緩行線とは違う113系に置き換える必要があった。また、成田駅や房総方面への直通運転も開始され、成田駅には8往復、内房線木更津駅・君津駅には11往復、外房線上総一ノ宮駅・大原駅には8往復がそれぞれ運転された。一方両国駅および中央本線新宿駅より運転されていた既存の急行列車は、房総方面の列車を特急列車に格上げする形で特急「さざなみ」・「わかしお」を新設[注 13]、急行列車は、急行「なぎさ」(内房線回り)、急行「みさき」(外房線回り)が房総半島を一周する優等列車として運行された。総武本線・成田線の急行列車は特に動きはなかったが、1975年(昭和50年)3月10日のダイヤ改正ではエル特急「しおさい」・「あやめ」が運行開始、急行列車は、房総半島一周急行を廃止、房総方面を含め全てを電車化(153系・165系)してそれぞれの特急列車の補完的な列車となった[注 14]。なお、この改正で特急は全て東京駅地下ホームから発着するようになった。1976年(昭和51年)10月1日に東京駅の地下中央通路の混雑が問題となり、その緩和のため、1973年(昭和48年)6月に完成していた東京駅 - 品川駅間の別線(地下線)が開業(横須賀線の乗り入れが遅れたため、先の開業となった。詳細は後述)、朝夕のラッシュ時に品川駅乗り入れを開始、後に朝夕ラッシュ時以外にも乗り入れ時間帯が拡大し、平日46往復、休日36往復が乗入れた。

SM分離

ファイル:大崎付近概略図.PNG
品川駅より南、大崎駅周辺の路線図。右上から左下へ伸びる路線が「品鶴線」で、品川からそのまま大井町へ進むルートが従来の東海道線である。

SM分離に関する主な計画は以下のとおりである。

  1. 東京駅 - 品川駅間の別線(地下線)を線増する。
  2. 品川駅 - 鶴見駅間は、品鶴貨物線を転用する。その内、新鶴見操車場(現・新鶴見信号場) - 鶴見駅間は東側に併設線増して、在来貨物線取り付ける。
  3. 新鶴見操車場構内に、新川崎駅を新設する。
  4. 鶴見駅 - 大船駅間は、鶴見駅 - 東戸塚駅に貨物列車専用の別線を新設、同区間の在来貨物線は旅客用に転用、東戸塚駅 - 大船駅間に貨物専用線を在来線に併設線増する。
  5. 保土ヶ谷駅の貨物設備や旅客ホームは、在来貨物線上に新設する[注 15]

先に着工していた東京駅 - 両国駅間を繋げる形で、1968年(昭和43年)3月に東京駅 - 品川駅間の地下線は着工開始、前者区間同様に大半がシールド工法によって建設されが、新橋駅及び品川駅構内の一部は地上からの開削工法とした。後者区間は重要構造物との交差・近接が多く(有楽町のビル街や地下鉄路線など)、トンネルを深い位置に掘らねばならず、さらに、後者区間の地質が悪く[注 16]工事が難航、圧縮・凍結・薬液注入工法等多くの新技術を導入して、トンネル建設を施工した。この工事は1973年(昭和48年)6月28日に完成している。

一方地上の貨物線の建設は、まずは品鶴貨物線を転用するにあたり、武蔵野線汐留駅(現・廃止) - 東京貨物ターミナル駅 - 塩浜操車場(現・川崎貨物駅) - 鶴見駅間に湾岸貨物線を建設して、そこに貨物列車を転移させた。ところが、1966年(昭和41年)4月に東海道本線東京駅 - 小田原駅間線路増設工事を国鉄理事会で決定、同年5月に工事実施計画の認可が下り、貨物新線建設の計画を発表したが、恩恵を直接受けない沿線住民の激しい反対運動に遭遇し、建設が遅れてしまった(詳細は後述)。また、1977年(昭和52年)9月には、国鉄が地元から長年要望されていた保土ヶ谷駅 - 戸塚駅間に新駅(東戸塚駅)の設置を決定した。紆余曲折を経てようやく、1979年(昭和54年)10月1日に新貨物線は開業、東京駅 - 小田原駅間は左図のほか線路増による完全客貨分離が完成、そのうち東京駅 - 大船駅間は1980年昭和55年)10月1日から、東海道本線(湘南電車)と横須賀線電車の別線化による、系統別の路線分離を開始した[19][20]。これは、「SM分離」と呼ばれ、横須賀線の列車番号がSと付けられS電と、東海道本線の湘南電車がM電と呼ばれたことからの呼称である[3]。また、総武快速線の列車番号はFのため、「SF直結」とも呼ばれた[4][5]。その際、新川崎駅及び東戸塚駅が開業した。分離された区間で、東京 - 品川駅間は、1976年(昭和51年)10月1日に開業した総武快速線の地下区間に接続させた形となり、品川駅 - 鶴見駅間は、1929年(昭和4年)8月21日に開業した貨物専用線の通称品鶴線を転用、鶴見駅 - 大船駅間は、1928年(昭和3年)3月20日までに平塚まで開業していた貨物線の転用、よって現在の同区間の横須賀線の走行線路は、地下区間を除き、それぞれ既存貨物線の転用によるものである[21]

SM分離後の直通運転から民営化直前まで

ファイル:横浜駅横須賀線ホーム.JPG
「横須賀線」は「東海道線」とは独立した別の線路がある(横浜駅の横須賀線ホーム)

横須賀線と総武快速線は直通運転を開始、同時に幕張電車区所属の総武快速線運用車は横須賀線と編成を合わせるためグリーン車2両を連結、編成も最大15両編成となった。品川駅 - 横浜駅間は品鶴線に迂回するため、東海道本線より2.9km長く、所要時間も東海道本線より5分延び、さらに東京駅地下ホームから地上へ上がるまで3分〜5分かかるため、合計8分〜10分の差が生じてしまった。また、両線が直通運転をしたため、東京駅で着席できないなどの問題も生じた。さらに、この改正から横須賀駅 - 久里浜駅間の区間運転が逗子駅まで拡大、車両も付属の4両編成[注 17]での運転となった。1981年(昭和56年)7月6日に津田沼駅 - 千葉駅間の複々線化が完成、同年10月1日ダイヤ改正より横須賀線のスピードアップ及び停車時分の短縮を図り、品川駅 - 横浜駅間の所要時間差を1分30秒縮め、データイムには1時間に1本久里浜駅直通運転に改め、総武線快速電車は稲毛駅に停車、同年12月20日には千葉駅構内東京方(緩行線西千葉駅付近)の総武本線・成田線ルートと外房線・内房線ルートとの立体交差化が完成した。1984年(昭和59年)7月23日から東京駅 - 津田沼駅間で「ホームライナー津田沼」の運行を開始した(詳細は後述)。1987年(昭和62年)11月15日のダイヤ改正では、両国駅及び新宿駅発着の急行列車を全て特急列車に格上げ、その中から両国駅 - 銚子駅(成田線回り)間運転の特急「すいごう」が新設された(この改正前及びその後の特急・急行列車の歴史については、「しおさい (列車)#総武本線優等列車沿革」、「あやめ (列車)#成田線・鹿島線優等列車沿革」、「さざなみ (列車)#内房線優等列車沿革」、「わかしお (列車)#外房線優等列車沿革」をそれぞれ参照)。1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正では、横須賀線東京駅 - 大船駅間の最高速度を95km/hから100km/hに向上、東海道・横須賀線の朝の通勤時間帯の混雑率の平準化が図られ、千葉駅では成田線ホームが増設され、当初の計画通りの設備がほぼ完了した。1986年(昭和61年)4月2日に西大井駅が開業、その後、国鉄は1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化により東日本旅客鉄道に継承された。

成田空港への連絡輸送

総武本線の複々線化の目的は、通勤輸送と並び成田空港(新東京国際空港)への連絡輸送であった。1972年(昭和47年)7月15日の総武快速線開業時から、成田駅への直通運転は8往復運行されていたが、1978年(昭和53年)3月1日には空港輸送関連に伴い、1日9往復の千葉駅発着の快速を成田駅まで延長、これにより以前の8往復と合わせ毎時1本が成田駅まで運転された。空港の開港は、地元の強力な建設反対運動に伴い、大幅に遅れ同年5月20日となった。しかし、成田空港までは成田駅からバスで約25分かかり、空港輸送は京成電鉄スカイライナー[注 18]か、東京空港交通リムジンバスの利用が中心だった[注 19]。その後、成田新幹線が計画されるが、沿線で建設反対運動が起こり、1983年(昭和58年)には工事が凍結、1987年(昭和62年)4月1日の分割民営化により計画が失効した。ただし、成田線との交差部分(成田市土屋)と成田空港までの路盤と空港直下の地下駅及び東京駅地下部から越中島付近の出入り口まで(現在の京葉線東京駅 - 潮見駅間)は、成田新幹線用として建設され完成していた。

同年、当時の運輸大臣である石原慎太郎が、完成していた施設を利用してJR成田線及び京成電鉄京成本線の成田空港への延長を指示、1991年(平成3年)3月19日に成田線(空港支線)成田駅 - 成田空港駅間開業、「成田エクスプレス」の運転を開始、成田空港へは「成田エクスプレス」(1時間に1 - 2本)と快速(1時間に1本)が乗り入れるようになった。これに伴い特急「さざなみ」「わかしお」は、前年に東京駅まで乗り入れるようになった京葉線経由になり、臨時列車を除き総武快速線を走行しなくなった。この開業により、横須賀・総武快速線は成田空港への空港連絡鉄道としての使命を持つようになり、同年5月1日から成田空港駅発着の快速は「エアポート成田」の愛称が付与された。また、1992年(平成4年)12月3日には空港第2ビル駅が開業した。さらに、1991年(平成3年)4月26日から1992年(平成4年)11月29日までの間、特急「成田エクスプレス」を補完する目的で、臨時列車として特別快速「エアポート成田」が(大船駅 - )東京駅 - 成田空港駅間で運行された。なお、2018年(平成30年)3月17日のダイヤ改正で快速「エアポート成田」の愛称は使用を取り止めた。

民営化後の横須賀・総武快速線

両線の車両は国鉄時代から113系1000番台・1500番台で、全車冷房化が完了、民営化後もそのまま使用され続けていたが、ダイヤ上の最高運転速度は100kn/hで、製造以来20数年を経過していたため新型車両に置き換えられることになり、1994年(平成6年)12月3のダイヤ改正からステンレス製車両E217系電車30両(基本編成11両×2本、付属編成4両2本)が営業運転を開始した。また、この改正から、東京駅 - 成田駅(一部は成田空港駅)間に平日のみ朝上り1本、夜下り1本の通勤快速が運行開始した(詳細は後述)。1999年(平成11年)12月4日のダイヤ改正で幕張電車区の113系1000番台・1500番台がE217系置き換えられ、同時に最高速度も100km/hから120km/hに引き上げられた。これにより、東京駅 - 千葉駅間の所要時間が平均2 - 3分短縮され、最速で38分になった。なお、113系は同年11月23日に「さよなら快速113系号」が津田沼駅 - 横須賀駅間往復の団体列車として運転された。2001年(平成13年)12月1日より湘南新宿ラインの運行が開始され、横須賀線からはデータイム(新宿駅基準で10時〜17時)に新宿駅 - 逗子駅・横須賀駅まで毎時1本運転された。使用車両は215系とE217系であった。2004年(平成16年)2月29日にATCの設備老朽化に伴い、東京トンネル(品川駅 - 錦糸町駅間)内の保安装置がATCからATS-P形への変更により、閉塞方式を車内信号閉塞式から複線自動閉塞式へそれぞれ変更した[注 20]。これで、すでに東京トンネルを挟む横須賀線や総武快速線の区間ではATS-Pが導入されていたことから、保安装置の一本化が実現した[22]。2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正から、特別快速が東京駅 - 内房線館山駅間で平日のみ1往復運行されたが、2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正をもって、登場からわずか約2年で廃止された。

年表

  • 1972年昭和47年)7月15日:総武快速線東京駅 - (両国駅 - )錦糸町駅間地下トンネル及び(両国駅 - )錦糸町駅 - 津田沼駅間複々線化完成、東京地下駅開業伴い総武快速線運行開始。特急「さざなみ」・「わかしお」運行開始。
  • 1973年(昭和48年)6月28日:東海道本線東京駅 - 品川駅間別線(地下線)が完成。
  • 1975年(昭和50年)3月10日:同日実施のダイヤ改正により、エル特急「しおさい」・「あやめ」運行開始。
  • 1976年(昭和51年)10月1日:東京駅地下中央通路の混雑緩和のため、東京駅 - 品川駅間の別線(地下線)開業。総武快速線が品川駅まで乗り入れ。
  • 1978年(昭和53年)3月1日:成田空港(当時:新東京国際空港、現・成田国際空港)開港[注 21]に伴い、千葉駅着の快速9往復を成田駅まで延長。
  • 1979年(昭和54年)10月1日:東海道貨物線鶴見駅 - 横浜羽沢駅 - 戸塚駅間開業。
  • 1980年(昭和55年)10月1日:東海道本線及び横須賀線、別線化による系統別の路線分離を開始。横須賀線及び総武快速線相互直通運転開始。新川崎駅、東戸塚駅開業。保土ケ谷駅が横須賀線のみ停車。
  • 1981年(昭和56年)
    • 7月6日:津田沼駅 - 千葉駅間の複々線化工事が終了。複々線化以前は快速通過駅であった稲毛駅にホームを建設。
    • 10月1日:ダイヤ改正より稲毛駅に快速が停車。
    • 12月20日:千葉駅構内東京方の快速線において、総武本線・成田線ルートと外房線・内房線ルートとの立体交差化完成。
  • 1984年(昭和59年)
    • 2月1日:ダイヤ改正により横須賀線東京駅 - 大船駅間の最高速度を95km/hから100km/hに向上。千葉駅成田線ホーム増設。
    • 7月23日:東京駅 - 津田沼駅間で「ホームライナー津田沼」の運行を開始。下り2本の設定。車両は特急「しおさい」などで使用されていた183系[23]
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月14日:下り4本に増発。うち1本は新宿駅発着とする[23]
    • 10月1日:朝ラッシュ時の上り列車東京行き(「おはようライナー津田沼」)を1本設定[23]
  • 1986年(昭和61年)4月2日:西大井駅が開業。
  • 1987年(昭和62年)
    • 4月1日:国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に継承。
    • 5月11日:東京発下り列車を1本増発し、合計下り5本・上り1本の体制となる[23]
  • 1988年(昭和63年)7月6日:「ホームライナー津田沼」のうち新宿発の1本を千葉駅まで延長し、「ホームライナー千葉」とする(平日のみ)[23]
  • 1989年平成元年)3月11日:東京発の「ホームライナー千葉」を1本増発(平日・土曜)。
  • 1990年(平成2年)3月10日:朝の列車を「おはようライナー津田沼」に改称。東京発「ホームライナー千葉」を1本増発。下り列車は合計で7本となる[23]
  • 1991年(平成3年)
    • 3月16日:成田空港乗入れ関連のダイヤ改正で、「ホームライナー津田沼」を2本削減、「おはようライナー津田沼」を廃止。「ホームライナー千葉」は平日のみ運行で下り3本体制となる[23]
    • 3月19日:成田線(空港支線)成田駅 - 成田空港駅間開業、特急「成田エクスプレス」と快速「エアポート成田」運転開始[注 22]
    • 4月26日:特別快速「エアポート成田」運転開始。
    • 5月1日:成田空港駅発着の快速に「エアポート成田」の愛称設定[24]
  • 1992年(平成4年)
    • 11月30日:特別快速の運転停止。
    • 12月3日:空港第2ビル駅の開業により、同駅を停車駅に追加。
  • 1993年(平成5年)8月1日:エル特急「あやめ」・「すいごう」の一部列車を廃止し、「エアポート成田」2往復に鹿島線鹿島神宮駅行き列車を連結開始。
  • 1994年(平成6年)12月3日:「あやめ」2往復廃止に伴い、新たに「エアポート成田」1往復に鹿島神宮駅行き列車を連結。「ホームライナー津田沼」1本を廃止。東京発佐倉駅行きの特急「ホームタウン佐倉」を新設(以降、この列車については「あやめ (列車)#成田線・鹿島線優等列車沿革」を参照)[23]。ステンレス製車両E217系電車30両(基本編成11両×2本、付属編成4両2本)が営業運転を開始。
  • 1999年(平成11年)
    • 11月11日:横須賀線開通111年を記念した「横須賀線メモリアル号」が大船駅 - 横須賀駅間往復で運転。
    • 11月13日:14日両日に渡り、「横須賀線113系メモリアル号」が東京駅 - 横須賀駅間往復で運転。東京駅では地上ホーム(10番線)に発着、東京駅 - 横浜駅間は東海道本線を走行した。
    • 11月23日:113系電車による「さよなら快速113系号」が津田沼駅 - 横須賀駅間往復の団体列車として運転。
    • 12月3日:113系電車がステンレス製車両E217系電車に置き換えられ、同時に最高速度も100km/hから120km/hに引き上げ、東京駅 - 千葉駅間の所要時間最速38分となる。
    • 12月4日:ホームライナー千葉の列車号数の整理が行われる[23]
  • 2000年(平成12年)
    • 9月30日:東京駅 - 津田沼駅間で東京圏輸送管理システム (ATOS) の供用を開始する[25]
    • 12月2日:「ホームライナー津田沼」1本を千葉行きに延長し「ホームライナー千葉」に変更[23]
  • 2001年(平成13年)12月1日:「エアポート成田」の停車駅に酒々井駅を追加。
  • 2002年(平成14年)12月1日:成田空港駅の列車にはこの名称を使用しないこととなり、「エアポート成田」は成田空港駅行きの列車のみとなる。
  • 2004年(平成16年)
    • 2月29日:ATCの設備老朽化に伴いこの日より東京トンネル(品川駅 - 錦糸町駅間)内の保安装置がATCからATS-P形に変更されたことにより、閉塞方式を車内信号閉塞式から複線自動閉塞式へそれぞれ変更。
    • 10月16日:「エアポート成田」の停車駅に物井駅を追加。また、鹿島線鹿島神宮駅行編成連結列車を減便。
  • 2005年(平成17年)12月10日:使用車両を183系8両編成から255系に変更。全車禁煙化。255系が検査入場などで運用につけない場合は「中央ライナー」「青梅ライナー」に使用されていた183系C編成(9両編成)が代走。
  • 2008年(平成20年)3月15日:ダイヤ改正により以下のように変更。
    • 品川駅の横須賀線ホームを増設、同駅始発終着の「成田エクスプレス」を新設。
    • 土曜・休日に1本のみ走行していた「ホームライナー津田沼」を廃止(最終運行日は3月9日)。
    • 1号・5号を183系C編成所定(9両編成)に変更。ただし183系C編成は1本のみ配置のため、検査時などは255系が代走。
  • 2009年(平成21年)3月14日:ダイヤ改正により1・5号を255系、3・7号をE257系500番台所定に変更。代走も255系またはE257系500番台が行なうことになったため、183系C編成は離脱。「エアポート成田」に総武本線成東駅行編成連結列車を新設。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月12日:この日を最後に荷物列車が廃止。
    • 3月13日:武蔵小杉駅の開業により、特急「成田エクスプレス」が同駅を停車駅に追加。
  • 2013年(平成25年)3月16日:データイムの普通列車3往復を「エアポート成田」に変更。
  • 2014年(平成26年)
    • 3月15日:深夜時間帯に「エアポート成田」1往復を増発。
    • 4月1日:これまで現金のみで購入可能であったライナー券が、Suicaおよび相互利用可能の乗車カードでも購入できるようになる[注 23]
  • 2015年(平成27年)
    • 3月14日:19時台の「ホームライナー千葉」を1本設定し5本に増発。使用車両をE257系500番台に統一。早朝時間帯に「エアポート成田」1往復を増発、上りは通勤快速として運転。「おはようライナー逗子」・「ホームライナー逗子」廃止。特別快速が東京駅 - 内房線館山駅間で平日のみ1往復運行。
  • 2016年(平成28年)3月26日:「ホームライナー千葉」全列車が船橋駅に停車[26]
  • 2017年(平成29年)3月4日:ダイヤ改正により東京駅 - 内房線館山駅間の特別快速が廃止。
  • 2018年(平成28年)3月17日:「エアポート成田」の愛称が廃止され、愛称なしの快速列車(横須賀線内は普通)として運転。

運行形態

本節では、横須賀・総武快速線での運行形態を「横須賀線・総武快速線相互間」、「横須賀線のみ」、「総武快速線のみ」、「千葉以東の直通」、「過去の運行列車」の各小節に分けて記述する。(節全体の出典…[8][27][28][29]

列車はE217系電車15両編成で運行される。千葉方の11両が基本編成(1 - 11号車)、久里浜方の4両が付属編成(増1 - 増4号車)であり、基本編成の4・5号車にグリーン車を連結している。逗子駅を境にホーム有効長が異なるため、千葉駅 - 逗子駅間において15両編成で横須賀駅・久里浜駅へ直通する列車は、逗子駅で付属編成の切り離し・連結を行う。2012年3月17日のダイヤ改正以前まで、基本編成が逗子止まりで、付属編成が横須賀駅・久里浜駅へ直通する列車もあった。なお、車両の表示は、運行区間にかかわらず「須賀線-武線」である。

総武快速線内の快速・通勤快速及び横須賀線内でのダイヤ設定上はいわゆる電車ダイヤであり、運転上の主要駅以外では採時を行わない。

横須賀線・総武快速線相互間

本節の区間表記順は、横須賀線区間が東京駅 - 大船駅 - 久里浜駅、総武快速線区間は、千葉駅 - 津田沼駅 - 東京駅の順とする。

大半が千葉駅 - 東京駅 - 久里浜駅までの運転を基本にしている。発着駅は総武快速線からは千葉駅・津田沼駅、横須賀線からは大船駅・逗子駅・横須賀駅・久里浜駅である。平日の朝夕には総武線快速線からの品川駅折り返し列車が設定されている。千葉駅からは総武本線成東駅・成田線成田空港駅・鹿島線鹿島神宮駅・内房線君津駅・外房線上総一ノ宮駅まで直通する列車も設定されている。過去には外房線勝浦駅まで直通していた。種別案内は横須賀線区間の駅では「普通」、総武快速線区間の駅では「快速」として案内される。総武快速線区間は千葉駅 - 錦糸町駅間は快速線上にホームのある駅すべてに停車、錦糸町駅 - 東京駅間は各駅に停車する。横須賀線区間は、東京駅 - 品川駅間・新川崎駅 - 横浜駅間は走行路線上にホームのある駅すべてに停車、品川駅 - 新川崎駅間・横浜駅 - 久里浜駅間は各駅に停車する。

列車番号は3桁もしくは4桁[注 24]で、末尾には総武快速線内ではF、横須賀線内ではSが付されている。横須賀線から総武快速線に直通する列車は東京駅で種別変更し、列車番号の下2桁を偶数→奇数(偶数+1)末尾のアルファベットをSからF、総武快速線から横須賀線へ直通する列車も同様に、列車番号の下2桁を偶数→奇数(偶数+1)末尾のアルファベットをFからSに変更する。平日朝下り2本のみ総武線内通勤快速から横須賀線内普通列車に種別変更する列車があるが、こちらは上2桁の形式が若干異なるが、下2桁とアルファベットの変化は他の列車と同様[注 25]である。なお、横須賀線→総武快速線の通勤快速は設定されておらず、東京始発となる。

日中時間帯は1時間に総武快速線区間で5 - 6本、横須賀線区間が4本で運行されている。ただし、逗子駅 - 久里浜駅間では区間列車2本とあわせて20分間隔となる。

特急「成田エクスプレス」

総武快速線・成田線経由で成田空港駅まで運行される空港アクセス特急である。横浜駅・大船駅発着列車は、東京駅 - 大船駅間で横須賀線電車の線路を走行している。2014年3月からの一時期、土曜・休日のみ横須賀駅まで臨時列車として延長運転していた。なお、大船駅以南の途中停車駅は北鎌倉駅・鎌倉駅・逗子駅であった。

横須賀線のみ 

初電と終電に品川駅 - 久里浜駅発着があり、その他下り東京発大船・逗子・久里浜行き、上り久里浜・逗子発東京行きがあるが、平日は本数はわずかである(土休日は日中に1時間に1本程度東京駅折り返し列車が存在する)。鎌倉車両センターからの出区を兼ねた大船発逗子・横須賀・久里浜行きが合計6本設定されている。また、深夜には久里浜・逗子発大船行きもあるが、そのうち平日の逗子発大船行きは湘南新宿ラインの列車で運用されている[注 26]。逗子駅 - 久里浜駅間のみの運行もあるが、以前は横須賀駅 - 久里浜駅間であった。運行車両は付属編成(4両編成)を使用、上下とも8時台から16・17時台までの運行で、日中時間帯は前述のように1時間2本運行されている。

その他湘南新宿ラインが運行され、横須賀線系統は線路上にある駅すべてに停車する普通列車、東海道線系統は西大井駅・新川崎駅・保土ヶ谷駅・東戸塚駅を通過する快速または特別快速である。宇都宮線・高崎線の種別と一致しない場合、上りは大崎駅、下りは大宮駅で変更する。日中は1時間に4本(横須賀線系統と東海道線系統がそれぞれ2本)が運行される。線内列車を含め、ダイヤ設定上はいわゆる列車ダイヤであり、すべての停車駅で採時を行う。また、定期列車として特急スーパービュー踊り子が、臨時列車として特急日光、急行ぶらり横浜・鎌倉号ホリデー快速鎌倉などが運行される。

総武快速線のみ

複々線区間である錦糸町駅 - 千葉駅間では、すべての旅客駅にホームが設置されている総武緩行線に対し、総武快速線は快速停車駅にのみホームが設置されている。中央緩行線との直通運転を行う総武緩行線とはほぼ完全に分離された運行形態(ダイヤ)となっており、停車駅での緩急接続は特に考慮されていない。

快速

総武快速線では最も主要な列車種別で、東京駅 - 津田沼駅・千葉駅間および津田沼駅 - 千葉駅間の区間列車が設定されている。なお、後者は幕張車両センターからの出入区を兼ねており、下りの一部には上総一ノ宮行きと成田空港行きがある。日中は1時間に1 - 2本程度は東京駅発着となる。これは、横須賀線品川駅 - 西大井駅間の蛇窪信号場以南で湘南新宿ラインが同一の線路(品鶴線)に直通しており、ダイヤが干渉するためである。総武本線千葉駅以東・成田線・外房線・内房線に直通しない列車としては、朝ラッシュピーク時に千葉駅折り返しは設定されず、代わりに津田沼駅で折り返す。日中は市川駅で成田エクスプレスなど特急列車の通過待ちを行う列車がある。

土休日では日中を中心に、東京駅で横須賀線普通に乗り継ぐ列車がある[注 27]

通勤快速

通勤快速は、平日朝夜の通勤時間帯に運行されている。通常の快速よりも停車駅が少ない速達列車であり、1994年(平成6年)12月3日改正より運行を開始した[30]。上りは朝に成田線成田発横須賀線大船行きが1本・成田線成田空港発横須賀線逗子行きが1本と、下りは夜に東京発成田行き2本が運転されている[注 28]錦糸町駅 - 千葉駅間では船橋駅のみに停車し、千葉駅 - 成田駅間では東千葉駅・物井駅を通過、逗子駅・東京駅 - 錦糸町駅間では各駅に停車する。上り列車は先行列車を追い越さないため通常の快速と所要時間がほぼ同じである。下り列車は先行の快速千葉行きを市川駅で通過追い越しするため、快速よりも所要時間が短い[注 29]。大船行き・逗子行きは錦糸町駅から停車駅が快速と同一になるため、新小岩駅を通過すると種別幕が“通勤快速”から“横須賀線 - 総武線”に変わり、側面LEDの“通勤快速”表示も消去される。2015年(平成27年)3月14日ダイヤ改正より、成田発の逗子行き1本が成田空港発に延長され、2016年(平成28年)3月26日ダイヤ改正より、成田発の逗子行き1本が大船行きに短縮された。大幅な遅延が発生した場合、通勤快速の運転が中止され、快速と同様の駅に停車するが、種別案内が「快速」ではなく「普通」となってしまう場合がある。

特急

東京駅と千葉県東部地区とを結ぶ特急「しおさい」・千葉駅 - 甲府松本方面を結ぶ特急「あずさ」が総武快速線を経由して運行されている。このほか、臨時列車として、「新宿わかしお」・「新宿さざなみ」が年末年始をのぞく毎週土曜・休日に、「日光」などが多客期週末を中心に運行されている。

詳細は、各列車の記事を参照。

ホームライナー千葉

ホームライナー千葉(ホームライナーちば)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の総武快速線などで運行されているホームライナーの名称である。JR東日本の前身である日本国有鉄道(国鉄)が1984年(昭和59年)7月23日より、東京駅から津田沼駅までの回送列車を営業列車化することにより「ホームライナー津田沼」として運行を開始した。首都圏では同年6月1日に運行開始した東北線の「ホームライナー大宮」に次いで2例目のホームライナーである。「ホームライナー千葉」との名称が付いたのは、1988年7月6日に「ホームライナー津田沼」1本を千葉まで延長した列車から付けられた[23]。なお、過去に運行されていたホームライナー津田沼(ホームライナーつだぬま)、おはようライナー津田沼については後述を参照。

運行概況
「ホームライナー千葉」は東京・新宿発千葉行きで平日のみ運行する列車で、現行ダイヤでは夜19時以降に東京駅新宿駅方面から津田沼駅・千葉駅へ向かう下り列車に1日5本が設定されており、上り列車の設定はない。このうち1・3・7・9号は東京発であるが、5号は新宿発で、東京駅・新宿駅・秋葉原駅に設置されているライナー券券売機でライナー券を購入し、指定された号車の乗車口から乗車する制度である。東京発の列車は総武快速線のみを走行するが、新宿発の場合はまず御茶ノ水駅手前まで中央線快速と同じ線路(中央快速線)を走行し、そこから渡り線を通って中央・総武緩行線へ移り、さらに錦糸町駅手前の渡り線を通って総武快速線に移動するルートである。2016年(平成28年)3月26日より停車駅に船橋駅が加わり、東京駅・秋葉原駅 - 船橋駅間は途中無停車である。なお、「わかしお」・「さざなみ」が総武本線から京葉線に経路変更される以前は朝に上り「おはようライナー津田沼」が1本運行されていた。
車両はすべて幕張車両センター配置のE257系500番台が使用されている。2005年12月9日までと2008年3月15日から2009年3月13日までの一部列車では183系(幕張電車区所属)が、2005年12月10日から2015年3月13日まで255系も使用されていた。なお、255系はグリーン車が連結されているが、当列車では普通車扱いであり、ライナー券で着席可能とされている。
停車駅
1・3・7・9号
5号
ファイル:JR East 255 Boso View Express.JPG
かつてホームライナー千葉1・5号に使用されていた255系


千葉以東の直通

成田線・鹿島線
佐倉駅までは総武本線を経由し、ほとんどは成田駅から空港支線に入り成田空港駅まで運行されている。成田空港駅発着列車は1991年(平成3年)3月改正より運行されており[30]、成田空港行き列車は2018年(平成30年)3月16日まで、成田空港発の列車には2002年(平成14年)11月30日まで「エアポート成田」という愛称がついていた。1時間に1本以上(24往復)あるが、停車駅はほかの快速と同じである。
朝夕ラッシュ時には成田駅発着の列車も設定されており、平日には通勤快速(前述)が運転されている。
夜間に成田空港行き快速1本の付属編成が鹿島線鹿島神宮行きとして直通している。佐倉駅で11両編成を切り離して佐倉駅からは付属4両編成で普通として運行されている。2015年3月13日までは鹿島神宮発の設定はなく、復路は21時台に鹿島神宮発佐原行きで運行されて留置された後、翌朝に佐原発で運行されていたが翌14日のダイヤ改正で運用が見直され、朝6時の鹿島神宮発が復活した。鹿島神宮駅 - 佐倉駅間は付属4両編成で運転されており、佐倉駅で基本11両編成を連結する。2004年(平成16年)10月15日までは特急「あやめ」が減便された代替として、日中に成田空港駅発着の列車の一部が成田駅で連結・切り離しを行い、付属4両編成が鹿島神宮駅発着で直通運転していたが、翌16日の改正で下り1本をのぞきすべて廃止された。
年末年始終夜運転では成田山初詣客向けに、津田沼駅・千葉駅・佐倉駅発着の一部列車を成田駅発着に変更する場合がある。
総武本線
東千葉駅以外の各駅に停車する(通勤快速は物井駅も通過)。佐倉駅までは前記の成田線直通列車に加え、朝夕には折り返し列車も運転されているが、佐倉駅以東との直通列車は成東駅発着の朝の上り1本と夜間の1往復のみである。このうち、朝の上り成東発は成東駅 - 佐倉駅間で途中八街駅のみに停車して11両編成で運行されているが[注 30]、夜の1往復は佐倉駅で成田空港駅発着の11両編成の連結・切り離し作業を行い、佐倉駅 - 成東駅間は付属4両編成で各駅に停車する「普通」列車扱いとして運行される。1999年12月4日のダイヤ改正までは手前の八街駅までの乗り入れで、かつ付属4両編成のみで運転されていた。
内房線
ファイル:JR Uchibō Line Series E217.JPG
内房線を走行するE217系
成田線に次いで直通運転が多く、一部時間帯をのぞき1時間に1本程度(20往復)ある。後述の朝の千葉始発下り1本および木更津発上り1本をのぞき、すべての列車が君津駅まで運転される。巌根駅以外の各駅に停車し、普通列車としての役割も果たしている。日中帯は蘇我駅で京葉線 - 外房線上総一ノ宮駅発着の快速列車に相互接続を行う列車がある。2007年3月16日までは姉ヶ崎駅発着の列車も設定されていた。「房総夏ダイヤ」実施時は快速「青い海」として館山駅発着で運転された列車もあった。
なお、2015年3月14日のダイヤ改正から、朝に上り木更津発の総武線直通列車が1本復活した。この列車は千葉発木更津行きの下り快速列車で送り込まれ、その折り返しとして運転されている。
外房線
10往復が運行されている。千葉駅 - 蘇我駅間は前記の内房線直通の列車も加わる。大網駅 - 上総一ノ宮駅間では途中茂原駅のみに停車する。日中帯は京葉線直通の列車が主で、総武線直通は蘇我駅 - 上総一ノ宮駅間では5時間ほど運行されない。以前は勝浦駅(1998年12月6日まで)・大原駅(2004年10月15日まで)発着の列車も設定されていた。「房総夏ダイヤ」実施時は快速「白い砂」として安房鴨川駅発着で運転された列車もあった。

過去の運行列車

本節では、「SM分離」前後から当線で運行されたいた列車について記述する。

エアポート成田

エアポート成田
概要
日本の旗 日本
種類 普通列車快速列車
現況 名称廃止
地域 神奈川県・東京都・千葉県
運行開始 1991年3月19日(#年表を参照)
運行終了 2018年3月16日
運営者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
路線
起点 久里浜駅
終点 成田空港駅
使用路線 横須賀線総武快速線総武本線成田線
技術
車両 E217系
鎌倉車両センター
軌間 1,067 mm
電化 直流1,500 V
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エアポート成田とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が総武線快速電車のうち、成田空港駅行きの快速に与えていた名称である[注 31]。なお、横須賀線では普通列車の扱いなので、発車案内においては単に「エアポート成田」または「普通 エアポート成田」と案内されていた。

2018年3月17日のダイヤ改正でこの愛称が廃止され、他の横須賀線・総武線快速電車と同じ扱いとなっている(停車駅に変更なし)[31]

運行概況
基本的には総武線快速電車の一部であり、夕方時間帯を除き、毎時1 - 2本運転されていた。以前は完全に毎時1本であったが成田発着の各駅停車を成田空港発着のエアポート成田に置き換えたため毎時1 - 2本運転となった。これにより唯一千葉以東で快速が通過する東千葉駅が若干の減便となった(平日のみ運転の通勤快速は東千葉駅と物井駅を通過する)。成田空港駅発東京・久里浜方面行きの列車はこの名称を使用せず単に「快速」(または「普通」、「通勤快速」(平日朝のみ))を名乗る。以前は成田空港始発の列車も「エアポート成田」を名乗っていたが冊子の時刻表に明記されている程度であった。運行路線のいずれかで異常事態が発生した場合、直通運転を中止して線内折り返し運転になることがあるが、その場合でも「エアポート成田」の愛称のまま横須賀線の東京行きなどになることがある。
成田線から鹿島線乗り入れの鹿島神宮駅行きの列車を併結している列車や総武本線成東駅行きの列車を併結している列車も1日1本ずつ存在した(ともに佐倉駅で編成を分割する)。鹿島神宮行きについては以前は成田駅でも編成を分割していたが、大幅な削減により佐倉駅でのみの分割となった。ほとんどの快速「エアポート成田」が、市川駅・津田沼駅・千葉駅・佐倉駅・成田駅のいずれかで、特急「成田エクスプレス」の通過待ちを行う。通過待ちを行わないのは、成田空港行きでは、久里浜始発が4本(うち1本、土休日は逗子始発)、逗子始発が1本(うち1本、土休日は大船始発)、東京始発が1本の計6本ある。一方の成田空港始発では、久里浜行きが3本(うち1本、土休日は大船行き)、東京行きが1本の計4本あった。
113系を使用していた時期から、側面行先表示器に青文字(LEDでは赤文字)で「エアポート成田」と併記されている。
停車駅
横須賀線久里浜駅→東京駅間(種別:普通列車)、総武快速線東京駅→千葉駅間(種別:快速)の停車駅は後述を参照。
総武本線・成田線千葉駅→成田空港駅間の停車駅は以下のとおり。通過駅は東千葉駅のみで、同線区の「快速」と同一。
ファイル:JRE Airport Narita.jpg
種別・方向幕(E217系・更新前)


特別快速 

特別快速「エアポート成田」
1991年4月26日[注 32]から1992年11月29日までの間、特急「成田エクスプレス」を補完する目的で、臨時列車として特別快速「エアポート成田」が(大船駅 - )東京駅 - 成田空港駅間を運行していた[33]。東京駅始発・終着のほか、1991年は日曜に横須賀線経由で大船駅まで延長されることもあった。停車駅は横須賀線内各駅と、東京駅・錦糸町駅・船橋駅・津田沼駅・千葉駅・成田駅・成田空港駅だった[34][注 33]。快速と違い、横須賀線内も含め全区間で特別快速扱いだった。
使用された車両は他の横須賀線・総武快速線列車と同じ113系11両編成(1992年は15両編成[33])で、『特快エアポート成田』と書かれたヘッドマークを掲出した時期もあった。1991年7月20日から9月1日までは毎日運転であったが、それ以降は土曜・休日のみの運転となった。また1991年秋頃にはダイヤは同じであるものの、愛称なしで運転されていたとのことである[33]。方向幕では快速(普通)「エアポート成田」が青色であるのに対し、特別快速「エアポート成田」は赤色であった。また、現在使用されているE217系の方向幕にも、「特別快速エアポート成田・成田空港」「同・東京」「同・大船」が存在する[36]
特別快速「エアポート成田」は、時期によってダイヤは異なるが、以下の1往復が運転されていた。通過駅および信号場については、ホーム上を通過する駅と通過時刻が確認できる駅および信号場のみ記載する。丸括弧は通過時刻、角括弧は運転停車における到着・発車時刻、↓は通過または運転停車を表す。なお、休日ダイヤを前提とする。
大船駅→東京駅→成田空港駅
時期 1991年[注 34] 1992年[注 35]
列車番号 9752M
列車種別 特別快速
列車名 エアポート成田
大船駅 09:40発
戸塚駅 09:45着
09:45発
東戸塚駅 09:49発
保土ケ谷駅 09:54発
横浜駅 09:57着
09:57発
新川崎駅 10:06着
10:07発
西大井駅 10:15発
品川駅 10:19着
10:20発
新橋駅 10:25発
東京駅 10:29着
到着番線 4番線
列車番号 9453M 9453M
列車種別 特別快速 特別快速
列車名 エアポート成田 エアポート成田
発車番線 4番線[注 36] 3番線
東京駅 10:30発 11:25発[注 37]
新日本橋駅
馬喰町駅
錦糸町駅 10:37着
10:38発

11:32発
新小岩駅
市川駅 (10:45発)
船橋駅 10:51着
10:51発

11:46発
津田沼駅 10:55着
10:55発

11:50発
幕張駅 (10:59発)
稲毛駅 (11:01発)
千葉駅 11:05着
11:05発
12:00着
12:01発
東千葉駅
都賀駅
四街道駅 (11:13発)
物井駅
佐倉駅 (11:20発)
酒々井駅 (11:26発)
成田駅 11:32着
11:34発
12:26着
12:27発
根古屋(信) (11:39発)
成田空港駅 11:44着 12:41着
到着番線 2番線
成田空港駅→東京駅→大船駅
時期 1991年[注 38] 1992年[注 39]
列車番号 9454M 9454M
列車種別 特別快速 特別快速
列車名 エアポート成田 エアポート成田
発車番線 2番線
成田空港駅 12:21発 13:35発
根古屋(信) [12:26着]
[12:33発]

成田駅 12:38着
12:39発
13:44着
13:44発
酒々井駅 (12:45発)
佐倉駅 (12:50発)
物井駅
四街道駅 (12:56発)
都賀駅
東千葉駅
千葉駅 13:03着
13:03発
14:09着
14:10発
稲毛駅 (13:07発)
幕張駅 (13:09発)
津田沼駅 13:13着
13:14発

14:20発
船橋駅 13:17着
13:18発

14:24発
市川駅 (13:23発)
新小岩駅
錦糸町駅 13:31着
13:31発

14:38発
馬喰町駅
新日本橋駅
東京駅 13:39着 14:45着
到着番線 1番線[注 40] 4番線[注 41]
列車番号 9755M
列車種別 特別快速
列車名 エアポート成田
発車番線 1番線
東京駅 13:40発
新橋駅 13:43発
品川駅 13:48着
13:49発
西大井駅 13:54発
新川崎駅 14:01着
14:01発
横浜駅 14:10着
14:11発
保土ヶ谷駅 14:14発
東戸塚駅 14:19発
戸塚駅 14:23着
14:24発
大船駅 14:30着
当時は横須賀線の武蔵小杉駅と、成田線の空港第2ビル駅は未開業であった(前者は2010年3月13日、後者は1992年12月3日開業)。また現在、根古屋信号場は廃止されており、代わりに堀之内信号場が開業している(2009年3月14日開業)。
当時の東京駅 ‐ 成田空港駅間には、特別快速同様に特急「成田エクスプレス」を補完する目的で、特急「ウィングエクスプレス」が運行されており、停車駅が東京駅・錦糸町駅・船橋駅・千葉駅・成田駅・成田空港駅と、特別快速と比べて津田沼駅を通過するかどうかの違いしかなかった。
横須賀線ではS、総武・成田線ではFを列車番号の末尾に付けるのが原則だが、この列車はMを列車番号の末尾に付けていた。また後に設定される通勤快速も、登場当初はMを列車番号の末尾に付けていた。1992年のダイヤでは、特別快速「エアポート成田」は特急「ウィング(「ウィングエクスプレス」から改称)」(成田空港行き3号、成田空港始発2号)に、特急「ウィングエクスプレス」(成田空港行き1号、成田空港始発2号)は特別快速「エアポート成田」にそれぞれ置き換えられたのと同時に、特別快速「エアポート成田」の横須賀線への直通が休止された[40][41]
特別快速「カシマスタジアム」
2002年6月2日から同年6月8日まで、茨城県立カシマサッカースタジアムで行われる2002FIFAワールドカップの試合のため、同会場へのアクセスを目的として設定されていた。停車駅は、東京・新日本橋・馬喰町・錦糸町・新小岩・市川・船橋・津田沼・稲毛・千葉・四街道・佐倉・成田・佐原・潮来・鹿島神宮だった。試合の開始・終了時刻に合わせているため、運転日によってダイヤが異なっていた。一部列車は横須賀線の久里浜駅まで直通していたが、同線内は各駅に停車した。またこの他、千葉駅や成田駅発着の列車も存在した。
特別快速(東京駅 - 館山駅間)
2015年3月14日のダイヤ改正から、特別快速が東京駅 - 内房線館山駅間で平日のみ1往復運行された[42]。過去にも臨時列車として前述のような特別快速が運行された実績はあるが、定期列車として運行されたのは初めてのことであった。東京駅 - 館山駅間の途中停車駅は錦糸町駅・船橋駅・津田沼駅・千葉駅・蘇我駅・五井駅・木更津駅・君津駅・佐貫町駅・浜金谷駅・保田駅・岩井駅・富浦駅。横須賀線との直通は行わなかった。
下りは東京駅で横須賀線久里浜始発津田沼行き快速、錦糸町駅で先行の東京始発千葉行きの接続を受け、市川駅でこの快速を追い抜き、船橋駅で接続していた。一方上りは市川駅での追い抜きはなく、千葉駅・津田沼駅で成田空港発久里浜行き快速に連絡し、東京駅で成田空港発大船・池袋行き特急「成田エクスプレス44号」と横須賀線東京始発逗子行き普通に連絡していた。
2017年3月4日のダイヤ改正をもって、登場からわずか約2年で廃止された[43]

快速「青い海」「白い砂」

1972年から1989年の房総夏季ダイヤで運行されていた臨時快速列車[注 42]。定期の内房線直通快速と外房線直通快速を安房鴨川駅まで延長運転したもので、内房線経由には「青い海」、外房線経由には「白い砂」の愛称が付けられていた。定期区間の停車駅は他の快速と同じであったが、延長区間の停車駅は列車によって異なっていた。基本的には東京駅発着であったが、時期によっては、品川駅や両国駅発着であったり、横須賀線の久里浜駅や中央本線の新宿駅発着となる列車もあった。また、前面にはヘッドマークが掲げられていたが、横須賀線とのスルー運転や当時の労務事情などによって、ヘッドマーク取付は廃止され、さらに海水浴客の減少に伴い運転本数も削減されていった[33][44]

1990年以降の房総夏季ダイヤでは、内房線経由は「シーサイドライン内房」「ホリデー快速シーサイドライン内房」「ホリデー快速内房」「ホリデー快速青い海」、外房線経由は「シーサイドライン外房」「ホリデー快速シーサイドライン外房」「ホリデー快速外房」「ホリデー快速白い砂」などといった臨時快速列車が運行された[33][注 43]

ホームライナー

ホームライナー津田沼・おはようライナー津田沼
1984年7月13日に国鉄で2例目のホームライナーとして東京駅→津田沼駅間の「ホームライナー津田沼」として運行が開始された。運転本数は2本で、翌1985年3月14日には東京駅・新宿駅発列車が各1本ずつ設定され、計4本が運行された同年10月1日には朝の上り「ホームライナー津田沼」(津田沼駅→東京駅間)を1本増発、1987年5月11日に下り1本増発、これで下り東京駅発4本・新宿駅発1本、上り1本の計6本となった。なお、1990年3月10日で朝の上りは「おはようライナー津田沼」に改称した[23][46]
1988年7月6日に下り1本の運行区間が千葉駅まで延伸されて現在の名称「ホームライナー千葉」となった(「ホームライナー千葉」については前述を参照)。その後、「ホームライナー津田沼」は1991年3月10日に2本削減、1994年12月3日に1本削減、最後に残った1本も2000年12月2日のダイヤ改正で、千葉駅まで延長され名称も「ホームライナー千葉」に改称されて、「ホームライナー津田沼」は廃止となった[23][46]
おはようライナー逗子、ホームライナー逗子
1990年3月10日に東京駅 - 逗子駅間で主に通勤客向けに運転される座席定員制のライナー列車として、上り「おはようライナー逗子」、下り「ホームライナー逗子」が1本ずつ運行が開始された。登場時以来、運行時刻の若干の変更などがあったものの、1往復体制のまま運行が継続されていた[47][48]。特急形車両が使用され、当初は183系で[48]、廃止時はE257系500番台で運転されていた。
上りで乗車できた駅
  • 逗子駅 - 鎌倉駅 - 大船駅
下りで乗車できた駅
  • 東京駅 - 新橋駅 - 品川駅
2014年3月15日のダイヤ改正以後は、大船駅 - 逗子駅間では種別が「快速」となり、ライナー券不要で乗車可能となっていた[49]。2015年3月14日のダイヤ改正で廃止された。

その他

荷物列車
両国駅 - 千葉駅間を回送扱いで、道路事情の悪い内房線・外房線沿線への夕刊新聞輸送のために荷物列車が1本運転されていた。両国駅で新聞を積み込み、千葉駅に到着後各方面行きに分かれていく、特異な列車であった。総武快速線開業当初はクモハユ74形クモユニ74形100番台が幕張電車区の千葉ローカル運用の113系に併結して運転され、1986年11月1日に国鉄の郵便・荷物輸送が基本的に廃止されることとなったが、外房線・内房線の新聞荷物輸送は道路事情の関係により存続されることとなり、クモユニ143が幕張電車区に転属、最盛期には荷物電車4連を併結して運行したこともあった。しかし、1996年12月1日のダイヤ改正で房総地区の新聞荷物輸送は合理化のため、専用列車による輸送は廃止となり、それ以降は113系4両編成×2本を併結して使用、上り方各1両を荷物扱いとした。なお、夕刊の休刊日は運休となっていた[50]。この荷物電車は2010年3月12日まで運行された[7]

使用車両

本節では、横須賀・総武快速線で使用されている車両について記述する。なお、現在の鎌倉車両センター(旧・大船電車区)所属で当線全線で運用されている車両は「運用車両」に、それ以外の定期運用車両は「その他(特急・ホームライナー)」の項目に、過去は旧・大船電車区及び旧・幕張電車区(現・幕張車両センター)で横須賀・総武快速線運用の同区所属車だった車両は「運用されていた車両」に、それ以外は「その他(特急など)」分けて記述する。ただし、朝夕の東海道本線のホームライナー(湘南ライナー、おはようライナー新宿、ホームライナー小田原)や新宿発着の東海道本線直通の特急(「スーパービュー踊り子」など)、湘南新宿ライン、臨時列車で乗り入れた車両及び貨物列車は割愛する。なお、以下に示す車両はすべて電車である。

現在の使用車両

運用車両

E217系(鎌倉車両センター所属、1994年12月3日-)
  • 1995年(平成7年)度から。先頭車正面右側に設置されている路線名・列車種別表示器には黒地に青文字で「エアポート成田」と表記される。大半の列車は基本編成11両と付属編成4両の15両編成で運行されており、基本編成4・5号車に2階建てグリーン車が連結されている。
  • 通称「スカ色」と呼ばれる青とクリーム色()の帯が巻かれている。この色は113系から継承されている。
  • 久里浜方から付属編成4両(増1 - 増4号車)・基本編成11両(1 - 11号車)の構成となっており、基本編成の4・5号車が2階建てグリーン車、それ以外が普通車である。普通車は4扉、ロングシートが基本であるが、基本編成の千葉寄りの3両(9・10・11号車)のみセミクロスシート。なお、このような基本・付属編成の構成となった経緯については横須賀線#普通列車の編成を参照。

テンプレート:JRE E217

その他(特急・ホームライナー)

255系(幕張車両センター所属)
  • 特急「しおさい」で運用されている。
E257系(幕張車両センター・松本車両センター所属、2004年10月16日-)
  • 特急「しおさい」、「ホームライナー千葉」で運用されている。
  • 松本車両センター所属車は千葉発着の特急「あずさ」で運用される。
E259系(鎌倉車両センター所属)
  • 特急「成田エクスプレス」で運用されている。

過去の使用車両

運用されていた車両

113系(大船電車区・幕張電車区)
  • 1980年昭和55年)10月1日の直通運転開始時から1999年(平成11年)12月3日まで。15両(一部11両)編成で、基本編成4・5号車にグリーン車を連結していた。
  • 電動方向幕による行先表示を実施し、サボ運用を廃止した。

その他(特急など)

特急列車・ホームライナー(「しおさい」、「あやめ」、「さざなみ」、「わかしお」、「すいごう」、「ホームライナー津田沼」など)として183系・189系(1972年7月15日-2009年3月13日、但し特急運用は200512月9日まで)が、特急「成田エクスプレス」として253系(1991年3月19日-2010年6月30日)が、前者は幕張電車区所属、後者が大船電車区所属で運用され、急行列車として153系165系がいずれも幕張電車区(165系の一部は津田沼電車区からの転入)が運用された。また、荷物電車としてクモハユ74形クモユニ74形100番台クモユニ143が運用された。

路線概況と沿革

本節では、横須賀・総武快速線が通称SM分離後の直通運転開始からの路線概況と沿革を、「総武快速線区間」と「横須賀線区間」の小節に分けて記述する。なお、本節の記述区間順は、交通新聞社発行『マイライン 東京時刻表』やJTBパブリッシング発行『JTB時刻表』の当運転系統の最初の表記に倣い、千葉駅 - 東京駅 - 大船駅 - 久里浜駅の順とする。

総武快速線区間

千葉駅 - 東京駅間における、路線概況と沿革を区間別に下記に示す。(本節全体の出典:[20][51][52][53][54]

千葉駅 - 津田沼駅間

開業当時の千葉駅の位置は、現在地よりも北東の東千葉駅付近にあり、東京方面から房総方面へ行く列車は、千葉駅でスイッチバックする配線であった。現在地へ移転したのは1963年4月28日で、東京方面から総武・房総方面へ直通運転可能な配線となったが、千葉駅構内西千葉駅側で緩行線ホームと房総方面ホームと成田線ホームとの線路の平面交差が生じてしまった。また、1972年7月15日に総武本線津田沼駅 - 錦糸町駅間は複々線化したが、千葉駅- 津田沼間は複線のままだったので、同区間に快速と各駅停車などが集中するようになった。また、幕張駅と津田沼駅にも緩行線と快速線と幕張電車区に入庫する線路との平面交差が生じ、これらは輸送上のネックとなった。1981年7月6日に千葉駅 - 津田沼駅間の複々線化が完成、これらの平面交差も解消され、同年12月20日には千葉駅の成田線と総武快速線との立体交差化が完成した。さらに、1984年2月1日に千葉駅に成田線ホームが増設された。千葉駅を出ると、海側に緩行線、山側に快速線が並列して線路別の複々線となっている。西千葉駅と稲毛駅間に黒砂信号場がある。この信号場は前述の千葉駅 - 津田沼駅間の複々線化の際に、1975年3月10日に閉区していた千葉気動車区の敷地を信号場として設置したもので、上下本線+中線(待避線)の「複線待避型」の信号場であり、長大編成の電車や貨物列車が往来するため、比較的長い構内(有効長約300m)となっている。この信号所は貨物列車等の待避の他、千葉駅発着の列車折り返しにも使用されている。

黒砂信号場を過ぎると稲毛駅へ入り、同駅は1981年10月1日ダイヤ改正より、快速停車駅に昇格し、総武快速線の中で一番新しい停車駅である。千葉駅と幕張車両センターの狭間にあるため、房総ローカルとして使用される209系2000番台・2100番台の回送列車が頻繁に通過する。稲毛駅を出ると、幕張駅付近から快速線の上下線が広がり、千葉駅 - 東京駅間で唯一の踏切である花立踏切を乗り越し、そこから、緩行線幕張本郷駅を経て津田沼駅千葉方約2.5kmの地点まで幕張車両センターが快速線の上下線に抱き込まれるような形で設置されている。同センターは、1972年7月5日に幕張電車区として発足、同月15日に津田沼駅 - 錦糸町駅間複々線化と同時に使用開始された。構内全長が2.5km、最大幅120m、敷地面積が約22万m2の大きな車両基地で、同センターへの出入区は津田沼駅と幕張駅から行う。2004年10月16日に幕張電車区は現名称へ改称している。次の津田沼駅は、島式ホーム3面6線の配線で、快速線と緩行線双方とも3線で上下本線に中待避線が設置された駅である。複々線化前は中待避線がある2面3線のホームで、貨物設備が併設され、錦糸町駅方で津田沼電車区(現・習志野運輸区)への通路線が分岐していた。複々線化の際に、現状の形となり、津田沼電車区は緩行線に接続、また、快速線の中待避線は単線で、千葉方約2.5kmの地点までの通路線として幕張車両センターに繋がっている。

津田沼駅 - 錦糸町駅間

津田沼駅を過ぎると、この区間が1972年7月15日に完成した総武本線最初の複々線区間で、快速線の次のホーム設置駅は船橋駅で、同駅は1面2線の島式ホームを有する。船橋駅を過ぎると緩行線に西船橋駅、下総中山駅、本八幡駅があるが、快速線はいずれもホームはなく通過する。次の市川駅は快速線にもホームがある駅で、ここには外側に通過線が設置され、当駅で快速が特急などの待避をする。市川駅を過ぎると、すぐに江戸川を橋梁で渡り、東京都に入る。小岩駅を過ぎると、山側に新小岩信号場(旧・新小岩操車場)が現れ、快速線の下り線はそこで同信号場へ分岐する線路と立体交差している。同信号場の北側には、常磐線金町駅からの通称「新金線」と呼ばれる貨物線が接続している。なお、この貨物線は総武本線の別線扱いである。次の新小岩駅は船橋駅と同様の1面2線の島式ホームを有する快速停車駅で、構内北側には越中島貨物駅方面へ向かう単線の貨物線が通っている。

新小岩駅を過ぎると、前述の貨物線を加え5線区間となっているが、これは、亀戸駅で分岐していた小名木川・越中島両貨物駅へ向かう貨物線を、複々線化工事の一環として、新小岩駅 - 亀戸駅間に単線の線路を現在線に併設して線増したものである。さらに、亀戸駅の千葉方で乗越橋を設置して本線と立体交差している。次の錦糸町駅は、緩行線と快速線の分岐駅となった駅で、快速の他「成田エクスプレス」以外の特急列車の停車駅(「ホームライナー千葉」は通過)にもなっている。以前の錦糸町駅は、旅客ホームが1面2線であり、北側に貨物駅と客貨車区が併設されていた。複々線化工事の際に、貨物駅は工事の支障をきたすことになるので、両国駅と亀戸駅とともにこれらの3駅の貨物扱い分を小名木川・越中島両貨物駅の改良増強してそこに集約した。また、客貨車区も線路工事に支障するため、施設は佐倉駅に移転した。複々線化後の同駅は、快速線と緩行線それぞれに島式ホームが設置され、2面4線となった。駅構内北側には高架式の電留線が6線設置され、快速電車が留置される。

錦糸町駅 - 東京駅間

錦糸町駅を出ると、緩行線と快速線を結ぶ渡り線が設置されており、新宿方面へ向かう列車や同方面からの列車などはこの渡り線を利用して転線する。その渡り線のすぐ先には、錦糸町駅電留線からの線路が接続して、その関連の下り線→上り線への渡り線もある。そこを過ぎると、また同様の渡り線があるが、これは両国駅3番線ホームから下り線へ転線するための渡り線で、両国駅手前でそのホームへの線路が分岐する。そこから、山側に東京都江戸東京博物館両国国技館を見ながら勾配を下ると、国鉄初の都市内トンネルとなった総武トンネル(東京駅 - 品川駅間は東京トンネル)と呼ばれる地下トンネルへと突入する。次の馬喰町駅は、JR線の駅の中で一番深い位置にある旅客駅(海抜-30.58m[注 44])で、次の新日本橋駅とともに、1972年7月15日に開業した駅である。次の東京駅は、東京駅丸の内駅前広場の地下に建設、この地下駅は地下5階に2面4線のホームを有し、線路は同駅以南の横須賀線と繋がっている。総武本線の起点駅は、地下トンネルが開業した日にここ東京駅に変更になった。

横須賀線区間

東京駅 - 久里浜駅間における、路線概況と沿革を区間別に下記に示す。(本節の出典:[57][58][59][60][61][62]

東京駅 - 品川駅間

ファイル:総武快速線 @新橋駅.jpg
東京トンネルを走行する横須賀線列車(2017年7月2日 新橋駅)

横須賀線は東京駅の地下ホームから発着するが、このホームは1972年7月15日に東京 - 両国駅間の線路増及び両国駅 - 津田沼駅間の複々線が完成したと同時に開業したホームで、線路は同駅以北の総武快速線と繋がっている。品川駅付近を除き全区間地下線で、1976年10月1日に東海道本線の線路増として品川駅まで開業、総武快速線が同駅まで乗り入れていた。1980年10月1日に横須賀線が東海道本線と線路が分離されたことに伴い、直通運転を開始した[3]。東京トンネルの地下線は、地上の東海道本線・京浜東北線山手線に沿う形で南へ向かい、途中トンネル内には新橋駅がある。東海道線と東海道新幹線に挟まれる形で地上に出ると品川駅である。なお、ホーム上の案内は「横須賀線」であるが、正式には東海道本線である。

品川駅 - 横浜駅間

品川駅を出ると京急本線をくぐり、東海道新幹線と並行しながら東海道線と京浜東北線を跨いで南西に進路をとると、従来の旅客線と離れた新鶴見操車場(現・新鶴見信号場)を経由する通称品鶴線に入る。1980年10月1日に横須賀線と東海道本線との線路分離の際、東海道本線の貨物支線を旅客線に転用して、横須賀線を同線ルート経由にした。品川駅 - 西大井駅間の旧目黒川信号場では山手貨物線が分岐し、山手線とともに右側方向へ離れていく。続いて湘南新宿ラインなどが経由する山手貨物線大崎支線と、東京臨海高速鉄道りんかい線を跨ぎ、旧蛇窪信号場で大崎支線と合流する。旧目黒川信号場および蛇窪信号場は現在はいずれも大崎駅構内扱いであるが、運賃計算上では同駅を経由しないものとして取り扱う。逆に湘南新宿ラインは大崎から品川経由で西大井方面の運賃を計算する。また合流地点付近で東急大井町線をくぐる。ここからは東海道新幹線の真下を走り、まもなく西大井駅に至る。同駅は、1986年4月2日に設置された駅[3]で、民営化後の2001年12月1日には湘南新宿ラインが経由するようになり、同駅がこのルートの最初の停車駅(宇都宮線と横須賀線直通系統の列車のみ)である。

住宅街の中を進み国道1号第二京浜)をくぐると東海道新幹線が横須賀線の右側に移り、並行して掘割や高架を進む。東急池上線をくぐり東急多摩川線を跨ぐと、多摩川橋梁を渡って東海道新幹線とともに多摩川を越え、東京都から神奈川県に入り武蔵小杉駅に至る。同駅は2010年3月13日に開業、南武線との交差地点に設置され、特急「成田エクスプレス」が同駅を停車駅に追加した[63]。さらに同駅に近接する東急東横線東急目黒線とも接続する。同駅を過ぎると東海道新幹線と別れ、南武線と500mほど離れて並行する形で南南東方向に進路を変える。まもなく貨物線が右側に分岐し、その貨物線に武蔵野線(貨物線)が合流する。この先横須賀線線路上には新川崎駅があり、右側の貨物線上には新鶴見信号場(新鶴見操車場跡)が広がる。同駅も、1980年10月1日にルート上の新鶴見操車場に隣接した旅客駅として設置した。同信号場から分岐する南武線貨物支線(尻手短絡線)を高架で跨ぎ、しばらく横須賀線と貨物線との複々線で進み国道1号をくぐると、まもなく貨物線を跨いで東海道線・京浜東北線との並行(三複線)区間に入る。鶴見川を渡るとこの先京浜東北線の鶴見駅を左に見ながら通過する。なお、貨物線はここで東京貨物ターミナル駅からの東海道貨物線と合流し、同駅で東高島方面と、横浜羽沢方面へと分岐する。同駅から、新子安駅東神奈川駅を通過しながら住宅街を進み、国道1号(第二京浜)をくぐると横浜駅へ至る。なお、鶴見駅 - 戸塚駅間は、内陸側に横須賀線、海側に東海道本線旅客線の線路別複々線で建設された。新川崎方面から鶴見・新子安・東神奈川の3駅(および鶴見線横浜線方面)への運賃は鶴見駅・東神奈川駅接続で計算される。なお、新川崎方面から横浜駅まで乗車し、同駅から京浜東北線大宮方面行・横浜線八王子方面行に乗車しても重複乗車とはならない。

横浜駅 - 大船駅間

横浜駅は地上のJR各線・京急本線・相鉄本線、地下の東急東横線・みなとみらい線横浜市営地下鉄ブルーラインの全国最多となる合計6社局が乗り入れる。東海道線と並行するため、一部の駅で駅舎の工事を行い、横浜駅では駅ビルと東急東横線の駅を移設するなどしてホームの幅員を増やした。京急本線、および京浜東北線に繋がった根岸線が横浜駅で左にカーブして離れ、右側に併走する相鉄本線が同社西横浜駅付近まで並行。同線が離れると東海道線との複々線で住宅街を走る。左側に国道1号(東海道)が並行すると、保土ヶ谷駅へ至る。同駅ではそれまで横須賀線電車のみ停車していた東海道本線のホームを廃止して、旧貨物線上に横須賀線ホームを設置した。保土ケ谷駅を過ぎると右にカーブ。ここから多摩丘陵三浦丘陵に挟まれた谷間を進み、保土ヶ谷バイパスをくぐると東海道線と少し離れて新清水谷戸トンネルに入る。トンネルを出ると右側から現れた東海道貨物線が並行し、離れていた東海道線が近づき3複線となると横須賀線電車のみが停車する東戸塚駅に至る。同駅は、国鉄が地元からの長年の要望を受けて1980年10月1日に新設した駅である。

東戸塚駅を過ぎるとトンネル緩いS字カーブを描きながら工場群の中を進むと、下り線が戸塚駅の北側で横須賀線の下り線が東海道本線旅客線をオーバークロスして海側に回り、方向別複々線となると、地下鉄ブルーラインが接続する戸塚駅に至る。同駅では、旧貨物線上に横須賀線・東海道線上りホームを設置し、旧東海道線・横須賀線上下ホームは東海道線・横須賀線下りホームとして、東海道本線列車と横須賀線電車の同一ホームでの対面乗り換えを可能にした[64]。戸塚駅を過ぎ、柏尾川沿いに南下すると大船駅の北側で横須賀線上り線がオーバークロスするところまで方向別複々線が続き、上り線が東海道線を乗り越え、左側から根岸線が現れると大船駅に至る。大船駅では再び路線別のホームとなる。大船駅では旧貨物線上に東海道線上りホームを設置し、旧東海道線上りホームは東海道線下りホームとなった。また従来の東海道線下り列車は横須賀線上りホーム(副本線)と下りホーム(本線)のいずれかから発車していたが、東海道線下り線の移設により下りホームは横須賀線のみが発着するようになった。現在でも横須賀線ホームは東海道線の藤沢方面と線路が繋がっている[65]。また、同駅は横浜市と鎌倉市に敷地が跨っており、東海道本線・根岸線とのジャンクションであるほか、湘南モノレール江の島線も発着している。

大船駅 - 久里浜駅間

現状の詳細については、横須賀線#沿線概況を参照。

大船駅を出ると根岸線からの連絡線が合流し、鎌倉車両センターへの引込線が分かれる。湘南モノレールをくぐると、2006年(平成18年)に廃止されたJR東日本の車両工場である鎌倉総合車両センター(大船工場)への出入場線が分かれていた。1973年4月9日の根岸線洋光台駅 - 大船駅間延伸開業する以前の大船駅は、旅客ホームが3面6線(現在は、根岸線ホームを含め5面10線)で、東海道本線と横須賀線方向別に配置され、貨物線は本線2線、待避線2線で貨物設備が設けられていた。藤沢方に、前述の車両基地への引込線が分かれ、その付近で横須賀線上り線が東海道本線下り線と引込線の上を跨いで立体交差している。この立体交差は現在でも残っているが、以前は旧・大船工場への出入場線付近から、東海道貨物線へ行くルートが分岐、このルートは東海道本線上り線と平面交差しており、輸送上のネックポイントとなっていた。しかも、この平面交差は鈍角に交わっていたため、ここを通過する列車の衝撃も大きかった。この平面交差は、前述の根岸線の延伸により、根岸線と東海道貨物線を連絡する立体交差が大船駅東京方に設置された時に廃止された。これにより、東海道貨物線対横須賀線の貨物列車のルートは、新設の立体交差を通り、一旦根岸線本郷台駅に入り、そこでスイッチバックして根岸線から横須賀線へ向かうという複雑なルートとなった[64]。北鎌倉駅を過ぎると、次は鶴岡八幡宮最寄り駅の鎌倉駅で、江ノ島電鉄線も接続している。

次の逗子駅は横須賀線の運行拠点のひとつとなっている。横須賀線電車は15両編成の場合基本編成11両と付属編成4両を併結して運転、ここで基本編成11両と付属編成4両に分割併合される。久里浜駅方面へは11両編成、もしくは4両編成[注 45]となる。そのため、逗子駅には電留線が設けられている。この電留線は同駅の久里浜方の南側にあり、1951年3月26日に完成、1968年12月1日に駅改良工事に伴い、構内が改良[注 46]された。駅改良工事の際、ホームは2面3線で変わりはないが、従来の下り本線であった2番線が中線となり、3番線が下り本線となった。また、同駅から京浜急行本線沿線にある総合車両製作所(旧東急車輛製造)からの車両輸送用の専用線が同駅から分岐、さらに、駅から1kmほど南西に逗子海岸がある。逗子駅を過ぎると東逗子駅と続き、同駅と次の田浦駅間は海岸近くまで山が迫る地形のためトンネルが連続する。そのトンネルの合間にある田浦駅は、一度1984年2月1日に逗子駅 - 横須賀駅間貨物営業廃止に伴い同駅の貨物営業も廃止したが、1987年4月1日の国鉄分割民営化により、日本貨物鉄道が大船駅 - 田浦駅間の第二種鉄道事業者となり、逗子駅 - 田浦駅間の貨物営業再開、その後2006年5月1日の逗子駅 - 田浦駅間のJR貨物の第二種鉄道事業廃止まで、貨物取扱駅であった。田浦駅を過ぎると、海上自衛隊基地沿いを通って横須賀駅へ至る。横須賀駅は1面2線であるが、海側の1線が行き止まりであり、横須賀発着の列車はここに停車する。なお、逗子駅・横須賀駅の貨物設備は1984年2月1日にそれぞれ廃止された。ここから終点の久里浜駅までは単線区間である。横須賀駅を過ぎると南方向へ進路を変え、横須賀線最長2,089mの横須賀トンネルによって衣笠駅へ至り、終点の久里浜駅へと至る。同駅は旅客ホームこそ1面2線であるが、構内はホームに隣接した電留線(久里浜駅電留線)が設置されている。また、1974年9月30日までは貨物設備もあり、1970年までは国府津機関区久里浜機関支区があった。その後、機関支区跡地には1998年にJR東日本横浜総合訓練センターが開設された。久里浜駅ホームから南も引き込み線が延びており、11両編成の電車が入線する際には道中にある踏切が遮断されたままとなってしまう。

データ

本節では、横須賀・総武快速線のデータと駅を「路線データ」と「駅一覧」の小節に分けて記述する。なお、本節の記述区間順は、前節同様に千葉駅 - 東京駅 - 大船駅 - 久里浜駅の順とする。

路線データ

  • 管轄・路線距離(営業キロ):全長112.5km
    • 東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者
      • 千葉駅 - 東京駅(総武本線)39.2km
      • 東京駅 - 大船駅(東海道本線) 49.4km
      • 大船駅 - 久里浜駅(横須賀線) 23.9km
    • 管轄支社:
    • 日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
      • 小岩駅 - 千葉駅間 26.4km
      • 大船駅 - 逗子駅 8.4km
  • 軌間:1067mm
  • 駅数:29(千葉駅 - 錦糸町駅間では快速線上にある旅客駅のみ)
  • 複線区間:千葉駅 - 東京駅 - 横須賀駅 101.6km
  • 単線区間:横須賀駅 - 久里浜駅 8.0km
  • 電化区間:全線(直流1500V)
  • 閉塞方式:複線自動閉塞式
  • 保安装置:ATS-P
    • かつては地下区間のみATCであった。この区間はATS-SNが併設されていない為、ATS-P未搭載車は運転できない。
  • 最高速度
    • 千葉駅 - 錦糸町駅間 優等列車130km/h、普通列車120km/h
    • 錦糸町駅 - 東京駅 - 品川駅間 100km/h(ATC時代は90km/h)
    • 品川駅 - 大船駅間 120km/h
    • 大船駅 - 横須賀駅間 95km/h
    • 横須賀駅 - 久里浜駅間 65km/h
  • 運転指令所:東京総合指令室
  • 列車運行管理システム:東京圏輸送管理システム (ATOS)[66]

駅一覧

以下は久里浜駅 - 東京駅 - 千葉駅間の横須賀・総武快速線上の停車場(駅・信号場)および停車種別・接続路線などを一覧表としてまとめたものである。駅ナンバリングの付番順に従って久里浜駅から千葉駅に向かって記載する。

  • 特定都区市内制度適用範囲の駅 : =横浜市内、東京山手線内=東京都区内
  • 営業キロ : 鶴見駅 - 品川駅間は経路特定区間に指定されており、旅客がこの区間を挟んで乗車する場合は、新川崎駅・武蔵小杉駅・西大井駅経由よりも2.9km短い東海道線・京浜東北線川崎駅大井町駅経由の営業キロで運賃を計算する。
  • 停車駅
  • 接続路線 : 東日本旅客鉄道と東京急行電鉄の路線名は運転系統上の名称(正式路線名とは異なる)。駅名が異なる場合は⇒印で駅名を記す。
  • 久里浜駅 - 横須賀駅間は単線区間。久里浜駅・衣笠駅では列車交換可能、横須賀駅では久里浜発着列車同士の列車交換不可
正式路線名 走行線路 駅番号 駅名 駅間営業キロ 累計
営業キロ
通勤快速 ホームライナー 接続路線・備考 所在地
横須賀線   JO 01 久里浜駅 - 東京
から
品鶴線
経由

73.3
大船
から

23.9
  京浜急行電鉄KK 久里浜線京急久里浜駅 (KK67) 神奈川県 横須賀市
JO 02 衣笠駅 4.6 68.7 19.3    
JO 03 横須賀駅 3.4 65.3 15.9   京浜急行電鉄:KK 本線逸見駅 (KK57)・汐入駅 (KK58)
JO 04 田浦駅 2.1 63.2 13.8    
JO 05 東逗子駅 3.4 59.8 10.4     逗子市
JO 06 逗子駅 2.0 57.8 8.4   京浜急行電鉄:KK 逗子線新逗子駅 (KK53)
JO 07 鎌倉駅 3.9 53.9 4.5   江ノ島電鉄EN 江ノ島電鉄線 (EN15) 鎌倉市
JO 08 北鎌倉駅 2.2 51.7 2.3    
JO 09 大船駅 2.3 49.4 0.0   東日本旅客鉄道JT 東海道線 (JT 07)・JK 根岸線 (JK 01)
湘南モノレール江の島線
東海道本線 横須賀線用線路 東京
から
川崎
経由

46.5
横浜市
栄区
JO 10 戸塚駅 5.6 43.8 40.9   東日本旅客鉄道:JT 東海道線 (JT 06)
横浜市営地下鉄B ブルーライン(1号線) (B06)
横浜市
戸塚区
JO 11 東戸塚駅 4.2 39.6 36.7    
JO 12 保土ケ谷駅 4.9 34.7 31.8     横浜市
保土ケ谷区
JO 13 横浜駅 3.0 31.7 28.8   東日本旅客鉄道:JT 東海道線 (JT 05)・JK 京浜東北線 (JK 12)・JH 横浜線 (JK 12)・JK 根岸線 (JK 12)
東京急行電鉄TY 東横線 (TY21)
京浜急行電鉄KK 本線 (KK37)
相模鉄道SO 本線 (SO01)
横浜市営地下鉄:B ブルーライン(3号線) (B20)
横浜高速鉄道15px みなとみらい線 (MM01)
横浜市
西区
- 鶴見駅 7.1 24.6 21.7   (横須賀線電車は停車せず、ホームも存在しないが、路線の分岐点として扱われている) 横浜市
鶴見区
品鶴線
JO 14 新川崎駅 5.1 19.5       川崎市幸区
JO 15 武蔵小杉駅 2.7 16.8     東日本旅客鉄道:JN 南武線 (JN 07)
東京急行電鉄:TY 東横線 (TY11)・MG 目黒線 (MG11)
川崎市
中原区
JO 16 西大井駅 6.4 10.4     東日本旅客鉄道:JS 湘南新宿ライン大崎方面)(JS 16) 東京都 品川区
JO 17 品川駅 3.6 6.8     東日本旅客鉄道:JT 東海道線 (JT 03)・JY 山手線 (JY 25)・JK 京浜東北線 (JK 20)
東海旅客鉄道■ 東海道新幹線
京浜急行電鉄:KK 本線 (KK01)
港区
地下線
JO 18 新橋駅 4.9 1.9     東日本旅客鉄道:JT 東海道線 (JT 02)・JY 山手線 (JY 29)・JK 京浜東北線 (JK 24)
東京地下鉄G 銀座線 (G-08)
都営地下鉄A 浅草線 (A-10)
ゆりかもめU 東京臨海新交通臨海線 (U-01)
JO 19 東京駅 1.9 0.0   東日本旅客鉄道:■ 東北新幹線山形新幹線秋田新幹線上越新幹線北陸新幹線JT 東海道線 (JT 01)・JC 中央線 (JC 01)・JY 山手線 (JY 01)・JK 京浜東北線 (JK 26)・上野東京ラインJU 宇都宮線東北線)・高崎線JJ 常磐線直通) (JU 01)・JE 京葉線 (JE 01)
東海旅客鉄道:■ 東海道新幹線
東京地下鉄:M 丸ノ内線 (M-17)
東京地下鉄:T 東西線大手町駅 (T-09)
東京地下鉄:C 千代田線二重橋前駅 (C-10)
都営地下鉄:I 三田線 ⇒大手町駅 (I-09)
千代田区
総武本線 地下線
JO 20 新日本橋駅 1.2 1.2   東京地下鉄:G 銀座線・Z 半蔵門線三越前駅 (G-12・Z-09) 中央区
JO 21 馬喰町駅 1.1 2.3   都営地下鉄:A 浅草線 ⇒東日本橋駅 (A-15)
都営地下鉄:S 新宿線馬喰横山駅 (S-09)
JO 22 錦糸町駅 2.5 4.8   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 22) 〈秋葉原四ツ谷新宿中野(中央線)方面〉
東京地下鉄:Z 半蔵門線 (Z-13)
墨田区
快速線
JO 23 新小岩駅 5.2 10.0   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 25) 葛飾区
  新小岩信号場駅 - 10.5   東日本旅客鉄道:総武本線貨物支線(越中島支線新金貨物線
  小岩駅 - 12.8   (上記の貨物支線の起点。旅客ホームは緩行線のみ) 江戸川区
JO 24 市川駅 5.4 15.4   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 27)
京成電鉄KS 本線市川真間駅 (KS14)
千葉県 市川市
JO 25 船橋駅 7.8 23.2   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 31)
東武鉄道TD 野田線(東武アーバンパークライン) (TD-35)
京成電鉄KS 本線京成船橋駅 (KS22)
船橋市
JO 26 津田沼駅 3.5 26.7   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 33)
新京成電鉄SL 新京成線新津田沼駅 (SL23)
習志野市
JO 27 稲毛駅 9.2 35.9   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 37) 千葉市
稲毛区
  黒砂信号場 - 36.9    
JO 28 千葉駅 3.3 39.2   東日本旅客鉄道:JB 総武線(各駅停車) (JB 39)・JO総武本線〈特急のみ銚子駅まで直通運転〉・JO成田線成田空港駅及び鹿島線鹿島神宮駅まで直通運転〉・外房線上総一ノ宮駅まで直通運転〉・内房線君津駅まで直通運転〉
千葉都市モノレール1号線2号線
京成電鉄:KS 千葉線京成千葉駅 (KS59)
千葉市
中央区

利用状況

新川崎駅→品川駅間におけるピーク1時間(ラッシュ時)の通過人員と混雑率は、2008年度がそれぞれ30,700人・183%[67]で、この混雑率は「体が触れ合うが新聞は読める」目安とされる180%よりも若干多い数値であった[68]。2010年度については前々年より大幅に増加し36,050人・193%[69]で、「体が触れ合うが新聞は読める」180%と「週刊誌なら何とか読める」目安とされる200%のほぼ中間[68]となった。

エピソード

本節では、両線が直通運転する時に呼ばれたSM分離の由来や、貨物新線建設時の沿線の反対運動などのエピソードを記述する。

SM分離の名称の由来

SM分離の「S」・「M」とは、それぞれ横須賀線電車と東海道本線の熱海方面の普通列車(湘南電車)を示す。日本国有鉄道における電車列車の列車番号は「XXXXM」と、4桁までの数字にM(MotorのM)を付けて表すことが多いが、この線区では東海道本線と横須賀線の双方が運行されることもあり、横須賀線電車についてはMに代えて横須賀線(通称、スカ線)を意味するSを付けて区別されていた。なお現在は熱海以東の東海道線列車のうち東京以北へ直通する上野東京ラインとして運行される列車は「XXXXE」、新宿方面へ直通する湘南新宿ラインとして運行される列車は「XXXXY」となり、「XXXXM」の列車は以前と比べると激減している[70]

沿線の反対運動

(本節全体の出典…[71][72]。)

東海道貨物線を横須賀線に転用するにあたり、京浜間の貨物線再配置も同時に進められ、東戸塚 - 大船間は旅客線に沿って新たに貨物用の複線を敷設し、東海道線列車・横須賀線電車と併せて三複線とした[58]。東戸塚以東は市街化が進み線増が困難なため、北方に迂回する貨物新線が建設された[73]。この新線は長大トンネルで保土ヶ谷の丘陵地帯を抜け、相鉄本線上星川駅付近を経て貨物専用の横浜羽沢駅、その先は横浜線大口駅付近・京急本線生麦駅付近を経て、鶴見駅で根岸線方面からの貨物線(高島線)と合流する。鶴見駅からは、新鶴見・武蔵野貨物線方面、または川崎貨物駅経由東京貨物ターミナル駅方面に向かう[57]。これら貨物新線の建設は、汐留駅 - 塩浜操車場(現・川崎貨物駅) - 鶴見駅 - 小田原駅間の新たな貨物ルートを構成するものであり、東海道本線と横須賀線を分離して、輸送力の大幅な増強を図るものであった。

1966年4月に東海道本線東京駅 - 小田原駅間線路増設工事を国鉄理事会で決定、同年5月に工事実施計画の認可が下りた。しかし、この貨物新線建設の計画が突然発表されると、恩恵を直接受けない横浜市神奈川区保土ヶ谷区などの住民によって貨物線建設反対運動が起こり、住民側は、同年9月11日に「篠原菊名地区貨物線反対期成同盟」が、1967年5月23日に保土ヶ谷区上星川地区でも反対同盟が結成され反対運動が各地に波及、同年6月10日「横浜新貨物線反対同盟連合協議会」を結成して、各地の反対運動の連携を図ることになった。反対運動の影響で、用地買収に着手できず、住民説明会や測量も行うことができなかった[注 49]

だが、住民側が国鉄との交渉を続けていくうちに、絶対反対から条件闘争へと転換する地区も現れて、1969年6月に上星川地区が反対同盟連合から脱退した。横浜市は貨物線建設は通勤輸送緩和のためやむを得ないとして、国鉄に十分な騒音・振動対策を求めた。その後、1970年3月6日に横浜市議会が反対請願を不採用とする決議を採択、これにより住民側の反対運動の体勢は条件闘争へと向かうが、それでも納得のいかない鶴見区や神奈川区の一部住民が測量が始まっても工事関係者との衝突、測量を中止に追い込むと、数年間にわたり双方のにらみ合いが続いた。国鉄は、依然として強硬に反対する一部住民と条件闘争派と分けて強く対応することにし、1975年2月17日に土地収用法による事業認定を申請、それに対し反対同盟連合は事業認定の前提となる縦覧の阻止闘争などを続けた。しかし、1972年3月になると建設反対強硬派が集まる鶴見区や神奈川区の一部住民が反対同盟連合から脱退、条件派の貨物線公害対策協議会を結成、事実上反対同盟連合は分裂した。これにより、同年には国鉄と条件派などが建設に合意し、ほぼ全線で着工された。1976年3月には一部を除き建設工事は終了していたが、横浜線との交差付近の500mの区間の住民は最後まで強硬に反対していた。これに対し、1974年7月17日に建設大臣(当時)による土地収用法に基づく事業認定を公示、その地区に対し土地収用法を適用、1978年6月3日には神奈川県収用委員会は収用の裁決を下し、その地区は強制収用されたのち、この区間を突貫工事で完成させ、1979年10月1日のダイヤ改正から新貨物線の使用を開始した。このような反対運動により新貨物線の開通が遅れたため、1973年6月に完成していた東京駅 - 品川駅間の地下トンネル区間については、東京駅の地下中央通路の混雑が問題となりその緊急緩和措置として、1976年10月1日に総武快速線延長という形で開業させるという影響が出たが、1980年10月1日の東海道本線と横須賀線の路線分離が完成し、両線の直通運転が開始された。

直通運転後

(本節の出典:[5]

  • 直通運転開始直後、乗りなれない乗客が、品鶴線が武蔵小杉駅の「裏側」を通っているため、多摩川鉄橋で東急東横線と併走したので「この電車はどこへ行くのか」と騒いだというエピソードがある。
  • 上りの横須賀線の行き先が、東京駅から津田沼駅、千葉駅、成田駅、木更津駅、君津駅、上総一ノ宮駅、大原駅行きとなったため、「田舎に連れて行かれるようで馴染めない」との声も聞かれた。
  • 直通運転開始から、データイムの逗子駅 - 久里浜駅間は、付属編成4両の折り返し運転となったため、「昼間は横須賀線ではなく逗子線になった」とも言われた。
  • 約半年後の1981年3月1日付け交通新聞では、両線の状況を下記のように伝えた記事がある。
    • 「朝7:30から1時間の大船-横浜間乗車率は東海道線が改正前291%から改正後256%、横須賀線が改正前311%から改正後213%に」
    • 「東海道本線の混雑率がそれほど解消されていない理由は、横須賀線が5分余計にかかり、東京駅で地下ホームから八重洲口までさらに5分以上かかることが理由」
    • 「分離運転のメリットは薄いように見えるが、戸塚、横浜駅では通勤客に悲壮感はなくゆとりができてた」

輸送障害

2009年5月7日に発生した車両故障は大規模な運行トラブルを引き起こした。この日の朝6時50分頃、横浜駅 - 新川崎駅間を走行中の久里浜発津田沼行電車(総武快速線直通)で非常ブレーキ回路が断線してブレーキがかかったままになる車両故障が発生し、鶴見駅付近で立ち往生した。この電車のほか、3本の列車が高架上に2時間30分にわたり駅間停車するなど、対応が後手に回った[74]。このトラブルの影響で横須賀線・湘南新宿ライン・東海道線・京浜東北線根岸線が一時運転を見合わせるなど、朝ラッシュ時間帯を中心に合計110本の列車が運休した。さらには湘南新宿ラインを介して直通運転を行う宇都宮線東北線)や高崎線、湘南新宿ラインと線路を共用する埼京線や直通先の東京臨海高速鉄道りんかい線川越線、さらに川越線から接続する八高線八王子駅 - 高麗川駅間)、東神奈川駅で京浜東北線と同じホームを使用する横浜線、振替先の山手線東急東横線京急線や直通先の都営浅草線京成押上線京成本線北総鉄道北総線にも遅れが生じるなど、約36万人の通勤通学客に影響が出る事態となった[75]。横須賀線が長時間運転を見合わせた場合、東京・神奈川のみならず、関東1都6県に及ぶことが改めて実証された[76]

2015年12月6日未明、東京トンネルの新橋駅 - 東京駅間で、地下水をくみ上げる設備が故障し、線路が冠水した[77]。地下水をくみ上げる設備に泥が詰まったことが原因[78][79]。この影響で横須賀線は始発から17時30分頃まで12時間以上品川駅 - 東京駅間の上下線で運転を見合わせ、総武快速線との直通運転を中止した[78][79][80]

その他

2007年(平成19年)に船橋市議会において、千葉県や沿線市町村が総武快速線の西船橋駅停車を要望していると、市の企画部長が答弁した[81]

脚注

注釈

  1. 書籍(鉄道ピクトリアルなど[3])では〝MS分離〟の表記が多い。
  2. 正式な路線名は東京駅から大船駅までは東海道本線である。
  3. 相互直通運転を行わない列車についてもこの表示となっている。
  4. ただし、蛇窪信号所から乗入れる貨物列車は、武蔵小杉駅 - 新川崎駅間で分岐して複々線となり、そこから新鶴見信号場(旧・新鶴見操車場) - 鶴見駅間は貨物線を走行する。また、大船駅 - 逗子駅間の貨物列車は、京浜急行電鉄金沢文庫駅付近にある総合車両製作所横浜事業所(旧・東急車輛製造)からの新製車の甲種輸送に限られる。
  5. その内、東京駅 - 平塚駅間は、複々線で客貨分離していた。
  6. 地上装置がATC-1C型、車上装置がATC-5型。なお、ATCでは上下線で搬送周波数が異なるため、内房線・外房線を一周すると車両の向きが逆になって列車運行ができないため、房総半島を一周する特急・快速列車の運行は不可能になった
  7. 運輸省通達「電車の火災事故対策の通達の取扱いについて(鉄運第82号)」では、「長いずい道」とは「市街地の地下に設けられるもので延長1.5kmを越えるもの、山岳地帯に設けられるもので延長2kmを超えるもの、延長がそれぞれ前記以下でトンネル内の駅間が1kmを越えるもののいずれかに該当するトンネル」と規定されている。
  8. 総武快速線の地下区間は、鉄運82号における「車両定規と建築定規の間隔が、側部において400ミリメートル末満のもの」には該当しないため、運輸省通達「電車の火災事故対策について(鉄運第81号)」の第二項の規定に該当する路線である。
  9. 「計画当初は房総地区での特急の設定は考慮されておらず、165系による急行列車の東京駅乗り入れと房総地区での循環運転および千葉駅での分割併合を予定していた[18]
  10. 新小岩操駅 - 常磐線金町駅間を結ぶ貨物線(通称“新金線”)は、山側で接続している。
  11. これに伴い、貨物取扱駅を小名木川駅・越中島駅(現在の越中島貨物駅)・新小岩操駅・西船橋駅に集約し、両国駅・錦糸町駅・亀戸駅・平井駅・小岩駅・市川駅・下総中山駅・船橋駅・津田沼駅の貨物取扱業務を廃止した。
  12. 当時、すでに営団東西線は西船橋駅に達していたが、京葉線武蔵野線東葉高速線は未開業であった。
  13. 基本的には東京駅地下ホームからの発着であるが、両者とも一部は新宿駅発着であった。
  14. ただし、成田線香取駅 - 松岸駅間はこの時点では特急列車は走行しておらず、急行「水郷」がこの区間の唯一の優等列車であった。
  15. 計画段階当時、東戸塚駅の新設の予定はなかった。
  16. 東京駅 - 新橋駅間は粘質性のない砂で、非常に崩れやすく、浜松町駅付近は非常に軟らかい地盤で沈下が起こりやすく、田町駅 - 品川駅間は堅い粘土及び砂利層で湧水が多い。
  17. この運行形態は現在も続いている。
  18. こちらも成田空港駅(現・東成田駅)から空港ターミナル間はバス連絡。
  19. これらのルートは、いずれも都心から2時間前後かかり「遠くて不便な成田空港」と言われた。
  20. 前日まで保安装置切替のため全列車が錦糸町駅で運転停車を行なっていたが、東京発の列車については錦糸町駅での運転停車を取り止め(新宿発はポイント切替等の関係で運転停車を実施)。
  21. 実際の開港は同年5月20日。
  22. ただし、時刻表や側面行先表示器に「エアポート成田」と表記されるまで数か月程度の時差があり、「エアポート成田」の愛称は、『JTB時刻表1991年3月号』では併記されておらず、『JTB時刻表1991年6月号』では併記されていることが確認できる。
  23. なお、みどりの窓口においては従前よりクレジットカードでの購入は可能であった。なお、東京駅等JR東日本以外のみどりの窓口がある駅においてもライナー券の発売は東日本のみどりの窓口のみの取扱である。
  24. 上1桁及び2桁が始発駅の出発時刻、下2桁が運用番号を示している。
  25. 大船行きが2644F→645S、逗子行きが2768F→769Sとなる。
  26. 横須賀線運用の列車番号の末尾はS、当該列車の列車番号は3832Mであるため。
  27. 午前中は錦糸町発7・9時台の2本が該当。なお、平日などこの他の時間帯でも、終点東京駅で東海道線(上野東京ライン)に乗り換えれば、横浜駅・戸塚駅で宇都宮線からの横須賀線(湘南新宿ライン)に乗り継げる場合もある。
  28. 土休日は快速で運行。
  29. 東京駅 - 千葉駅間の所要時間上り39分、下り33分。
  30. 佐倉駅で付属4両編成を連結して15両編成になる。また、平日は東京行き、休日は久里浜行きである。
  31. 成田空港駅から東京・久里浜方面へ向かう列車は快速のみの表記であり「エアポート成田」の名称は使用していないが、以前は成田空港駅発の快速列車にもこの名称を使用していた。
  32. 直前に運転計画が決定したため、市販の時刻表には掲載されなかったとのこと[32]
  33. 成田駅は停車駅に含まれていない他、「大船09時30分/東京10時30分/成田空港11時42分と成田空港12時25分/東京13時39分/大船14時30分」と若干ではあるが1991年7月ダイヤとは異なる[35]
  34. 下りは市川駅で先行の総武線快速(平日:1011F/休日:941F)を追い抜き、千葉駅で当駅始発の成田線普通(439M)に接続[37][38][39]
  35. 下りのみ始発駅である東京駅で逗子始発の総武線快速(土曜:1059F/休日:1079F)に接続、千葉駅で当駅始発の総武本線普通(355M)に接続[40][41][39]
  36. 平日・土曜(東京駅始発)の場合は、錦糸町駅からの回送列車が折り返し運用に就く(列車番号9452M、錦糸町駅10:16発、東京駅10:25着)。
  37. 入線時刻は11:17着。1992年秋は11:26発。
  38. 上りは千葉駅で当駅終着の成田線普通(1448M) に接続、市川駅で先行の総武線快速(平日:1178F/休日:1160F)を追い抜き[37][38][39]
  39. 上りは千葉駅で当駅終着の総武本線普通(360M)に接続、上りのみ当駅始発の総武線快速(土曜:1456F/休日:1422F)に接続。また、上りに関しては、平日は特急「ウィング4号」(津田沼駅通過)として運転された[40][41]
  40. 平日・土曜(東京駅終着)の場合は、3番線到着後、折り返し回送列車として錦糸町駅へ回送される(列車番号9455M、東京駅13:48発、錦糸町駅13:57着)。
  41. 土曜の場合は3番線。
  42. ただし、1975年に限り定期列車として扱われた
  43. 2017年5月1日・2日に限り、「快速『青い海』」の列車名で、錦糸町駅以東で前述の特別快速と同じ停車駅の列車が1往復臨時列車として復活した。ただし、発着駅は東京駅ではなく、両国駅であった。また、使用車両は209系2000番台・2100番台幕張車両センター所属)であった[45]
  44. 旅客営業駅以外を含めると、日本一最深部にある駅は、青函トンネル竜飛斜坑線の体験坑道駅(旧・竜飛海底駅)で海抜-149.5mの位置にある。また、地下にある駅で最も深いのが、都営大江戸線の六本木駅の大門・両国方面行きホームで、地表面から-42.3mの位置にある[55][56]
  45. 逗子駅 - 久里浜駅間の区間運転のみ
  46. 従来は6両編成対応だったのが、最大4両編成×16本対応ができる設備となった
  47. 馬喰町駅との間の、東京方の地下区間(総武トンネル)の入口の手前に東京支社との境界がある。
  48. 武蔵小杉駅との間で都県境を跨ぐ品鶴線多摩川橋梁の横浜側堤防上に、横浜支社との境界がある。
  49. この反対運動は、沿線の丘陵地帯を長大トンネルで通したとしても、住宅も多く、騒音や振動の影響への警戒と、国鉄側が地元の意見も聞かずに、一方的にルートを決めたことへの反発から来るものだった。また、東急東横線妙蓮寺駅付近では、「新貨物線絶対反対、通勤緩和は新幹線を複々線に」の大きな看板があった。

出典

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  • 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー4 複々線を探る 複雑な多線区間 総武本線錦糸町-千葉間」、『鉄道ファン』第41巻2号(通巻478号)、交友社、2001年2月、 22 - 23頁。
  • 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー9 東京都心の鉄道複雑エリア Ⅰ鉄道輸送設備複雑地帯 2田町エリア 品川駅、3大崎エリア」、『鉄道ファン』第48巻6号(通巻566号)、交友社、2008年6月、 20 - 25頁。
  • 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー9 東京都心の鉄道複雑エリア Ⅱ列車の走行ルート 1成田エクスプレスのルート」、『鉄道ファン』第48巻6号(通巻566号)、交友社、2008年6月、 26 - 29頁。
  • 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー9 東京都心の鉄道複雑エリア ⅢJR複々線区間 1京浜東北線(横浜-大宮間) (1)横浜-鶴見間 (2)鶴見-品川間」、『鉄道ファン』第48巻6号(通巻566号)、交友社、2008年6月、 42 - 43頁。
  • 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー9 東京都心の鉄道複雑エリア ⅢJR複々線区間 2中央・総武線線(三鷹-千葉間) (2)錦糸町-千葉間」、『鉄道ファン』第48巻6号(通巻566号)、交友社、2008年6月、 50 - 51頁。
  • 祖田圭介「特集:短絡線ミステリー10 〜都心を貫く直通運転を探る〜 湘南新宿ライン・埼京・横須賀・総武快速線/成田エクスプレスルート (3)成田エクスプレス (4)横須賀・総武快速線」、『鉄道ファン』第50巻5号(通巻589号)、交友社、2010年5月、 32 - 34頁。
鉄道ジャーナル社
  • 草町義和、(編集者)宮原正和「朝ラッシュの「エアボート成田」でたどる 横須賀線-総武線」、『鉄道ジャーナル 特集● 関東・関西 快速電車 実力をチェック』第49巻1号(通巻第579号)、鉄道ジャーナル社、2015年1月、 44 - 53頁。
  • (編集者)宮原正和「E217系電車のプロフィール」、『鉄道ジャーナル 特集● 関東・関西 快速電車 実力をチェック』第49巻1号(通巻第579号)、鉄道ジャーナル社、2015年1月、 54 - 59頁。
その他(交通新聞社、JTBなど)
  • 『マイライン 東京時刻表』各年各月号、交通新聞社、総武線(快速)・横須賀線・湘南新宿ラインの時刻頁。
  • 『JTB時刻表』各年各月号、JTBパブリッシング、総武線快速・横須賀線の時刻頁。
  • ジェー・アール・アール編 「鎌倉車両センター 横クラ」『JR電車編成表』各年冬・夏号、交通新聞社。
  • 『首都圏鉄道完全ガイド 主要JR路線編』 双葉社〈双葉社スーパームック〉、2013-12-06、38 - 50。
  • 『首都圏鉄道完全ガイド 主要JR路線編』 双葉社〈双葉社スーパームック〉、2013-12-06、121 - 131。
  • (監修)今尾恵介 『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』4号関東2、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集)、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008-08-19、27,29頁。ISBN 978-4-10-790022-7。
  • (監修)今尾恵介 『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線』5号東京、日本鉄道旅行地図帳編集部(編集)、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008-09-18、31 - 32。ISBN 978-4-10-790023-4。

外部リンク

関連項目



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